第五話 その2
リノリウムにも似た素材で作られている床の上で、履いている木のサンダルが軽やかに音を立てる。
東吾のすぐ前には、リィーンとデーイィンが歩いている。
『サペリオン』の大きな食堂のバイキングで昼食を平らげてから、三人は届けられた機材が置かれているという場所に向かっていた。
「外からここに入ると、異世界に飛び込んだみたいな気分になるんだよな。元から異世界なんだけど」
『サペリオン』の内部はやはり、外の環境とは大きく隔絶していた。
歪み一つないのっぺりとした通路には歩行者用の線が引かれ、隅には夏らしい、緑の多い観葉植物の木などが置かれている。
通路の天井は基本的に窓になっており、屋内でもとても開放感のある作りになっていた。天然の光源は窓が特別なのか魔法の力なのか、眩しすぎないよう調整され、直射日光を浴びていても暑苦しくはならない。
外部では馬車が走りまわり中世的な建物が並んでいるというのに、この巨大な施設だけはやけに現代的であり、下手すると近未来的なレベルなのが東吾には不思議だった。
「うーむ。ま、別にいいか、飯は美味いし。そのへんは救いだな」
「それはよかったですね。ここの食堂はなかなか評判がいいんですよ、海が近いだけあって魚貝は新鮮ですし」
「ちょっとところどころ変わった料理があるけどな、味は美味かった。後はさっさと俺の中からあいつを出して、俺を解放してくれりゃ言うことないんだけど……」
「まあまあそう言わずに。君の体から例の『彼女』を出すには仕方がないんですよ。なんせ魂を解体しない以上、既存の手段が一切ない。一からやり方を考え出さなきゃいけないわけですからねぇ」
デーイィンは小さく笑って振り返る。首から下げた様々なアクセサリがチャラ、と音を立てた。
「……もう一週間も経ってるんだけど。一体いつまでかかるんだよ?」
「さあ? いつになることやら……。ともかくミシロくん、次は君の精神について調べてみようかと思っています。いやはや楽しみですね」
「……。何度も言ってるけど、妙なことはすんなよ」
東吾は一応念を押しておく。精神を調べる、というのがやたらと不気味である。
「なに、心配せずとも君のプライバシーを暴くようなものではありません。魂のかたちといいますか、君の精神というものがどういう形態をしているのか。どうして器すらないはずの肉のゴーレムの体に心が存在し得ているのか? その構造を知るためのものです」
「ふーん……。いまいちよくわかんねえや。まあとにかく変なことだけはしないでくれよ」
しばらく道を進むと、三人はとある部屋の前で立ち止まる。
『第二特別高等魔導研究室』と書かれたプレートが木製の扉に貼られており、「魔導官職以外の者・及び特段の許可なき者の立ち入りを厳に禁ず」の文言があとに続いている。
デーイィンがそのプレートに向かって手を押し当てると、おそらく魔法の力なのだろう、カチャリと鍵の外れる音がした。
扉を開けると、鼻をつく薬物臭が廊下に流れこんでくる。
室内にはぎっしりと怪しげな魔術書の詰められた書架や、見たこともない妙な装置が所狭しと立ち並んでいた。ビーカーに似たガラス容器に入った謎の液体が煮立てられて、ポコポコと音を立てている。
「さて、例のものは……ああ、ありましたね。これでようやくミシロくんの魂を探査できますねえ」
デーイィンは近くの机の上に置かれていた、梱包された大きな箱に手をかけて頷いた。
「首都から急いで届けさせたのですが、思った以上に時間がかかってしまいました。ではリィーン、早速これを空けて準備してください。組み立ては魔導学校で習うのと基本的に同じです、分かりますね? ……と、いけない。その前に」
リィーンに仕事を命じると、デーイィンは懐から懐中時計を出してそれを軽く一瞥する。そうしてから、東吾を振り返って言った。
「ミシロくん。君の中の『彼女』なんですけども」
「え? ああ、ニカのことね。あいつがどうかしたの」
「ええ。少し、ですね。彼女と話をさせてもらえませんかね? 思えば私とはきちんと会話をした覚えがなかったもので」
「話?」
その言葉に、ふと東吾はここ一週間のことを思い出してみた。
そういえば東吾の中にいる女剣士・モニカはデーイィンが近くにいると、一言も喋ろうとしていなかった。向こうが近付いてくると急に黙り込んでしまうのだ。
「俺は別にいいけど。でも先生、こいつを殺したのアンタなんだろ? 恨んでるかもしれないんだけど」
「かも知れないですね。スケルトンの時でさえ、私に斬りかかろうとしていましたし」
「うーん……。おい、ニカ。この先生がお前と話したいってよ」
とりあえず東吾は自分の右手をペチペチと叩いてみる。
しかし、特に声は返ってこない。
「……。おーい、聞いてるか。拗ねてるのかもしれんけど起きろニカ、おーい。……モニカちゃん起きて。」
「『――うううるせぇ! モニカちゃんって呼ぶんじゃねえクソガキっ!』」
「あ、起きた」
全く声質の違う女の声が、口を衝いて出る。
東吾は自分の喉を確かめるようにして軽くなでると、傍目には不思議な一人会話をはじめた。
「向こうが話したいんだってさ。どうする?」
「『ああ? なんであたしがそんなことしなきゃならねえんだ』」
「俺に聞かれてもな。とにかく俺の口使っていいから喋れ」
「『はん! 話すことなんてねえな。誰が自分の仇とくっちゃべるかってんだよ!』」
「そりゃーそうだなあ。俺も同じ立場だったらそう言う。……だってさ、先生?」
デーイィンの方を見てみる。
と、いつの間にか椅子に座って片手に杖をブラブラとさせたデーイィンが、手にある懐中時計をじっと眺めていた。
「……。む? おっと失礼、そうですねえ。しかしまあ……『今』話さないといけないのですよね。タイミング的に」
「? タイミング?」
「事態が発生するのは『絶対』ですから。これを曲げることは、どんな魔導士であろうが絶対に不可能です。従って、今しかありえない」
「何の話だ? それにさっきから、じっと時計を見てるけど……。あ、こらニカやめろ」
東吾の右手が動きだし、身を隠すように背中に回った。シャツの間に入ってごそごそと動いている。
「やめろ、くすぐってえ。あーもう勝手に動きやがって。なんだよ急に」
「……。ふむ……」
「ったく。ともかく、こいつは先生と話したくないみたいだけどな。まあしょうがねえか、一度殺されたんだからなぁ」
「おっとミシロくん、言っておきますが勘違いはしないように。私は一方的に襲われて、仕方なく正当防衛をしただけです。そしてその後スケルトンに良さそうな素材を『偶然』拾っただけですから」
「……。前からなんとなく思ってたけど、けっこーひでえよなアンタ」
ちょっと辟易としてつぶやいてしまった。
すると、届けられた荷物を開けて機械を組み立てていたリィーンが、何かに気づいたかのように声を上げた。
「えっ? あれ、トーゴ。……と、トーゴ? そ、それ?」
「ん? なんだよリィーン?」
「それ。その、手の――右手にあるの、は……?」
「えっ?」
ふと気がつくと、東吾の右手が勝手に暴れるのをやめていた。
力を抜いてだらりとぶら下がり、何かを握って持っていた。
ギラリと光る――一本のナイフだった。
「「へ?」」
――先ほどの食堂のバイキングに置かれていた、デザートのケーキを切り分けるためのナイフであった。
それがいつの間にか、東吾の右手に握られている。
何故、ここにこんなものがあるのか。自分の右手に、強く握り締められているのか――
「はあ? な、なんで……『うっ!?』」
東吾の感覚器官がぐるりと回転した。
急激に体の支配が遠くなり、自由が利かなくなる。
「――っカハぁああッ!! 待ってたぜぇっ!! この瞬間をよぉーーーっ!?」
「『!? お、お前!!』」
東吾とモニカの精神が、また再び逆転していた。
いきなり肉体を奪い取ったモニカは手にあるナイフをひゅん、と振って叫ぶ。
「クソ野郎がぁっ!! よくも、このあたしを殺してくれたな!? 今こそブッ殺してやるっ!!」
「『に、ニカ!? お前また俺の体を!? や、やめろバカ何を!!』」
「覚悟しろやイカレ魔導士! この距離じゃ、魔法より――あたしの方が速いぜぇっ!!」
突然凶行に走ったモニカが、爆発的に踏み込んだ。
瞬時にデーイィンに肉薄する。
同時に右手が霞み、凄まじい速度の刃が報復の相手に迫る――。
「――っと危ない」
「っ!?」
しかし刃が獲物を切り裂く前に、デーイィンが体を後ろにのけぞらせた。
宙に放られた懐中時計が、その身代わりになるかのように砕け散る。
デーイィンが椅子ごと床に倒れこんだ。そして左手にある杖から、光が飛び出す。
「っぐあっ!?」
放たれた光は稲妻のようにうねり、一瞬で東吾の体を操るモニカを雁字搦めにした。
きつく縛り上げられた右手からナイフが落ち、地面に突き刺さる。
「うぐっあっ! く、くそっ!? て、テメェっ!!」
「『おいおいぃ!? なにしてんだニカ! あ、あぶねー!?』」
「放せ! 放せよぅっ! ちきしょうっ!!」
空中でぶら下げられたモニカがわめき、足をバタバタと暴れさせる。
デーイィンがぽんぽん、とズボンの埃を払って立ち上がった。
「ふう、危なかった。すごい一撃ですねぇ……。スケルトンの時とは比べ物になりません。やはり筋肉の有無というのは大事なのでしょうか?」
「な……な、なんでだぁっ!? なんで体も鍛えてねえヒョロヒョロの魔導士が、このあたしの一撃を見切って!?」
「あイタタ、少し腰を打ってしまいました。思ったより速くて。鍛えていないわけではないですよ、こう見えても魔導士隊の隊長をやっていますから」
「今のが、避けられるわけが!! ……いや、違え、今のはテメエ……あたしが斬りかかる前から避けて……!?」
「ええ、『分かって』ましたから。貴方が今この瞬間、私を殺そうとするということが。頚動脈を寸分違わず狙ってくるということも」
愕然としているモニカに向かって、デーイィンは軽く肩をすくめてみせる。
そして首に下げたいくつものアクセサリから、水色の宝石がつけられたブローチをつまみ上げてニコリと微笑んだ。
「『識らせの視』――という名前の、マジックアイテムです。持ち主が致死に至る危険を、非常に限定的な条件つきで夢の中に幻視させてくれる代物。……平たく言うと、未来予知をしてくれる便利なものなんですね。これが」
「み、未来予知、だぁ!? テメーまさか! さっきから時計を見てたのは!!」
「指定の時刻に事態が発生するのは『絶対』……。従って、私が生き残るにはその瞬間に攻撃をかわすしかありません。実際、貴方の一撃は見えなかったですからね。いやぁ危なかった……。リィーン?」
デーイィンは唖然として口を半開きにしているリィーンに振り返り、
「時計が壊れて破片が飛び散りましたけども。怪我はしていませんか? 今のうちに装置を組み立てて彼女、もといミシロくんを調べてしまいましょう」
「え……あ、は、はい」
「予想していた通り、やはり彼女は危険でした。早くなんとかしないと殺されてしまいかねない……彼の研究にも支障をきたす」
「放せ、放せよぉっ! くっそぉーっ!!」
「はい、暴れないように。お静かに」
デーイィンがぱちりと指を鳴らすと、稲妻の鎖が強烈な電撃を放つ。
「あが『が』が『が』が『が』が『が』が!!」
シンクロした二つの音声が室内に響き渡った。
「『ぐぎゃー!? おい先生俺も喰らってる、喰らってるって!? 痺れしびびれるるーっ!!』」
「おや、そういえばそうですね? 今や君と彼女は一心同体ですからねぇ……ま、少し我慢してください」
「『ざけんな! ぎゃあーっ!!』」