戻ってきた日常
目覚まし時計を止めることが出来ることに幸せを覚えながら佐久間拓海の一日は始まる。
半年前までの彼にとっては起床を告げるのは目覚まし時計などではなくシステムに設定された時間によって意識が覚醒させられる生活をしていた。それこそ元来は目覚めが悪い拓海にとってもすぐに動き回れるほどにはっきりとした意識でだ。
そんな目覚めを体験していたのは現実などではなくVRMMOと呼ばれるゲーム世界でのことだった。
VRMMOが当たり前の様に世を賑わせている近年においては『レジスタンス・オンライン』は比較的だが注目を受けていたタイトルであり、楽しみにしていた人物が多かったのもまた事実だった。
レジスタンス・オンライン(通称・レジィ)――このゲームの特徴は出発点以外の都市がすでに魔王軍によって制圧されていることだろう。
出発点として用意されている6つの都市のいずれかからゲームを始めることになるのだがプレイヤーの任意では選べずにただAIが人数がバランスよくなるように割り振る。
プレイヤーたちはその6つの都市を守りながら、魔王軍に制圧された都市を解放する為に進軍していく。
このゲームの難しいところはただ攻めるだけではダメだということで、守りを疎かにしていると何時の間にやら魔王軍によって制圧され直されており周りを見渡せば魔物、魔獣がひしめき合ってるなんてこともある。
攻めと守りの両立こそが大切と公式ホームページには宣伝されていた。
だからこそ被害者が多くなった。仮想空間で約1年にも渡る死のゲームをプレイする羽目になる人が。
このゲームはとんだ地雷だった。面白い面白くないという次元の話ではなく、ゲーム世界への幽閉とゲーム世界での死亡が現実世界の死へと直結する小説の世界でしかないいわゆる『DEATH GAME』だった。
拓海もそんな被害者の1人で死の恐怖と隣り合わせの中でゲームクリアを目指して日夜レベルアップに勤しんでいた。
そんな努力が報われたのか拓海はトッププレイヤーの1人となり最後の戦いとなる魔王との決戦にも参加できるほどのプレイヤーとなる。
そして、その決戦に勝利し現実世界に戻ってこられたのは半年ほど前のことだった。
ゲームクリアが現実に与えてくれた報酬とは留年という望んでもいないものだけだったが、そこで得た仲間は今でも大切な存在といえる。
比喩ではなく命を預けあった仲なのであるから、中学からつるんでいる連中を一足飛ばしにして1番の親友といえる。
残念なことに現実では1度も会ったことがないが、機会があれば拓海は会ってみたいと思っている。
しかし、言い出すきっかけが掴めずにオフ会の機会は訪れずにいる。心の中では誰か言い出してくれてもいいのにとか思いながらチャットルームで色んなことを遅くまで語っていることなどもう珍しくも何とも無い日常の一部へとなっていた。
現実に戻った後は衰えた筋力の回復のためのリハビリも待っており、毎日学校に通えるようになったのはつい最近のことだ。
手付かずだった勉強も辛いのだが1番に辛いのは今まで同級生だった奴らを学校では先輩呼ばわりしないといけない事か。今は同級生で過去は後輩だった奴らとのコミュニケーションも中々に骨が折れて一苦労だ。
ゲーム人口的には同級生に1人や2人、学校全体で同じ苦しみを味わっている人が5人くらいいてもいいのではないかと思うが幸いというべきか拓海が通う高校からの被害者は彼1人だけである。
それでも、死亡者がでていなかっただけまだマシだと思わないとやっていけない。ネットで死亡者がでた高校に通う元プレイヤーによると空気が重過ぎる、との書き込みがあった。
それも当然のことなのだろう。同じ被害者なのに1人は生きて1人は死ぬ。生還者からすればそれは現実に戻ったとしても学校では喜ぶということは同時に死んだ1人に対して義理を欠くことになる。
それは間違いなくにやりづらいだろうと他人事でよかったなんてことを思ったのを拓海は覚えている。
『では、引き続きニュースをお伝えします』
階段下りて、朝食を食べようとダイニングルームへと足を運ぶと父親がつけているのかテレビの音が聞こえてきていた。
そこで拓海は表情は苦いものへと様変わりをするのが、自分自身でもよくわかった。
別に父親との関係が冷え切っているということではない。むしろ、家族仲は良好といえるし、拓海自身は父親を尊敬すらしている。
現実に戻ったときの父親の、母親の、兄の、その笑顔は拓海の脳裏にしっかりと焼き付けられていたし、それがゲームクリアの最高の報酬だと本気で思っていたときも一時期ではあるがあった。
それでも、拓海が顔をしかめる理由はテレビにある。誤解しないように言っておくが拓海自身はテレビをよく見るし、好きと言っても過言ではない。
だがしかし、ニュースだけは話が別になる。普通のニュースなら構わないのだが、最近のニュースの中心はここ1ヶ月変わらずに同じニュースだ。
それも拓海の――いや、レジスタンス・オンラインの被害者の琴線の触れるような。
『では、今日もまずは史上最悪のVRMMOと呼ばれ、10万人以上のプレイヤーが閉じ込められているレジスタンス・オンライン・アゲインについてのニュースです』
レジスタンス・オンラインというゲームは魔王を倒して世界に平和を取り戻すという、シナリオ的には王道なRPGだが、このゲームはMMOである限り魔王を倒した後の平和な世界とてエピローグではなく、1つのVR世界として続く。
そんな中でアイテムをコンプリートしたり、とやり込み要素とてない訳ではないが、それでも物足りなさを覚えてしまう者もいるだろう。
そんなプレイヤーたちの為に用意されていたレジィのもう1つの顔こそが『レジスタンス・オンライン・アゲイン(Resistance Online Again)』だった。それぞれのアルファベットの頭文字、R、O、Aをとってロアと巷では呼ばれている。
家庭用のRPGではゲームクリアした後にデータを引き継ぐとか、追加イベントがあったり、難易度を設定したりのいわゆる周回プレイというものがあり、開発者たちは何を思ったのかMMORPGでもそれを用意してしまったのだった。
簡単に言えば、引継ぎ要素なしのハードモードが搭載されているということになる。
すでにレジィにアカウントを持っているプレイヤーに対しては2つ目のアカウントが作れるようになり、それが新たなる舞台での自身の分身となる。
ただ、このデスゲームとなってしまったレジィというゲームはクリアされた時点で新たにログインするものもなく、この世界は表に立つことはない………はずだった。
再び、デスゲームが始まってしまった日は本来ならばVRMMORPGの新たな門出となるべき日であった。
理由は簡単なものでVRMMORPGタイトルの双璧とも呼ばれているタイトルの続編が同時にリリースされた。
正確に言えば、長年サービスを続けていくことでの弊害が大きくなり始めたことに対する対策としてだったが。
高レベルプレイヤーが増えてきたことにより、新加入のプレイヤーたちが敷居を高く感じてしまう、攻略されきったマップにアップデートで新規のダンジョンを継ぎ足していくことへの限界、初期からあるマップと追加マップのVR世界で使われている技術の差など、様々な要因が重なった結果の前作のシステムを継承した完全な新規マップといった方が近いかもしれない。
これを楽しみにする従来のファンや、これを機に始めようとする新参者も沢山おり、制作会社の目論見は成功の影を見せており、VRMMORPGの歴史に新たなる1ページが刻まれるはずであった。
しかし、刻まれた歴史は望んでいたものとは全くの逆のこととなってしまった。
レジスタンス・オンラインの悲劇と同じ様に再びログイン者が現実へとログアウトしない事実が突きつけられる。
そして、レジィの時と同様にログアウト不能という事態が確認された。
ただ、事件を起こした2つのタイトルにはログインしたものがいないという不可思議な状態であった。
しかし、原因は分かってしまえば簡単なものだった。
ゲームが存在する『星』まで行くにはまずVRネットワークの入り口といえる場所へ飛ばされ、その後に、情報を読み取る。現実で言うのならばそのゲームのある住所の場所をそこで照会するのだ。
実際、時間的には錯覚できないぐらい僅かなことであるが、この入り口を経由することは不可避のことでもある。だからこそ、極めて稀な例ながらも行くはずではなかった場所へと行ってしまう、ということも確認されている。
今回はそれが人為的におこされたから、大量の――10万人を超える被害者が生まれてしまった。
このニュースを聞くために眉を寄せるのは拓海ばかりではなく、レジィの元プレイヤーはほとんど全てがそうだろう。
終わらせたはずの世界がまた再びと牙をむいてきたのだから。
とりあえず、今の拓海にとって重要なのは遠く世界に囚われているプレイヤーではなく食事を目の前にお預けされていることなのだ。
正直、あんな記憶の片隅へと封印しておきたい死と隣り合わせの世界のことなんて思い出したくも無いのに嫌でも思い出されてしまう。
要は、腹は空いているのに足が向かないだけの話なのだが。
「ん?っおお拓海か。おはよう、すまんなチャンネルを今変える」
拓海に気づいた父親――宗平が朝の挨拶とともにチャンネルを変えようとする。息子がこのニュースを好まないことはよく知っている。
まさに人事ではない大事件な訳なのだからそこにいい感情を持たないのは簡単にわかる。
「おはよ。…いや、いいよ。そのままで」
逆に拓海としても宗平がこのニュースをどれだけ気にかけているかも良く知っていた。
まさに息子が囚われていた事件が再びなんてことになったら、被害者の家族としての思いを知っているだけに続報が気になるのもまた当然のことといえる。
それに拓海自身としても学校では嫌でもこの話を振られるので、少しづつだが耐性をつけていかなければダメだとも思っている。
「いや、いい」
そういって宗平はチャンネルを変えた。朝の占いが行われていた。
「いいの?気になるんじゃ?」
「後で携帯からニュースサイトを見ればいい。食事中はあまり湿っぽくなるもんじゃない」
そんなことを父親に感謝の念を送りながらいつもの席へとつく。
佐久間家の朝の食卓は白いご飯と味噌汁が絶対に出てくる。いつぞや兄――文也がパンが食べたいと言ったときには味噌汁の具にお麩の代わりといわんばかりに食パンがちぎって入っていた。
宗平いわく、『別にパンだって普通に食うが、朝だけは白いご飯じゃなきゃいかん』といっているあたり何かしらのこだわりがあるのだろう。
今日も今日とて席に着くと母親――夕実がさっさとお茶碗に山盛りに盛られた白米と味噌汁が運ばれてきた。佐久間家ではローテーションで味噌の種類が入れ替わり、今日は合わせ味噌で作られた味噌汁だった。
それと、食卓には自家製の漬物が並んでいる。今日はきゅうりの糠漬けにきゅうりの浅漬け、オイキムチ。そして止めとばかりに瓜揉みまでもが揃っていた。
そんな綺麗に1つのテーマに統一されている食卓をよそに拓海は何もいわずに梅干が入れられている小瓶の蓋を開けたのだった。
「行って来ます」
「はいはい、行ってらっしゃい」
朝食を取り終えるといつも通りに高校へと向う。この当たり前がどれだけあり難いものかを拓海は理解している。
拓海だけではなく、かつて囚われていたプレイヤーならば多かれ少なかれ感じ入ることだろう。
2年前は特に感じ入るものがなかったのが今はこの当たり前の日常に感謝することさえある。
あの殺伐とした世界からの解放は、現実の世界を今までとは全く違う見方を出来る様へとプレイヤーたちを変えていた。
残念ながら、現実と仮想世界を同一視したかのような錯覚に陥って社会復帰は困難とみなされて特殊な施設へと連れて行かれたプレイヤーもいると風の便りで聞く。
事実、そうなのだろう。レジィの世界で周りから危険人物とみなされていた目立ちたがり屋のプレイヤーは現実の世界では最初の頃こそ某掲示板で偉そうにしていたがある日突然と姿を消した。不自然な形で。
多分、現実に精神を戻しきれずに厚生施設へと連れられていったのだろうというのが仲間内で出した結論だった。
幸いというか拓海がレジィの世界で仲が良かったプレイヤーたちとはしっかりと連絡は取れている。万全とまではいかない者も居るようだが不自由するほどではない程度に日常生活には馴染み直せたらしい。
そして、拓海自身もその戻ってきた日常の日々を楽しく謳歌し、喜びをかみしめていた。