第二部・第七話(第32話) エルヴィンの選択――信じる矢
聖女裁判の夜、エルフの里は不穏な空気に包まれていた。
「やはり人間など信じられぬ」
「精霊が沈黙しているのだ、あの娘は偽りだ」
村人たちの囁きは冷たく、怒りに満ちていた。
その声を耳にしながら、エルヴィンは森の見張り台に立っていた。
――誇り高いエルフとして、人間を疑うのは当然だ。
だが、あの瞳を思い出す。
裁判の場で孤立しながらも、それでも諦めないと叫んだ少女の姿を。
「……本当に偽りなら、あの声は出せない」
そのとき、森に不気味な風が吹き抜けた。
黒い瘴気の中から現れたのは、魔導卿ヴェルゼンの眷属。
人の形をした影が、村の精霊石を破壊し始めた。
「……くっ!」
エルヴィンは即座に弓を構え、矢を放った。
閃光のように走る矢が影を貫き、黒煙に変える。
だが数は多い。矢筒はすぐに空になり、影は次々と迫ってくる。
「俺一人では、全ては防ぎきれない……!」
仲間のエルフたちは恐怖にすくみ、動けなかった。
「聖女など偽りだ!」
「だが、この影はどうする!?」
矛先は結局、レティシアに向けられる。
「彼女を差し出せば、森は救われるのではないか……」
エルヴィンの胸に怒りが込み上げた。
――違う。彼女は犠牲になるために来たんじゃない。
自分の意思で、世界樹を救おうとしているんだ。
エルフとしての誇りと、ひとりの戦士としての心が重なり合う。
エルヴィンは残り一本の矢を弦に掛けた。
その矢に、自らの決意を込める。
「俺は、聖女を信じる」
放たれた矢は眷属の核を正確に撃ち抜き、瘴気を霧散させた。
その光景に、周囲のエルフたちは息を呑む。
「……彼女は偽りではない。俺が誇りにかけて保証する」
静かな声だった。だが、その矢よりも重く鋭い言葉だった。
長老たちの間にも動揺が走った。
「エルヴィンが……あの頑固な戦士が人間を信じると……?」
「彼がそう言うなら……」
疑念に満ちていた空気が、わずかに揺らいだ。
小さな一歩だ。だが、それは確かに「聖女」を信じるための最初の一歩だった。
夜更け、誰もいない森の奥で、エルヴィンは弓を磨きながら呟いた。
「……俺は精霊に仕える戦士だ。だが、同時に……あの人間を信じたいと思った」
弓を強く握りしめる。
「聖女ではなく、レティシアという一人の人間を」
その声は夜の森に吸い込まれ、誰の耳にも届くことはなかった。
次回予告
第二部・第八話(第33話)
「精霊との対話――聖女の資格」
ついにレティシアは世界樹の根に導かれ、精霊たちと対話する機会を得る。
「聖女とは何か」を問われるその場で、彼女が示す答えとは――。




