第四話 その6
「――お。……またか」
気がつくと、東吾はまた異世界にいた。
裸で石の地面の上に座っている。
空には天高く昇っている太陽が輝いている。
すぐ近くには雄雄しい筋肉男たちが大勢、同じく生まれたままの姿で立っていた。時折、『ヤッヤッ』と鳴いて筋肉を躍動させている。
そして、ちょうど目の前には綺麗に畳まれた服が一式だけ、置かれていた。
「ん? これ、服か?」
手に取りながら前を見ると、そこには背を向けたリィーンがいた。
杖を手に、マントを風にはためかせている。
「それ着て。着替えたら教えてね」
「へー。用意いいな」
「もう慣れてきちゃったわ……。あんたの服、今度からも持ち歩いてた方がよさそう」
「そりゃ助かる。俺もストリーキングはしたくねえし」
東吾はすばやく服を身につけると、立ち上がってリィーンの隣に並んだ。
城壁の上であるらしく、風が頬をなぶる。
周囲では大きな命令の声が飛び交っていて、弓を持った兵が忙しく走りまわっていた。
少し離れたところにはバージェスの城門が見え、街の内側で鎧兜の兵士や、馬に跨った騎士が一糸乱れず整列している。
張り詰めた空気があたりに満ちていた。魔法で喚び出されたらしき虎やライオンなどの肉食獣が、獰猛なうなり声を上げている。
「うお、なんかすげ。マジで戦争やるんだな」
東吾は振り返って、外の草原に目を向けた。
遠くに、黒と赤の不気味な軍隊が、草色の絨毯の上に様々な形をとって並んでいた。
それが――いくつも。
「え゛。な、なんか多くね?」
一目見ても、偉容だった。
地平線を埋めつくさんばかりに、オルドビシアの軍隊はずらりと並んでいた。
大きなこの街を遠目にして、取り囲んでいる。
「そうね。敵は全部で40000近くいるらしいわ。こっちの8倍ね、どうしてもここを陥としたいみたい。……ゴーレム」
杖を軽く振ってリィーンが言った。
数十人ほどの筋肉男たちは命令に従い、横二列で整列する。
「は、はちばい? だ、大丈夫なのかそれ」
「城壁があるからマシだけど、何もないところでまともにぶつかったら、あっという間に負けるわね。でも、例の作戦をする時は1000でやるから、実際はもっと厳しいことになるわ」
「ええ? 残りはなにしてるんだよ」
「城門や街の中で守りを固めるわ。それ以上は、空間魔導士たちが一気に運べないもの。だから、1000でやるの」
「おいおいウソだろ……!?」
さすがにちょっと気後れする。本当にできるのか、という気になってきた。
「だいじょうぶよ。必要な時間だけ稼いだら、すぐに退避することになってるから」
「もし万が一、間に合わなかったらどうなるんだよ?」
「……」
「え。なんだよ、ど、どう……なるんだ……?」
沈黙を返されたことに振り向くと、リィーンは両手で杖をきゅっと握り締め、厳しい顔で雲霞のごとき敵の軍隊を見つめた。
その肩が、小さく震える。
「……。し、死んじゃうかも……」
「え!?」
「あ、ううん、だいじょうぶ。その場合は、ちゃんと城壁の中に送ってもらえるはずだから。だから、だいじょうぶ」
自分に言い聞かせるように、リィーンは首を振った。
やっぱりだいぶ無茶な作戦らしい。
「あ、あーその、なんだ。……い、いざとなったら俺を盾にしてもいいからな? 俺、いくら刺さっても痛くねえし死なないから」
「う、うん、ありがとう」
「つーか、あのデーイィンって先生はどこ行ったんだ? ここにいねえけど」
「先生は、一番前で先頭を切ることになるわ。先生も自分一人なら瞬間転移ができるし、殺しても死なないと思うけど……」
再び城門の前に並ぶロディニア軍の部隊に視線を向けると、門に一番近いあたりに長髪の男の姿があった。
整然として並ぶ全身鎧の騎士たちの中で、一人だけ黒い服装の男が馬に乗っかっている。
ヒマそうにあくびをしていた。
「……緊張感ゼロじゃん。あの先生のせいで大勢引っぱり回されてんのに」
「……。言ってもしょうがないわ。先生はいつもあんなのだから……」
やがて――ラッパの音が、遠くから響き渡った。
地平を黒く染めている吸血鬼たちの軍隊が、砂煙を上げて動きはじめる。
「……はじまったわ。城門の方に行きましょ、ついてきてトーゴ。――ゴーレム!」
リィーンは身を翻すと、城壁の石段を駆け降りていく。
東吾もそれに続き、さらにその後ろから列を作った肉のゴーレムたちがついてくる。
「とりあえず、これからどうすんだ?」
「まずは、遠くから矢や投石が飛んでくると思うわ。それを凌がなくちゃ」
「凌ぐって。そんなんどうやって止めんの?」
「だいじょうぶ。わたしたちは待ってるだけでいいの」
城門の方向に向かって二人が走っていると、そこらじゅうにある街灯に赤い光が点った。
そこから拡声器のような声が、街中に響く。
『――ガガッ――街の皆さん、こんにちは。行政次官のロームアです。グレイヴス行政長官に代わりまして、街の皆さんにお知らせいたします。敵の攻撃が開始された模様です』
『住民の皆様方に置かれましては、昨夜の通達どおり、避難及びご助力をお願いいたします。『障壁』の使える住民の方は所定の路上からの移動をしないよう、そうでない方は決して屋外へ出ないよう、あわてず騒がず落ち着いて対処願います』
『それでは、当都市は現時刻をもってロディニア国第二軍団司令官、ラーグムル将軍の指揮下に入ります。皆さん、ご武運を』
声が切り替わり、少ししわがれた老人の声になる。
『――第二軍団司令官の、ラーグムルである。行政長官は特殊作戦行動があるため、指揮権順位により、私が総指揮を代行する運びとなった』
『さてバージェスの諸君、敵の攻撃がはじまった。ロディニア国民の義務として、住民諸君には街の防衛戦闘への参加を求める』
『吸血鬼どもは多数なれど、ここバージェスの住民の総数にはとても敵わぬ。一致団結すれば、侵略者どもを必ずや粉砕できよう。そのためには、我が号令に従っていただく。普段の全体訓練のように動いてくれればそれでよい』
『敵の攻撃を弾き返せ。矢の雨に、街を侵させるな。石弾に、築き上げてきた富を毀させるな。愛する家族を、仲間を、隣人を守りきれ』
『諸君らならば、成し遂げられよう。守りきれさえすれば、我が配下の第二軍団が、必ず敵を撃滅することを約束する。必ずだ』
『諸君、戦いたまえ。――総員、魔法準備』
そこで一旦放送が途切れる。
東吾は走りながら、街の中を見てみると、そこらに大勢の住民が十人ほどの数ごとに固まって杖を掲げている。
集団一つにつき兵士が一人ついて、命令が下るのを待っていた。
「リィーン、あれって……」
「ここの住民よ。バージェスの防衛だからね、魔法が使える人はみんな参加しなきゃいけないの」
またしばらくするうちに、再び電灯からの放送が聞こえてくる。
『傾注! 街の西方、及び東方。敵の攻撃準備を確認。弓矢及び、投石器等攻城兵器による攻撃を行なう模様である。注意せよ!』
『――攻撃準備を確認! 敵が矢をつがえた! 総員、『障壁』用意っ!』
『『障壁』用意! 『障壁』用意! 矢が飛んでくる! 攻撃、来る! 『障壁』、展開せよ! 『障壁』、展開せよ!』
「「「――展開しろぉーーっ!」」」
住民の集団をまとめている兵士の一人一人が、叫ぶ。
空を、膨大な量の矢の影が覆った。
太陽が隠れるほどの矢の雨が、城壁のそばを駆けていく東吾たちを飛び越して、街の全てに向かって降り注いでいく。
同時に、全ての住民が空に向かって手を掲げ、呪文を唱えた。
鈍い色の光が、街のいたるところで輝いた。
「うおっ!?」
――上空に。
突如として、無数の石の壁が出現した。
瞬間的に壁は幾重にも重なりあってドーム状になり、わずかな隙間もない巨大な石の屋根が、大きな街を覆い尽くした。
その上で、弾かれた大量の矢の雨が、ドガガガ、とすさまじい轟音を鳴らす。
一本ならば大したこともないただの矢でも、街の全てを圧するほどに放たれた矢の雨は、宙に浮く壮大な石の屋根を揺らした。
『――防御、成功。……む、うむ、うむ……。……住民諸君、サペリオンの『広域探知』からの情報だ。被害は皆無である。繰り返す、被害は皆無である。『障壁』、続行せよ。各員は魔法を切ることのないように』
「……。す、すっげぇ」
東吾は目を丸くした。
いきなり、巨大な街の上に、巨大な石のドームが現れていた。太陽の光を遮られたバージェスは、まるで夜のように暗くなっていた。
さらに、いくつもの岩の塊や大きな火の玉が街に飛来してくる。
その全てを、宙にある石のドームが弾く。岩の塊はドームを突き破る前に砕け散り、火の玉は粉々に飛散する。
ドームのところどころが、腹の底に響くような破砕音と共に大きく破壊されたが、その穴も瞬く間に塞がっていく。
「とりあえずは、だいじょうぶそうね。空の障壁が破られることはなさそう」
「なんだこりゃ。全部防いじまった……すげえな」
「あとは、影を伝って街の中に入り込まれなければいいんだけど……きゃっ!?」
「っおわっ!?」
東吾とリィーンのすぐ横にある城壁から、轟音が聞こえてきた。
びりびりと響く強烈な衝撃で、巨大な城壁が波打つように揺らぐ。
「……び、びっくりした。城壁の方にぶつかったみたいね」
「び、びびった。あ、そうか、こっちの壁も狙ってくるのか。って、うわ! ヒビが!?」
「だいじょうぶ、これくらいじゃ破られないわ。たっぷり厚くしたもの。それに……」
近くにいたローブ姿の一団が、こちらに向かって急いで駆けてきた。
城壁の上に駆け昇ると、岩のぶつけられたあたりで立ち止まり魔法を唱える。すると、地鳴りと共に壁に走ったヒビが消えてしまった。
「ね、直してくれた。そうそう崩されることはないはずよ」
「……万能だな魔法。鉄壁、ってやつ?」
「これくらいは出来なきゃ、あんな大軍と戦うなんてできないわ。さ、早く行くわよ」
「お、おう」
リィーンのあとを追って、再び東吾は走り出す。
そうしている間にも矢は街に降り注ぎ、いくつもの巨大な石弾が豪快に飛んでくる。
堅牢な城壁群と空のドームはそれらの攻撃を全く寄せ付けず、無為な騒音だけを響かせていた。
二人は城門までたどりつくと、門の一番そばの集団に近付く。
そこにはヒマそうな顔で、蝶々を目で追っかけているデーイィンがいた。
「先生」
「む。リィーンですか。準備は出来ていますか?」
リィーンに気づいたデーイィンは、蝶々を追うのをやめて馬を下りてくる。
「外を見てきましたか。なかなかの大軍で来ましたねぇ。どうでしょう、感想は。ここまでの戦に参加するのは、貴方も初めてでしょう?」
「は、はい。すごい数です」
「まあまあ、それでも気負うことはありません。いつものようにやりなさい。注意深く、自分の命を第一に。分かっていますね?」
「はい。……なにがなんでも、死なないように、ですね。はい」
「ああほらほら、気負っているじゃありませんか。リラックスしなさい」
口をきゅっと結んで頷いたリィーンに、デーイィンが柔らかく笑いかけた。
「思考を硬くすると、予想外の事態に脆くなるものです。肩の力を抜いて、周りをよく見て、とっさの事故にだけは気をつけて。簡単なことです」
「は、はい」
「では、一つ深呼吸をなさい。ゆったりと」
「はい……ふう。……深呼吸、しました」
「はい、大変よろしい。では、ゆっくりと待つとしましょうか。敵が矢や投石など無意味と理解して、直接攻めかかってきてくれるまで」
ニコニコといつも通りの笑顔を浮かべたまま、デーイィンはリィーンの肩をぽんぽん、と叩いた。
そうしてから、東吾の方を見てくる。
「さてさて、ミシロくん。はじまりますよ? エディアカラで見せた性能、今度は是非とも私にも見せて頂けるとありがたいですね」
「えっ。い、いや俺は」
「ん? ああ、君はグレイヴスについて行くのでしたね。ですが大丈夫、きっと君にも活躍の場が来るでしょう」
「えーと……」
「――……来られたらかなわん。妙なことを言うな」
そこに馬に乗ったグレイヴスが近付いてきた。
すぐ後ろに、数騎の護衛騎士を連れている。
「おや? グレイヴス、そんなことを言わず期待してくださいよ。見てみれば彼の素晴らしさも、きっと分かってもらえますし」
「……期待などするか。だいたい、そういう事態にならないよう敵を薙ぎ払うのがお前の仕事だ」
「おお、そう言えばそうですね。ふむ……これは困った。私が頑張ると、彼の性能をこの目で確認できない。困りましたねぇ」
「……。言っておくが、ふざけるのは許さんぞ。もし意図的なサボタージュをすれば、旧友であろうが軍事法廷に立たせるからな」
「冗談ですよ。怒らないで下さいよ、貴方と私の仲じゃないですか」
ひらひらと手を振って言うデーイィンの姿に、グレイヴスは大きく溜め息をついた。
「……はあ。昔から変わらんやつだ……もし許されるなら平気でやるくせに。とにかく、仕事はきちんとやってくれ。む」
すると、一人の魔導士が駆け寄ってきた。
グレイヴスに何かを耳打ちすると、陰気な行政官は小さく頷く。
「……分かった。作戦を開始する、と次官と将軍に伝えてくれ。……『サペリオン』からの報告だ。そろそろ敵が距離を詰めてきたそうだ」
「おや来ましたか。東からもですか?」
「……ああ。数はざっと10000ほど。小手調べのようだが……まあ、関係あるまい。決める時は、どうせこの一帯ごとまとめて一撃だ。連中に時間は与えてやらん」
つまらなそうにつぶやいて、またため息をついた。
「デタラメなやり方だ……後始末を考えると頭が痛いな。長期戦にならないだけ、マシではあるが」
「期待していますよ、大魔導。きちっとお願いしますね」
「……お前の方こそしっかり仕事しろ、大魔導。……死ぬなよ」
「ふむ、私が死ぬとでも?」
「……それもそうだ」
そう言ってわずかに口端をゆがめると、グレイヴスは馬首を返し、城門の前に居並ぶ部隊の中軍へと向かっていく。
「リィーン、ミシロくん。彼のそばを離れないように。脱落は許されませんからね」
「あ、ああ。分かってるよ」
「はい、先生。どうかご無事で」
「リィーン、私は死にませんよ。まだまだ探求すべきことが山のようにありますから」
「わたしも、まだ教えてもらってないことが山のようにありますよ。……じゃあ先生、また」
リィーンは軽く頭を下げ、東吾と共にグレイヴスを追った。