婚約者といちゃつく女騎士が「私って中身男だし、気を遣わないで」と言うので、本人の希望を伝えました
「初めまして、ダンケンの婚約者さん? 私とダンケンはただの仲間! そんな疑われるような仲じゃないって。私って中身男だからさ、男といるほうが性に合っているだけなんだよ」
サラの婚約者と浮気している女性にそう言われたとき、サラは故郷にいる母の言葉を思い出していた。
※
「いいことサラ。王都ではドレスが女の鎧なのよ。剣ではなく言葉を使い、相手を攻撃するだけでなく、自分を守るのよ。それが分からなくては、王都で暮らせないわ」
辺境の地を治めるエストラ家の娘サラシェーナは、母からの言葉を着替えるたびに噛み締める。
自室にある姿見に映る、紫の瞳と目が合う。
鎧を身につけていた、かつての姿とはほど遠い自分の格好を見て、サラは労るように頷く。
銀糸のような長く美しい髪、丁寧に化粧された色白な肌。ドレスはレースと刺繍が施された流行の煌びやかなもの。
魔物から取れる貴重な魔石を使ったネックレスも誇らしげに輝いている。
つけいる隙のない完璧な貴族の令嬢の格好だ。
「ご苦労だったわね。では出かけましょう」
サラの身支度を担当した使用人に声をかけて屋敷を出る。
国境にある辺境伯エストラ家のサラと、王都を守護する騎士団長の甥ダンケンとの婚約が成立したのは半年前。
国境と王都間の軍事的な交渉が円滑になるように意図された、国の政略的な縁組だ。
サラの辺境伯家とダンケンの侯爵家。家柄の釣り合いもとても良かった。
そこにサラの意思は関係ない。貴族の娘として忠実に従うしかなかった。
生まれ故郷を出て、王都にある親類の屋敷に滞在しながら国立学院に通う。
午後には王宮で侍女として王妃の下で仕えていた。
忙しいが、全て嫁入り修行のためだ。
王都の女性は家に入り夫に従うのが常識なので、結婚までに辺境の地とは違う王都での慣習を学んでいた。
でも、本日は別件で婚約者ダンケンに会いに行かなければならない。
王宮で忠告されたのだ。
「サラ、あなたの婚約者の噂を聞いたのだけれど、あなたは把握していて? あら、知らなかったの? 同僚の女騎士とおかしなことになっているわよ」
だから、それを至急確認しなくてはならなかった。
「リヒタ卿、今日はわざわざ付き合ってくださって感謝いたします」
「いえ、蒼髪の乙女であるサラ様のお供ができるのは光栄ですからお気になさらず」
騎士団の中を案内してくれるのは、幼馴染カルシュター・リヒタだ。
サラの隣の領主の末息子で、美形の彼と小さい頃から交流があった。
彼の明るい金髪とグレーの瞳は、北方地方によくある色彩だが、色素の薄さはサラと同様に南方の王都では少し目立っていた。
彼もまたサラと一緒に王都に来て、彼は騎士として王宮で勤めていた。
彼が口にする二つ名はもはや過去の話だ。でも、忘れずにいてくれるのは嬉しかった。
サラたちは騎士団の屋外の練習場に到着し、物見台の上に立って遠くから婚約者の姿を探す。
「あら、ダンケン様を見つけたわ。ほら、あそこ」
持っていた扇子で、指し示す。
「よく見えますね」
「遠くでも、あの方の動きは特徴的だもの」
「ああ、彼の癖ですか。なるほど」
「あら、練習が終わって戻ってくるわ」
ぞろぞろと騎士たちが施設に戻ってくる。
練習は男女混合で行われていたので、多くの男子たちに混じって若干名だが女子も一緒にいる。
その中で、一組の男女が仲睦まじく、お互いの身体にタッチしながら、楽しそうに何か話しながら歩いているではないか。
しまいには、女性が男の胴体に両腕を回して勢いよく抱きついていた。
二人は移動とはいえ、まだ仕事中のはずだ。なぜ恋人のような戯れを見せつけられているのだろうか。
そのくらいの距離感だ。
騎士同士の仲が良いのかと思えば、彼ら以外にそこまで接触している人たちはいない。
お互いに適切な距離を取っていた。
つまり、彼らだけ浮いていたのである。
騎士たちは厳しい規律と規則に従い、礼節を重んじ、立ち振る舞いも品のあるものを求められる。
断じて勤務中に見せる振る舞いではなかった。
サラは眉をひそめる。
男の健康的に日焼けした肌。彼の褐色の髪は、他の騎士にもよく見られる。
男が近づくごとに、見知った顔が確認できる。
やはり婚約者のダンケンだ。
彼は騎士団の中でも評判な剣の使い手らしい。逞しい身体は、遠くからでも見て取れた。
「まさか噂は本当だったなんて」
半年後の結婚式の準備も進んでいる中での発覚。
サラは胸に生じたどす黒い気持ちを抑えきれず、持っていた扇子をへし折っていた。
※
ダンケンたちは昼休憩に入ったので、食堂に向かっていた。
サラたちがその様子を観察すると、ダンケンは先ほどの女性と隣同士に座っていた。
やはり、ダンケンと女性は会話のたびにいちいち触れ合っている。
騎士として相応しくないだけでなく、サラという婚約者がいる態度ではない。
サラは文句の一つでも言おうと、彼に近づく。
「ダンケン様」
「サラ! なんで君がここにいるんだい!?」
ダンケンはサラを見て目を丸くして驚いていた。
「あなたの噂を聞いて確認しに来たんです。そちらの女性と随分親しげにされているようですね」
サラは彼の隣に座る女性に視線を送る。
彼女も南方によくある色黒な肌に黒髪をしている。伸ばした髪を一つにまとめていた。
彼女もキョトンとした顔でサラを見上げている。
「ああ、そうなんだ。サラ、紹介しよう。同僚のアンナ・セラスだ。彼女は先月俺がいる隊に入ってきたんだ」
「初めまして、セラス嬢。私はサラシェーナ・エストラよ。ダンケン様は私の婚約者なの。節度を持って接していただきたいわ」
サラの忠告に対して、アンナは破顔して大きな笑い声を上げる。
「え、マジで誤解されてる!?」
ゲラゲラと大口を開けて品なく笑う。
「初めまして、ダンケンの婚約者さん。私とダンケンはただの仲間! そんな疑われるような仲じゃないって。私って中身男だからさ、男といるほうが性に合っているだけなんだよ」
悪びれもせずに女性は言い放ち、ダンケンと顔を見合わせて、「ねー」と笑いながら頷きあう。
「ダンケンと浮気だなんて、ドン引きだよ」
「そうだ。アンナを女扱いしたことないぞ」
お互いの顔をグリグリと突き合う。
その様子を見て、サラのこめかみがピクリと痙攣する。
他人の婚約者を呼び捨てにして、目の前で戯れ合うのだ。
無神経にもほどがある。
愛人を持つ男性も世の中にはいるが、決して人目に触れないようにする。
妻に対して最大限の配慮があってのことだ。
だから、ダンケンのように公然の場で浮気を疑われるような行為をした時点で、サラへの侮辱行為になる。
妻となる女性をぞんざいに扱ったとみなされるからだ。
つまり、サラの背後にいるエストラ家まで軽んじていることになる。
サラは国に命じられて婚約している。
自分に課せられた役目を忘れてはいなかった。
でも、アンナの言葉がサラの心に引っかかる。
「中身が男ですって?」
「そうなんだよ! サラさん! 女として気を遣われるのが嫌っていうか。その点、ダンケンは私のことを男として接してくれるんだよ」
「そうだ。アンナの言うとおり、俺は彼女を男騎士として接しているんだ。変な勘ぐりはよしてくれ」
ダンケンまでアンナの言葉の尻馬に乗る。
「では、あなたを女性として気を遣う必要はないと?」
サラの確認にアンナは「それそれ」と嬉しそうに反応する。
「女同士の言葉のあげ足をとるような陰険な付き合いって、すげー嫌でさ。神経すり減らしてハゲちゃいそうになるんだよね。だから、安心してよ」
「分かりました。あなたたちは男同士の付き合いということですね」
「うん、そうなんだよ。ダンケンの婚約者、すごく話が分かる人だね。良かったね、こんな人と結婚できて。お人形みたいに可愛らしいだけの人に騎士団長に目をかけられているダンケンのお嫁さんが務まるのかと心配してたけど、そんなことはないみたいね?」
「私はあなたに心配される立場ではないですわ。口の聞き方に気をつけなさい。次はないわよ」
セラス家は、サラの家より格下で、国が命じた婚約に口を挟める地位にはいない。
言葉で売られた喧嘩は、言葉で買い取ることにする。
サラはアンナを冷たく見下ろす。
「おい、俺の同僚の軽口くらいで目くじらを立てるなよ。感じ悪いぞ」
「そもそも失礼な発言をしなければいいだけでは?」
「はぁ、公式の場でもないのに堅苦しいことばかり言うなよ。君との先が危ぶまれるな」
「あなたとの婚約は国の命令です。やる気のない発言は問題とみなされますよ」
「だから、そういうところを改めろって、言っているんだ!」
語気を荒らげるダンケンに眉をひそめる。
「私は環境が全く異なる遠方から来て、王都の生活に慣れようと努力しております。その点、あなたは何か私に対して歩み寄ることはしてくださいましたか? 国境との連絡役として命じられる予定ならば、少なくとも辺境の地で私がどのように過ごしていたのか婚約してから半年も経っているのですから知っていてもおかしくはないと思うのですが」
「辺境との連絡役は君の仕事だろう? 次期団長だって期待されている俺と婚約できて、ちょっと調子に乗っているんじゃないか?」
「ダンケンと結婚しても、彼女が偉くなるわけじゃないのにねー。ウケる」
二人との会話が無駄のように感じる。
「では、用は済みましたので、失礼しますわ」
サラは相手の返事を待たずに踵を返す。
お供のカルシュターだけが、サラに黙って従ってくれた。
サラは大人しく引き下がった訳ではない。
浮気にしか見えなかったが、相手の言葉の真意を試すため、あることを然るべきところに伝えたのだ。
※
アンナは騎士団長の執務室に一人だけ呼び出しをくらう。
「セラス嬢、君はダンケンの婚約者であるエストラ嬢に自分は女性としての配慮は不要だと言ったそうだが、本当かね?」
「え、ええ、そうですが」
アンナは答えながら以前会ったサラを思い出し、腹を立てていた。
告げ口みたいな真似をしやがって。
思わず舌打ちをしたくなる。
アンナは昔から女性らしい慎みや、お淑やかとは無縁だ。
がさつで思ったことはすぐに口に出し、同じような雑な男とつるむほうが楽だった。
ノリで男友達と一夜を共にすることはあっても、あくまでその場限りの付き合いで、関係を引きずることはなかった。
ダンケンとも似たようなものだ。
ただの身体の関係で気持ちなんて、何もない。
浮気は、妻以外を好きになって、気持ちが浮ついたことを指すから、アンナとダンケンとの関係は違う。
遊びだと互いに割り切っていたから、面倒くさい関係ではないとサラに伝えたはずなのに、箱入りの令嬢は理解してくれなかったとうんざりする。
「それなら、君の言葉どおり、そのように所属先に通達しておく。話は以上だ」
「は、はい」
もっと色々説教されると思っていたので、アンナは拍子抜けする。
サラを一瞬誤解して恨んだが、実は彼女はアンナに便宜を図ってくれたようだ。
なんだ。話が分かる婚約者だったんだ。
ダンケンのことは私に任せろって。
変な女と付き合うより、私のほうが後腐れがなくて楽だって。
アンナは安心して執務室から退室した。
ところが、翌日の訓練から状況が変わる。
「君の筋トレメニューは女子用ではなく、男子用だからな。こっちへ来い」
部隊長に指示される。
「どうしてですか? そんなキツイ回数、無理ですよ」
「君は配慮は不要だと言ったそうだね? 前から風紀を乱す君たちのことをどう処罰しようか上で話があったんだが、君の主張通り君が男として振舞っていたのなら処罰の対象ではないという回答だぞ」
それを言われたら、アンナはやるしかなかった。
アンナは渋々筋トレを始めるが、やはり普段の回数を超えると身体が限界を迎えて筋肉が悲鳴をあげる。段々と一回をこなすのも難しくなっていく。
「終わるまで次に行けないぞ!」
容赦ない叱責と、未達成の罰則まで課される。
騎士団は、軍の組織。体調不良以外で訓練についていけない者は、適性なしとみなされて容赦がない。
こんなのひどい! やっぱり告げ口をしたあの女のせいだわ!
悪夢のような訓練が終わり、同僚の女騎士に今回の愚痴を言うために近づく。
「ねぇ、聞いてよ」
「いい気味ね」
発言を遮るように吐き出された相手の声の冷たさに驚く。相手は眉を顰めてアンナを見ていた。
「目に余っていたのよ、あんたたち。職場内で男勝りを男漁りの言い訳にしてさ。同じ女のこっちは、いい迷惑していたのよ。やっと上が動いてくれて、せいせいするわ」
「なっ、何よ、あんたに迷惑はかけてないでしょ!」
ムッとして反論するが、周囲の女性たちはアンナを冷たい目で見下していた。
「な、何よ。やっぱり女はつるんで陰険だよね」
「みんな前から不満に思っていただけよ。別にあんたがどこの誰と寝てもいいけど、職場では止めてよ。前は上も黙認していると思ったから、我慢していただけ」
「あんたの相手が、騎士団長の甥っ子で、お気に入りだったし、下手なことを言って、こっちが痛い目に遭いたくなかっただけ」
「そうよ。彼の婚約者まで見下してさ。調子に乗り過ぎよ。態度を改めて、さっさと婚約者に謝ってきたら?」
アンナは腹が立つあまり、何も言い返さずに立ち去った。
翌日の身体はぼろぼろで、辛くて仕方がないが、訓練は本日も行われる。
負荷をかけた走行訓練も男性並みの重さを持たされて、アンナはとうとう膝をついて立てなくなる。
そして、さらに追加される罰則。
アンナの心はすぐに折れた。
「ダンケン、あんたの婚約者のせいで嫌がらせを受けてるんだから、なんとかしなさいよ!」
「は? アンナが男と同じ扱いでいいって言っていたから問題ないと思っていたぞ?」
「いやいや、言葉どおりに受け取りすぎでしょ!? しかも、私が男と同じ訓練をしないと、私たち処罰されちゃうのよ! なんとかしなさいよ!」
「いや、でも、騎士団長の伯父の命令には俺でも逆らえないよ」
「それなら、あんたの婚約者をどうにかしなさいよ! 元はと言えば、あの女のせいでしょ!」
「確かにそうだな。よし、サラを叱って反省させるか。俺が脅せば、ビビって泣き出すだろ」
「ほんと、よろしく頼むよ。このままじゃ私、ついていけなくて騎士団を辞めなきゃならないよ」
「よし、分かった。俺がなんとかするまで、仕事を休んでいろ」
「あいよ」
アンナはやっとこれで安心できると思っていた。
※
「俺に対するあてつけか!? アンナを酷い目に遭わせて!」
それは国王陛下主催の舞踏会にサラが参加したときだ。
迎えにくるはずのダンケンが、サラが滞在している屋敷に来なかったので、サラが一人で王宮を訪れたところ、彼に出会った開口一番で怒鳴られたのだ。
ドレスで綺麗に着飾ったアンナを隣に同伴して。
でも、二人は以前のようにくっついていない。前よりもなぜか距離がある。
「なんのことですか?」
サラは彼が話す酷いことの意味が上手く掴めなかった。
閉じた扇子の先を顎に添えながら、少し首を傾げる。
すると、ダンケンはさらに顔を歪める。
「アンナに男騎士と同じ訓練を強要しただろう! 女性にはきつい訓練をさせるのは嫌がらせ以外なにものでもない! 彼女が騎士団を辞めざるを得ないようにしたくせに!」
「本当、酷いよ。サラさん、そんな陰険なことをするなんて。上司にチクるなんてさ」
確かにサラはアンナについて騎士団長に進言していた。
「あら? それは彼女は中身が男性で女性として気を遣われたくないと言っていたからですわ。それをそのまま団長にお伝えしただけです」
女性としての配慮は不要だとサラは言ったのだ。
アンナの主張どおりに。
「それは気持ちの問題だ! 身体は女性なんだから、配慮は必要だろう!」
「そうでしたか。あなたと恋人みたいに触れ合って浮気ではないと言うので、女性として配慮は不要というのは、彼女の本心だと受け取っていましたわ。辺境の地では男性と同じように訓練する女性もいたので。それに、私の勘違いだったとしても、彼女が女性に対する配慮が必要だったのなら、改めてそう上に説明すればいいのですわ。何か上に言えなかった事情でもあったんですか?」
サラとしては、一旦彼女の言い分を信じたのだ。
中身男だと。
それに、「女性としての配慮は不要だ」と彼女が話していたと騎士団長には伝えたが、実際にその配慮をやめたのは騎士団長だ。
具体的にサラが何か指示したわけではない。
彼にも思うところはあったのではないだろうか。
サラの反論にダンケンとアンナは一瞬だけ図星を突かれたような気まずそうな表情を見せる。
「なんてひどい言い草だ! 君は騎士団の大変さが分からないくせに、騎士団のことに口を出さないでくれ!」
「騎士団の大変さが分からないですって?」
ダンケンがサラの住む辺境の地について、何も理解していないと分かる愚かな台詞だ。
いい加減にしてほしい。
心底うんざりする。
「辺境の地の状況を何もご存知ないのね。自分の無知を棚上げして私を責めるのはお止めになったら?」
「家を守るだけの女性が偉そうに男に口ごたえするな! こんな態度では、君との婚約を考える必要がある」
「あなたが私との婚約を考える? 道理も分からないとは、本当に騎士団長はこんな甥をもって大変ですわね」
この婚姻はダンケンの意思で結ばれたものではない。国が命じたものだ。
こんな陛下主催の舞踏会で多くの参加者たちがいる前で、その婚約について異議を唱えるなんて、本当に理解できなかった。
「陛下の命令には従うつもりだが、君ではその役目は無理だと言う話だ! 君のような酷い女性は誰だってお断りだ! 婚約者を変えてもらうように陛下に願い出るつもりだ!」
「あら、そうですの。このような衆前で婚約破棄された私は、もうあなたとは関係ないということで、お好きになさったら?」
「ふん! 後悔するがいい!」
ダンケンは鼻息を荒くして、サラの前から立ち去る。そのときに彼の後に続くアンナから去り際に睨みつけられた。
「君のような酷い女性は誰だってお断りだなんて、そんなことはありません」
低い声が背後から聞こえて振り向けば、そこにはカルシュターがいた。
彼も着飾って参加していたようだ。
「サラ様は素晴らしい女性です。陛下のご命令さえなければ、私があなたに求婚していたでしょう」
どうやらカルは面前で婚約破棄されたサラを慰めてくれているようだ。
「あら、私が独り身になったら、ご厚意に甘えてリヒタ卿に引き取ってもらおうかしら?」
クスクスとサラが軽口を叩くと、カルはとても瞠目する。それから満面の笑みを浮かべた。
「本当ですか!? 大変光栄です。ではさっそく手続きをしてきます」
カルはサラの目の前で跪くと、サラの手をそっと取り、手の甲に親愛の口付けを送る。
その流れるような動きに、サラは思わず見惚れて、されるがままになっていた。
「サラ様、以前からお慕いしておりました。私の領地で魔物に襲われたとき、助けに来てくれたあなたがとても輝いていました。あのときのあなたの青い髪が、まだ脳裏に焼き付いています」
突然のカルからの告白にサラは驚きすぎて頭が真っ白になる。
サラが見守る中、カルは立ち上がり、そっとサラに耳打ちする。
「私と踊っていただけますか?」
サラはコクコクと頷くことしかできない。
嬉しそうなカルの手に引かれて、サラは何曲も彼と一緒に踊ることになる。
「あなたは強いだけでなく、美しい。私の心を常に惹きつける」
「あなたと最初に踊れるなんて夢みたいだ」
「このままあなたから離れたくない」
彼から情熱的な言葉を次々とかけられて、彼の求婚がその場限りの慰めではなく、かなり本気だと分からされていく。
「あなたがその気なら、私からも陛下にお願いするわ」
価値観が似ている彼となら良い夫婦関係を築けると思ったからだ。
それに彼からの熱愛をサラ自身も喜んで受け入れていた。
ときめく胸に心が弾んでいた。
思っていたより、彼を好きだったようだ。
そう気づいたのだ。
そのあと、サラは職場の上司である王妃にしっかりと挨拶してから、カルと二人で王宮を後にした。
※
「なんで君がここにいるんだ!?」
ダンケンの声に元婚約者のサラが振り向く。
ここは騎士団の練習場だ。
他の騎士たちと共にサラが交じって訓練していたのだ。
皆と同じ訓練用の格好で地味なズボンをはいている。それでも彼女の銀髪は、遠目でも目立つので、すぐに気づいた。
ダンケンとは別の所属だから、彼女がいたのを知らなかった。
「先日から、ここに配属になったんですよ。ちなみにヒラのあなたよりも地位は高いので、言葉遣いには気をつけてください」
「俺は何も聞いてない!」
ダンケンはサラの説明を信じられなかった。
騎士団長の伯父がいるので、元婚約者のサラが騎士団に異動してきたら、ダンケンは自分に話があるはずだと思っていたからだ。
「この騎士団の規則では、上官に不敬を働いた場合、どう処罰するのが慣例なのかしら?」
「ふざけるな! 何が上官だ。俺に婚約破棄されたのが、そんなにショックだったのは分かるが、俺にまとわりついて騎士団にいられても迷惑だ! そもそも君のようなひ弱な女性が騎士団でやっていけるわけがないだろう!」
サラの言動が非常に不快だった。
彼女が上官だなんて、ありえない。
粗雑なアンナとは違い、綺麗に着飾ったサラは深窓の令嬢そのもので、力仕事とは全くの無関係だ。
そんな女性が騎士団の役職に就くはずがないのだ。
先日、舞踏会でダンケンが予告したとおり、サラとの婚約は特に問題なくなって、ダンケンは重しがとれたような気分だったのにサラのせいで苛ついてくる。
サラのように男に反論するなんて論外で、男を見下すような発言は令嬢としてもっとありえない。
「私がひ弱ですって? それは私に対する侮辱ですわ。撤回してください」
「君が男に勝てるわけがないだろう!」
「では撤回しないと?」
「必要ない」
馬鹿にしたように嗤うダンケンにサラはとうとう激怒した。
「それなら決闘です。私と勝負なさい」
そのサラの言葉にダンケンはおかしくて思わず吹き出しそうになる。
騎士団の中でも上位の剣の使い手と言われるダンケンに挑むなんて、愚かとしか言えないからだ。
「ふん、怪我をしても知らないぞ! それでなくても婚約破棄された傷物として嫁入り先などなさそうなのに」
「破棄はしましたが、あなたの有責ですよ。ほら、やるわよ。誰かダンケンに武器を渡しなさい」
「はい、これをどうぞ」
サラの命令に真っ先に動いたのは、彼女と同郷のカルだ。
彼はダンケンに練習用の木剣を渡してくる。
「アンナの件もある。泣いて詫びるといい!」
ダンケンは、先制攻撃と言わんばかりに速攻で駆け寄り、剣を大きく振り上げ、サラに向かって勢いよく振り下ろす。
「喰らえ!」
男の攻撃を受けたら女性なら太刀打ちできない。そうダンケンは思っていた。
ところが、予想外な衝撃を受けて、ダンケンは気づいたら地面にひっくり返っていた。
一体、何が起きたのか分からなかった。
「泣いて詫びるなら許してあげてもいいわよ」
ダンケンの発言を揶揄しながら、上から見下ろすのはサラだ。
なぜか彼女から威圧を感じる。
ゾクリと危機感を覚えたのは気のせいだ。
「ふざけるな! 今のは手加減してやったんだ!」
痛む身体を気合いで無理やり起こしてダンケンは再びサラに挑む。
でも、なぜか簡単にあしらわれる。
今度は剣を飛ばされた。
「嘘だ、この俺が女に負けるなんて……」
ようやくダンケンはサラとの力量の差を認めざるをえなかった。
サラはダンケンを睨みつけてくる。
「辺境の地は、女子供でも剣を学ぶのよ。なにしろ魔物の襲撃が日常なんですから。街の外に出て油断したら、翼のある魔物に捕まって持って行かれることもあるのよ」
「確かに辺境の地は魔物が生息する魔の森が隣接していて、大変だと聞いていたが……」
「ええ、そうですよ。でも、あなたはどんなふうに大変か、知ろうともしなかったですね。交渉を任されたにもかかわらず。常に魔物と接する辺境伯の騎士団と、訓練ばかりで実戦経験の少ない王都の騎士団。力の差が出るのは当然でしょう。解消となった縁組は、それを改善するためでもあったんです。国境と王都間の軍事的な交渉を円滑に行うためのものと言われていましたが、実際は両軍の軍事的な交流も今後計画されていたんです。あなたはその役目を放棄したとみなされて、随分評価を落としたと気づいていますか?」
「いや、そんなこと……」
聞いてない、と言おうとしたが、言われた気もしていた。
確かに軍事的な交渉を円滑に行うためのものと説明されていた。
色々派遣や交流も予定していると。
だが、社交辞令程度にしか受け取っていなかった。
ただ単に、辺境伯の娘との婚姻は、次期騎士団長と言われたダンケンの箔をつけるためのものだと思っていた。
だから、サラが男のように剣を振るっていたなんて知らず、普通の令嬢のように男に従うものだと思い、いちいち男に口答えするサラが許せなかったのだ。
「俺はそんなに深刻だったなんて知らなかったし、そもそもそんな大事な役目だったとは思わなかったんだ!」
ダンケンの言い訳にサラは呆れたようにため息をつく。
「今さら知らなかったと、被害者ぶらないでください。婚約者だった私のことを知ろうともしなかった、あなたの行動と結果が全てです。あなたと婚約破棄した後は、私とこちらにいるカルシュターの二人で、軍事的な交流を進めていくことになったんですよ。そのため、まずは私も騎士団に入って、一緒にやっていくことになりました。いい加減、事情が分かったら、口の利き方に気をつけてください」
「申し訳ございません……」
ダンケンは謝るしかなかった。
サラの説明におかしなところがなかったからだ。
これ以上、サラに歯向かって、さらに状況が悪くなったら困ると考えたからだ。
「今回は見逃します。でも、次はないと思いなさい」
「はい、肝に銘じます」
とにかく、騎士団長である伯父に話を聞こうと、それだけを考えてサラに頭を下げていた。
もしも彼女の話が嘘だったら、そのとき反撃すればいいだけだ。
伯父から何も話を聞いていなかったので、ダンケンはまだ期待していたのだ。
しかし、伯父の冷たい態度で、ダンケンは現実を知る。
「私の顔に泥を塗って、よくもおめおめと顔を出せたな。恥を知れ!」
騎士団長の執務室を訪れたら、ダンケンは伯父に真っ先に怒鳴られた。
「申し訳ございません。辺境伯の女性があんなに強いとは知らずに……」
「色々問題はあるが、そもそもお前が浮気をしたのが大問題だ! 王命だったのに、この馬鹿者が!」
「浮気なんて、してません……」
なぜ伯父にアンナとの関係がバレているのかと焦り、咄嗟に誤魔化そうと否定していた。
「見え見えの嘘をつくな! 目撃者が多数いるんだぞ! 愚か者め! 国境を死守する辺境伯とご縁ができる貴重な機会だったのに、全部台無しにして! あれほど辺境伯に失礼な真似をするなと言ったのに。騎士団内の風紀まで乱すとは、許しがたい。身内だからこそ厳しく処罰する! 一生下働きでいろ!」
「そ、そんな……」
確かに伯父には言われていた。
辺境伯に失礼のないようにと。
でも、サラはダンケンの妻になるのだから、ダンケンに従うのが当然だと思っていたのだ。
そもそもそれが間違っていた。
彼女を立て、彼女に意見を求め、彼女から辺境の地の情報を教えてもらい、国境の防衛についてダンケンは知らなくてはならなかった。
今さらになって、サラの言葉が思い出される。
「あなたは何か私に対して歩み寄ることはしてくださいましたか?」
ダンケンは何もしてなかった。
だから、サラは文句を言ったのだ。
ダンケンが役目を果たさなかったから。
彼女の言い分は全て正しかったのだ。
※
今日もサラは王都の騎士団で訓練をしている。
部下たちを指導し、順調に辺境の地へ派遣する人材を選出している。
人数や滞在期間、予算などを計上し、書類を作成して財務担当に提出する。
やりがいのある仕事だ。
国王と王妃の両陛下は、サラとダンケンとの婚約を破棄させ、サラたちの希望どおりカルシュターとの婚約を認めてくれた。
彼の家の爵位は伯爵で、サラとの釣り合いは問題なく、今は王都に勤める騎士だ。
サラとカルの二人で王都に住みながら、辺境の地との交渉と交流を進めていく話になった。
サラがいきなり騎士団の中で役職をもらえたのは驚いたが、辺境の地でも騎士団を率いた経験のおかげで、それほど仕事には苦労していない。
辺境の地では、魔物に男女問わず襲われるので、性別に対して配慮など全くなく、能力だけで騎士団の地位は決まる。
その中でサラが部隊長を務めた経験をカルが陛下たちに進言してくれたのだ。
しかも夫婦で携われば、辺境に住む女性の認識も王都ですぐに広められる利点を述べたのだ。
また、結婚後も女性が騎士として勤められれば、慢性的な女騎士不足を解消できると。
カルと同じ所属になったので、元々同僚たちが彼の強さを認めていたのもあり、サラの実力もすんなり受け入れてくれたのも大きい。
「サラ様は、私がいた伯爵家の騎士団を救ってくれた救世主なんです。大量の魔物たちに囲まれて絶体絶命のとき、サラ様率いる騎士団が魔物を薙ぎ倒しながら活路を開き、助けてくれたのです。まさに九死に一生を得ました。そのとき、魔物の返り血を浴びてサラ様の銀髪が青く染まっていたので、蒼髪の乙女という二つ名がついたのです。サラ様の武勇伝は辺境の地では有名で、サラ様に喧嘩を売るのは、命を捨てるのと同義でした」
カルの熱い語りに騎士団の部下たちは少し引き気味だ。
でも、元婚約者のダンケンをコテンパンに負かした実力は本物だと理解してくれたみたいで、以前よりも親しくなった気がする。
元婚約者のダンケンとアンナは、あのあと騎士団を辞めたらしい。
国の命令をこなせず、ダンケンを推薦した騎士団長の面目を潰し、将来の道を絶たれたと気づいたからだろう。
辺境側のサラとカルの二人が王都の騎士団の指導を行うので、辺境側の騎士団が主体となって話を進めていく。
そのうち、王都の騎士団は、サラたち辺境側の派閥が幅を利かせることになるだろう。
ダンケンと婚約したままだったら、王都側の騎士団の面目は守られたままだったのに。
ダンケンが騎士団長の伯父に責められ、立場を失くしたのも当然だった。
王妃から聞いたが、騎士団を辞めたアンナも社交界では干されて、どこにも就職先や嫁入り先がないようだ。
国が命じたサラたちの婚約をダメにさせ、ダンケンに言い寄った口実として中身は男だと口にしたせいで、王都では非常識だとみなされたのだ。
あのとき、サラがアンナが言う中身が男だと一旦は信じたのは、サラ自身が男として生まれたらと願ったことがあったからだ。
女性でなければ、王都に嫁ぐ命令を受けて剣を捨てることなく、生きていけたのに、と。
ダンケンの婚約者になったとき、彼の面目を守るために王都の女性になるべきだと思い、その価値観に素直に従ったが、常に昔と比べてしまうときがあった。
だから、アンナのように中身男だと話す彼女をすぐに否定できなかった。
本当に彼女が男としての生き方を希望しているなら、それを叶えてあげたかったのだ。
それは本心だった。
でも、結局アンナは、自分の都合の良いように中身男だと、言っていただけだった。
全ては自業自得だから、あとで苦労しても知ったことではない。
国の防衛のためにサラは今日も自分に課せられた職務に励む。
自分が望んだ姿を実現できたのだ。
こんなに素晴らしい結末がないくらいサラは満ち溢れていた。
これも全部カルのおかげだ。
サラの隣にいるカルがありのままの自分を受け入れてくれる。
サラの価値観を全否定したダンケンがいたからこそ、より彼の存在のありがたさが分かる。
「あのとき、私が命懸けでカルを助けに行ったのは、大事な幼馴染を失いたくなかったからよ。あなたが生きていてくれて本当に良かったわ。王都についてきてくれただけでなく、婚約破棄されたとき、貶められた私を救ってくれたのは、カルあなたよ。あなたがいなければ、私は別の男性と婚約させられて、きっと今の私でいられなかった。どうかこれからもよろしくね」
サラが礼を言うと、カルは感極まったのか目に涙を浮かべる。
「今のあなたがあるのは、あなたのこれまでの功績のおかげですよ。命を救われたご恩を返すために、あなたについて王都に来ましたが、まさか初恋が実るとは思ってもみませんでした。こちらこそ末長くよろしくお願いします」
そう話すカルの表情はとても幸せそうで、サラはそんな彼がますます好きになった。
《完》
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