僕と先輩の恋愛事件簿~すいません、あなたにラブレターを出したのは僕じゃないです……って、なんで残念そうなんですか先輩?~
「やあ、犬神君。元気そうで何よりだ。ところで、今朝方人生で初めて、ラブレターというものをもらってね」
文芸部の部室を訪れた僕に、天生目鏡子さんは開口一番そう告げた。
セミロングの黒髪に、知性を感じさせる切れ長の目。
制服のスカートから伸びるすらりとした脚は、濃い目の黒いタイツに包まれている。
今日は機嫌がいいのか、口元には楽しげな微笑が浮かんでいた。
同じ空気を吸っているだけで自己肯定感が高まるというか、僕の存在には意義があると胸を張って今日も生きていけそうだ。
ここ、文芸部は僕と先輩の二人しか部員のいない、限界集落ならぬ限界部活だ。
普段の活動といえば、壁一面を占拠する本棚に詰まった小説――ほとんどが古今東西のミステリ――を読んだり、古書店で入手した本を棚に追加することくらい。
だが、僕が青春をささげているのは、そんな明治時代の高等遊民じみたことではない。
簡単に言うと、僕は先輩が趣味と実益を兼ねて行う探偵活動における助手なのだ。
要するに、ホームズに対するワトソンのような関係ということである。
最初に先輩に声をかけられたのは、つい先日。
職員室前に、とある生徒を中傷するビラがばらまかれるという悪質な事件が発生した。
その現場を物見遊山に見物しに行った僕は、そこで先輩にこう話しかけられた。
『噂は聞いているよ、犬神君。私と君なら、きっとこの事件を解決できる。私の助手になってくれないかな?』
ぶっちゃけた話、事件の真相にはさほど興味はなかった。
しかし、先輩がめちゃくちゃ美人だったという大変理性的な理由により、僕は彼女に手を貸すことにしたのだ。
何だかんだあって、この『職員室前ビラ撒き事件』は、先輩の活躍と僕の微力によって解決し、晴れて僕は彼女が所属する文芸部の部員――かつ、先輩の助手になったわけだ。
まあ、助手といっても、ただ先輩の探偵ごっこに付き合っているだけで、特別なことは何もしていない。
さらに言うなら、学校の謎を解決することにもあまり興味はない。
つまるところ、僕が文芸部の部室に通っているのは、先輩に会いたいという至極単純な動機が十割を占めているのだった。
そこにきて、先輩にラブレターなんぞが届いたと知らされたわけだから、僕の衝撃もひとしおだったと理解してほしい。
入り口で固まっている僕に、先輩が不思議そうに首をかしげる。
「どうしたんだい、死体の第一発見者みたいな顔をして。早くこっちに来て座りなよ」
「は、はあ……」
ぎこちない足取りで、僕は先輩の近くにある定位置の椅子に腰掛けた。
「私も驚いたよ。下駄箱を開けたら中にラブレターが入っているなんてね。こんな古典的なイベントが本当に起こるなんて、と思って、しばらくしみじみしてしまったよ」
「そうですか……」
先輩がラブレターになんて返事をするのかが気になりすぎて、完全に生返事になってしまったのだが、幸いにも先輩は気づいていないようだった。
「ところで犬神君。ラブレターに不可欠なものは何だと思う?」
藪から棒に奇妙な問いを投げかけられ、僕は我に返った。
「愛……ですかね」
「予想外のところを突いてきたね……。それも間違いではないが、もっと明確で、目に見えるものだ」
「目に見えるもの?」
「これがないと、ラブレターとして最低限の要件を満たさないというものだよ。私が受け取ったラブレターには、それが欠けていた」
僕は腕を組んで考えた。
先輩が聞いているのは、ラブレターの定義は何かということだ。
一般的なラブレターの文面を思い返してみよう。
まず、差出人の想い人が文頭に宛先として書いてある。
次に、思いの丈をつづった本文。
そして最後に、差出人の名前。
どれを欠いても、ラブレターはその役割を果たさない大事なものだ。
正解するには、ヒントがほしい。
「質問してもいいですか?」
「一度だけ許可しよう」
たった一回で、必要な情報を手に入れられる質問をしなければ。
僕は少し考えてから尋ねた。
「それは間違いなく、先輩宛てのラブレターでしたか? 他の誰かへの出し間違いとか、実はラブレターじゃなくて脅迫状だったとか、そういうことはないですか?」
「深読みはしなくていいよ。どう読んでも、あれは私宛てのラブレターだった」
宛先は先輩で、ラブレターとしか解釈できない本文が書いてあった。
だが、ラブレターとしての要件を満たしていない。
なら、答えは決まっている。
「差出人の名前がなかった……ということですか?」
「正解。さすがは私の助手だ。ご褒美に頭をわしゃわしゃしてあげよう」
「いえ、それは結構です」
「そうか……」
先輩は名残惜しそうに手をわきわきさせた。
「……ちょっとだけでもダメかな?」
「ダメです」
ご褒美とかじゃなく、単に僕の髪に触りたかっただけらしい。
しばらくしょげていた先輩だったが、すぐに立ち直った。
「じゃあ、本題に戻ろう。君の言った通り、ラブレターには差出人の名前が記載されていなかった」
ほら、と先輩は僕にラブレターを見せてくれた。
それは、名刺サイズの小さな便箋だった。
ピンクを基調として、右下に花柄をあしらった可愛らしいデザイン。
このご時世に、ラブレターで思いの丈を伝えようなんて古式ゆかしいやり口を実践するだけあって、差出人はメルヘンチックな嗜好の人物のようだ。
あるいは、先輩の趣味に合わせたのかもしれないが。
僕は便箋を開き、中の手紙に目を通した。
『天生目鏡子様。
あなたがお花を大事にされている姿に一目惚れしました。
あなたのことが好きです。大好きです。
お返事お待ちしております』
特に変わったところのない、普通の手紙だ。
これだけでは、差出人の正体なんて推理しようがない。
しかし、先輩は立て板に水を流すように話し始めた。
「このラブレターから分かることは三つある。
一つ目は、差出人はこの高校に在籍していること。外部の人間が、わざわざ私の下駄箱にラブレターを入れるはずがないからね。
二つ目は、差出人は私と同じ中学に通っていたこと。私は高校に入ってから、人前で花を世話したことはないからね」
「なるほど……」
僕と先輩は中学が同じで、当時先輩は園芸部に所属していた。
そのことを知らなければ、この文章は書けない。
僕の中学からこの高校に入った生徒はそう多くはないはずだ。
これで、一気に候補が絞れた形になる。
さすがは先輩だ。
僕が感心してうなずくと、先輩は嬉しそうに口元をほころばせた。
「そして三つ目に、差出人の名前が書いていないのは、作為的なものだということだ」
「わざとってことですか?」
「そう。つまりこれは、差出人からの私に対する挑戦状なんだよ。自分の正体を推理してみろっていうね。このことから、差出人は私の性格を熟知した人間に違いない」
「はあ」
どうだろう。単に書き忘れという線が否定できない気がするが。
すると、先輩はちらっとこちらに流し目を送ってきた。
まるで『私は全てお見通しだよ』と言わんばかりの視線に、僕は内心首を捻る。
そして、先輩は満を持して告げた。
「これらを踏まえると、差出人の正体はたった一人に絞られてくる。――そう、君だ。犬神君」
「へ? ぼ、僕ですか?」
「そうとも。中学も高校も同じで、私が探偵であることを知っている人間。しかも、君は現在、私が学校でもっとも親しくしている相手だ。君が私に好意を抱き、関心を引こうととして今回の謎を用意した……と考えるのが妥当だと私は思ったのさ」
「なるほど……」
つい納得してしまった。
確かに、僕としても、今一番学校で先輩と仲がいいのは僕だという自負がある。
差出人の条件にもぴったり当てはまっている。
なら、先輩が差出人を僕だと勘違いするのも無理はない。
先輩はニヤニヤしながら僕のそばに歩み寄ってきた。
「いや~、まさか君が私にラブレターを出してくれるとはね。何だ何だ水臭い、毎日こうして顔を合わせているんだから、直接言ってくれればよかったのに。でも、君のそういう奥ゆかしくて凝り性なところは嫌いじゃないなあ、私」
何がそんなに愉快なのか、上体を傾け、上目遣いで僕の顔を覗き込んでくる先輩。
いつものごとくからかわれているだけなのか、それとも本当に僕のことをまんざらでもなく思ってくれているのか、判断がつかない。
いや、でもこの感じは案外押してみればいけるのでは……いやいや、過信は禁物だ。
こういう話を聞いたことがある。
告白とは、女性の好感度を一気に高める魔法の呪文ではなく、親密な男女が『俺たち付き合ってるよね?』と確認する儀式に過ぎないのだと。
僕はまだ、先輩と手もつないでいないし、二人で遊んだこともない。
こんな状態で告白なんかして『ごめん、君のことは助手としか思えないよ』なんてことになったら最悪だ。
今までの居心地のいい距離感が台無しになってしまう。
僕はすんでのところで思い留まり、断腸の思いで真実を告げた。
「すいません、先輩。外れです」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食ったように、先輩はきょとんと目を丸くした。
「そのラブレター、出したの僕じゃないです。昨日は先輩より先に下校しましたし、今日登校したのも遅刻ギリギリなので、先輩の下駄箱にラブレターを入れる時間はないんですよ。僕の担任に確認をとってもらえば分かります」
先輩の顔がじょじょに赤くなっていく。
耳まで真っ赤になったところで、先輩は堰を切ったように推理の補強を始めた。
「で、でも、帰ったふりをして学校に戻って、ラブレターを入れることはできただろう?」
「僕、バスと電車通学なんですけど、校門近くのバス停は本数が少ないので、十八時二分の便を逃すと、次の便まで二十分以上待たされるんです。僕の通学時間はだいたい一時間前後で、昨日帰宅したのは19時ちょうどです。その時間にテレビでやってたニュースの写真もありますよ」
その番組に出ていた女性タレントが、先輩にそっくりだったので、思わず写メを撮ってしまったのだ。
まさか、こんな形で僕のアリバイを証明してくれることになるとは思わなかったが。
先輩は見るからにうろたえ、しきりに自分の髪の毛の先端をいじっている。
「な、なら今朝のアリバイはあるのかな? 私がラブレターを発見したのは七時五十分。君の家からでも、七時前に出発すれば問題なく間に合うはずだけど?」
どうやら、どうあっても先輩はラブレターの差出人が僕だということにしたいらしい。
僕は首を振った。
「恥ずかしい話ですけど、僕はいつも母親に起こされているので、僕が七時過ぎまで寝ていたことは母親が知っています」
「…………」
とうとう諦めたのか、先輩はべちゃりと目の前の長机に顔から突っ伏してしまった。
「……もうやだ。無理。帰る」
「ええ!? どうしてですか、まだ部活始まったばかりですよ!?」
「だって犬神君じゃなかったし。なら差出人なんて別に誰でもいいよ」
「ええ……」
さっきまであんなにウキウキしていたのに、見違えるほどの不貞腐れようだ。
たった一度、推理を外したくらいで、先輩が謎への興味をなくすなんてらしくない。
よほど推理に自信があったのだろうか。
「いや、でも返事はしてあげないと可哀想ですよ」
「自分が名前を書き忘れたのが悪いんじゃないか。そんなに告白したいなら、また何かアクションを起こすだろうし、そのときでいいよ」
実にもっともらしい意見だ。
まあ、しばらくすれば機嫌も戻るだろう。
僕は先輩をとりなすのをやめ、読みさしの文庫本――もちろんミステリ――を開いた。
ミステリに出てくるような探偵なら、謎を解くのを諦めたりなんかしない。
どんな難事件であっても、必ずそれは探偵によって解き明かされる。
けれど、現実には名探偵なんていない。
だから、こうして誰にも解かれることなく、謎のまま忘れ去られる事件だってある。
僕としては、ライバルが減るのは喜ばしいことだし。
何ページか読み進めたあと、僕は先輩の方を見やった。
先輩は相変わらず机に突っ伏していたが、僕に後頭部を向けたまま、スマホをいじくっているらしい。
ふと、僕は気になって聞いてみた。
「先輩。もし、あのラブレター出したのが僕だったら、なんて返事してくれてました?」
「……君じゃないんでしょ」
「まあ、そうですけど」
「なら教えない」
むっつりとした声音のまま、先輩はつっけんどんに答えた。
もし、嘘をついて『実は僕の出したラブレターでした』と言ったら、ここで答えを聞かせてくれたのだろうか。
若干後悔しながら、僕は再び小説の紙面に目を落とした。
後日、本物のラブレターの差出人が現れ、ひと悶着起こすことになるのだが、それはまた別の話。
お読みいただきありがとうございました。
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