日常にすがる心
夕食が終わった後に佐久間家では家族会議が行われていた。
内容は拓海の転学についてであり、親である宗平、夕実だけではなくその場には兄の文也の姿もあった。
大学生である文也は遅く帰ってくることも珍しくなく、夕食の時間に帰ってくるほうが珍しいといえる。
偶然なのだろうが、1人でも意見を提供してくれる人が多いのは拓海にとっても歓迎すべきことなので兄の気まぐれに感謝していた。
家族は拓海が今日のことを話している間は神妙に黙っていたが、拓海が話し終えると同時に意見を求めると宗平が少し躊躇いがちに口にしたのだった。
「………転学したほうがいいのかも知れん」
「どうして?」
拓海としては未練がある。今の生活に、だ。だからだろうか素直に疑問が口に出る。
「すがれる対象が近くにある、ということは危険だ」
「そんなに………?」
宗平がいうすがれる対象とは拓海のことになる。そして、拓海の現状をよく表した表現ともいえた。
自分にとって大切な存在が命の危機だというのに何も出来ない無力感、出来たとしても力になれる可能性は高くない。
そんな歯がゆさの中ですぐ近くにその状況をどうにかできる者がいたとしたらどうするだろうか。
すがるしかない。大切な人を守るために。
最初は純粋に助けてくれというお願いだろう。だが、お願いというレベルでは済まない。
自身にとって大切な存在がいなくなる可能性があるのだから、それは断られたから『はい、そうですか』とお願いする方も引けない。
お願いされる方としても代価として己の命が危険にさらされるとわかっているのに『わかりました』と答えられない。
断られたからといって諦める訳にはいかない状況の中で圧倒的に不利なのは間違いなくお願いされる方、元プレイヤーたちである。
数が違うのだ。1人の被害者がいたとしてもその救出を強く願うものは1人ではない。家族、友人といった関係の者たちはその気持ちの強さに違いこそあれど被害者の無事の帰還を願っているものであり、すがる者となる。
特に親や恋人、親友などといったものは強くすがる。たとえ、みっともないとわかっていてもそんなプライドをかなぐり捨ててまでも構わないと思えるほどの強い絆を持つものはいるものだ。
諦めさせようと無茶な要求を突きつけてもそれを飲んでしまうほどに。
「私も拓海が囚われている時に、もしすがれる対象があるのならばすがっていた」
「きっと私も、ね」
「まあ、俺もそうだろうな」
家族皆がそう言ってくれるのは大切にされているとわかり拓海にとっては嬉しいことだが、今の状況を考えると喜びきれない。
少なくとも被害者の家族は連れ立って拓海にすがってくる可能性は限りなく近いということになるのだから。
「あの時は何もできないままだった。ただただ、帰ってくるのを待つことしか」
哀愁が漂う雰囲気を醸し出しながら宗平は少し遠い目をしている。
「辛かったわ。寝てる間にうなされて起きるなんて事はしょっちゅうだったし、携帯に警察から電話がかかってくる度に拓海に何かあったのかって電話に出るのが怖かった」
そう語る夕実の顔色は青いのは当時の鮮明な記憶を思い出しているからだろう。
「俺は母さんほどはひどくは無かったけど。それでもやっぱし夜中に飛び起きるってのは何回かあった」
「拓海が現実に戻ってくるために向こうで頑張っているのは知っていた。だがな、親から言わせて貰えばそんなことはして欲しくなかった。後ろの安全なところでゲームが終わるまで待っていて欲しかった」
宗平の言葉は拓海にとっては痛いものだった。現実世界では『レジスタンス・オンライン』の情報が極々と限られた者しか得られなかったがプレイヤーの実名とレベルがわかればその人が最前線にいるのかどうかは分かってしまう。
ゲーム内でトップクラスのレベルを誇っていることは、それだけ強い敵、この場合は命の危険がある相手と戦っているということ。そんなことを危険なことを繰り返すことはあの幽閉された仮想世界ではクリアする為以外に有り得ない。
つまり、拓海は常に命の危機に身を置いており、それを家族は知っていたということになる。
拓海としては一刻も早く現実に戻りたいという一心がそうさせたのだろうが、家族にとっては堪らない。
それはいつ、どこで、なにしてようが唐突に拓海の死という現実を突きつけられても不思議ではない日常に身を置いていたのである。
それは他の被害者の家族にも言えることだろうが被害者のレベルが低ければ安全な場所でクリアを待っていると推測でき、大きな変事でもない限りは大丈夫といえた。
拓海の家族はそういった安心をすることも許されないまま1年近くを過ごしてきたのである。
被害者に近しいものの心境としては一刻も早い救出を望む反面、被害者自身には脱出の為の努力をして欲しくないという奇妙な心理ができてしまっていた。
それは過去だけのことではなくなってしまっている。
そして、今回は最悪なことにその変事が起こってしまっている。今までは安心できていた低レベルというステータスが逆に危険度を悪化させる事態となって。
悪夢だろう。被害者にとってもそれに近しい者にとっても今までは確保されていた安全がなくなっただけではなく、最前線以上の危険がつきまとっているのだから。
「私はゲームのことにあまり詳しくはないのだが、話を聞く限り前の拓海以上の危険が付きまとっている被害者が沢山でているということだろう。それは非常にまずい事態だ。拓海の時も私や夕実の心労はとてつもないものだった。それ以上となると………」
そこで言葉を詰まらし難しい顔を作る宗平に変わり、夕実が話し出す。
「拓海は行くつもりは無いんでしょう?」
「うん。もう、行かない。行きたくない」
問いかけに迷うことなく答える拓海に対して夕実は満足げな表情を浮かべた後にすぐに表情を引き締める。
「でも、周りはきっとそれを許さなくなる。私たちにとっては拓海が大事だけど。他の人に取ったら自分の大切な人を守る為にかかるのは他人の命になるの」
夕実が喋ることに対して思わず拓海の背筋がぞぞぞっと震えた。
正しいことだろう。たとえ、助けを求めてくるのが知り合いだろうが、その知り合いは自身にとって大事な人の命がベッドされたゲームをすでに味わっている。その勝率を高める為に、命を守るために追加でベッドできるのは拓海の命だけ。
「時間が経てば経つほど、救出を望む声は大きくなるだろう。被害者が出れば出ただけ救出を望む声は大きくなるだろう。それが出来る可能性があるのは極一部のひとであり、それが拓海なんだ。安心の為にその極一部が救出に向えばクリアできると自分に言い聞かせている人もいるだろう」
「俺んとこの大学でもさ、最近話したこともないような奴から話しかけられることが多くて。その内容が全部が全部、拓海が被害者だったってことを聞きつけて、助けに行って貰える様に言ってくれませんか?的なことばっかなんだよ」
「そんな………」
家族から聞かされる話の内容に拓海の気持ちはどんどんと曇り空が広がっていく。
「もちろん、ふざけんなよって言い返してるけどな。それでも引かない奴はいるし、何度も何度も言ってくる奴だっている。正直、本当にうんざりしてるよ。思わず、3回目があったらお前は助けに行けと言えるのかって言い返したくなる」
怒り心頭と言った表情をする文也の様子を見て場の雰囲気を変えようとしてか宗平が結論を口にだす。
「ともかく、だ。私たちは被害者の家族として新しい被害者の家族の心理状態はよくわかる。今はまだ大丈夫なのかも知れん。だが、1つのきっかけでそれは崩れる。1人が拓海に強くすがれば周りも同調してすがるだろうし、1人の被害者がでれば拓海を憎むものもでてくるだろう。なんで助けられる力をもっていたのに見捨てたのか、とな。私に言わせれば逆恨みもいいところなのだがな」
「そう、ね。私も拓海にもしものことがあればきっと警察にあたっていたわね。………今回の拓海の場合は救出の可能性が他の人よりもずっと高い分だけ、より酷くなるでしょうね」
「だから私としては転学して欲しい。少なくともここよりはそんな状態にはなりづらいだろうし、周りにいる学生も同じ境遇の子たちばかりだったら何かあった時は味方になってくれるはずだ」
「そうだな。拓海には悪ぃけど、ここで何かあっても俺らじゃ力になりきれねぇ、と思う」
家族の意見は1つにまとまっている中でも未だに拓海の心は決まりきらない。
今の生活を手放すことは嫌で、それでも同時に今の生活を続けるのは危険だということを周りが嫌になるほど警鐘をならしてくる。
そして危険はすぐそこにまで迫ってきているのは拓海も分かっているが、それでも今の生活には未練があり踏ん切りはつかない。
仮想世界の異変は拓海にとって望まない状況を突きつけて、望まない選択を取ることを迫られる。それも悩む時間も選択を決断する時間も与えてくれずに。
「…まあ、すぐには決められんか。ゆっくり考えろ、とは言えん。出来るだけ早く決めて欲しい」
「そうね。話を聞いた限りでは向こうはすぐに拓海を受け入れられるみたいだからギリギリまで家にいてもいいし」
両親はすでにここに残るという選択肢はとって欲しくないというのがありありと取れる言葉を発している。
拓海自身も頭の中では転学という結論はすぐそこにまで近づいてきているが、未練がましく今の現状がひょっとしたら続くのでないかと考えてしまっている。
それは希望であり、感情によって作られたここに残るという選択を取るための願望と言い換えてもいい。すがられる者である拓海がすがる最後の一線。
叶う事はない儚い夢。それでも、現実に周りが拓海にすがりついてくるまでは夢見てしまう。
「なぁ、拓海」
「ん?なに兄さん」
「お前も急な話で困ってんだろうけどさ。お前1人じゃないんだろ?だったら、そっちにも意見聞いてみれば?実際にどうなってるかも聞けるだろうし」
顔色が優れない拓海を気遣ったのか、純粋に興味があったのかはわからないが文也のアドバイスは拓海にとっては蚊帳の外に置いておいたものだった。
いつもチャットしているプレイヤーに学生も多い。実年齢は知らない人もいるので高校生ではなく、中学生とか大学生とかの違いはあるだろうが置かれている状況としては大差ない。
拓海が転学を勧められたように他の元プレイヤーたちも転学を勧められている、ということはすぐに思いつく。
ならば、拓海と同じように悩んでいる者もいるだろうし、すでに結論を出した者もいるだろう。少なくとも今の拓海にはそういった話を聞くのも決断を下すための重要な要素となりえた。
「ありがと、兄さん」
「どーいたしまして」
拓海は早速、チャットルームへと入るべく自室へと戻っていった。