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四 自責の念

 

 ただでさえ生活力に乏しく口数の少ないベイハルトであったが、数日にわたる大掛かりな実験に失敗したときは、分かりやすく無気力になった。


 その様子は、もはやゾンビ……。否、ゾンビの方がまだ活力が感じられるくらいだった。


 そんな生ける(しかばね)と化した彼に、レオナはいつも栄養の多く含まれた温かい野菜スープを流し込んでやった。


 彼の好物の芋は、喉を詰まらせて本当に屍と化すおそれがあるので与えることはできなかった。


 物言わぬ抜け殻は、温かいスープを口に含むと、その美しい空色の目から決まって大粒の涙を(こぼ)した。


 レオナは、全く手の掛かる夫だと呆れはしたものの、故郷にいたときの妹弟(きょうだい)と比べればこれくらいはまだ可愛いものだと思った。


 一方、ベイハルトは、ごくまれに感謝の言葉をポツリと漏らすことがあった。


 レオナはその度に大層驚かされた。


 その日もレオナは驚きの余り目を丸くしつつ、最近の研究室の明かりが灯っていた時間を指折り思い返してみると、どうやらベイハルトはここ数日寝ていないようであった。


 レオナは、白昼の寝言を浴び、せめて寝言は寝ているときに言わせてあげたいと妙に献身的な気持ちが()いてくるのを感じた。


 睡眠を(おろそ)かにしてまで熱心に研究を行っている彼が、一体どういった(たぐい)の魔術に心血を(そそ)いでいるのかは未だに分からなかった。


 ただ自分の夫が心身ともに健やかであればよい、レオナはそう思った。


 そんなある日の深夜、屋敷に盗賊が入った。


 ちょうどレオナが一人で寝室にいるときのことであった。


 悪漢はレオナにナイフを突きつけ、金品と彼女の身体を要求した。


 レオナは声を上げなかった。


 冷静に金庫の場所を示すと口を(つぐ)んだ。


 荒縄で後ろ手に縛られている最中も、彼女は沈黙を貫いた。


 もちろん恐怖はあった。


 しかし、それよりも自分の叫び声で夫であるベイハルトの研究を邪魔したくないとの思いが強くあったからであった。


 耳をそばだててみても夫の研究室の方向からは物音はしなかった。


 ただ、レオナは、どうせ助けは来ないという悲観的な諦念ではなく、固い意志を持って悪漢に対峙し、服従し、その目を伏せようとした。


 そのときだった。


 ゆらりと幽鬼のような影が部屋の入り口に立った。


 次の瞬間、悪漢は床に打ち倒されていた。


 悪漢は、目に見えない魔法の強力な圧によって、うつ伏せの状態で身動きが取れないでいるようだった。


「ベイハルト様……」


 突然の出来事でまだ呆然としているレオナの口からなんとか絞り出されたのは、暗い表情をして自分を見ている夫の名前だった。


「どうして……」


 ベイハルトが一言そう(つぶや)くと、レオナの乱れた衣服が一瞬にして整い、手首に食い込んでいた荒縄がふっと(ほど)けた。


「いや、なんでもない……。済まなかった……」


 少しの逡巡(しゅんじゅん)の後、言葉を打ち消し、細い声で謝るベイハルトの目は、ただ悲しい色を湛えていた。


 レオナが黙って悪漢に襲われていたのは自分の所為ではないか。


 助けを求めなかったのではなく、求められなかったのではないか。


 そういった今までの自分の行いを責めるような自罰的な目だった。


 すでにベイハルトによって連絡がなされていたため、程なくして警察がやってきた。


 悪漢を警察に引き渡し、研究室に戻る際、ベイハルトはレオナの方を振り返った。


 彼女は婦警から聴取を受けているところだった。


 ようやく緊張の糸が切れて涙が(あふ)れ始めた彼女の目は、ベイハルトの方には向くことがなかった。


 ベイハルトは視線を外すと、音を立てないように研究室の扉を閉めた。


 そして、入口のそばの、資料の(うずたか)く積み上がったテーブルの隣で、一つだけ大きく息を吐いた。


 彼はなんとしても研究の成功を急がなければならなかった。

(4/7話)

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