第四話 その10
赤色の灯りに照らされた室内に影を引き、東吾の体は一匹の獣のように駆ける。
その魂は、東吾のものではなかった。
一人の女剣闘士――吸血鬼たちの国にいた、名うての一剣士のものである。
手に持つ剣が、背後の赤い光を反射し――。
霞む。
近くにいた吸血鬼の首を、すれ違いざまに刎ね飛ばした。
胴体だけになった体がよろけて倒れ、大きく燃え上がる。
『ギイィィッ!? ス、『スレイヤー持ち』がいるぞォッ!!』
それに気づいた吸血鬼が一人、周囲の仲間に向かって叫んだ。
顔色を変えた吸血鬼の集団が、東吾こと女剣士に殺到してくる。
「ん、おっと――ふんっ!」
繰り出されたいくつもの刃を、紙一重で軽くかわす。
と同時にその剣先が、神速で振るわれた。
一瞬の交錯のあと、四つの首が飛ぶ。
その全てが火に包まれ、力なく崩れ落ちる。
『シャウゥッ!』
「おっと。――っはいぃっ!」
空中から来た一匹を難なく避け、その頭を軽々と両断する。
『ギャアオゥッ!』
『ヴリャアアーーッ!』
「っせいやぁっ!」
繰り出されてきた左右の突きが届く前に、二つの手首を斬り落とす。
返す刀で、剣先が消失する。目に見えないほどの速さで横薙ぎに斬り裂かれた二匹が、腹を割られて臓物を振りまく。
『シャアアーーッ!!』
『キィエエーーッ!!』
『グルゥアアアーーッ!!』
「よいっ、っと」
今度は軽く前転をして、襲い来る剣の雨をくぐる。
そのまま片手で逆立ちをするような体勢になり、周囲を剣撃に囲まれながら体を動かして器用に攻撃をかわしていく。
『『『シャイアアァーーッ!!』』』
「よっ、ほっ、はっ! ほれほれどうした、あっはっは! ――あーらよっとぉ!」
ヴァンピールスレイヤーが、真円の軌跡を描いた。
女剣士が跳ね返るようにしてその場に立つと、足を斬り飛ばされた吸血鬼たちが為す術なく地面に転がる。
「へっへへ、ちょろいぜ。そんなのろいの当たらねーよ」
燃え上がる吸血鬼たちを睥睨し、東吾の体を借りた女剣士は鼻を鳴らした。
さらに幾人もの敵が、こちら目掛けて迫ってくる。
「はいっ、はいはい! そらそらそらぁっ! いぃやっはぁ!」
口の端を軽く歪めながら、あらゆる剣を全て、自身の剣で受け止めることすらなしに華麗に捌いていく。
まるで曲芸のような動きだった。
しかし振るわれるその剣は恐ろしく速く、目にも映らない。
吸血鬼たちは、いつ自分が斬られたのも分からずに次々と討たれていく。
折り重なるような格好で、ばたばたと敵が倒れた。それらの体が、一斉に火を吹く。
「はっはっはぁ! こいつら敵にもなんねーなぁおい! ちょろいにも程があるぜ!」
「『……す、すっげ。速……』」
体の支配権を取られた東吾が、思わずぽつりとつぶやいた。
女剣士の振るう剣は、東吾が以前半分無意識で使った剣の動きによく似ていた。
しかし、もっと自由奔放で、もっと剣は速かった。
剣が、見えないのだ。
霞んでいる。
遊んでいるような動きで易々とかわし、剣が風切り音と共に瞬間的に消え去ると、東吾が元の世界のテレビで見た時代劇のように敵が倒れていく。
一種冗談のような、滑稽さすら感じる光景だった。
「へっへっへ、今日も絶好調だぜ。とまあこんな感じだな。やり方は分かったか?」
「『一方的じゃねーか……。え、なんだって?』」
「やり方は分かったか、って聞いたんだよ。この前の見てたけどお前よぅ、ちょっとヘタクソ。あたしの剣はもっと力入れねえの。受けもあんま使わねえし」
「『あ、ああ。今のは全部かわしてたな……』」
「どうせ人の剣を使うならちゃんと使えよ。このあたしの名が廃るだろ? じゃ、真似してみ」
「『は?』……あ!?」
突然、東吾の五感が元に戻る。
右手に剣の重みを覚えた。この場にいる、という感覚を肌で強く感じる。
「な!? なんでいきなり元に戻るんだ!?」
「『ふいー、あ゛ーどっと疲れが来た。やっぱかなりしんどいな、あたしの体じゃねえからかな……あんま長いこと借りられなさそうだ。じゃあ後はがんばれ』」
「何を勝手に! って、だ、だ、だぁ!」
傍目から見れば、東吾は声色を変えた変な独り言を言っているに過ぎない。
吸血鬼たちはあわてる東吾の様子など構わず、どんどん斬りかかってくる。
「『ああほら、だから受けんなって。かわせかわせ、そんなもんいちいち相手にすんな』」
「無茶言うな! っと、う、うおりゃ!」
前面の敵の剣を大きく弾き返し、真っ向正面から両断する。
女剣士が扱う剣ほど速くはないが、力が篭った一閃が、止まることなく股下まで吸血鬼を断ち割った。
「ふ、ふう……。急に代わるなよ、ビックリするだろ! 刺さっても痛くねえけど!」
「『何やってんだよ。そんな力入れても意味ねえだろ? もっとだな、軽ーくサクッとやれサクッと。せっかく切れる良い獲物持ってんだから』」
「ダメ出し!? つーかさっきから勝手すぎるぞお前! っ、だあ、りゃ!」
東吾は顔に向かって繰り出された突きをわずかに掠めて避け、袈裟懸けに相手を斬り裂く。
「『微妙に当たってんじゃねえかよヘッタクソ。ったくよぅ、もう一度やってやっからよく見ろ』……ふっ!」
「あ! 『わわわ!』」
また、体の主が切り替わる。
剣閃が迸った。
ほとんど同じ瞬間に、三つの頭が断ち割られ、ついでに手首が一つ宙に舞う。
「な、分かるだろ? 『こういう感じでやりゃあいいんだ』」
「『やりゃあいい、って』……ぷはっ、やめろ! コロコロ代えんな、わけ分からなくなるだろ!」
勝手に何度も体を間借りされることに、東吾は軽く混乱して叫んだ。
明晰夢でも見ているような感覚と、ひどく現実的な空気が往復する。東吾からすると目が回る気分である。
しかしそれはともかくとして次々と敵を屠り続ける東吾に、吸血鬼の襲撃の波が少し鈍った。
一人で喚いているよく分からない人間が、近付く者全てを一人も残さずほぼ一瞬で討ち取る姿に二の足を踏んでいるようだった。
「『ミシなんとか、今のうちにあたしの言うこと聞いとけ。お前力入れすぎる』」
「なんとか言うな! 俺の名前は実城東吾! 実城、東吾だよ!」
「『あーそう。じゃあトーゴ、お前はまず手首が固え。それから、ちょい肩の力を抜け。んでほんのちょっとだけ腰を落としてみな?』」
「ええ? 力を……。こ、こんな感じか?」
「『そうそう。背筋は曲げんなよ。いいじゃねえか、その構え。お、一匹来たぞぅ』」
「うっ、お、おりゃっ!」
突っかかってきた男に、東吾の剣が飛んだ。
剣先が霞んだ。
風を切る音が遅れて聞こえてくる錯角さえ覚える、神速の刃が、男が剣を振りかぶる前に絶命させる。
「……。うお」
「『おーいいじゃんいいじゃん。それだよそれ、まだちょっと硬いけど悪かねえ』」
へへ、と女剣士が笑う声が東吾の頭の中でこだました。
さらなる敵が向かって来る。三人。
全員が、東吾の刃圏に入った瞬間に斬り裂かれ倒れる。
空中からの敵、四人。
程よく力を抜いているせいか、体がスムーズに動いた。危なげなくかわし、回転するような一太刀で四人とも撫で斬りにする。
地面から奇襲をかけてきた、二人だ。
剣で受け止めるまでもなかった。一人を出現と同時に串刺しにして、もう一人の攻撃を避けてその顎を蹴り飛ばす。
「……おお。う、動く。体が」
「『な? 力なんて要らねえんだよ、無駄に力んだらよくねえ。斬れねえ剣とか棒でブッ叩く時以外は切れ味の方を使うもんだ』」
女剣士の言う通りだった。
自然体にするだけで、東吾の体は以前よりもはるかに素早く、より鋭く動いていく。
ゴーレム腕を生やしたり、刺されても痛みを感じない体を盾にする必要さえなかった。剣技だけで、襲撃者たちを圧倒していた。
『『『イィーヤァーーーッ!!』』』
後ろからリィーンが召喚したゴーレムたちが、数十体ほどで隊列を組んで戦場に飛び込んできた。
東吾と女剣士が敵の注目を集めて時間を稼いだおかげで、リィーンの召喚が持ち直した。防衛線に空いた穴を、肉の防御壁が再び埋め直していく。
その時、背後で魔法陣を描いていたグレイヴスが叫んだ。
「……よし、完成だ! 小僧行くぞ! 『ダルトムテ=イア』……『ファリン=ゴルピス』……!」
ぱん、と手を打って、グレイヴスの呪文が発動する。
「……――『プル・モノス=スコルピウス』!!」
赤い灯火がゆらめき、光となって東吾の左の手のひらを再び貫いた。
光は『赤石』を通過して宙に高く舞い上がり、そしてひときわ強く、赤く瞬く。
――ずしん。
と、地面が大きく揺らいだ。