Intermission 2
「――っつーわけで、このところ異世界に行ってるんだよね」
東吾はテーブルに座って、三人の友人と昼食をとっていた。
東吾の向かいに座っている、長い茶髪の女の子――幼馴染みでクラスメイトの生島 美紀が変な顔をする。
「……。なに言ってんの?」
「うむ、そんな反応をするだろうとは分かっていた。だけど本当だぞ」
「東吾アンタ、ついに頭がおかしくなったの? あたしそんなこと聞いてないんだけど」
「おかしくなんかないぞ。俺の脳は絶好調だ」
東吾はそう言って、手にある焼きとうもろこしを齧った。
ここはとある海水浴場の海の家だ。
外からは蝉の鳴く声や波の音、波打ちぎわで遊ぶ人々の声などが聞こえてくる。
「だ・か・ら。そうじゃなくて、最近のアンタがなんかおかしいことについて聞いたんでしょ。異世界とかなんの話よ」
話題は『このごろ東吾の様子がどうもおかしいこと』についてである。
東吾が異世界に行っている間――つまり、その間意識を失っている東吾の代わりに、おいてきぼりにしている体を動かしている肉のゴーレムの様子のことだ。
「アンタ最近ご近所で有名よ? 変なことばっかりしてるって」
「だからだな。その異世界に行ってるせいで、その間はゴーレムに乗り移られてるんだって。そいつの仕業なんだ」
「はあ? 真面目に答えなさいよ」
「真面目に答えてるって」
「……。ケンカ売ってんの?」
「ま、まあまあおちついて。二人ともケンカはしないでくれよ」
東吾の斜め向かいに座っていた少年がとりなすように言った。
大柄でたくましい体と、気弱そうな顔つきがミスマッチの少年である。同じく東吾のクラスメイトで、名を近藤 作治という。
「なに言ってんのよ作治、コイツがふざけてるんじゃない。テキトーなことばっかり言って……!」
「まあ生島、ともかく東吾の話を最後まで聞こうよ。僕もちょっとよくわからないけど」
「え? いや俺の話はこれで終わりだが」
「と、東吾。みんな心配して言ってるんだから、ちゃんと真面目にさ……」
「――う、ん。そんなの、も、アリだと、思、うー」
すると東吾のすぐ隣にいた女の子がコクリと頷いた。
薄く青みががった、もじゃっとしたくせっ毛のショートカット、背の小さな少女だ。
支倉=アラルースア くるみ、という名の、特徴的な喋りをするハーフのクラスメイト。
「さすがくるみだな。よく分かってくれるじゃないか」
「う、ん。それ、おもしろい、と、思、うー」
「はあ!? ちょっとくるみ、なんでこんなバカのホラ話につきあってんのよ!?」
美紀がくるみに突っ込んだ。
しかしくるみはちゅるん、と焼きソバをすすると隣の東吾を見上げて言う。
「ねえ、東、吾。異世界、ってどんな、のー?」
「そうだなぁ。なんか魔法使いがわらわらいるし吸血鬼とかも出てきた。中世っぽいけど場所によってはやけに進んでるな」
「へ、え。おもしろ、そー。東吾は、勇者、なの?」
「いやー勇者じゃねえなぁ。肉のゴーレムとかいう召喚生物? らしくてわりと人権はない系というか……」
「ふ・ざ・け・な・い!! もうこの二人は!」
テーブルをバン! と叩いて美紀が会話をストップさせた。
そしてきっと東吾をにらみつけてくる。
「いいかげんバカな妄想は終わり! それより近頃アンタの様子がおかしいってことじゃないの!」
「そう言われても」
「言われてもじゃないでしょ! アタシこの前アンタを見たのよ、道路のど真ん中を『ヤー!』とか叫んで全力でトラックと併走してる姿を! もう……」
ため息をついて美紀が額を押さえた。
なんとも言えないような顔をした作治が続いて頷く。
「僕も見たよ。なんだかすごい笑顔でさ、朝の公園でラジオ体操してるお年寄りの集団に混じって、一人だけバレエみたいな……。その、いい動きをしていたね。なんか人気者みたいだったけど……」
「人気とかどうでもいいわよ。妹の留未ちゃんだって半分泣きながらあたしに相談してくるし……なんでそんな奇行をしてるのよ。まったく」
美紀はもう空っぽのグラスのストローを、スコーと音を立てて吸う。
「とにかく友達がこうして心配してるんだから。アンタもせめて真面目に話しなさい」
「あ、くるみも、見た、よ。スーパーのドアの前、で、フンフンディフェンス、してた。楽しそう、だったよー」
「だから楽しそうとかどうでもいいの! くるみはちょっと黙ってて! ほら東吾」
そうしてじっと東吾を見てくる。
「え? ほらって何が」
「だから! 悩みがあるなら聞いてあげるって言ってるの! なんでそんなことするのか理由くらいあるでしょ?」
「悩み、なんて言われてもなぁ」
東吾は困ってしまった。
悩みもなにもなかった。東吾は、本当に異世界に召喚されていてゴーレムに入れ替わっている。
説明しても納得されるわけがない、というのは東吾にもわかっていた。
話を聞く限りでは、東吾in肉のゴーレムの愉快な行動がご近所から熱い視線を注がれつつあるようだが……。
「……いや、俺としても困ってはいるんだよ。留未のやつも最近やけに俺に優しいし。でもなぁ」
「やめなさいよアンタ。留未ちゃん本当に心配してるのよ? 分かってんの?」
「うーん」
異世界に行っていること自体は夢ではなかった。
現に証拠として、一番最初にデーイィンに手渡され持ち帰ってしまったマントは今でも東吾の部屋にある。
しかしどうしたものか……。
このままでは愉快な変態お兄さんとして地域に認知されてしまう。というか、いつお巡りさんに連行されてもおかしくない。
しかしリィーンが召喚をやめてくれないかぎり入れ替わりは防げない。リィーンになんとか言って、解決するしかないんだろうか……。
「……。ま、わかったよ。そのうちなんとかするから」
なにか方法を探すにしても、異世界に呼ばれなければリィーンに伝えることもできない。
現状ではどうしようもないので、東吾はあいまいに頷いて席を立った。
「え? ちょ、ちょっと」
「お前らの友情は受け取ったから。心配すんなって、それより海に来たんだから泳ごうぜ。熱いしな」
「……。むー……」
釈然としていない美紀を強引にうながして、東吾は三人を連れて店を出た。
外へ出ると白い砂浜と青い海が見える。
少し離れたところにはサーファーなどの姿も見えていた。
「おーいい天気。あっちーなぁ」
「ま、そうねー。なんかうやむやにされちゃったけど、アンタの悩みは後で聞くからね」
「まだ言ってんのか。悩みなんてねえんだけどな……」
「はいはい。とにかく泳ぎましょ! 行くわよくるみ、ゴー!」
「う、ん。ごー、ごー」
美紀とくるみが波打ちぎわに向かって走っていく。
東吾は美紀たちの後を、砂浜を歩いて追いかけた。
「アハハ、えいくるみ!」
「冷た、い。えい、えい」
「きゃあ! アハハハ!」
東吾が波打ちぎわに近づくと、美紀たちは早くも水をかけあって遊びはじめていた。
こうして見る限りではふつうの可愛い女の子たち、なのだが。
……。
なのだが。
……約一名は……。
「……」
「? なに見てるのよ東吾。あたしの顔になにかついてる?」
「いや別に」
東吾はさっと目をそらす。
そのまま美紀と目を合わせないようにして、横の作治を見てたずねた。
「作治は泳がないのか?」
「うーん僕はいいや。僕が荷物預かっておくから東吾こそ泳いでくれば?」
「そうだな。じゃあ悪いけど頼むわ、軽く一泳ぎして……」
そう言って、東吾がサイフを作治に渡そうとした時だった。
ふと、少し離れた場所から見知らぬ男が近づいてくる。いきなり美紀たちに向かって話しかけてきた。
「――よう姉ちゃん。オレらと遊ばねーか?」
「ん?」
東吾がそちらを見ると、なんだかチャラチャラした妙な男の四人組だった。
美紀も変なものを見るような顔をしている。
「はあ? え、ちょっと誰よ」
「まーまーまー。オレらさ、女と遊ぶ予定だったんだけどブッチされちまって。よかったら俺らと来ねえか?」
「?? いやあたしたち友達で来てるし。見てわかんない?」
「いーっていーって。そんなショボそうなやつらよりオレらとのが楽しいって。な?」
どうやらナンパらしい。
東吾たちは男二人に女二人でいるというのに、ずいぶんとチャレンジャーな連中である。
「……。ふーん。そう」
気の短い美紀がイラッとした顔を見せると、はっとした作治があわてて間に入った。
「ま、まあまあ待ってくれ。僕らは彼女たちと来てるんだ。他を当たってくれないかな」
「あん? あんだテメェー黙ってろよ」
「わ、わあ?」
作治が喉を掴まれて、ぐっと押し返されてしまう。
美紀の眉がぴくり、と跳ねる。
「あ、作治? ……」
美紀の目の色が変わった。
ナンパ男たちをじっと見ている。
(……あ゛。やっべ……!)
東吾は危機を感じた。さっと血の気が引く。
このままでは平和な夏の砂浜に『惨劇』が起こる。
短気な美紀がゆらり、と男たちの前へ出てくる。東吾は急いで美紀と男達の間に入った。
「ちょい待って、待ってくれ美紀さん。おちついてくださいお願いですからせっかく遊びにきたんだから」
「……」
「お、お前は『女の子』。女の子だ。そうだろ? だから女の子らしくですね?」
東吾が必死になだめていると、ナンパ男たちの一人がぐっと肩を掴んできた。
「? なにやってんだテメェ、やんのかコゾーコラ」
「いいから待て。お前ら今すごく危ないから。すごく」
「あ?」
「いいから。ヤツにスイッチ入っちゃう前にストップだ。作治、俺と壁を作ってくれ」
東吾は作治を呼んで、並んでナンパ男達の前に立った。
相手の集団を眺める。
四人……体が細くてすぐに見かけ倒しと分かるのが二人と、ちょっとは鍛えてそうなのが二人。
これでは危険である。
東吾たちでなくナンパ男たちが、である。
「よーしおちつけ。ちょい待ってくれ。俺たちケンカしに海来たわけじゃなくてさ」
「うるせェよ。邪魔すんなガキ、うせろや」
「頼むから待ってくれ。こいつだけはダメなんだ、外れどころの騒ぎじゃないんだ、逆宝くじで一等前後賞引いてるの同じなんだお前ら」
「はァ?」
「ナンパなら女の子だけで来てる子とかさ、そっちの方に。悪いけどこちらのお嬢様はパスしてくれるとありがたいんだけど……」
東吾はなんとかナンパ男たちをなだめようとした。
が、
「ンだてめえは。ぶっ殺すぞ」
そう言って東吾を軽く突き飛ばしてくる。
男のうち数人はなかなかケンカっぱやい感じである。
「いいからどいてろや。テメェらは男二人で遊んでろ」
「や、やめろバカ。あのな、俺たちはお前の盾なんだ。くるみはともかくお前が言い寄ろうとしてるのは霊長類最強系の『女』だ。ゴリラボディなのにチンパンジークラスの凶暴さなんだ」
「ああ? さっきからなに言ってんのか意味わかんねーよ」
「よく見ろヤツの肩や腕を、太ももの筋肉を。腹のあたりは水着の模様にまぎれてるけど腹筋なんだ。「接着剤 コツ」って分かるか? ヤツはアレだ、アレなんだ」
「??? うっぜえなァ。どけって言ったらどけや」
「あーもう……」
どうにもしつこい相手に東吾ははあ、とため息をついた。
ちらり、と横目に後ろの美紀を見る。
本当のことを言ってしまえば男たちはさっさと引くだろうが、それだけは絶対の『禁句』であった。
「……」
「……。なによ東吾なに見てんの? さっきから」
「いいえなんでもございません、『お嬢様』」
東吾は危険人物――美紀からさっと視線をそらした。
美紀はふつうの女の子ではない。
もっと言うと『女の子ではない』。
……。
本名:生島 幹仁。
男である。
剣道、柔道、杖術、骨法、合気道、サンボ、ムエタイ、ボクシング。日本拳法にいたるまで。
各競技でタイトルを総なめにし、高校生『男子』格闘技界の雄として伝説にすらなりつつある人物。
つまり美紀は――オカマさんなのである。
しかもめちゃめちゃ武闘派の。
本人が勝手に名乗っている美紀というニックネーム、やたらと整った顔立ちと伸ばした髪、それに胸パット入りの水着を着ているから一見女の子に見えるだけだ。
よく注意して見ればわかるが、モリモリ筋肉はついているし、指などは太く拳ダコだらけの男らしさあふれる拳である。
(バカだなこいつら……。よりにもよってなんてところにナンパしてくんだよ……!)
美紀は異様に好戦的でもある。
これまで間違って言い寄ってしまって、病院送りにされた男は数知れない。
ちょっとナンパされただけで警察沙汰はさすがにごめんである。東吾たちは海に殺人ショーを見に来たのではなく、平和に遊びに来ただけなのだから。
「チッ。ほらどけガキ」
「うおやめろ、やめろって!? 本当に危ないから! もっと命を大切にしろって!?」
「さあ行こうぜ姉ちゃん、こんなガキどもよりオレらとなら楽しいよー」
ナンパ男の一人がぐいぐいと東吾を押して、美紀に話しかけはじめる。
美紀の口元がついっと歪んだ。
(や、やべえ! 本格的にまずいぞ!? どうすっかどうすっか……!)
美紀は素人相手でもまったく手加減ができないという、世にも恐ろしいオカマ野郎だ。こんなつまらない諍いでも本気で相手を殺しにかかるだろう。
それはまずい、せっかくの海水浴が間違いなくおじゃんである。
美紀が軽く構える。
たぶん蹴りがくる。おそらくは、東吾の肩越しに顔を出している男の顔面に向かって、手加減なしのやつが。
「? あ、なんだ姉ちゃん?」
「やめろ、み、美紀やめ……!」
東吾は迷い、恐れ、そして――
「う、うおおーっ!!」
「おわっ!?」
東吾は自分ごと前に飛び込むようにして、目の前の男をどん、と思いきり突き飛ばした。
次の瞬間。
――ボッ!
と、風を切る音がすぐ後ろで聞こえた。
目標を外した美紀の鍛え抜かれた右足が、唸りをあげて東吾の頭の後ろをかすめる。
「!?」
「あら東吾。アンタ、急に動いたら危ないじゃないの。当たるわよ」
「あ、あ、あ……! あぶねえ! やめろって言っただろーが!?」
東吾の背中に冷たい汗が流れた。膀胱がゆるみそうになる。
全国最強クラスのハイキックである、首を鍛えていない常人がもし受ければ冗談では済まされない。
突き飛ばされた男は大きくコケて、背中から足元の海に突っ込んでいた。
すぐに顔を上げてにらみつけてくる。
東吾がケンカを買った、と思ったらしい。
「て、テメー!? オウコラァボコるぞガキィ!」
ただかばっただけなのだが、男たちは東吾にロックオンしていた。
しかし逆にこれは半分好都合だった。
東吾とナンパ男たちのケンカならば美紀が出てくることにはならない。被害を最小限に抑えるには、東吾たちが的になってやるしかない。
「さ、作治! 悪いけど付き合え! ちょっと鍛えてそうなそっちの二人は頼んだ!」
「え!? いやいやいや僕ケンカしたくないよ!? 警察呼ばれたら困るし!」
「俺だってしたくないけど! でも美紀がいるだろ!? ウチのモンスター様はお怒りになりつつある、そっちは100パーセント救急車コースだぞ!?」
「う……!?」
「こいつらが分かってくれないなら、じゃあしかたないんだ! 猛獣が暴れるより俺らのがマシだ……!」
ナンパ男たちがかかってきた。
東吾が突き飛ばした、明らかに見かけ倒しの一人が殴りかかってくる。
「んダラァ!」
「っと!」
立ち止まって、パンチをひょいとかわす。そのまま頭を突っ込ませて頭突き。
「ぐげ!?」
「お、おら!」
みぞおちに一発、さらに金的。男はすぐに崩れ落ちる。
「ぐがっ……!」
(あ、やっぱこいつは弱え。あっぶねえ……こんなんで美紀に蹴られてたらホントに死んでたぞ……)
東吾はケンカがそう不慣れなわけではない。
美紀に巻き込まれて、幾度となく殴りあいをさせられたことがある。全部合わせると、かなり負け越しではあるが。
「テメェー!!」
「うお!?」
男たちのうち、ちょっと強そうなやつが突っかかってきた。こいつは少しやばそうだ、と東吾は軽く下がる。
そこに作治が割って入った。
「ダメだよやめ、イテっ!?」
止めようとしたところで、作治が殴られてしまった。
「あ。作治、大丈夫か?」
「いたた……。やっぱりダメだってケンカなんて。やめようよ、まずは話し合いから……」
「! 作治前だ!」
「!」
男が作治に向かって腕を振りかぶっていた。
瞬間、作治の手が動く。
相手の手を払いのけ、右手が唸りを上げて前に突き込まれる。
「っごへえ!?」
男の体がへし曲がった。
そのまま作治に寄りかかるようにして倒れこんでいく。
「あ……。あ、ご、ごめんよ! つい反射的に……!!」
作治があわてて男を介抱しはじめた。
中段突き――たった一撃で相手を仕留めたその姿に、男たちの顔色が変わった。
「な……!?」
「……。なあ、もういいだろ? こいつ空手やってんだよ、気は優しいけど」
作治は見た目どおり気の弱く優しい男だが、体も大きく実は空手歴十年の猛者である。
東吾が言うと、東吾にやられた一人が起き上がり、すぐに背を向けて逃げ出していってしまう。
それを見た残る二人も「くそ! 覚えてろ!」と叫んで走っていってしまった。
「あ、おーい! お前ら一人友達忘れてんぞー!? ……ああ行っちまった」
「どうしようしっかりしてください! うう、東吾どうしようー……」
作治は泣きそうな顔で倒した男を介抱していた。
周囲の海水浴客たちがこちらを見ていて、なにか起きたのかと少し騒いでいた。
東吾ははあ、とため息をつく。
「うーん……まあしょうがねえよ。元々ケンカ売ってきたのはあっちだし、これぐらいで済んでよかった」
「でも、でも。僕はケンカなんて嫌いだよ。うう」
「すぐ泣くなって。ほらそいつはそのへんに寝かせておこう。くそ、けっこうまわりに見られてるな……。ともかく美紀に火がつかなくてほっとして……」
「――ずいぶん好きに言ってくれるじゃないの」
後ろから聞こえた声に、東吾はビクリと身をすくませた。
振り返ると、美紀がどこから拾ってきたのか角材を手にして立っている。
「ねえ東吾? なんて? なんだって? 逆宝くじに、ゴリラボディでチンパンジー、ついでにモンスター様。だっけ」
「いえなんでもございませんお嬢様。わたくしめはそのようなイタイタタやめてやめてください! ひぃぐえ!」
美紀は東吾の首根っこをつかむと、軽いボディブローでドスンと小突いてきた。
軽くやってるはずなのに、東吾には体が少し浮き上がるほどの衝撃が響いてくる。
「なにやってんのよ。あーゆーなめた手合いはもっと徹底的にやりなさい」
「ぐげほっ……! も、もう十分だって……ケンカしに来たんじゃないんだから」
「骨も折ってないじゃないの? 伊達にして帰すのが由緒正しき生島家の習いってもんよ」
「ちょっとナンパされただけだろ……。夏休み前にも揃って警察署でお説教くらったばっかじゃねえか。お前が暴れまわったせいで」
美紀の家は高名な武道家の家であり、警察にも格闘技講習で深く繋がりがある。ついでに美紀の父親が警察庁のお偉いさんだ。
そのおかげでモメ事を起こしても、今のところはなんとかなってはいるのだが……。
「ま、男の子らしく体張って守ってくれたから。このくらいで許してあげるわ」
「はあ。左様にございますか」
東吾は守ったのは美紀ではなく、むしろナンパ男たちのつもりだったのだが。
「わー。二人とも、強い、ねー」
「そういうのは目の前の最強お嬢様に言ってくれ……。はあ、もう忘れようぜ。せっかく海に来たんだから」
無邪気なくるみの声を聞きながら、東吾はつまらなそうに海に目を向けた。
「――コラァー! テメエらァ!」
「え? え……」
声に振り向くと、さっき逃げていった男二人がこっちを見ていた。
肩を怒らせてまた近づいてくる。
「な、なんだあいつら。まだやるってのか!?」
「わわ!? どうしよう東吾!? 彼ら怒ってるよどうしよう!?」
「どうしようもなにも、ウチのお嬢様を暴れさせないためには俺らでやるしか……って、んん?」
男たちがにやにやしながら向かってくる。
その後ろには、2mを越す筋肉隆々の男がいた。胸のあたりに大きな傷跡があり、頭は半ば禿げ上がっていてジーンズの短パンをはいている。
「……げっ。やべ、デケえの連れてきたぞ」
「わあ強そう!? 東吾ー!」
作治が泣きそうな声を出して抱きついてくる。
「お前俺より強いくせにくっつくなって。あー……ど、どうすっかな……」
筋肉巨漢を連れた男たちは東吾の前に来ると、にやりと笑って言った。
「ふへへ……。なめやがって、このクソガキども」
「あ、うう。あう、おで、おではどうするんだ? アニキ」
筋肉巨漢がちょっと頭が足りてなさそうにつぶやく。
「へへそうだ! オレはお前の兄貴だデビル!」
「あう、アニキ。アニキ……おでのアニキ」
「そうだ! オレの代わりにこいつらをやるんだ! あいつらがお前を閉じ込めたんだ弟!」
「! お……お前らか!? お前らか~~~閉じ込めたのは!?」
なにかよく分からない会話をはじめていた。
しかし筋肉巨漢は男の言葉を聞くと、いきなり興奮してこちらをにらみつけてくる。
「なんだこいつ……?」
それはともかくとして、こんな強そうなのはちょっとまずいかも知れない。
こりゃボコられるかな……などと東吾が思っていると。
「……あっ!? ま、待て美紀!」
「ウフフ」
美紀が東吾たちの横を通り過ぎていく。
その手にはしっかりと角材があった。美紀はニコリと微笑んで男たちに近づいていく。
「お? あんだ姉ちゃん。へへ、こっちくんのか?」
「アハハ!」
「ぐぼ!?」
――メシャアッ!
と、すごい勢いで角材が男の顔面にめりこんだ。
角材は砕けるようにへし折れ、男は勢いのままぐるりと空中で回り、頭から落ちて砂浜に沈む。
「なっ!? てめアビャ!?」
「ぃよいしょーっ!!」
さらに後ろにいたもう一人に強烈な蹴りを放たれる。
大の大人が綺麗な放物線を描いて吹き飛ばされ、三メートル以上飛んで地面に転がった。
血の混じった胃液を吐き出し、びくりびくりと痙攣してのたうちまわる。蹴られた時に骨の砕けるイヤな音がしていた。
「げぇ!? やめろ美紀バカストーップ!!」
東吾はあわてて美紀を後ろから羽交い絞めにした。
だが、
「アッハッハ」
「おッ、おッ、お!?」
簡単に力負けして腕が開いていってしまう。
さらに次の瞬間、東吾の視界がぐるりと回った。砂浜に叩きつけられてしまう。
「ぐわ!」
「邪魔するんじゃないの。いいじゃない、久しぶりに少しは骨のありそうな相手だわ」
「いってぇ、やめろ美紀! お前はオーバーキルすぎる! 俺たちは警察のご厄介になりに海に来たんじゃないってーの!!」
「アハハ!」
東吾が叫んでみても美紀は全然聞いていない。
巨漢男は角材で殴り倒された男を見ておろおろとしていた。
「アニ、アニキィ! し、しっかりしでくれぇ!? アニキィー!!」
巨漢男のアニキとやらは、もうぴくりとも動かない。耳からやばそうな血を流してぐったりとしていた。
「く、くそう゛! ゆ、許さねえだぁ!!」
巨漢男が美紀に向き直り、ばっと構えた。
それを見た美紀の表情が少し変わる。
「むうっ! ……この構えは……」
「知って、いる、の? 美、紀(らい、でん)」
「こ……これは『羅漢仁王拳』! この男拳法を!」
ごくりと美紀の喉が鳴る。そして折れた角材を放り捨てて構えを取った。
美紀と巨漢男が静かに相対する。
緊張感が、砂浜に走る。
「……。なあ作治、羅漢仁王拳ってなに? そんなんあるの?」
「し、知らないけど。ふつうに空手の構えに見えるけど……」
「ていうか北斗の拳じゃね? 読んだ覚えあるし」
「う、うん僕も読んだことある。たぶんそれだと思う」
「あいつ適当に言っただけじゃねえか。それにくるみのフリに(注:民明書房)がないな……」
東吾と作治の会話を置いて、美紀と巨漢男の間がじりじりと狭まっていく。
やがて美紀が一歩大きく踏み込んだ。
それに対し、巨漢男が少し下がる。巨漢男の額に汗が浮かんでいく。
「あ、押してる」
「み、みたいだね。でも東吾」
「なんだ?」
「……止めなくていいの?」
「……。もう無理だ。ヘタに割り込んだら俺が巻き込まれて死ぬ……。それにあんなデカけりゃ死にはしないだろたぶん」
東吾はもう諦めて見守ることにした。
美紀が少しずつ巨漢男を追いつめて、その射程へと侵入していく。
沈黙。
そして――
「――ヌゥオオオーーッ!!」
巨漢男が飛び込みの一撃を放った。
巨大な拳が美紀に迫る。
刹那。
「――ほあ!」
美紀はそれを紙一重でかわし。その手足が霞んだ。
ぼっ!
「……ブベェッ!?」
肉を打つ重い音が、いくつも響いた。
巨漢男の顔面が吹き飛ぶ。巨大な体が半ば空中に浮き上がり、目に映らないほどのラッシュが襲いかかる。
まるで格闘ゲームかなにかのような光景――山のように巨大な男が一瞬でズズン、と砂浜に沈み、まったく動かなくなった。
美紀は巨漢男に対して残心の構えを取ると、大きく息を吐いた。
「コォオオオ……。……北斗七死星点……!」
「……ひ、ひでえ……。明らかに七発以上ボコってるじゃねえか」
「わ、あー。す、ごーい美、紀!」
後ろで見ていたくるみがジャンプして言った。
「で、どうするよ」
周囲を眺めながら東吾はつぶやいた。
海水浴客が美紀の大立ち回りに注目を集めていて、あたりはひどくざわついている。
女の子が巨大な男を一瞬で屠ったように見えたのか、中には唖然としながらつい拍手してしまっている人の姿もあった。
「イエイ見た!? アタシの北斗神拳!」
「イエイじゃねーよ。あーもー「また」やっちまったよ……。やっべえな、絶対警察来るぞこれ」
ふと海の家のほうを見てみれば、店主のおじさんが急いでどこかに電話している姿もあった。おそらく警察と救急車を呼んでいるのだろう。
「わあー、い。みんな、かっこ、いいー」
「くるみはいつも通りでいいな……。どうするか、逃げるか」
「なんで逃げる必要があるのよ。かかってきたのはあっちじゃない」
「超有段者のお前が思いっきり迎え撃っちゃったからだろうが。お前、また親父さんとじいさんに絞られるぞ」
「ぼ、僕も逃げたほうがいいと思う……。空手部だって不祥事はもうやめてくれって僕言われてるんだ」
「そうだな、んじゃ荷物持ってさっさと……」
東吾が言いかけた時だった。
倒れたはずの巨漢男が手を伸ばし、美紀の足首をがしりと掴む。
「きゃ? あ、コイツ。ちょっと離しなさいよ!」
「あ、う、う……!」
「こらっ! オ゛ラオ゛ラぁ! わっきゃあ!?」
「ヌオーーーッ!」
美紀に追い打ちのスタンピングを食らいながらも、巨漢男は最後の力を振り絞って立ち上がった。
美紀の足を掴んだまま逆さにしてしまう。
「この! ――はッ!!」
美紀の繰り出した指一本の指拳が、巨漢男の脇に鋭くめりこんだ。巨漢男はぐぼ、と血を吐き出す。
「おい美紀!? やめろ死ぬって! それマジの殺人技じゃねーか!?」
「うるさいわね! コイツが離さないからでしょ!」
「うごご……!」
巨漢男はぶるぶると震えて立っている。
やがて美紀を見つめながら言った。
「あ、アニキぃ……! アニキィ……!」
「誰が兄貴よぉ!? アタシはアンタの兄貴じゃないわよ! だいたいアタシ女でしょ!」
「……。堂々と言うよなぁお前、いつものことだけど」
「あ、アネキィ……!?」
「姉貴でもないっ! アンタなんて弟のわけないでしょーがぁ!?」
「アネキぃーーーー!!!」
「ち・が・う! このこのぉ!」
美紀の攻撃がどすどすと腹にめり込んでいく。そのたびに巨漢男の口から血やら胃液が噴き出していく。
「だからやめろっつーのバカ!! 兄貴で合ってるしそれにマジでそいつが死ぬだろーが!! ……うっ!?」
その時。
東吾の視界で光が舞った。
――召喚だ。
「やべまず……! ……あ……」
わずかな間に、東吾の意識は飲み込まれていった。
その代わりに入ってきた魂は……。
「……」
「あれ、と、東吾? どうしたんだい? 僕たち早く逃げ……」
「『ヤーッ!!!』」
「!?」
いきなりすごい笑顔になった東吾が叫んだ。
美紀がびっくりした顔で東吾を見つめる。
「え!? ど、どうしたのよアンタ急に? え、あ、ちょっ?」
「『ヤーッ!!!』」
東吾こと肉のゴーレムはおもむろに動き出し、美紀を持ち上げたままの巨漢男の体を掴む。
そして、美紀ごと巨漢をぐいっとリフトアップしてしまった。
「は!? な、なななにしてんのよいきなり! ていうかなにそのパワー!?」
「東吾!? おいおい待ってくれ何を……!?」
「え、す、ごーい……!? 東吾、ちからも、ちー!」
「『ヤァーッ!!』」
さらにそのまま沖の方を向くと、東吾in肉のゴーレムはなぜか投擲体勢に入る。
「ちょっと、ちょっと!? なにする気!? ま、まさか……!?」
「『ヤッヤッヤァ……!』」
「はぁなんで!? 待ちなさいこら東吾! 待ち……」
「『ィィヤァアアアアアーーーーッ!!!』」
びゅん。
と。
風を切り、巨漢ごと美紀が海に向かって。
「――きゃああああああーーーっ!?」
「――アネキィーーーーー!!」
声を残して……相当離れたところまで、ものすごい速度ですっ飛んでいってしまった。
「『ィイヤッ!!』」
東吾in肉のゴーレムがマッスルポージングを取る。
そのすぐ後ろでくるみが笑い、東吾の背中に飛びついた。
「す、ごーい、すごー、い! 東吾、ホントは、すごい、力持ちー!」
隣では作治は呆然として、東吾と投げられた美紀を見比べていた。
「な……!? な、なんだ!? わけがわからないよどういうことだ!? 東吾そのパワーはどうして、それに一体なんのつもりで……!?」
「東、吾ー。作治も、投げて、みてー!」
「え゛!?」
「『イヤァッ!!』」
くるみの声で東吾が動きはじめ、作治の体をがしりと掴んだ。
軽々と持ち上げて再び投擲体勢に入る。
「うわああっ!? や、やめろ東吾! なんで!? なんでだい支倉!?」
「ごー、ごー。何メー、トル、飛ぶか、な?」
「『ヤッハアァ!!』」
「待ってくれ僕はもうなにがなんだかうわああああーーーーっ!!!」
空に軌跡を残して作治が飛んでいく。
美紀以上の飛距離を飛んだその姿を見たくるみが、嬉しそうに拍手を打った。
「すっごー、い! 東吾、かっこ、いー!」
「『ヤァ!』」
「じゃあ、ね、次は……。あ。警察、来、た」
くるみがサイレンの音に振り向いた。
少し考えるような顔をすると、東吾に対して新たな命令を出す。
「ねえ、東、吾。みんな、の、荷物を、持って。逃げられ、る?」
「『ヤッ』」
「……。できる、んだ? じゃあ、逃げ、よ! 行こ!」
「『ィイヤアァッ!!』」
くるみを背中に背負ったまま、東吾in肉のゴーレムは軽快に砂浜を駆け出していった。