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悪魔・十五号  作者: 小田中 慎
一九四五年三月・東京・渋谷宇田川町
2/6

*

 凍りついた道を、氷を割る音もバリバリと騒々しく幌付きのトラックが行く。その後ろにぴったりと付けた乗用車。二台の隊列は、やがて黒ずんだコンクリート製の高い塀が続く脇道へと入る。走る車も滅多にない寂しい道。この道は通行のためだけにあるのではない。道は緩衝地帯であり、塀に接近する者や逆に離れる者を発見し易くするためにあるのだ。

 塀を右手に見て二台は行く。もうすっかり明るいがトラックはヘッドライトを点灯したままだ。やがて塀は、高さ五メートルはある鉄扉となる。門衛に身分証を見せた後、トラックの運転手は開いていたその入口から車を構内に入れる。続いて乗用車の運転手が身分証を見せ、敬礼を受けて構内に入った。


 入口左側にある二階建て。トラックはその前の広場に斜めに駐車し、乗用車はそのまま車寄せを曲がって建物正面に横付けする。

 乗用車から濃紺のスーツとソフト帽姿の男が降り立ち、トラックの荷台からは防寒服に半分顔を埋めた見た目六、七歳の少女と、陸軍の防寒コートに制帽の将校、そしてカーキ色の制服姿の兵士が二名、降り立った。

 兵士の一人は、男の代わりに乗用車に乗り込んでトラックの横へと移動し、もう一人と共に車両の前で立ち番を始める。残りの者は無言のまま正面玄関を入り、玄関脇の衛所に乗用車の男が話を付け、奥へと入って行った。


「暫くだったな」

「お互い無事で何よりだ」

 この刑務所の所長室だった。所長は乗用車の男と敬礼の交換をすると、男と共に入室した少女と将校の三人に、暑い位に焚かれて鉄肌が赤くなったダルマストーブの脇に置かれた木の椅子を勧め、自分は大きな木の事務机の後ろに腰掛けた。

「『刑務所』暮らしはどうだい?」

 男が煙草あさひに火を点けながらにこやかに尋ねる。軍装を一部の隙もなく着こなした所長は、

「別に。与えられた任務を全うする。それだけだ」

 少々苛立っている様に見える所長は続けて、

「どこも大変なのは一緒だ。ここも前線も変わりはない」

「ほう、貴様は憲兵暮らしを楽しんでいるものとばかり思っていたよ」

「貴様皮肉を言うために来たのか?こんな状態で楽な訳がないだろ?ここも満杯だ。しかも後から次々と送られてくる」

「死んだ人数分、な」

「貴様、人聞きが悪いじゃないか、まるで俺たちが殺していると言わんばかりだが?」

 しかし男は無表情に所長の顔を見ているだけで答えない。

「チッ、悪いが全部自然死だよ。病死が多い。栄養失調、結核、内臓疾患、心臓麻痺。確かに監房は住み心地が宜しくない。だがそれは皇国全土どこでも同じ、返ってここにいた方が安全の度合いは高いぞ。防空壕は広いしな。検死もしっかりやっている、なんなら報告書の複写を見てもいいぞ」

 所長はデスクから立ち上がって、個別の椅子に座る彼らの所まで来た。男は忙しなく吸って短くなった口付き煙草を灰皿に押し付けた。そして懐から時局柄最近一色刷りとなった朝日の箱を取り出し、ゆっくりとオイルライターで火を点ける。全く無視された格好の所長は顔を紅潮させたまま両手を握り締めたり緩めたり、落ち着きなくストーブの周りを歩く。漸く男は、

「要件を言おう。大部屋を一つ、用意して頂きたい。それと死刑囚を二十から三十人程、その部屋に入れて貰いたい」

 所長はじろりと男を睨むと、

「貴様、何を考えている?」

 男は朝日を旨そうに吹かすと、所長の方へ煙を吹き出し、

「電話で伝えたろう?公務さ」

「だから一体何の公務だ?」

「それは機密だ、貴様に知る資格はない」

「貴様!」

「まあ、そうカッカするなよ、同期のよしみで付き合ってはくれんか?」

上官うえと話さなくては」

「あ、いや、ウエに話は通してある」

「当然、確かめてもいいな?」

「構わんよ」

 所長はデスクの上の電話の受話器を取り、交換を呼び出すと、懐から取り出した黒革の手帳を繰って、ある番号を告げる。暫く無言で男の方を睨んでいたが、当の本人は涼しい顔だった。やがて相手が出たのか所長は受話器の向うと話し出す。

「東京陸軍刑務所、所長の田中であります。はい、お忙しいところ申し訳ございません。今、宜しいでしょうか……はい、実は只今、ここに陸軍省の真田少佐が来ておりまして、本官に依頼を致しました、はい、で、その依頼の内容についてですが……え?あ、はい、あ……そうでありますか、はい……承知致しました、はい、決してその様なことは……はっ!直ちに。では失礼致します、ありがとうございました」

 所長はゆっくりと受話器を下すと、何か拍子抜けした様子でスーツの男・真田少佐に、

「一時間くれ。それまでここで温まっていればいい」

 そのまま答えを待たずに、部屋を出て行こうとした。

「あ、悪いがもう一つ二つ頼みたい」

 朝日を灰皿にもみ消した少佐がその背中に声を掛けると、所長は無表情で振り返り、待った。

「たいしたことじゃない。死刑囚の人選だが出来る限り若い人間、それも健康な男性に限って貰いたい。後、その部屋で行う『試験』は五時間ほど時間がかかる。我々がどこかで待てるような手配を願いたい」

「貴様らが待機する場所はいくらでも用意出来る。が、死刑囚はその条件だとそんなにはいないぞ?」

「おかしいな。私はここに裁き切れないほどの死刑囚がいる、そして毎日五人は処刑が行われている、と聞いて来たのだが?」

 少佐が意味深げに笑うと所長は暫し言い淀んだ後で、

「俺のせいじゃない。それだけは誓う」

 それだけ言うと、ドアを荒々しく開け閉めして出て行った。

「やはり私刑が行われている、と言うことでしょうか?」

 今まで一切口を開かなかった将校が少佐に聞いた。歳の頃は二十五、六。痩せて貧相だったが目付きが異常に鋭い。左耳から頬にかけて醜い傷が走る。昨今見かけることが多い前線から帰還した将校に共通する特徴だった。

「まあ、あっさりリンチとは呼べないな。ウエからは『事故』があっても仕方がない、とでも言われているんだろう。奴さんは、同期だから庇う訳でもないが、あれでいて官僚的なんだ。私腹を肥やすタイプでもない。誰かに依頼されて行っていることは確かだが、カネ欲しさや義憤に駆られてやっている訳でもないだろうよ」

 少佐のざっくばらんな態度に眉を顰めた将校は、

「国民がこれを知ったらコトですね?」

「そうかな?皇国全土、B29に狙われない都市はない。大本営は隠し通すつもりだろうが、貴様も身を以って体験したように南方も大陸もご難続きだ。間違いなくやって来るだろう米英の侵攻に備えるため、我々には少しでも余裕が欲しい。頼もしき皇軍に暴行、強姦、略奪、窃盗と敵前逃亡、万死に値する連中が溢れんばかりにいる。そんなことを国民が知ったら、どうなる?そちらの方が私刑より軍に対する失望が大きいだろうが。更正させることが不可能な悪漢をさっさと始末することに何の躊躇いがあるか?」

「そういうことは一体どこが決めているのです?」

「ほう、貴様は耶蘇か?死刑は気に食わんか?」

「そうではありません。法治国家の根幹に関わる問題か、と思いますので。これでは犯罪者連中の思考と大差ありません」

 少佐は肩を竦め、この部屋に入って三本目の朝日に火を点けると、

「法治国家?皇国が、か?そうか貴様は帝大で国際法を学んでいたのだったな」

 少佐は意味ありげに自分のオイルライターを弄ると、

「まあね。今は非常時とかいう時期だ。みんな大変な時さ。生き残るのに精一杯だ。正論ばかりじゃ生きて行けない。多少の逸脱は仕様がない。クニもそうさ。そういう正義は、もう少し落ち着いてからでないとな」

「少佐殿は時折、軍官らしからぬ物言いをなされます。お気を付けて下さい」

 青年将校の生真面目な表情に苦笑いが自然と浮かぶ少佐だった。

「国広中尉。忠告痛み入るよ」

 中尉はそれ以上話さなかった。軽く吐息を吐くと、統制下では贅沢品の極みと言える石炭を石炭バケツから掬い、ストーブへ放り込んだ。少佐は銜え煙草で肩を竦めると、先程から身動きしない少女に笑いかける。少女は無表情な顔に微かな微笑を浮べた。後は皆、無言のまま、時間だけが過ぎて行く。



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