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私の憂鬱

 私がそのお店にお世話になったのは確か16歳の夏でした

その年は丁度、妹が退院した年で、妹にとっても、もちろん私にとっても、思い出深い年だったのを覚えています


そのお店は、夏の日を受けて鮮やかさを増した並木通りの、ほんの一角に構えられた、小さな小さなお店でした

誰がどうして、何のために作ったお店なのかは今でも分かりませんし

これからも、知ることはないでしょう


ですが・・・・・・私がそのお店でもらった、かけがえのない思い出たちは

今でも私の胸の中の小さな宝石箱にしまってあります


夏の青い日差しと、青い空

湿り気をふくんだ柔らかい空気に短い影


月日が流れた今も、夏が来ると、あの店のどこか懐かしいような店構えと

その中で一人、無限の時間を旅する、優しいあの人の顔を思い出すことが出来ます




あの人は今頃、どこを旅しているのでしょうか?


願わくば、あの人の無限の旅路に、素敵な「時間」が流れますように……




「それじゃあ行ってきます!」

私は元気な声でお母さんにそう言いました

朝の挨拶は一日の始まりにあたって、もっとも大事なことの一つだと教わったし

事実そうであると私は考えます

「はいは~い、気をつけて行ってらっしゃいな」

お母さんはいつものように笑顔で私を見送ります

お母さんいわく、笑顔も重要な要素の一つとの事ですので、

私は頬っぺたをグニグニと引っ張って笑顔をつくり

「行って来ます!」

ともう一度言ってから家を出ました


家を出ると私を迎えたのは、サンサンと照る大きなお日様でした

「おはようございます!」

私はお日様に向かって言いました

当然のことですが、お日様は返事をしてはくれません

いつものことではありますが少しだけ寂しい気もします

ですが、朝からくよくよしている場合ではありません

私は気を取り直して元気よく歩き出しました

しばらく歩いていると、

「おはよう、レンコン!」

親友のともちゃんに会いました

ともちゃんは私の小学校の頃からの友達で、明るくてスポーツのとても上手な活発な女の子です

ちなみにですが、レンコンとはわたくし天野蓮子のあだ名です

レンコンの様に色が白いからと、ともちゃんが付けてくれたもので

今では友達のほとんどが私のことをレンコンと呼びます

「夏だってのに相変わらずあんたは白いね~。それにくらべて私なんかさ~」

私の腕を取り、自分の腕と比べながらともちゃんは言います

陸上部に所属していて、週のうち五日間は外で走り回っているともちゃんの浅黒い肌は

女の子なのに失礼ですが、とても逞しくみえ

帰宅部で、肌の焼ける機会の少ない私には、むしろ羨ましく思えました

「ともちゃんは黒い方がカッコいいですよ」

「女の子がカッコよくたって仕方ないでしょうが」

ポカリと軽く頭を叩かれてしまいました

少しだけ痛かったけど、それは中々楽しい痛みでした


通学路の途中、一本の長い並木通りにでました

そこは道の真ん中に銀杏の木が並び、両側を古本屋や家具屋や雑貨屋などの小さな商店が建ち並ぶ、少し変わった通りでした

木の周りには、沿うようにベンチが並び、町の人々の憩いの場となっています

私はこの道が大好きで、一人の時はゆっくりゆっくりと周りを見渡しながら歩くのですが、

ともちゃんと一緒のときは、大股にズンズン歩いていくともちゃんの後を追いかけるのに精一杯で、

楽しむ暇がないのが少しだけ残念です

「ほらほら、急がないと遅刻しちゃうよ」

登校時刻まではまだ余裕がありますが、せっかちなともちゃんはドンドン先に歩いていってしまいます

チビで運動神経のあまり良くない私は、これ以上スピードを上げられたら

心臓がオーバーヒートを起こしてしまうのでは無いかと不安になりました


その時でした


「あれ?」

小走りでともちゃんの後を追いかける私の目に、一件のお店が飛び込んできました

(あんなお店あったかしら?)

そのお店は、初めて見るはずなのにどこか懐かしく感じられるたたずまいと、

とてもキレイなエメラルドグリーンの看板を掲げた、小さな小さなお店でした

(えっと、Good for……)

看板に書いてある文字を読もうとしたとき、

「レンコン!おいてくよ!」

という、ともちゃんの大きな声が聞こえてきました

見ると、ともちゃんは既に10メートルほど先にいてこちらを振り返っているところでした

「ごめ~ん」

私は一度だけ振り返って先ほどのお店を見た後、慌ててともちゃんに追いつきました


並木通りを超えて更に歩いていくと、大きくて立派な門が見えてきました

私達の学校の門です

門には、同じ学校の生徒たちが吸い込まれるように入っていきます

登校時間が迫っていることもあり、歩いていると同じクラスの人たちも集まってきました

友達たちは口々に

「おはよう」とか「昨日のドラマ見た?」、「今日の数学当たるんだけどノート見せてくれない?」

などの会話をしながら、次々と私とともちゃんの横に並んでいき気づくと七人が横並びに歩いている状態になりました

もしもこのままクラスの友達が増えていき、その長さが校門の幅を超えてしまったら

誰かがぶつかってケガをするのではないか?と心配になったのですが、

それ以上列の長さが伸びることは無かったので、私たちは無事に校門を抜けることが出来ました


教室に入ると私は、自分の席へと向かいました

私の席は窓際の列の一番後ろにあり、ともちゃんからはよく

「いいなぁ~、授業中寝放題じゃない」

と羨ましがられます

私は残念ながらオチビさんなので、一番後ろの、しかもこのような教室の端の席だと黒板が見にくくて、

板書をするのにも一苦労だったりします

「だったら、変わってよ」とこれまたともちゃんによく言われてしまうのですが、

ここから見える外の景色が私は好きなので、変わってはあげませんでした(私は意地悪でしょうか?)


チャイムが鳴って、朝のホームルームも終わり授業が始まりました

一時限目は数学だったので、私は鞄から数学の教科書とノートを取り出して、授業に臨みました

授業中、板書を取りながら、時々窓の外に目をやります

私のクラスの教室は校舎の三階にあったので、窓からは商店街や住宅街や公園が見渡せました

視線を、どんどん遠くに向けていくと、やがて一つの建物に目が止まりました

それは、小高い丘の上にある、真っ白い建物で、この町に済むほとんどの人が、一度はお世話になったであろう大きな総合病院でした

しばらく、ぼぉっと病院の方を見ているとポンポンと誰かに頭を叩かれました

私が振り向くとそこには数学の先生がニヤニヤしながら私を見下ろしていました

先生が、「あまの~、いくら天気がいいからって外ばっか眺めてるとその内鳥になって飛んで行っちまうぞ」

と言うと、クラスのみんなも笑いました

窓の外を眺めているだけで鳥になれるのならば、是非ともなってみたいものです

「鳥になるならペンギンがいいな」と思いましたがペンギンは飛べないので、窓から颯爽と飛び立ってもすぐに落ちてしまうでしょう

ペンギンは北極と南極のどちらに住んでいたかかしらと考えながら、私は大人しく授業に戻りました


その後も授業は滞りなく進みました

三時限目の世界史の時間に、落とした消しゴムを拾おうとしたともちゃんがイスからひっくり返ったり、

クラスで一番のお調子者の片桐君が授業中にマンガを読んでいるのを見つかって廊下に立たされたりした以外は、平和なものでした

お昼休みになると、ともちゃんの他にあけみちゃん、かなこちゃんといった仲の良い友達が集まってきて、いつもの様に4人でお弁当会となりました

お弁当を食べている間の私達の会話は、最近流行っているドラマの話題で持ちきりでした

「もうさ、ハセジュンが超カッコよくって~!」「そうそう、ヤバイよね!あんな告白されてみたいな~」「あ~、それに比べてうちの男子ってなんで……」

ともちゃん達3人はとても楽しそうに、ドラマの話をしています

私はというと、お弁当の卵焼きを一口サイズにするのに必死になっていました

「ちょっとレンコン、あんたも会話に参加しなさい」

ともちゃんが私の頭を鷲づかみにして、私の顔をお弁当から引き剥がしました

「ともちゃん、頭痛いです」

私は頭を振ることでささやかな抵抗を試みましたが、ともちゃんの女の子にしては大きな手は離してくれません

ともちゃんは、私の頭でひとしきり遊ぶと、

「レンコンの頭ってば、相変わらず小っこくって握りやすいわねん」

と言って、やっと手を外してくれたのででした

実は、私はドラマ自体は毎週見ていて、内容もよく知ってはいるのですが、皆の様にお熱を上げているわけではありませんでした

というのも同年代の女の子たちに比べて、どうも私は精神がお子様なようで、恋愛ドラマというものを見ると、

自分とは関係ない、どこか別の次元で起こっているお伽話の様に感じられるからなのです

「仕方ないよ、とも。レンコンは好きな芸能人とかいないしさ、興味ないこと押し付けんのかわいそうでしょ」

そうフォローを入れてくれたのはあけみちゃんでした

あけみちゃんは、キレイな黒髪の美人さんで、男の子からの人気がとてもある女の子です

同性の女の私から見ても、まるでお人形さんのようで、身近に居ながら憧れの存在です

「そうそう、あけみの言うとおり、それにドラマ見てるのだって妹さんのためなんでしょ?」

かなこちゃんがから揚げを口に運びながら言います

「妹」という単語を聞いたともちゃんが「むぅ」と唸ります

「そういえば」

私は、思い出して口を開きました

「今朝、並木通りで新しいお店をみかけたのですが皆さんはご存知でしたか?店の名前が確か「Good」から始まるのですが」

あけみちゃんとかなこちゃんは、あの並木通りをあまり通らないそうで知らないようです

ともちゃんも

「私は、レンコンと一緒で毎日あの道通ってるけど、新しい店なんてあったっけ?」

とのことでした

う~む、おかしなこともあるものです

今まで、少なくとも高校生になってからは毎日あの道を通っていたはずなのに、

今日になって初めてそのお店の存在に気づく、なんてことがあるのでしょうか?

「また、レンコンの勘違いじゃないの?ほら、この前のコンニャク事件みたいにさ」

コンニャク事件というのは、私がお弁当箱と間違えて袋入りのコンニャクとお箸をお弁当袋に入れて持ってきた事件のことです

「どこをどう間違えたらお弁当箱がコンニャクになるのよ」と、ともちゃんにつっこまれ、

最終的には、味のしないコンニャクに果敢にかぶりつくという世にも珍しい昼食を味わったのでした

「勘違いじゃないですよ。確かにこの間までは無かったはずなんです」

そこまで言ったところで、あけみちゃんが時計の時間に気づき慌てだしました

「ヤバッ、次の時間教室移動あるから早く準備しないと」

言われて時計を見ると、お昼時間は後10分を切っていました。どうやら、ドラマの話に夢中(私はあまり参加していませんが)になって

時間を忘れてしまっていたようです

私たちは、昼食をお腹に入れた後、そろってご馳走様を言って席を立ちました




放課後になると、部活に行くというともちゃんとあけみちゃんにさようならを言って、私は教室を後にしました

今日は部活が無いと言っていたかなこちゃんは、部活の先輩のカラオケに誘われているそうで、

「これも付き合いってやつなのよ」とサラリーマンのおじさんのようなことを言って一足先に行ってしまいました


一人になった私が廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられました

「レン!」

少し低い男の子の声

私をレンと呼ぶのは一人だけですので、私にはすぐのその声の主が分かりました

「どうしましたか、ハル君?」

私は振り返って言いました

「ハル君はやめろっつーの」

そう言うと彼――音山春一君は私の頭にでこピンをしました

「別にいいじゃないですか~、幼稚園のときからハル君はハル君なんですから」

私はでこピンをされてツクツクするおでこをさすりながら言いました

「いい年して君付けすんなよな~。この前、レンのおばさんにもダチの前で『ハルく~ん』とか呼ばれて恥ずかしかったんだぜ?」

ダチというのは友達の略だとこの間教わりましたが、君付けの何が恥ずかしいのかは未だに分かりません

「それでは、ハル君のことは何て呼べばいいんですか?」

「普通にハルでいいよ」

「それじゃあ、今度から気をつけるようにします」

「おう、頼むぜ!」

「それで、どうしたんですかハル君?」

ハル君は大きなため息をつきました


「今日もカズハのとこ行くのか?」

隣を歩くハル君が言います

「カズハ」というのは私の双子の妹の和葉ちゃんのことで、ハル君とも当然幼馴染なのでした

ちなみに、ハル君は、バイト先に向かいがてら、一人で寂しそうな私と一緒に帰ってくれるとのことでした

「はい、毎日のえっとるー、るー……」

「ルーティーンワーク?」

「そう、それです!」

「使い慣れないなら、日課っていやあいいじゃねえか」

ハル君は呆れたように笑いました


「それにしても、ほとんど毎日だろ?大変じゃね?」

「いいえ、そんなことないですよ……」

そうなのです、「日課」なんて少しの根気があれば続けられるもので、大変の内には入りません

本当に大変なのは……


「おい、レンどうした?」

ハル君の声で私は我に帰りました

どうやら、ボーっとしていたみたいです

私は二つのことを同時に出来ない性質のようでして、考え事をしながら歩くと意識が頭の奥の方に閉じこもってしまうのです

「あぶねえなぁ、信号赤だったぞ」

見ると、ハル君の言うとおり目の前に横断歩道がありました

もし一人だったらと思いと、少しだけ背筋がブルブルと震えました

「まったく、レンは昔っからおっよこちょいだよな」

「ハル君は昔から面倒見がいいです」

「なっ、何いきなり出だすんだお前は」

レン君は顔を真っ赤にして言いました

私は昔から思っていることを言っただけですので、なんでハル君が顔を赤らめたのか分かりません

「どうしました、もしかして熱でもあるんですか?」

背伸びして、ハル君のおでこに手を当てようとすると、

「やめろって、何でもねえよ!」

ハル君が私の手を掴み上げました

その瞬間オチビさんな私は、よろよろとヨロめいて、丁度ハル君に抱きつくような形で寄りかかってしまいました

ハル君は背が高くて、私が寄りかかると顔が丁度胸の位置に来ます

その胸からは、お父さんよりは幼い男の子の匂いがして、少しだけドキドキしてしまいました

数秒、その体勢でいると、ハル君は私をガバっと引き剥がして無言で歩き出しました

「ゴメンなさいハル君」

私はその背中につい、謝ってしまいました

ハル君のような、高校生の男の子が私のようなチンチクリンに抱き疲れても嬉しくないと思ったからです

ハル君は、ちらりと私の方を見やると、

「俺、もう時間だからバイト行くわ。カズハによろしくな」

そういい残して走って行ってしまいました

「ハル君もたまにはきてくださいね~!」

背中に向かって大きな声で言って見ましたが、聞こえたかどうかは分かりませんでした


ハル君と別れた後、私はるーてぃーんわーくに丘の上の病院へとやってきました

受付を済ませ、面会のバッジをお借りして、いざ入院棟へ

目的の病室は、入院棟の四階にあり、階段で登るのも一苦労です

息を切らしながらやっとのことで登りきると、廊下で顔見知りの看護師さんに会いました

「あら、蓮子ちゃん今日も和葉ちゃんのお見舞い?」

「はい、お部屋にいますか?」

「今は多分、プレイルームで元治さんと将棋してるんじゃないかしら?」

「分かりました、行ってみます」

看護師さんにお辞儀をして、私はプレイルームへと向かいました

入院棟の各階にはプレイルームと言う、雑誌を読んだりお茶を飲んだり、面会の家族とゆっくりお話が出来る場所があり、

和葉ちゃんはよくそこで、お隣の病室の元治さんというおじいさんと将棋をしているのでした

プレイルームに着くと、そこには和葉ちゃんと元治さんの二人だけでした

涼しげな顔で盤面を見ている和葉ちゃんと対照的に、元治さんは、折りたたみ式の将棋盤を睨みつけウンウン言いながら駒を動かしています

「あ、レンちゃんだ!」

和葉ちゃんが私に気づいて声をあげました

「また来ちゃいました」

「も~、そんなに頻繁にお見舞い来なくていいのに~」

「お見舞いじゃなくてるーてぃーんわーくです」

私は二人が将棋をしている机に近づくと、和葉ちゃんの隣の席に腰掛けました

「う~んダメだ!もうねえなこりゃあ」

元治さんはお手上げのポーズをした後、頭を下げて参りましたと言いました

「へっへ~ん、これで私の十二勝二十八敗だねん」

「まったく、若い子は覚えが早くて適わんな。最初の内だけだったよ、ワシが遊んでやれたのは」

「いんや、まだまだ!とりあえず勝ち星を五分にしないとだからね」

そう言って和葉ちゃんは笑いました

元治さんが入院してきたのは三ヶ月ほど前だそうです

二人の関係は、プレイルームで一人詰め将棋を解いていた元治さんに、和葉ちゃんが話しかけたのがきっかけだそうで、

最初は、駒の動かし方すら分からなかった和葉ちゃんですが、元々要領が良いためか

一月程経つころには、元治さんと良い勝負をするまでになり、最近は和葉ちゃんが連勝することもあるとのことでした

「どうだい?蓮子ちゃんもやってみるかい?」

「いいえ、私は……」

「ゲンさん、お姉ちゃんボードゲームとかトランプとかの類苦手なの、

この間なんてオセロやったら真っ黒になっちゃって半べそかいてたんだから」

私は恥ずかしくて苦笑いをしてしまいました

昔から勝負事というものが苦手で、ゲームはおろか、じゃんけんですら驚くべき敗率を誇っているのです

「いいんです、頭使うことは和葉ちゃんにまかせます」

「もう拗ねないで~」

和葉ちゃんが顔には満面の笑みを浮べながら、私の頭を抱き寄せてグリグリと撫でます


彼女が天野和葉ちゃん……私の大好きな、そして自慢の妹です

和葉ちゃんは、ともちゃんに負けず劣らずの明るさと、同じ遺伝子で出来ているとは思えないナイスバディを持ち、

勉強も学年トップクラスという、私とは似ても似つかぬパーフェクトガールなのでした

そんな和葉ちゃんが、私の目の前で倒れたのは和葉ちゃんが所属するバスケットボール部の試合中のことでした……

その日は、私達の高校の体育館で練習試合が行われていました

試合中、相手ゴールにキレイなレイアップシュートを決めた和葉ちゃんは、チームメイトと笑顔でハイタッチを交わした後、崩れるようにその場に倒れこみました

体育館の2階からその様子を見ていた私は、最初何が起こったのか分かりませんでした

ですが、次の瞬間……胸に走った鋭い痛みで、私は和葉ちゃんに大変なことが起きたことを悟りました

家にいるお母さんに携帯電話で連絡を取り、救急車を呼び、顧問の先生と一緒に丘の上の病院へと行きました

和葉ちゃんはすぐに病院内の処置室に運び込まれ、私はお医者さんの後姿を祈るような気持ちで見つめていたのを覚えています

三十分程が経ち、お母さんが蒼白な顔で病院に現れた頃、処置室からお医者さんが出てきました

「お母様ですか?」

お医者さんは、お母さんに落ち着いた声でそう尋ねられました

お母さんがうなずくと、お医者さんはお母さんをうながして二人で処置質の中へと入っていきました

一緒に行くタイミングを逃してしまった私は、和葉ちゃんのことを案じながら、廊下で待つしかありませんでした


数分後、お母さんだけが処置室から出てきて、私を呼びました

「カズハちゃん、目を覚ましたわよ」

その言葉を聞いた瞬間、今度は私の方がその場に崩れ落ちそうになりました

何とかそれを堪えて処置室に入ると、和葉ちゃんはベッドの上で、テレビの中でしか見たことが無いような酸素マスクを付けて

いつもは見せない弱々しい表情をしていました

「和葉ちゃん、大丈夫ですか?」

私の声はほとんど泣きそうでした

「うん……ゴメンね心配かけて」

「心配しました、和葉ちゃんバスケットの試合中に突然倒れたんですよ」

「そっか、私……レイアップ決めてゆっことハイタッチしたあと、急に胸が苦しくなって」

喋りながら、和葉ちゃんの息づかいはとても辛そうでした

「蓮子ちゃん、和葉ちゃんちょっと疲れてるみたいだから休ませてあげて」

お母さんはそう言った後、私の手を引くと、

「先生それじゃあ、また後で」

そう言って、処置室を出ました

私は、お母さんに手を引かれるまま後を付いていきます

私の手を握るお母さんの手は、夏にも関わらずヒンヤリとしていました

病院の玄関まで来たところでお母さんは私の手を離しこう言いました

「和葉ちゃんね、ちょっと心臓を悪くしちゃったんですって。それでね、しばらく入院することになったの」

私は全身の血が冷たくなるのを感じました

さっきまで……つい一、二時間前まで元気に走り回っていた和葉ちゃんが、まさかそんなに大変なことになっていたとはと

「でもね、大丈夫。先生が言うには、今は治療法もある程度確立されてる病気みたいで、

ちゃんと治せば日常生活に支障がない程度には回復するでょうって」

「そうですか」

私はホッとして、また足腰の力が抜けそうになってしまいました

我ながら気の弱い足腰です

「多分、この先激しい運動は出来なくなっちゃうけど、それでも和葉ちゃんが元気に生活出来るだけで十分よね」

最後に呟くように言ったその言葉は、私にではなく、お母さん自身に言い聞かせたように思えました


とにかく、和葉ちゃんはそれからずっとこの丘の上の病院で治療をしているのでした

一人で、家から離れて、ずっと……


プレイルームに残って、詰め将棋を解くという元治さんと別れて私たちは病室へ戻ることにしました

和葉ちゃんは病室に戻ると、

「あ~、頭使った~。甘いもの食べたい~」

と言って、ベッドに倒れこみました

私がベッドの横のイスに越しかけながら、

「元気そうで安心しました」

と言うと、

「何言ってんのよ。昨日来たばっかじゃない」

と笑われてしまいました

「昨日は昨日、今日は今日ですよ~」

正直なところ、和葉ちゃんの性格を持ってすれば病院だろうとどこだろうと、寂しいということは無いというのは分かっています

それに、今は病状も安定しているので急に容態が急変したりと言うことが無いと言うことも……

ですが、あの日和葉ちゃんが私の目の前で倒れた日、胸に走った痛みを私は忘れられずにいました

「昨日和葉ちゃんが元気だったからと言って今日も元気とは限らない」

そういった思いが私の足を病院へと向けさせているのでしょう

「ん?どうしたの?私の顔に何かついてる?」

ですが、無邪気に笑う和葉ちゃんの顔を見ていると、不安は消え、代わりに何か暖かいものが満ちてくるのを感じました

「何でもありません、和葉ちゃん大好きです」

私は思い切って、和葉ちゃんの上に倒れこみました

「ぐぇっ、いきなりどうしたのレンちゃん?てか私病人だぞ~!」

「そんな元気な病人はいませ~ん」

私たちは二人でゲラゲラと笑いました

後で、看護師さんに怒られたのは言うまでもありません




帰り際、私は一本のビデオを和葉ちゃんに渡しました

「はいこれ、頼まれていたビデオです」

「わぁ~い、ありがと!」

「そのドラマ、ともちゃん達も好きでよく話してるんですよ」

「へぇ~、人気あるんだ?」

「ストーリーが良くってキュンとするらしいです。それとみんなハセジュンがカッコいいっていってました」

「ああ、支倉純でしょ?確かにカッコイイけど私はハセジュンよりも……」

和葉ちゃんは、ベッドの脇に置いてあった雑誌を取り出すと、

「この人だなぁ、菅野智明!」

そう言って若手俳優特集のページを見せてくれました

菅野智明という俳優さんは、主人公のハセジュンこと支倉準の恋敵としてドラマにも登場していますが、

和葉ちゃんが菅野智明のファンだというのは初耳でした

「どうよ?良くない?」

言われて私は写真をマジマジと見つめました

確かに笑顔はとても素敵ですが、カッコいいと言うよりは……

「ねえねえ何とか言ってよレンちゃん」

「落ち着きます」

「へっ?」

「何となく落ち着きます、この人の顔」

「落ち着くって、お父さんの顔見てるわけじゃないんだから、もっとカッコいいとかさぁ」

そんなことを言われても、なぜか写真を見ているとほのぼのしてしまうのですから仕方がありません

それにしても初対面(写真でも言うのでしょうか?)の方を見て落ち着くのはなぜでしょうか?

私は少し考えてある結論にたどり着きました

「ハル君の顔に少し似てますね、だからでしょうか?」

それを言った途端、和葉ちゃんの手に握られた雑誌がバサリと床に落ちました

私は、慌てて雑誌を拾うと和葉ちゃんに渡そうとしたのですが、

なぜか和葉ちゃんの顔は、先ほどのハル君のように赤くなっていました

「あの、どうしたんですか和葉ちゃん?熱があるんですか?」

心配になって、私は和葉ちゃんのおでこに手をあてました

すると明らかに体温があがっているのが分かりました

「大変です、ナースコール……」

「ちょっと待って!」

「……和葉ちゃん?」

「大丈夫だから……熱じゃないから……何でもないから……」

和葉ちゃんは私の腕を掴んだまま俯いてしまいました

「あははははは、ちょっと興奮して熱くなっちゃったみたい、あ~、熱い」

和葉ちゃんはそう言っていましたが、室内の空気はエアコンで少し肌寒く感じるくらいでした

「あ、ほらもう五時だよ。お母さん待ってるだろうし、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」

言われて時計を見ると、時刻は五時を五分ほど過ぎた辺りでした

「ゴメンなさい、あんまり長居するつもりじゃなったんですが」

「いいって全然。ていうか来てもらってるの私のほうだしね」

私は鞄を取ると、イスから立ち上がりました

「それじゃあ、和葉ちゃん。また来ますね」

「ありがと、でも毎日じゃなくていいからね!」

私は小さくバイバイをして病室を後にしました


できるだけ毎日連載していきたいと思います

ご感想などありましたら、是非お気軽にどうぞ(辛口歓迎です)

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