第43.5話 小さな妹と大きな姉の愛情
辺境伯領は、いまや王国でもっとも繁栄している地域のひとつと評されていた。
私は大広間に役人や領民代表を集め、農業と交易に関する会議を開いていた。
「今年の収穫は昨年比で一二〇%。備蓄も増加しており、来年以降の人口増加に十分対応できます」
机の上には私が徹夜で作った帳簿――いや、感覚的にはExcelの表が並んでいる。
「ただし、冬場の備蓄消費を考えると三年後には再び不足が予測されます。
したがって、精霊の補助を農作業に組み込み、農閑期の労働力を工芸や交易に回すべきです」
役人たちは一斉にうなずき、感心したように声を上げた。
「さすがは聖女様……!」
「未来まで見通しておられる……!」
私は微笑んで頷いた。
――こういうときだけは“傾国の聖女”なんて呼び名も悪くないかもな。
その時――
「おぎゃああああ!」
高らかに響く泣き声が廊下の向こうから届いた。
私は瞬時に反応し、椅子を蹴って立ち上がった。
「失礼!」
役人たちは口をぽかんと開けたまま、私が会議室を飛び出すのを見送った。
「……い、今のは……?」
「民の声を聞き逃さない、ということでは?」
「さすが聖女様……!」
いや違う、ただの“妹センサー”だから。
私は廊下を駆け抜け、妹の部屋に飛び込んだ。
揺りかごの中で妹が顔を真っ赤にして泣いている。
「どうしたのどうしたの〜! お姉ちゃんここにいるからね〜!」
私は抱き上げて、頬をすりすり。
妹はまだ言葉も話せないけれど、泣き声は少しずつ小さくなった。
「よしよし……可愛いなぁ……!」
すっかり会議のことなど忘れ、私はただただ妹をあやした。
側にいた侍女が苦笑しながら言った。
「領民たちは『聖女様は誰よりも民に寄り添う』と噂しておられますが……」
「……まあ、間違ってはいないかな」
私はにやにやしながら妹のほっぺにキスを落とした。
夜。
妹を寝かしつけたあと、私はベッドに腰かけて子守唄を口ずさんでいた。
すると、まだはっきりとは話せない妹が、つたない声でぽつりと漏らした。
「……おね……さま……」
私は一瞬耳を疑い、そして涙が込み上げた。
「……今、私のこと呼んだ? 呼んだよね!?」
頬をすり寄せると、妹は眠たげに笑った。
――この子のためなら、どんな政争も内政改革もやりきれる。
そう思った。
だが、妹は眠りに落ちる直前、小さな手をぎゅっと握りながら心の奥で呟いていた。
「お姉さまは強い……だから……わたしも……しっかりしなきゃ……」
私はまだ知らなかった。
私の“激甘”な愛情が、妹にとっては「自分が強くならなきゃ」という決意を芽生えさせていることを。
妹の背伸びの始まりは、この夜からだった。




