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三 奇妙な新婚生活

 

「あらぁ、夫人じゃないかい」


 レオナが食材の調達のためにフォールズの市場に向かうと、井戸端会議をしている老婆たちに声を掛けられた。


 彼女たちの声色は、まるで今までの()き物が全て落ちたかのような、(ほが)らかなものだった。


 レオナは、あんな怪しげな男の元に妙齢の女性を寄越すなんてどういう了見だ、と(かす)かな(いきどお)りを感じたが、当たり(さわ)りのない会話の中から彼女たちの生活の苦労が窺え、その気持ちを静めることにした。


 ただ、農家の育ちで健康的な肢体(したい)を有するレオナを観察しながら、「夫人の方がベイハルト様より力がありそうだねぇ」という失礼千万な一言を放った老婆の顔はしっかりと覚えた。


 屋敷に戻り、ベイハルトに今日の献立を伝えるも返事はなかった。


 当然、買い出しに向かう前にも何が食べたいか尋ねてみたが、彼は研究に没頭しており、無言を貫き通していた。


 もはやレオナの声は届いていないようだった。


 レオナは台所で二人分の料理を作りながら、賑やかだった故郷の夕餉(ゆうげ)を思い出し、言いようのない寂しさや孤独を覚えた。


 出来上がった料理は、一応声を掛けた後、研究室の入り口付近にある机に置いておいた。


 ベイハルトはそれに一切手を付けなかった。


 そんな火の消えたような日々が続いているようにも思えたが、レオナは(たくま)しかった。


 徐々にこのベイハルトという男の生態を明らかにし始めていたのである。


 まずベイハルトは、聴覚的な刺激によって自らの集中を()がれることを何よりも嫌っていた。


 近所の悪ガキたちが屋敷の外で大騒ぎしている日には、彼は、まだ昼間だというのに全てを投げ出して、ヤケクソ気味に深い眠りについた。


 また、丸一日飲まず食わずのようにも見えが、たまに思い出したように目に光が戻り、腹をぎゅうぎゅうと鳴らしながら台所を徘徊(はいかい)した後、少量の水と適当にふかした芋を頬張った。


 そのときに声を掛けると、「やぁ、こんにちは。元気かい?」と、色濃く(くま)の刻まれた顔を(ほころ)ばせ、挨拶をしてくれることも分かった。


 ただ、その弱々しく消え入りそうな声は、毎度、逆にそちらの健康の方が懸念される程だった。


 レオナはこれらのことを総合的に勘案し、ある日、いたずら心の働くまま、試しに、我を忘れて研究に傾倒するベイハルトの口元に、スプーンで静かに料理を運んでみた。


 すると、彼は、複雑な構造を持った器具に魔力を注ぎ続けて忘我の状態にあっても、無意識の内にそれを(すす)ってくれることが判明した。


 丹精を込めた料理が残されず平らげられていく様子を見て、レオナは充足感を覚えた。


 特に故郷の村の芋を使ったシチューの食いつきが一番良いことは何より嬉しかった。


 また、(やかま)しくさえしなければ、ベイハルトの身体に触れられることも分かった。


 髪を切ったり、髭を剃ったりすることすら可能だった。


 ある静かな夜、濡らした布でそっと彼の身体を()いてやっているとき、レオナは、支配的というか、征服的というか、なんだか良くない気分にも陥った。


 この金色の産毛の見える男の背中や、血が盛んに流れているであろう静脈の浮いた手首、その他胸や腹の隅々に至るまで、彼の全てが自分の所有物であるかのような、そんな幻のような感覚だった。


 しかし、冷静に考えると、これは老人の介護と同じなのでは、とすぐさま落ち着きを取り戻し、レオナは頬の(ほとぼり)を冷ました。


 ただ、一度火照った頭の中は、急には()えなかった。


 湿り気を帯びて光っている彼の白い肌――細い腕を、吐息混じりに感情的に眺めて、「確かに自分の腕の方が、力があるかもしれない」と、レオナはそんなことを思った。


 同時に、いつか市場で出会った老婆の顔が思い出されて、少しだけ不愉快な夜だった。

(3/7話)

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