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恋愛掌篇小説集  作者: 髙橋P.モンゴメリー


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2/5

君のこと

編集さんから「掌篇を一本ください」と連絡が来たとき、最初に思いついた言葉がそれだった。


 ――君のことを書こう。


 だけど、「君のこと」という題名のまま送るのは、いささか図々しい気もした。 世界には「君」が多すぎる。読み手の数だけ、違う「君」がいる。

 それなのに、わたしが思い浮かべている君は、あのベージュのコートを着た、ただ一人の君だけだ。


 最初に会ったのは、図書館だった。 小さな市立図書館の、二階の窓際。

 君は文庫本を片手で開きながら、もう片方の手でノートパソコンのキーボードをたたいていた。

 本を読みながら、文章を書く。

 その無駄のない動きが、なぜかとてもかっこよく見えた。


 しおりを落としたのは、わたしだ。 ページのあいだからするりと床に滑り落ちたそれを、君が拾ってくれた。

 細長い紙切れには、喫茶店のロゴマークが入っていた。


「ここ、好きなんですか」


 君がそう訊ねるから、わたしはうなずいた。

 それだけの会話で、その日は終わった。


 けれど一週間後、同じしおりが、わたしの本のあいだから消えていた。

 代わりに、似た色合いの、少し厚みのある紙が挟まっていた。


 ──このしおりの店、コーヒーがおいしかったです。

 ──もしよければ、今度、別のおすすめも教えてください。


 震えそうになる指先で、その紙をもう一度読んだ。 紙の端には、小さく名前が書いてある。

 それが、君の名前との最初の出会いだった。


 その日から、わたしたちは「紙」で話し始めた。 図書館では声を出せないから、ノートの端や、しおりの裏、貸出レシートの余白。

 わたしが好きなエッセイのタイトルを教えると、君はそれを読み、次の週には感想を書いてくる。

 君がおすすめのミステリを挙げると、わたしは犯人を外し、そこにへこんだ顔文字を描き添える。


 文字のクセから、君の性格を想像した。 きれいにそろったひらがな、ところどころ急いだみたいに流れる漢字。

 迷って、でも最後はちゃんと決める人なのだと、勝手に結論づけた。


 あるとき、君がこう書いた。


 ──文章を書くのが仕事なんですか?


 わたしは少しだけ迷ってから、 ──まだ「なりたい」と思っているだけです

と返した。

 すると翌週、君からの紙には、短い一文だけが書かれていた。


 ──じゃあ、いつかわたしのことも題材に、小説を書いてください。


 そのときは冗談だと思った。

 だからわたしも、冗談みたいに返した。


 ──そんなに面白い人間じゃないですよ?


 ──面白くなくていいです。わたしの日常は、わたし以外書けないから。


 読み終えた瞬間、目の奥が少し熱くなった。

 その紙をどこかにしまい込んでしまう前に、胸の奥に刻みつけるみたいに何度も読み返した。


 それから一年後、わたしは街を出た。 仕事が決まり、ばたばたと引っ越しをし、図書館に通う時間は消えた。

 あの窓際の席も、君の横顔も、意識的に思い出さないようにした。


 なぜかというと、思い出してしまうと、その続きがまったく書けなくなるからだ。

 君のことを題材に、どんな物語を作っても、現実に追いつけない気がした。


 それでも、夜更けになると、机の引き出しを開けてしまう。 あのときの紙切れたちが、きちんと束ねられて眠っている。

 一枚めくるたび、薄いインクの線から、君の声が立ち上がる気がした。


 ──わたしの日常は、わたし以外書けないから。


 ならば、君が書いた君自身のかけらたちを、わたしが拾い集めて並べるのは、反則ではないだろうか。

 そんな言い訳をしながら、この短編を書いている。


 君の好きだったミステリ作家の名前。 君が「人生で一番おいしかった」と言っていたチーズケーキ。

 雨の日は必ず持ち歩いていた、黄色い折りたたみ傘。

 それら全部を、わたしは紙の上に並べ直していく。


 本当は、ここに君のフルネームを書きたい。 どこの街のどこの図書館かも、正確に描写したい。

 でも、それをしてしまうと、この物語はただの記録になってしまう気がする。


 だから、あえて曖昧なままにしておく。 「君」としか呼ばない。

 その代わり、読んでくれている誰かが、自分の中の「君」を重ねられる余白を残しておく。


 君との最後の紙には、こう書いてあった。


 ──いつか本になったら、図書館で見つけられるように、表紙だけは教えてくださいね。


 わたしは今、その約束のぎりぎり手前に立っている。 この掌篇が本になるかどうかなんて、まだ全然わからない。

 でも、もしも本のかたちになったら、その最初のページには、こう書こうと思う。


 「君のことを題材に短編を書いてほしい、と言った人へ。」


 それがあの日の君に届くかどうかも、やっぱりわからないけれど。 それでもわたしは、今日も机に向かっている。

 君のことを題材に、君以外の誰かの物語を書き続けるために。



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