10.登校
翌朝、シャノンが登校すると案の定、周りの視線が突き刺ささるように痛かった。
遠巻きに見ながらヒソヒソと話しているご令嬢があちこちに居て、うんざりしながらシャノンは自分の教室を目指した。
分かってはいたけれど、アレック・マクリールという人物の婚約はこの学校においてとびきり重大なニュースなのだと改めて実感した。
誰とも付き合わない圧倒的な美貌を持つ孤高の遊び人が突然、特に何の取り柄もない普通の男爵令嬢と婚約したのだから色々な憶測が飛び交いまくっている事だろう。
シャノンがやっとたどり着いた教室のドアをガラリと開けると、一人の令嬢が待ち構えていたかのように駆け寄りシャノンの腕をがっしりと掴むとそのまま教室の外へと引っ張りだした。
「シャノン!どういう事が説明してもらうからね」
長い甘栗色のポニーテールを揺らす彼女はフローラ・レブロン。
シャノンと同じ男爵令嬢で、幼なじみでもあり親友でもある。
シャノンがフローラに引きずられるように連れられてこられたのは別棟の一階にあるカフェテラスで、もうすぐ授業が始まるであろうこの時間帯は利用する生徒も居ない。
授業をサボる形になるけれど、シャノン達はもう卒業を控えた身なのでそれほど問題ではない。
「お、おはよう、フローラ」
「おはよう。シャノン。私に言う事あるよね?」
テーブルを挟んだ向かいから意思の強そうな翡翠の瞳がシャノンを咎めるように見据える。
怒っている事を隠すつもりもない明らかに不機嫌な口調のフローラにシャノンはたじろぐ。
「こ、婚約…したみたい⋯です」
「みたいね。今朝聞いたわ。ジゼルから」
ジゼル・ノックインはフローラの婚約者で、彼もまたこの学校の同級生でシャノンの幼馴染でもある。
「まさか親友の婚約を本人の口以外から聞かされるとは思ってもいなかったのだけれど?」
フローラが怒るのも無理がないとシャノンは分かっている。
シャノン自身、自分の婚約が決まった時は誰よりも先に一番にフローラに伝えたいと思っていた。彼女がそうしてくれたように。
けれど、今回の婚約は何もかもが想定外で、シャノン自身が昨日知ったばかりなのだから伝えたくても伝えることが難しかったし、昨日マクリール邸から帰った時は既に暮夜で、手紙を出した所でフローラの元に届くのは早くても精々今日の夕方くらいになる。
ならば今日、学校で真っ先にフローラに伝えるのが自分が取れる一番速い手段だったという事をシャノンはなんとかフローラに説明した。
「⋯⋯だけど、もっと早くに学校へ来てフローラに真っ先に伝えるべきだったね……ごめん」
「…………」
しょんぼりするシャノンの釈明を受け入れる為、フローラは怒りを鎮めようと、ふうっーっと息を吐く。
「まあまあ、お嬢さん方、気分を落ち着ける為に珈琲でもどう?」
声のする方を見るといつの間にかジゼルがシャノン達の側に立っており、珈琲の乗ったトレイをテーブルに置いた。
「ほら、今日は特別フローラの好きな生クリームをたっぷり入れたよ」
そう言ってジゼルがフローラに珈琲カップを差し出すと、フローラはしぶしぶ受け取る。
「シャノンも。はい」
「……ありがとう」
ジゼルから珈琲カップを受け取ると香ばしくそそる香りが鼻をくすぐった。
ジゼルもシャノンとフローラの間の席に座り、自分の分の珈琲に口をつける。
「昨夜遅くに父から聞いて、俺が朝、フローラを家に迎えに言った時にシャノンが婚約したらしいって話をしたんだ」
「……そう」
貴族社会の情報伝達は基本爵位の高い家から順に周るらしい。ジゼルは伯爵家で比較的爵位が高いので貴族社会のニュースが回ってくるのも早かったのだろうとシャノンは思った。
「だからシャノンが朝イチで学校に来てフローラを待ち構えていても間に合っていない。シャノンの口から伝えるべき事だとは思ったんだけど、こんなビッグニュースは既に学校中に知れ渡っているだろうし、関係ない奴から聞くよりはせめて俺の口から知らせたほうがいいと思ったんだ」
ジゼルが少し申し訳なさそうにシャノンを見た。
「ありがとう。ジゼル」
ジゼルの言う通り、不用意に周囲から知らされる前にジゼルの口からフローラに伝えてくれて良かったと思った。
「そういう訳で、シャノンも大変だったみたいだし、フローラも機嫌直そうか」
ジゼルが俯くフローラの頭をぽんぽんと撫でる。
この二人は子供の頃に婚約してからずっと変わらず仲良しで微笑ましい。
「……分かったわよ」
ジゼルに諭されてフローラも落ち着きを取り戻したのか、少し唇を尖らせるとフローラは顔を上げシャノンに向き直った。
「事情も知らずにごめんね。シャノン」
「ううん。悪いのはアレック様だから」
「それな!」
フローラが食い気味に賛同する。
シャノンも、自身の了解なしにいきなり勝手に婚約を結んだクリスも悪いけれど元凶となるのはアレックだと思っている。
「相手がアレック様だから私が知る前にこんなに大事になっちゃってさぁ!てか、アレック様って付き合っている彼女いるよね?二股!?いや、それ以前にアレック様って昔シャノンや私達の事切り捨てたのに今更どういう事!?」
言っている内に段々とヒートアップしてきたのか、フローラの怒りが再燃する。
フローラが“私達の事を切り捨てた”と言ったのは言葉通りで、フローラとジゼルも昔アレックと交流があったけれどシャノン同様、いきなり絶縁された者同士なのだ。
シャノンの友達に会いたいというアレックの言葉を聞いてシャノンはフローラとジゼルを連れて何度かマクリール公爵家へ遊びに行った。
同じ年齢の子供同士それなりに仲良くしていたけれど、アレックがシャノンと絶縁したと同時に二人との縁も切ったらしい。
「本当にそれな!私も意味が分からなくて、きっと何かの間違いだと思ってすぐにマクリール公爵家へ乗り込んだってわけ」
「アレック様と直接話したのね?」
「うん」
「で?」
「それがね………」
――シャノンは昨日の内容をフローラに説明した。
黙って聞いていたフローラが発した第一声が「なんだそれ?」だった。
「いやもう、ツッコミどころ満載でどこから手を付けていいのか分かんないわ」
「でしょ!?」
フローラが眉間にシワを寄せながら頭の中を整理するように「えーっと」とつぶやく。
「まず、アレック様は今はフリーって事ね?」
「自己申告ではね」
「まあ、あんなに派手に遊んでおきながらフリーって疑わしいけれど、婚約したとなれば一時的にでも関係を清算したのかもしれないわね……それより、問題はアレック様がシャノンに婚約を申し込んだ理由ね」
フローラが的確に一番の問題ポイントを突いてくる。
「あり得ないでしょ?」
「あり得ないね。アレック様がシャノンの事を好きな訳ないでしょ!」
「そうよね!」
「アレック様と噂になった人達って、あれよ?カミラ様とかエリザベート様とかクラリッサ様とか、とにかくボンキュッボンで艶っぽい人達ばっかりだったじゃない!シャノンと真逆でしょ!」
「そうそう!まぎゃ…⋯おん?」
「バッチリ化粧に毛先指先まで手入れされた完璧なご令嬢とばかり付き合っておきながら、今更シャノンの事がずっと好きだったって、好みが正反対すぎて無理があるわ!」
「正反対…」
「フローラ、ちょっと正直に言い過ぎかな」
ジゼルがフローラを諌める。ジゼルの発言もどうかとシャノンは思った。
「あっ、ごめんごめん。だってほら、シャノンて素朴が売りだし」
「別に売ってないけど?」
フローラのよく分からないフォローに呆れるながらも言いたい事は理解していた。
自分はアレックの今までの好みとはかけ離れているとシャノンは思った。
「そもそも、シャノンの事がずっと好きだったなら十年前の突然の絶縁は一体何なの!?って話よね」「それなんだよね……嫌われたと思っていたのに今更……私、馬鹿にされてるみたいで腹が立って…」
思い出すと胸の奥がザワついてコーヒーカップを握る手に力が入る。
「絶縁の理由は聞いたの?」
シャノンはその質問にフルフルと首を横に振る。
「……聞いてない」
アレックに理由を聞いて自分がまだその事を引きずっていると思われるのが悔しいからなのかもしれない。
理由を聞くのが怖いのもある。
シャノンは聞きたいけれど、聞けなかった。
「私はシャノンがあの時どんなに傷ついたのか知ってるから、腹が立って当然よ。私もムカついているもの」
「フローラ……」
「でも、アレック様がシャノンの事を好きだっていうのが嘘だとしたら、なんで今更そんな嘘をついてまでシャノンと婚約したのかしら?」
「それは、“保険”だと思うの」
「保険?」
――シャノンは自分がたどり着いた“保険”についての結論をフローラに話した。
「何それ!最低!」
「でしょ!?絶対私の事利用するつもりよね!?」
「確かに、そう考えると辻褄が合うけれどアレック様って、そこまで最低なのかしら……」
ドン引きするフローラが疑問を呈する。
「それ以外に考えられる?」
シャノンの言葉に二人でうーんと知恵を絞り出すも他に思いつかない。
「もしやアレック様ってとんでもないクズなのかしら」
「フローラ、遊び人なんて漏れなく皆クズなのよ」
「確かに」
アレックをクズ認定したとき、今まで黙って聞いていたジゼルが「ちょっと待った」と口を挟んだ。
「あれこれ疑ってるけれどシンプルに“アレック様がシャノンを昔からずっと好きだった”っていうのかわ本当の事だとは思わないわけ?」
「思わないわ」
「ないわね」
二人で考える間もなく食い気味に即答する。
「いきなり絶縁したり、女の子と散々遊びまくっておいて実はずっと昔から好きでしたなんて無理があるよね」
シャノンの意見にフローラがうんうんと激しく同意する。
「まあ、そうかもしれないけどさぁ…」
ジゼルが何か釈然としない様子で答える。
「なあに?女の子と遊ぶのは仕方ないことだとでも言いたいのかしら?アレック様の気持ちが理解できると言いたいの?」
フローラがジゼルに突っかかると、ジゼルが困ったように「そんな事一言も言ってないだろ」と慌てる。
「アレック様の肩を持つならジゼルも同罪だからね。遊び人の気持ちが分かるならジゼルも遊び人て事だからね」
よっぽどアレックに腹を立てているのかフローラは自分の婚約者に無茶苦茶な理論を押し付ける。
これ以上余計なことは言うまいとジゼルは「はいはい」と受け流す。
全く、男って!とプリプリ怒るフローラの隣で「……でも昔は確かにシャノンの事が好きだったと思うけどなぁ」とポツリとジゼルが呟いた言葉はシャノン達二人の耳には届かなかった。
「とにかく、シャノンはこの婚約は解消したいのね?アレック様とは結婚したくないのね?」
フローラの問い掛けにシャノンは力強く頷く。
「私は遊び人とだけは絶対に結婚したくない!」
迷いなくきっぱりと答える。
「玉の輿かつ神がかったイケメンをブレることなく拒否出来るシャノンを尊敬するわ!」
フローラはシャノンの家族事情を知っているだけに、昔からシャノンが一貫して言い続けた結婚相手に求める条件を知っている。
「絶対にこの婚約は解消してもらうわ!」
「私達も全面的に応援するし何でも協力する!」
「ありがとう!二人とも!」
シゼルが俺も?と驚いているけれどもちろん君もだよと二人で肩を叩いた。
「アレック様がシャノンとの“約束”を破ったら婚約を破棄する事になってるって言ってたけれど、何かいい作戦でもあるの?」
フローラが少し小声になり、私に顔を寄せる。
「作戦は無いわ」
「無いの!?」
「無いけれと、大丈夫。絶対にアレック様は“約束”を破るもの」
「謎の自信!」
驚く二人にシャノンはフフン!と得意げにその理由を語った。
「だって、私が婚約者だって知った他の令嬢が黙っている訳ないじゃない!?自分の方が相応しいって自信をつけて、逆に以前よりアプローチが増えると思うの」
「まあ、確かに」
「でも遊び人がその誘惑に抗えるはずないから、何もしなくても“約束”はおのずと破られるって訳」
シャノンが自信満々の力説を披露するもフローラはうーんと納得できない表情を見せる。
「アレック様ってそんな節操ないかなぁ…?」
「結婚式までの半年くらい猿でも我慢出来るだろ」
ジゼルも苦言を呈してくる。
アレックを擁護するような発言にムッとしたシャノンは「いや、節操なくて猿より理性がない生き物が遊び人だから」と言い捨てる。
「シャノンが言うと説得力があるわね……」
「ああ…闇が深いな」
二人がシャノンの辛辣さに引き気味になっていると、カフェテラスの扉が開く音がした。
扉から背中を向けて座っているので、姿は見えないけれど、漏れ聞こえる声からして数人の女子だろうかとシャノンは思った。




