ルーレット
皆さんはこのような経験が無いだろうか?夜うつらうつらとして眠りに落ちる直前なのだがTVの電源が入っていて音が聞こえ続けている。身体を動かす事が億劫な中で完全に眠りに落ちる前に何とか片手を動かし、リモコンを手に取り電源ボタンを押してTVを消す。これで一安心。安心して眠れる。…はずだったのだが、TVからは音声が聞こえ続けている。
あるいは、布団の中で眠気とトイレに用を足しに行きたい葛藤の中におり、えいっと重い腰を上げてようやくトイレに向かい用を足す。だが不思議な事に便器にじょーっと小便を出しても出しても膀胱の中の液体の量が減っていかないという不思議な感覚に襲われるのだ。
これらはただの夢なのだが、直近の願望が夢に反映された形といえるだろう。前者のリモコンのケース。酷い場合3回、4回と繰り返し同様の夢を見続け、ただリモコンでTVの電源を消すという事象が不可能なまでに思えてしまう。後者の方のおしっこに関しては幼少の頃であればおねしょとして布団が生暖かくなる気持ち悪さで起こされ、怒られる恐怖でさらに真っ青になってしまっただろう。ある程度年齢を重ねるとトイレという場所でないと用が足せない習慣が幻術に打ち勝つようになるのだが。
俺はブラック企業に勤めている英雄。この会社の体制に対して色々思う事はあるのだが、頑張るに足る良いことも数多くあった。まず最愛の妻とはこの会社での社内結婚である。結婚の際、会社は妻に残り続けて欲しいとストーカーのごとくかなりしつこく打診をしてきたが、俺はこの会社で妻を働かせ続けたくなかった。
「俺が妻の分も頑張ってみせますよ」
と、しっかりと寿退社できるよう計画的にさずかり婚になるようにした。子育てが終わってからも当然に会社への復帰の打診はあったが、その頃にはすでに妻は軽めのパートの仕事を始めてもらっていた。会社からは嫌味のようなものを散々と言われたのだが、一時的なものでしばらくするとあきらめたのか話題に上がらなくなった。
俺は会社への出勤に自家用車を使っている。会社にいる時間が長いので少しでも自宅での時間を増やすために首都高環状線を用いて通勤時間の短縮を行なっている。下道と十数分程しか変わらず月に3万円程かかってしまうのだが俺にとってはプライスレス。価値のある時間の節約なのだ。
夜中に首都高環状線を走っているとルーレット族と言われる、首都高をサーキットと勘違いしてグルグルしている輩がいる。それらをモチーフにした漫画が多数出版されているので若者にとっては楽しい事なのだろうが、仕事でへとへとになっている俺にとっては猛スピードで横を通り抜けていく車高の低いうるさい車は非常に迷惑である。ボフボフと低音が後方から聞こえてくるとその位置が気になり、ミラーに気を取られ車線の変更も躊躇われるのだ。
その日。日を跨ごうかという深夜の時間帯に首都高環状線を走り自宅を目指していた。珍しく猛スピードで走る車も無く快適に走行を続けていた。…だが、その日も仕事で朝が早く、夜遅かったこともあり運転中にウトウトとし始めてしまった。
はっ!!危ない!!
ドガァァァァァァァン!!!!
壁に衝突。
突き抜けて車ごと宙に放り出される。あれだけ迷惑だと思っていたルーレット族よりもよっぽど俺の方が迷惑である。これまでボフボフと俺の眠気防止に一役かってくれていたのかとルーレット族に心の中で謝罪するという意味不明な人生の〆。宙に舞う。下もお先も真っ暗である。目をギュッと瞑り
死んだ…
妻と子供の笑顔が脳裏に浮かび
ごめん…
と。思ったのだが。
10秒程待っても衝突が無い。
目をゆっくり開いてみると、水中…???
車外が水没しているのではなく車内も完全に水没しているが不思議と呼吸を続けられ水がまとわりつく感覚もなかった。車外には3体もの女の人魚が泳いでいる。3人?3匹?とも絶世の美女である。海中ながらさらさら?の長い金髪。上半身はビキニを着ていて豊満なバストを隠しており、下半身は海老の殻のような形状で内に巻いている。ちょっと想像していた姿とズレていた。少し気持ち悪く残念人魚であったが…。東京に人魚がいたんだなと思った。
「ぎゃぎゃぎゃぎゃ!」「ぎゃっぎゃぎゃぎゃっ!」「ぎゃぎゃ!」
会話もできないのか…。
そう思った瞬間にハッ!と目が覚めた。首都高環状線を走っている。壁を突き破り落ちた夢を見たからか心臓が早鐘を打ち、一気に急覚醒する。数瞬なのか数秒なのか居眠り運転をしてしまったようなのだ。目の前に壁が迫っていたが壁に激突する直前にハンドルを切る事が出き、事故を避ける事ができた。
心臓がバクバクと鳴り続けている。
「いっやぁ、、、あれは・・・現実だろう?人魚というか、、魚人?あれらに時間が戻る魔法でも使ってもらったとしか思えないなぁ。超リアル…。…何せ助かった…」
ハザードを出し車を左に寄せて車を停めて一息つく。あまりにリアルな壁への衝突と衝撃、宙を舞う感覚、水中の魚人達の光景。ただ冷静に考えるとヘッドライトが点いていたとは言え夜中の水中で魚人達がはっきり見えすぎであったのでやはり夢かと考えられた。
事故をしてしまっては何もかもが終わってしまう。車での通勤を辞めるか?だが電車での通勤であると業務が長引き終電に乗れない時刻になる事も多い。かといって会社の近くに部屋を借りては自宅に帰る頻度が減り、妻と子と顔を合わす時間が減ってしまう。
そのように考えていると、後ろからボフボフと低音が近づいてくる。バックミラーを見てみると数台のルーレット族がレースのようなことをやっているのか、3台が横並びに相当な速度で近づいてくるのが見えた。こちらはハザードを出しているがまさか…。突っ込んできたりしないよな…
ィィぃいいいいいいい!ガがしゃああああああ!!!
はい。突っ込んできました。200km/h程でぶち当たられ前方に押されて、壁を突き破り俺を乗せた俺の車だけ首都高の外へ。これでは先ほどの夢と同じである。だが先ほどと違い下を見ると木が生い茂る山の斜面であった。
今度こそ死んだ…
先ほどと全く同じ妻と子供の笑顔が脳裏に浮かび
今度はルーレット族に強い恨みと罵詈雑言を心の中で唱えながら意味不明な人生の〆2。
目をギュッと瞑るが…
またも衝突のエネルギーが無い。
目をゆっくり開いてみると、
車は山の斜面で停まっておりヘッドライトの先にはまんま見た目ドワーフとエルフの2人
正面のその2人は豪奢な装備や装飾を身に着けている
左を見ると数十人のドワーフ、右を見ると数十人のエルフ
車は完全に囲まれているようだ
今度は異世界転移してしまった…的な?
これはドワーフの工房とエルフの森を荒らすドラゴンを退治してくれという展開が濃厚か?
俺のような社畜にはそんな離れ業は無理だよ。
って、どの異世界モノも最初は同じようなこと言ってるか…
正面の首長と思われるドワーフが声を出す。
「$&%#@¥*¶φ!!!」
また言葉が通じないのか…。
そう思った瞬間目が覚めた。先ほど同様に心臓が早鐘はやがねを打ち、一気に急覚醒。首都高環状線を走っている。目の前に壁が迫っていたのでハンドルを切って回避。今度は車を停めずに走り続ける。何なんだ一体…と思う一方で、本格的に目を覚まさないとヤバイ。このようなことを繰り返していては壁突き破りが正夢になってしまう。車を走らせながら窓を全開にし、風を受ける。
「うん。やっぱりマイカーでの通勤は辞めよう。今回に限らずこれまででも運転で危ない場面はあったからなぁ。」
そうしてその日、英雄さんは安全運転で自宅へと帰りついた。
ガチャ
「ただいまー」
パタパタ
「おかえりなさ~い」
深夜とも言える時間帯ではあるが妻が迎えてくれる。寝てて良いよとは伝えてあるがいつもこのようにして待っていて出迎えてくれているのだ。
「ねーねー。今さっきね、帰りの車の中でね。
…………(略)…………
な事があったんだよ。」
「あははっ。何それ?何か色々な意味でヤバいじゃん。」
「だよね。これを機にちかくマイカー通勤を辞めようかなって、、会社の近くに引っ越そうかな?どうかな?」
2人は会話を続けながら、3歳になった子供の寝ている部屋に静かに入り、子供の幸せそうな寝顔を見る。
「私は賛成だよ。会社に近くなれば一緒にいられる時間も増えるし、この子のためにもなるし」
「ありがとう。じゃ俺がもっとお金を稼がなきゃいけないから、より一層あのブラックな会社で頑張るね!」
「ふふ。私達のためにって無理はしないでね。」
「うん!でも俺が無理言ってあの会社を辞めさせちゃったんだから金銭的に負担を掛けないようにするよ!」
「……ん、、、……あさん!」
「お母さん!起きて!」
え?
目を覚ますと息子が私の体を揺すっている。
一瞬何が起きたのかが分からなかったが、すぐに夢だったのかと現実に戻る。体を起こすと旦那の遺影が目に入る。
今しがた見ていた夢は現実には無かった旦那とのやり取り。しかし現実にあったことのように旦那との思い出の一つとして、心の中にスクラップしておく。
旦那は仕事の連勤の末に会社のデスクで突っ伏して亡くなった。過労死だった。
会社から多額の労災が支払われた上に、旦那にはそこそこの生命保険を掛けていたため私と息子の生活はこれから安泰である。
私の人生を救ってくれたヒーローには感謝をしている。