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第六話 その4


ローラシア城――というらしい。

街の中央にあるその城は、大きく立派であった。


周囲は石の城壁と外濠に囲われ、開きっぱなしの跳ね橋の門を過ぎると、緩やかな斜面の道が城へ向かって伸びている。

台地の上に建った城は壮麗にして荘厳、ついつい見上げてしまいたくなるほど巨大だった。要塞のような城の前にはまた大きな内門があり、二重構造の要害であるらしい。


しかし周囲の雰囲気はなんというか――ひどくのどかでもあった。

そこらを歩く兵士たちも気の抜けた様子をしているし、斜面の道の先には商人らしき男が荷駄を引き連れてのんびりした顔で歩いている。


「……。なんだか平和そうなんだな、ここ。中に簡単に入れちゃったし」

「ローレンシアは連邦内の友好国に囲まれてる国だからね、安全なのよ」

「ふーん。でもそれにしても……」


それにロディニアに比べると、やはり中世を思わせるようなつくりだった。

城へ向かう道だというのに、地面の古びた石畳もところどころひび割れていたりする。そういえば街灯のようなものも見えない。


東吾とリィーンが斜面の道を上って城の前まで来ると、槍を持った衛兵が近づいてきた。

なにかをたずねようとしたところで、リィーンの顔を見てはっとして直立する。


「これは、今朝がたいらしたロディニアの魔導士どの。先ほど知らせが来ました、デュ・トワ湖にブロッガとドーラが集まってしまったとかで」

「はい。そのことについてなんですけど、宰相補佐官のエルメルさんに面会したいんですがよろしいですか?」

「エルメル様ですか、かしこまりました。ではこの札をお持ちください。おーい開けろー!」


衛兵の声で、城門のうち小ぶりな一つがゆっくりと開く。

内門をくぐるとすぐに長い階段が続いていた。リィーンと東吾はそこをゆっくりと登っていく。


「けっこう長いな階段。エスカレーターとかねえの?」

「エスカレーター? ってなに?」

「なんつーか、こう……勝手に動いて上に昇っていく階段っていうか」

「ああ、『自動階段』のこと。さすがにこの国にはないと思うわ、ロディニアでもシリウスパセットにしかないし」

「あっちにはあるのか。ちょっとすげえな。でもここにはないんだなぁ……」

「ウチの国はちょっと特殊だから」


そんなことを話しながら、二人が長い階段を登りきると巨大な扉が待っていた。

リィーンがその脇に設えられたふつうのドアに近づいていき、先ほど手渡された札を兵士の一人に渡す。


「ロディニアのリィーン・ルティリア魔導士です。宰相補佐官さんと面会を」

「はっ。どうぞ」


さらに三つ目、ドアを通ってリィーンと東吾、それに後ろからぞろぞろついてくる肉のゴーレムたちが城内へと入る。

そこは少し開けた広場のようになっていた。

近くには噴水などが見え、ちょっと離れたところには庁舎のようなものもある。


「へえ。でもさっきから門ばっかだなあ」

「一応王様もいるし、ね。じゃあトーゴはこのへんで待っててくれる? 中に入っても特におもしろいものもないし」

「ん、そか」

「わたしは話してくるから。ゴーレムもここで待機。じゃあね」


そう言って、リィーンは向こうに見える庁舎風の建物に向かって歩いていってしまった。

東吾はぐるりとあたりを見回してから、すぐ近くにある噴水の端に腰掛ける。


「よいしょっと。うーん……見たまんま中世ファンタジーだな。城はでっけえけど」


城には大きな尖塔などがいくつも立ち並んではいる。

が、しかし見た目が立派なだけだ。

前に歩いたロディニアの『サペリオン』のように妙に進歩している様子は見られない。おそらく建物の中も冷房などは利いていないのだろう。


「ふーん。魔法の力の差ってやつ? ……ん?」


ふと、誰かの声が聞こえた気がした。

そちらを見ると、広場からもっと奥へ続いていく道がある。


「……。なんだろ、誰の声だ?」


ただ待っているだけなのもなんなので、少しくらいいいだろうと東吾は立ち上がって歩きはじめた。

声の聞こえたほうへ向かって進んでいくと、建物の続く道の先でまた声が聞こえてくる。


女性の声だ。

なんだか少し怒っているような、心配しているような声である。


(なんだ? あんまり奥へ行くとまずいかな。でもなんか気になるし……)


なんとなく誘われるように、東吾は奥へ奥へと歩いていく。

角を曲がるとちょっとした庭園のようなものがあった。声はそこから響いてきていた。


『――ほら降りてくるんですの! だめですわ、危ないですわ! もう!』

「……」


緑の垣根の向こうに誰かがいるのが見えた。

きれいな金色の長い髪。

真っ白いドレスを着て、つばのひろい帽子には赤い帯のリボンがある。すらりと伸びた足の先にはヒールのある白い靴をはいていた。


女の子だ。年のころは東吾と同じくらいだろうか。

女の子は一本の木の上に向かって手を伸ばし、なにごとかを叫んでいる。


「? 木の上に……?」


東吾が垣根から覗いてみても木の上にはなにも見えなかった。

その木にはあまり葉が茂っているわけでもなく、ふつうに枝も見えているが特に変わったものがあるわけでもない。


「??? なにしてんだあの子? なんにもねえ? のに……」


すると女の子がはっとしてこちらのほうへ振り向いた。

覗いている東吾に向かって叫んでくる。


『! だ、誰ですの!? 出てきなさい!』

「げ、やべ。見つかっちった」


しかたなく、東吾は垣根を抜けて庭園の中へ踏み入った。

女の子は東吾を見ると驚いた顔をして、ちょっと怯えたように少し下がる。


「あ、あら? あなた……だ、誰ですの? 衛兵じゃ……」

「あ、すんません。あの、迷い込んじゃって」


適当にごまかしつつ、東吾は軽く頭を下げた。

女の子は眉根を下げてむすっとした顔を作ると、ふん、と少しだけ鼻を鳴らす。


「なんですのあなた。勝手に入ってきてはだめですわ」

「う、うん。つい……」

「わたくしも内園ではなく、外園のこんなところまで来てしまっておりますけども。では名乗りなさい」

「え?」

「え、ではありませんわ。名乗りなさい。無礼ですわ」

「……み、実城 東吾です……?」


もう一度ぺこりと頭を下げて、東吾は名乗った。

なんだか嫌な予感がした。

女の子は妙に偉そうである。これってまさか、もしかして……。


「ずいぶんと珍しい名前ですわね? わたくしはユスティーナ。ローラシア王及びローレンシア連邦王ヘンリク陛下が息女、ユスティーナ・アルホニエミですわ」


腕組みをして胸を張り、金髪の女の子が名乗った。

東吾はう、とうめきそうになった。


(マジかよビンゴかよ……。こんなすぐ歩いたとこにいるなんて。さすがに俺一人だけで一国のお姫様に会っちゃったってのはちょっとやべえか……?)


異世界とはいえ、さすがに東吾もちょっと気後れした。

これではいつ衛兵が飛んでくるかわからない。相手は国家の要人であり、事実上の不法侵入の状態である。


「こ、これはシツレーしました。んじゃ俺はここで」


最後に三回目の会釈をして、東吾はすぐに踵を返そうとした。

したところで――流れるような美しい金髪の姫君、ユスティーナが呼び止めてくる。


「お待ちなさい」

「は?」

「こちらへ来るのですわ。さあ」

「……」

「さっさとこちらへ来るんですの。わたくしの隣に侍り、ひざまずきなさい」


跪きなさい、と来た。

東吾は振り返り、ユスティーナ姫をじっと見る。


「え゛。な、なんで」

「あなたは庶民でしょう? まさか王女の命に従えないと言うのですか」

「え、いや、あの。俺ここの国の人じゃないっていうか。そもそもゴーレムっていうか」

「ゴーレム? 妙なことをおっしゃるものではないですの。いいからこちらへ」

「う、うう……」


しょうがなく東吾はユスティーナのそばへ行く。

ユスティーナはぴっと足元を指差して、高飛車に言い放った。


「さあ、ひざまずいて侍るのですわ」

「……。ひ、ひざまずくって。下芝生じゃん」

「なんですの。命を聞けないとおっしゃるんですの? 勝手に入ってきたくせに」

「で、でも」

「でももなにもありませんの。聞けないなら衛兵を呼んで」

「わ、分かりました! くう……!」


ぐっと我慢して東吾は地面に正座した。

ここでもし騒がれて捕まったら面倒である。リィーンの待ってて、という言葉を無視して奥へ入りこんでしまっているのだ。


「よろしいですわ。さて……」

「……は、はい……」

「わたくし。少々困っておりますの? わたくしの愛らしいペットがとても危なっかしいことをしまいまして」

「はあ、困って。ペット? って?」

「木の上をごらんなさい。ほら、あそこの」


ユスティーナが木の上を指差して見せる。

やはり変わったところはない――ように見えたが、そこには一羽の鳥がいた。雀によく似た、とても小さな小鳥だ。


「ペットって……あの鳥?」

「そうですわ。ああ――なんて危なっかしい! 見ているだけでわたくし、いても立ってもいられませんの! もうどうしたら……!?」

「……。うん? 『危ない』?」


急に変なことを言っている。

鳥が木の上にいたからといって、なにが危ないというのだろうか?


「あ、ひょっとして逃げちゃうとか? 鳥だし」

「なにをおっしゃってますの! わたくしのピィちゃんはきちんと躾けられた子、逃げなどしませんわ! そうではありません!」

「? 逃げないのか。じゃあなんで」

「あなた、おバカさんですの!? 見て分かりませんの、わたくしのピィちゃんがあんなところにいたら……!!」

「いたら……?」

「『落ちて』しまうかもしれないではないですの!!」

「……」


やはりユスティーナは変なことを言っていた。

東吾は変な顔をしてすぐそばのお姫様を見つめる。


「はあ? お、落ちるってお前。いやお姫様」

「ああもうああもうっ!! ピィちゃん降りてきてくださいまし、降りてきてちょうだいっ! わたくしは、もうわたくしは心臓が……!? はあっ、はあっ……!」

「待て待て待ってくれ。どっからどう見ても鳥じゃねえか、なんの心配してるんだ」

「落ちたら怪我をするに決まっているじゃないですか!! どれだけおバカさんですのあなたはっ!!」


ユスティーナは地団駄を踏んでわめいている。どうやら本気で言っているらしい。


「待ってくれって。と、飛べるんだろあれ? あんなところにいるわけだし」

「?? そんなこと関係ありませんわ!? ピィちゃん降りてきてくださいまし!!」

「……。な、なあお姫様。ひょっとしてお前バ……。いや、なんでもないです」


めまいのするような発言である。東吾はぐっと言葉を飲みこみ、立ち上がってユスティーナ姫を眺めた。

なんとなくではあるが、ものすごい世間知らずの天然アホオーラがたちのぼっている。超箱入り娘というやつなのだろうか。それにしたって、鳥が落ちるっていう発想は東吾もはじめて聞かされた。


「え、えーっと……。とにかくだ、あの鳥を捕まえればいいのか?」

「で、できますの!?」

「たぶんできると思うけど。じゃあ」


東吾は確かめるように手を握って開くと、少し屈みこんで自分の影に触れた。

あれからやっていないが以前の感覚を思い出すように意識を集中する。そういうものなのか、やり方は自然と頭の中に浮かんでいた。

すぼ、と影の中に手が入り込んだ。前に摂り込んだ吸血鬼の力である。


「よし出来た。いけそうだ」

「!? な、なんですのそれ? 影に手が……?」

「あの位置だから、たぶんこのへんの……。よっと!」


枝の上に止まっている鳥の影から東吾の手が飛び出した。

手はすばやく鳥をキャッチすると、影の中に引きこまれて消える。

それからすぐに、自分の影から抜いたばかりの東吾の手から魔法のように鳥が現れた。


「ほい捕まえたっと。はいよ、お姫様」

「……。??? あら? ぴ、ピィちゃん。平気ですの……?」


ユスティーナが手渡された小鳥を見つめて聞くと、小鳥はその名前のとおりにピィ! と元気よく鳴いた。


「ぴ、ピィちゃんよかったですわ! 今のはなんですの? 影を伝って魔法みたいに……!?」

「魔法じゃねえと思うけど。なんつったっけあいつ、レヴィなんとか……の真似。タネいらずのマジックみたいで便利だよなこれ」

「……」

「解決したからもういいよな。んじゃ俺はこれで」


東吾はユスティーナに背を向けて、さっさと立ち去ろうとした。

が、


「お待ちなさい」


また後ろから声をかけられる。


「……。なんですか?」

「いいからお待ちなさい。そしてわたしのそばに侍ってひざまずきなさい」

「ま、また!? なんで!?」

「いいからひざまずきなさい。早く。衛兵を呼びますわよ」

「な、なんで……」


言われるがまま、東吾はまた地べたに跪いた。

ユスティーナは近くに置かれていた鳥かごにさっき捕まえたペットの鳥を入れると、東吾の前に立って尊大に言った。


「なかなか鮮やかな手並み、わたくし感心いたしましたわ。褒めてつかわしますの」

「はあ。褒めてもらうのはいいんだけど、なんで地面に座らされるの俺」

「王族と庶民なのですから、それはしかたがありませんわ。でもわたくしはあなたに感謝いたします。礼を言いますわ」

「はあ」

「あなた……今の魔法のような技。もしかしてロディニアの者ですの?」

「ロディニアっつーか、俺は一応召喚された肉のゴーレムってやつらしいんだけど。まあリィーンはそうだな」

「肉のゴーレム? よく分かりませんがそうですの……。そういえば宰相が言っておりましたわね、ドーラ退去のためにロディニア人を呼びつけたと」

「はあ」

「よろしいですわ、わたくし気に入りました。興味深くありますの。……あなた」

「はい」

「わたくしの侍従となりなさい。しばらくの間、雇用してみるといたしましょう」

「……。はっ?」


突然妙なことを言い出したユスティーナに、東吾は変な顔をして見上げた。

侍従? 雇用?


「え、ま、待て。雇用って……?」

「ロディニアといえば古くはローレンシアの臣下筋。急ではありますがこのような取立ては大いなる誉れでありましょう。喜んでもよろしいですわよ?」

「いや待て待て。いきなりなにを。俺はそもそもリィーンに召喚されただけでだな、そんなこと言われても」

「なんですの? まさか拒否するとでもおっしゃいますの? 無礼ですわよ」

「拒否とかじゃなくて、俺が勝手に頷いてもどうしようもないっていうか。一日経ったら消えるしリィーンが召喚してるんだし」

「リィーンとは誰ですの」

「だから、俺を日雇いみたいな感じで召喚してる魔導士の女の子。俺はゴーレム」

「? あなたがロディニアから来た、という魔導士ではないんですの?」

「全然違うよ。俺は魔法なんか使えねえし……」


東吾がユスティーナと話していると、遠くから『トーゴどこー!?』とリィーンの声が聞こえてきた。

東吾はさっと立ち上がり、声のしたほうを見る。


「やべ、呼ばれてる。すんませんお姫様、俺行かなきゃ」

「え、お、お待ちなさい!? 勝手に……!」

「じゃあさよなら!」


これ以上からまれたら面倒になりそうな気がぷんぷんしていたので、東吾は逃げるように走り出した。

庭園を出て角を曲がると、ゴーレムを連れたリィーンの姿がある。リィーンはこちらを見つけるとあっと驚いた顔をした。


「トーゴ。なんでそんなところにいるのよ?」

「悪いリィーン、ちょっと気になっちゃって。ごめん」

「なにしてたの? 待っててって言ったじゃないの、あんまり出歩いたらだめよ。ここはロディニアじゃないんだから」

「いやー……声が聞こえてきてさ、そこで金髪のお姫様に会っちゃったよ。びびった」

「おひ……め、さま? え゛!?」


東吾が言うと、リィーンもさすがに目を丸くする。


「う、うそでしょ!? ユスティーナ殿下!? それまずいわよ、ていうかなんでこんなところにいるの!?」

「なんかペットの鳥が逃げたとかで……。捕まえるの手伝わされた。やたら偉そうだったし、ですのですのって微妙に関西弁の芸人っぽい喋りだったな」

「か、カンサイベン? っていうのはわからないけど、それきっと本物だわ……! まずいわ早く行きましょ、そんなところ誰かに見つかってたら大変だったわ」


リィーンは東吾を促して、そそくさと歩きはじめた。

東吾はリィーンに並びながら聞いてみる。


「なあ、やっぱまずかったのか? 俺がお姫様と話したって」

「相手は王族、しかも現王陛下の娘よ? 無礼なことしたら捕まってもおかしくないし」

「やっぱりか……。でもさ、なんかいきなり侍従? になれとか言われたんだけど。俺を雇用するとか一方的に」

「じ、じじゅ……? 危なかったわねトーゴ。あのお姫様、ムチャなワガママ言うらしいって有名なのよ。部外者をいきなりそんなのに出来るわけないのに」

「かなり天然っぽい感じはあったな。鳥が落ちそうで危ねえとか……」


東吾はちらりと振り返り、さっき曲がったばかりの角を見つめた。

お姫様が追いかけてくるような様子はなく、もう声も聞こえてこなかった。






「なるほど、ですの。あっちがリィーンというロディニアの魔導士ですのね」


尖塔の一つから、城門へと続いている階段の人影を眺めてユスティーナはつぶやいた。

そこからは肉のゴーレムたちを引き連れた東吾とリィーンが、階段を降りている姿が一望できていた。


「どうやら肉のゴーレムの専門魔導士、とかいうもののようですわね。あのトーゴという者は付き人? でも召喚されたゴーレムとおっしゃっておりましたわ。ロディニアはまた魔法で新技術を生み出したのでしょうか……」


そう言って、ちらりと後ろを振り返る。

そこには神官のようないでたちの老人が立っていた。

ユスティーナの守役を務めているヤーコブという男である。ユスティーナ専用の家宰のようなものだ。


「ヤーコブ。わたくし、あの者が気に入りましたわ。興味がわきましたの」

「し、しかし殿下……。急にお呼びになられてなにごとかと思えば。下々の者らを相手にそのようなことは」

「あら、それは下々の者に限ってのことかしら? わたくしはいつでも誰かと遊ぶことを禁止されてきましたわ。特に異性の殿方とは」

「そ、それは殿下のお体を慮ってのことでこざいましょう……。殿下はその、少々ご病弱であらせられまするに」

「そうですわね。でもなんだか面白そうですの、あのトーゴという者。ヤーコブ、わたくしはあの者を侍従にしてみたいと思いますわ」

「じ……侍従ですと?」

「ええ。すてきな思いつきでしょう? ロディニアならば臣下の国ですもの、わたくしがそこの者をどうしようとも許されるはずですわ。一人では問題があるならあのリィーンという魔導士も一緒に侍従にしてしまえばよいでしょう」

「無理を申されまするな殿下……。そもそも素性の知れぬ者をそのような役目につけるわけにはいきませぬ。殿下とてお分かりになりましょう」


呆れた顔でヤーコブがつぶやく。

ロディニアは臣下、と言っても本当にそんな関係だったのはすでに百年近く昔の話である。


特にここ三十年ほどは、どっちが主か分からないほど国力に差をつけられている。技術面にしても軍事力にしても、ローレンシアはロディニアの足元にも及ばない。

慣習やロディニア側の好意で友好関係を保ってはいるが、当然ながら異邦の国の魔導士を一方的に自分の召使に任命するなどできるわけもなかった。そもそも、ローレンシア側でかの国の魔導士を囲うような行為は重大な協定違反である。


ヤーコブは世間知らずの姫を眺め、憂鬱そうにため息をついた。

しかしユスティーナはじっと眼下に見える東吾に視線を注ぎ、言う。


「ヤーコブ。わたくしの願いを聞いてちょうだい」

「殿下。まこと申し訳ございませぬが、いくらなんでもそのようなことは」

「聞いてちょうだい。もうわたくしに時間はないのですから」

「! ……」


ユスティーナの言にヤーコブは黙りこんだ。

しばしの沈黙のあと、やがて言いにくそうに静かに言葉を返す。


「……そのような、悲観的なことを申されますな。今はご芳しくなくともいずれはきっと殿下のお体はよくなりまする」

「もういいですの、そんな言葉は。どんな治療をしても同じですわ。なによりあの進んだロディニアの治療修道士――そこの大司教がサジを投げたのですよ? もう無理だ、と」

「かの者もまだ諦めてはおりませぬ。他の腕の立つ者を遣わすと申しておりましたゆえ」

「いいえ。わたくしにも分かりますの、わたくしの体のことですもの。それに」


ユスティーナは東吾たちが去っていった門から目線を外し、ゆっくりと窓の外の空を見つめた。

空はとてもよく晴れわたり、雲一つない青空が広がっていた。

ユスティーナは今まで、城の中以外であの空の下にいられたことはほとんどない。


「お父様も、もはやわたくしの好きにせよ、とおっしゃられましたわ。ですからわたくしは最後にあの者らを選んでみます。あの者らと遊びとうございますの」

「……殿下」

「ヤーコブ。わたくしを城から出られるようにしてちょうだい。お願いですの、ただ一度だけでよいのです……」


ユスティーナが寂しそうに微笑んだ。

その微笑は美しく可愛らしく華やかで、しかしひどく儚げでもあった。






背後で城門が再び閉じられていく。

ローラシア城を後にして、ふと東吾は思い出したように自分の右手を眺めてみた。


「……あれ? そういや」


ぺしぺし、と右手を軽くはたいてみる。


「おーい。おーいニカ。なんだ? ずっと黙ったままだなこいつ」

「どうしたのトーゴ?」

「ニカのやつが喋らねえんだよ、今日は一言も。起きてモニカちゃん?」

『――』

「……。あれ?」


てっきり名前を読んでやればモニカは怒ってわめきだすと思ったのだが、右手は沈黙したままである。

うんともすんとも言わない右手を眺めて東吾は首をひねった。


「どうしたんだ? そーいやこの間も喋らなかったな、最後に口を利いたのは……あのレヴィなんちゃらに負けてから、か?」

「どうしたのかしら。なにかあったの?」

「うーん俺にも分かんねえ。寝てんのかな、それならそれでいいけど。……こいつ、トイレの時とかうざいし」


トイレに行った時のことを思い出し、東吾は辟易とした顔をした。

東吾は異世界では痛覚だけはないものの、ふつうに腹も減れば喉もかわくし、食事も食べる。すると当然トイレにも行く。


そのたびに……右手のモニカに、アレのサイズがどうのなどといじられるのだ。

まるで小学校のトイレ事情である。あまりにもうるさいせいで、このところ東吾は異世界に行ってる間はなるべく我慢しようとしていた。


「ウ○コウ○コって騒ぐし、皮かぶってるとか超余計なお世話だし……。こいつは小学生か」

「ちょ、ちょっとトーゴ」

「あ、ああすまん……。まあこいつはいいや、それより仕事のほうはどうなったんだ?」

「う、うん。とりあえず、今日のところはもうないわ。明日から兵士の人たちと一緒にブロッガとドーラの輸送作業になると思う」

「ほーい。じゃあこのあとどうするか」

「時間も空いちゃったしね。ヒマなら城下町でも歩いてみる?」

「そうだな。それでいいや」

「あ、じゃあお給金あげるね。これは好きに使っていいから。はい」

「おお、センキュー。これでやっと無賃労働じゃなくなったな」


東吾はリィーンが懐から出した袋を受け取った。

袋はそれなりに重さがあり、中を開けてみるといくらかの金貨と銀貨、それにごっそりと銅貨が入っていた。


「ん、思ったよりあるじゃん? こっちの通貨は分からないけどなんか色々買えそうだな……持ち帰れないけど。あっ」


と、そこで東吾は少し立ち止まった。


「そうだ、元の世界と言えば。もう一つ忘れてた。なあリィーン?」

「なに?」

「ちょっと相談があるんだけど……こっちに呼び出されてる間のことなんだけどさ、俺の元の体が肉のゴーレムに乗り移られてるみたいなんだよな。どうすりゃいいかな」

「え? な、なにそれ?」


目をぱちくりさせて、リィーンがこっちを見てくる。


「うそ? それ初耳なんだけど。そういえばヤッヤッって聞こえてきてたけど……」

「そういやリィーンは今日はじめて俺の元の世界を見たんだったな……。ちっとまずいんだよなぁ、向こうで変な行動しまくってるらしいし」

「どうしてかしら。トーゴの代わりに向こうにゴーレムの精神が移動してるのかしら?」

「わかんねえ……。とにかくなんとかしてくれ。俺が順調にキ○ガイ扱いを受けつつあるんだ」

「ご、ごめん! すぐに先生に手紙を書いて送っておくわ。先生も忙しいからこの国には来れるかわからないけど」

「そうしてくれ……。今頃どうなってっかなぁ、向こうの俺」


先ほどの鉄メガネの光景を思い出しながら、東吾はつぶやいた。

戻ったら知らない場所に放り出されていた、なんてことが起きてなければいいと東吾は思う……。

リィーンが困ったようなすまなそうな顔で言った。


「ねえトーゴ。あの……や、やっぱりあんまり呼ばないほうがいいのかしら」

「ん……まあそれはこうして給料も貰っちゃったしな。それにリィーンもゴーレムが使えないとどうしても困るんだろ? ここにも仕事で来てるんだし」

「う、うん。それはそうなんだけど……」

「近いうちになんとかしてくれりゃいいよ。なんだかんだで異世界は珍しいものもあるし、けっこー楽しいしな」


なんだかんだで、東吾は気楽な男であった。



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