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三人称小説

とある日とある総合病院の産婦人科にて、一卵性双生児の兄弟が生まれた。


兄弟は特にこれと言って大きな問題無しにすくすくと成長し、5歳の誕生日を迎える。


二人の誕生日が同じで、兄はショートケーキ、弟はチョコケーキが好きなため、誕生日会には二つの小さなホールケーキを用意する事が習慣となっていた。


誕生日当日、幼稚園から帰り、子供部屋でそれぞれの遊びに興じていた兄弟は、母親の呼びかけにより食卓へと急いで駆け出す。


兄弟の成長を見越した、5歳児の体には少々大きすぎるソファーに座った兄弟は、大皿に盛られた豪勢な食事の数々に喜んだ。

しかし、弟はある事に気が付くと、喜びを表現するために上げていた両手を下ろす。


食卓に並んでいた食事の中に、ショートケーキがあるのにも関わらず、チョコケーキは無かったのだ。


弟は大して大きくもない食卓をきょろきょろと見回した。

何度も、何度もチョコケーキが無いことを確認する。


「僕のケーキが無い」


弟は泣き出した。


家中に泣き声を轟かせ、大粒の涙をポロポロと流し、自分の悲しみを表現した。

弟の悲しみは完全に本心からくるものだった。しかし、弟は5歳児ながら「泣けば大人は助けてくれる」と理解していて、大きな声で泣くのは打算的な思考によるものでもあった。


だから弟は驚いた。


大泣きしている自分を他所に、母、父、兄が、3人だけで誕生日会を始めようとしていたことに。


3人は「いただきます」と言って、至って普通に食事を始めた。


「え?」


強く深い悲しみは、真っ白な困惑に塗り替えられる。

3人の言動が、自分を叱る意図が含まれるような物であったならば、弟はさらに強く泣いただろう。


けれど違った。大泣きする弟を他所に行われるそれは「幸せな家庭の至って普通な誕生日会」だった。


大泣きする原動力であった悲しみは塗り替えられてしまったため、今の弟にあるのは困惑と、空腹であった。

仕方なく自分も食事を始めようとした所で、自分の食器すらないことに気が付いた。


「なんで僕の分がないの?」


母も、父も、兄も、誰も、反応すらしてくれなかった。

弟の訴えかけとは無関係の話を3人は続けている。


弟は悲しくなった。けれど、それ以上に困惑が強かった。

弟には、家族から無視される経験も、理由も見当たらないので、今がどういう状況なのかすら理解できなかった。

余りにも理解できないので、一旦考える事をやめる。


大きなソファーから降り、キッチンから適当な食器を持ち出し、大皿から自分の分をよそって


「いただきます」


と言ってから食べる。

美味しいと感じたので


「おいしいね」


と兄に言った。

兄からの返答は無かった。



大皿の料理が粗方片付き、ケーキを食べる時間になった。

母が料理の無くなった大皿の上にそれぞれの小皿を載せて流し台まで運んでいくが、やはり弟の分は運んでいかない。


文句を言いたくなったが、言っても無視されるのだと学んだ弟は、大きなソファーから降り、自分で食器を流し台に置いた。

5歳児の小さな体には、たったそれだけの所作でも中々の重労働である。


弟が重労働に勤しんでいる間に、兄のみへ向けたバースデーソングが歌われ、ショートホールケーキに刺さった5本のろうそくの火を、兄が吹き消した。


弟はその、3人の幸せそうな家族を呆然と眺めていた。


ケーキは3等分にされ、比較的大きなものを兄の皿に、残った二つが母と父の皿に盛りつけられた。


諦めと思考放棄から黙っていた弟も、ケーキが食べられない事には声を荒げた。


「なんで!僕もケーキ食べたい!」


当然というべきか、3人は弟の訴えを他所にケーキを食べ始める。


弟は大きなソファーから降り、キッチンからフォークを持ち出し、兄のすぐ横に座る。


「ねぇ、ケーキちょうだい。いいでしょ?」


「ケーキおいしい!」


「ケーキちょうだい」


「ママ!パパ!ありがとう!」


「貰っちゃうよ?いいの?」


兄からの返答はなかった。

弟としては、兄から無視されることより、ケーキが食べられないことの方が今は重要だった。


そっと、兄の分のケーキを食べてみた。


「おいしい」


兄は、何も言ってこなかった。



結果的に、弟は兄のケーキを3分の1程度食べた。


5歳の誕生日、突然始まった家族からの無視とも言えない何か。

それは家族の内だけでは済まなかった。



翌日、誰もいない布団で起きた弟は、まだあれが続いているのかと薄々理解しながら


「おはよう!」


いつもより大きな声で挨拶をしてみる。返事は無い。


母は、幼稚園の送迎バスに遅れないよう兄の準備を急かしている。


弟は既に、この奇怪な状態に慣れ始めていた。

3人の幸せな家庭に、自分という異物が混ざっているかのようなこの状況に。


朝食は用意されていなかったので、常備されている8枚切りの市販パンを食べた。

兄を急かす母の声に従って、幼稚園へ行く準備をした。

兄の後ろにピッタリついて行き、送迎バスに乗った。


兄が窓際、弟は内側に座る。


弟は、前に座る友達に話しかけてみる。

結果は、送迎バスに乗るときの、先生の反応から既に分かっていた。



幼稚園に着き、取り残されないよう兄の後ろにピッタリついて送迎バスを降りる。


幼稚園内でも、弟を認識する人は居なかった。


けれど、意外と何とかなった。

みんなに配られる折り紙は自分にだけ配られなかったけれど、余っているものを貰った。

給食も用意してもらえなかったけれど、自分で勝手に用意した。

遊びの時間も、兄の後ろをついて行くだけで楽しかった。


弟の日常はあまり変わらなかった。


誰にも話しかけてもらえないけど、勝手に話に混ざれば話した気になれた。

皆に配られる物は、余ったものを勝手に貰えばよかった。

兄の後ろにピッタリついて行けば、取り残されることは無かった。


次の日も、その次の日も、弟が誰にも認識されない事で困ることは無かった。


小学校が始まっても、弟は特に困らなかった。


自分のランドセルは無かったけど、幼稚園の時に使っていたカバンで事足りた。

文房具は、学校の落とし物入れから貰った。

机と椅子は、物置にあった予備を持ち出した。

プリントは、大抵余りがある。余りが無かったとしても、人のプリントを勝手に使った。



そうして、誰にも認識されていない一人の生徒として小学校生活を送る弟が3年生になったころ、弟にとっての大事件が起きた。



席替えというイベントにはしゃぐクラスの様子を、弟は一歩後ろで眺める。

弟の席は、何度席替えをしても一番後ろだと絶対に決まっている。


席の移動が終わり、新しい隣人同士で皆が挨拶をし合う。

弟の前の席の二人も


「よろしくね」


と言い合っていたので、弟も


「僕もよろしくね」


と言った。


すると、前の席の女の子が急に振り向き「弟のいる方向」を眺めた。


弟は驚き、席から落ちて尻もちをついてしまう。


しかし、弟は「自分を見える人が現れた!」などと喜びはしなかった。

急なことに驚いただけで、自分がいる方向を見られる経験は幾度と無くあったからだ。


その度には弟は


「なんだ、見ていたのは僕じゃなく、僕の後ろにあるものか」


と落胆するのだ。


今回も例にもれず、女の子が


「一番後ろの席になったの初めて!こういう風に見えるんだね!」


と言ったので、弟は


「僕は一番後ろ以外の席になったことがないよ」


と言った。


すると、前の席の女の子が急に振り向き、またも「弟のいる方向」を眺める。

今度は尻もちをつかなかった。


「壁がすっごく近いね!」


「そうでしょ?」


女の子は一番後ろの席が相当気に入ったようだ。


その後も、女の子は時折急に振り向いては「弟のいる方向」を眺めた。

次の日も、その次の日も。


弟はそれがとても嬉しかった。

あの日以来「面と向かい合う」という事が殆ど無かったからだ。


女の子はその機会を定期的に提供してくれた。


きっかけはこれだ。


弟はその女の子が好きになった。


女の子が後ろを向くたびに、弟は


「どうしたの?」

やら

「こんにちは」


と言う。


女の子からの返答は無かった。

けれど、弟はそれだけで十分幸福を味わえた。


次の席替えの時が来た。


弟は


「早いなぁ」


と思った。


だからだ。


だから、イタズラをしたくなった。


席替えは、クジ引きによって決められる。

教壇に置かれたカゴの中に、番号の書かれた紙が裏返しになって入っていて、生徒が一人一人それを取っていく形式だ。


弟は、クジ引きが始まる前にカゴの中を漁り、一番後ろの席になる番号の紙を抜き取った。


クジ引きが始まり、クジを引いた生徒が結果に一喜一憂している。


女の子の番になる。


女の子は、目をつぶってカゴの中をまさぐっている。

弟は、その女の子の手に、あらかじめ取っておいたクジを握らせた。


ぱっと目を見開き、自分の手の中にあるクジを見た女の子は


「やった!また一番後ろだ!」


と言った。


弟は


「よかったね」


と言った。


次の席替えも、その次も、弟は同じことをした。


兄は4年生になった。


女の子と兄は別々のクラスになった。


弟は、女の子のいるクラスへ席を運んだ。


弟はある時から、女の子の後ろをついて行くようになった。

体育の時、昼休みに校庭へ行く時、生き物係な女の子がメダカの世話をする時、


トイレの中はやめておいた。


女の子が困っている時、弟は誰よりも早く助けた。


転びそうになったら、支えてあげた。

物を落としたら、拾ってあげた。


給食で女の子の嫌いな物が出たら、代わりに食べてあげた。

テストで分からない所があったら、代わりに書いてあげた。


女の子の目には何がどう映っているのか、何をしても弟の存在を認識しなかったけれど、弟は女の子を助けられたという事が嬉しかった。


ある時、弟がいつものように、女の子とその友達の会話に混ざっているふりをしていると、女の子の家でお泊り会をする事になった。


弟はついて行った。


女の子の家は、何の変哲もない普通の一軒家だ。


皆でトランプをした。

女の子は一度も負けなかった。


皆でテレビゲームをした。

女の子は一度も勝てなかった。


寝る時間になる。


一通りベッドの上ではしゃいだ後、女の子と友達は重なり合って寝た。

来客用の布団が敷かれていたけれど、女の子も、友達の誰も、その布団では寝なかった。

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