観察日誌3『対象の欲求・人間的名誉に関して』
エディアカラ。という名の、異世界のこの町は、緩い丘の上に作られた商業地である。
町の北側には海があり、逆に南側にはいくらか離れたところに砦があって、そのあたりが昨日東吾が呼び出された場所であるらしい。
西には川と穀倉地帯が広がっている。そしてすぐ東には、周辺一帯を統括するバージェスというとても大きな行政都市が存在する。
屋内に入り、東吾はそこまでリィーンに説明を受けると、言った。
「今、俺達のいるこの建物は? 兵士が多いな」
「ここは仮設の兵站課だよ。宿屋を軍が間借りしてるの」
リィーンは、カウンターの向こうにいるメガネをかけた女性に羊皮紙を渡す。
「これ、お願いします。荷は鹵獲した余剰の麦と木材、故障したカタパルトに、検閲済みの手紙類及び雑品。輸送先はバージェスの国有保管庫です。確認と証明書の発行を」
受付の女性は羊皮紙を受け取ると流し読みをしてから、さらに別の羊皮紙に手早く写しを書いて、最後に一つハンコをしてリィーンに返してきた。
リィーンはそれを受け取り、後ろで待っていたデーイィンに振り返る。
「終わりました。先生」
「ええ、よく出来ましたね。リィーン」
「は、はい。あとは荷をバージェスに届ければ完了です。でも……」
リィーンは横の東吾を見る。
「その。また、この男の子が出てきちゃったんです……。一応、わたしのゴーレムらしいんですけど。
これってやっぱり問題ですよね? 喋るゴーレムなんて、今までこんなこと一度もなかったのに。どうしたらいいですか……?」
「ふむ。個人的には特段問題は感じませんしむしろ好都合なのですが、貴方が気にするのも理解します」
デーイィンが頷いた。
「となれば、原因の究明が必要でしょう。まずは彼が何者であるのか、これから微に入り細を穿ち徹底的に調査研究しましょう。今すぐに是非そうしましょう。彼もそれで構いませんね? 構わないようですね、実に結構。では早速」
「え……」
「と、いけませんね。眼の前に未知の謎が提示させたせいで、少々心奪われすぎたようです。私とした事が」
急に早口になったデーイィンだ。リィーンが困惑した顔をする。
「あの……先生? わたしは仕事に差し支えあるから、困ってるんですけど……?」
「仕事? そんなものはどうでもよろしい。我々は本来学術の徒であり軍務などは日々の糧を得るため止むを得ず行っているに過ぎない些事です。
ああもう待ち切れませんねぇ! いまだかつて誰も触れた事のない未知がある! 私の目の前に! 喋るエーテル生命などと! はあ、はあ、ふう、ふう」
デーイィンは何かを待ちきれないかのようにそわそわしていた。鼻息も荒い。というか激しく挙動不審である。
東吾とリィーンが後ずさりすると、デーイィンの傍らにいた二人の女の子のうち、一人が言った。
「……先生。気持ち悪いからやめて。リィーンが怖がってる」
「おっとルルゥ、これは失敬。しかしですねこの胸の高鳴りはどうにも止められず」
「いいから。シアも嫌がってるから」
その黒髪の少女がうんざりした顔をする。東吾はリィーンに言った。
「な、なあリィーンさん。その子は?」
「え? あ、わたしの同級生。皆デーイィン先生の弟子なんだよ。こっちがシアさん、こっちがルルゥちゃん」
リィーンが二人を紹介した。
おさげの、青みがかった白い髪。優しく大人しそうで、肉付きがよく太眉の子が、シア。
黒のロングストレートのお姫様カットと言うのだろうか、キツネ目で、ちょっと猫背気味で背の小さな子が、ルルゥ。
「し、シアアール・グレンバートです。こんにちは」
「……ルルゥ」
「そっか、俺は藤城東吾だ。よろしく……って」
東吾はルルゥに見覚えがあった。昨日、東吾の顔に飛び蹴りをかましふん捕まえた、あの女の子だ。
するとシアがリィーンに耳打ちした。
「ね、ねえリィーンちゃん。この人って昨日、裸でゴーレム達に混じってた痴漢の人よね……?」
「そ、そうなんだよね。今日もゴーレム達に混じって出てきて。は、はだかで……あ、思い出しちゃった。うう」
「なっ!? ち、違うぞ。俺は痴漢なんかじゃ」
「うそ、やだ。本当に大丈夫なの? バージェスまで私もついていった方が」
うら若い美少女二人が、嫌悪のまなざしを向けてくる。
これはこれで鍛えられた猛者ならご褒美と喜べるシチュエーションなのだが、しかし東吾はノーマルな高校生である。嬉しくないし、苦しさと焦りが勝る。
「違うって! 俺は好きで裸で現れたわけじゃない。出てきたら裸にされてただけだ」
「ああ言ってるけど、本当なの……? 彼、リィーンちゃんと二人きりになったとたん、忌まわしき本性を現して、己の邪悪なる悦びを満たさんと襲いかかってくるんじゃぁ……!?」
「忌まわしき本性って。ううん、わたしも最初は驚いちゃったけどでも、わざとじゃなかったみたいだし。仕事もがんばってくれたよ。
でもやっぱりちょっと不安かも……変なことされないかな」
「ち・が・う!!」
東吾はかぶりを振って訴える。
そこでルルゥが、軽蔑しきった眼差しで、ぽつりと吐き捨てた。
「……変態野郎」
「っ! なッ……!?」
「最低。狂人。きもい」
「ながが……! 違うったら、違うんだ!! 俺は変態じゃない! 最低でも狂人でも気持ち悪くもない!」
けしてご褒美ではない。東吾はそんな快感に目覚めていない。
魂のステージは、まだそんな高度な領域に足を踏み入れてなどいないのだ。決して。
すると若干落ち着きを取り戻したデーイィンが、女子三人に向かって言った。
「まあまあ皆さん。彼は確かに痴漢ではないようですよ。彼は『肉のゴーレム』――リィーンが召喚した、魔法生命体ですから」
「肉のゴーレム? そういえば昨日、先生が探知の呪文をかけてましたけどぉ……」
「……本当に? 護衛槍隊のじっちゃは、うちの奴じゃないって言ってたけど」
「ええ、二人とも。彼は間違いなく人間ではありません。私が保障しましょう」
デーイィンが言い切った事で、東吾に向けられる疑惑の視線が若干和らいだ。
デーイィンは上機嫌に、ぽんと東吾の肩を叩く。
「そして彼は素晴らしい! 我々魔導士達が今までに見たことのない、全く未知の魔法生命なのです。その価値がどれだけのものか、すぐに分かるというものでしょう?
服を着ていなかったのも、召喚されたゆえに裸だっただけなのでしょう。物質練成呪文を同時に行わなければ、それも道理というわけです」
「はあ」
「……ふーん。変なの」
「いやはや、これから彼という神秘を調べ、新たな真理に迫ることができるかと思うとワクワクしますねぇ! ははは」
が、リィーンが困った顔で言った。
「だ、だめですよ先生。これから町の防備の準備で、仕事が山のようにあるって言ってたじゃないですか? 調べる前に仕事しなきゃ」
「うっ。しかしですねリィーン、おそらく貴方はゴーレム召喚の期限を今日一日に設定しているでしょう? 今を逃しますとね、彼を調べる時間が。また現れてくれる保障もないですし」
「だ、だめです! お仕事はお仕事です」
リィーンは大人しそうな雰囲気のある少女だが、意外に譲らず首を横に振った。
「歴とした国の任務なんですよ? ちゃんとやらなきゃ、輸送任務だって任務なんです。それにそもそも軍務不服従は刑罰で牢屋に入ることになっちゃいますよ」
「そ、そんな……!」
デーイィンが大げさに悲しそうな顔をする。
ルルゥが言った。
「私が先生連れてくよ。ちゃんと働かせるから任せて。リィーンはシアを連れてって」
「え? でも」
「いいから。まだそいつが安全って保障はないし、念の為」
ルルゥは東吾を見て言う。おさげ髪のシアがついてくるらしい。
リィーンはデーイィンに、ぺこっと頭を下げた。
「じゃあ、行ってきます先生。がんばってお仕事してください。今日の夜までには帰ってきますから、彼を調べるのお願いします」
「ああ、またしてもおあずけだなんて……。あ、そうだ! 私もこれから君と一緒にバージェスに行くというのは? そうだそれがいい、バージェスにはかなりの設備が整っているし! 彼を調べるにも便利だと思う!」
「だ、だめですってば! 魔導士隊の隊長が全部すっぽかして突然どこかに行くなんて、怒られるだけじゃ済みません!」
「ううそんな。こんなに珍しい生命を前に、指をくわえているだけなんて……」
「シアさん、先生がわがまましないうちに早く行こ。トーゴくんだよね。あなたも」
「あ。うん」
東吾達はしょんぼりしているデーイィンを横目に、建物を後にした。
設定メモ:『専門魔導士』
以下は、この作品の設定です。読み飛ばし推奨。
・この世界の魔導士には一つの魔法・一つの系統だけを選択し、集中的に熟達した『専門魔導士』と呼ばれる人達がいます。
ヒロインのリィーンも専門魔導士です。彼女の場合『肉のゴーレム召喚』が専門ということになります。
我々の社会でも一分野を大学で専攻するのと同じように、彼ら彼女らは基礎的な教育を受けた後、一つの魔法乃至一分野を選びそれを中心に伸ばしていきます。
言うまでもなく、専門化の効果は、想像する以上に巨大な利益を社会にもたらします。
分業は人類文明が発明したあらゆるものの中で、最も偉大な一つです。個々人が一つの技能に習熟することで、総体として最高のパフォーマンスを発揮します。魔法もまた分業することで大きな効果を見込めます。
特に魔導士という職業は(この異世界では)、個人の才能による能力差が顕著です。才能に劣る者でも、たった一つの魔法を反復し続けることで、天才の能力の一部を凌駕し得ます。
教育課程においても全てを教えるよりはるかに容易で、習得に時間もかかりません。人材を高レベルで均一化し、安定して社会に供給する上で優れたシステムとなります。
魔術の世界では一人の大天才の力も偉大ですが、社会はそれ以上に、恒久的に持続可能な力を求めているからです。