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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

首狩閣下エリーの婚約破棄から始める超高速王位簒奪

作者: 甲斐桂十郎




 エリーこと、エリーザメル・サザンバール・サザンバーレムはサザンバール王国の若き女公爵である。

 先王の弟であった父と隣国の皇女であった母との間に生まれ、立派なサザンバーレム公爵令嬢として育ってきたが、この両親が事故で早世してのちはちょっかいをかけてくる有象無象どもを蹴散らして彼女自身が女公爵として立ち家を守ってきた。

 今年で13歳になるかわいい弟マークスメルが成人年齢である満16歳を迎えたあかつきには家督を譲り、既に決まっていた王太子との婚約に従い現王室へ嫁ぐ予定であった。であったのだ。

 一応、今このときまでは。


「エリーザメル・サザンバール・サザンバーレム!平民であるルミリアに対する差別とそれによる度重なる嫌がらせ!付随する犯罪行為!ルミリアの証言によって貴様の悪行は既につまびらかだぞ!王太子ロンデール・フラム・サザンバールの名においてこれなる悪人の断罪、当然ながらこの悪人との婚約の破棄を宣言する!そして私は可憐なる彼女、ルミリア・ミーガンと結婚する!」


 クソボケ婚約者が何かアホウをほざくのは今に始まったことではないので、エリーはアホウのアホウっぷり自体に今更思うことは殆どなかった。嫌な慣れである。

 "そこそこ"の商家の娘であるミーガン何某がアホウどもを侍らせているのもこの一年さんざ報告されたことで今に始まったことではなく、庶民が無礼をなすなどどうということもない。

 しかしながらこの度は場が悪い。最悪だ。他国の要人も多数出席する各家の子女らの成人祝いの大夜会なのである。両者四年前に成人済みの王太子も公爵であるエリーもホスト側なのである。アホウアホウとは思っていたがまさかそんな夜会で、主役の子女らそっちのけで、国のそして己の恥部をこうも堂々と曝すとは……。

 まさかという言葉を使ったが、あくまでそれはエリーの「心情」によるものである。実際にはアホウのアホウによるアホウなこの茶番は諜報によって事前に(実に簡単に)察知されていたし、エリーはその上でこの最悪の茶番に付き合っていた。もし本当にこんな超現実的アホウが現実となろうものならいよいよその時は、いっそ色々といい機会であると判断してのことだ。潮時とも言う。

 だがそれでも、どんなに分かりやすく調えられた報告書を読んでも、いっっっかなアホウといえどまさかこんなことをマジでするヤツがおるか?信じられんし本気で意味がわからんが??という心情は覆しようが無かった。


 これでもエリーは王太子の婚約者となってからの数年間、ことここに至るまでアホウの王太子本人には勿論、王にも王妃にも幾度となく色々なことを色々な形で進言してきた。けれどもこの王も王妃も脳内お花畑のポンコツどもだった。


 そもそもこの王と王妃の婚姻に至るまでの経緯も酷かったのだ。王妃が元は男爵令嬢、今息子が大体親と同じことをしようとしている、でお察しの具合である。

 現王誕生の後、産後の肥立ちが悪くお隠れになった先王妃殿下も、色々あった二十数年前には既に病に倒れられていた今は亡き先王陛下も、特別おかしな方ではなかったというのに子と孫はこの有り様である。先王陛下の病は心労が原因だと一部では言われ続けている。エリーも概ね同意である。

 そして、なにせ、色々酷かったので、王室の求心力は大層落ち込んだ。現王室が吸い寄せるのは当然アホウを利用して甘い汁を啜ろうという輩ばかり。ましてやエリーの父、先王の弟であった前サザンバーレム公爵が亡くなってからはこの国終わったな、と貴族にすら亡命しようとしたものが出たくらいである。これが情報を他国に持ち出そうとしたため、見せしめもあって拷問によって吐かせるものは吐かせた末に切り捨てられたのだが。

 この一件ではそこそこの首が飛んだ。女公爵エリーの大きな初仕事と言ってよかった。


 この崩壊寸前の国体を必死になって守っていたのが宰相アンドラス・ペグ・マルと彼率いる宰相部であり、今破談になろうとしているエリーと王太子の婚約を纏めたのも宰相アンドラスの仕事だった。

 代々宰相部に関わる家の一つであるペグ・マル家の中でも抜きん出て優秀(くろうしょう)なこの男は、先代宰相である父が病に倒れ(これも諸々による心労と過労が原因だと言われ続けている)、三十二歳という異例の若さで宰相に着任して以降必死だった。必死の中の苦渋の決断がこの婚姻政策である。いなや、であった。


 両親亡きあと成人したばかりの女の身で公爵位を継いだがゆえの様々なやっかみやちょっかいやあらゆる理不尽を被るも凶悪な豪腕&辣腕ぶりを発揮し、時に政争時に暴力で国内外の有象無象を黙らせてきた怪物……もとい若き女傑であるエリー。

 加えて現王の従妹であり隣国の皇室の血も継ぐそのやんごとなさから現在未成年の弟を抑え王位継承権2位とされるエリー。

 規格外に強い魔力と物理的武腕とが合わさり一騎当千を地でいくシンプルにむちゃくちゃ暴力が強いエリー。

 いつのまにか首狩閣下とか呼ばれていたエリー。

 物騒なあだ名がついてる割に領民や軍閥や一部の地方貴族にはやけに慕われているエリー……。


 爆発物か劇薬かはたまた爆発する劇薬か、という存在ではあったが、失墜しきった王室の権威を取り戻すには最適のカリスマであった。殺しても死ななそうなところも適している。これでただの暴れ馬なら問題だが、そこそこ人の話に耳を傾ける度量もある。

 何より若くして私心を捨て民持つ国というものを背負う自覚のある正しい貴人であった。アンドラスは彼女に足りない経験は己が補えばそれでいいと判断し、劇薬を取り込む覚悟を決めたのだった。

 そしてこれまで、まだ少女と言ってもよい歳だったはずのエリーは、そんな彼女を巻き込んだことにアンドラスが覚える罪悪感などものともせず、誰より頼りになる宰相アンドラスの助っ人(きょうはんしゃ)となって王室の権威再興に影に日向に協力してくれていたのだ。


 それが結局この一年であれよと言う間に"この有り様"である。ホスト側の一人として居合わせたアンドラスも虚無感で死んだ目をした。

 彼もまた当然事前に諸々を知り得ていたし、マジでこうなったらいよいよやらかすからなという先に匙を投げていたエリーの宣言も受けていた。でもマジでこうなるなんて信じがたかったのだ、シンプルに意味がわからん。これだから馬鹿というのは怖い。

 国の為のみならず王家への忠誠心をもってアンドラスが必死で調えた婚約だったのだ。国の為だけを思うならまともな人間は早死にしてしまって現状ヤベエ馬鹿しかいない王室一家なぞ揃って病死していただいた方がナンボも、ナンッボも、マシだし早いのである。それを分かっていて頑張ったらこれである。そら目も死ぬ。徒労感が常に過労気味のアンドラスの心身にトドメをさしそうであった。

 しかもここから歴史書に残る動乱が目の前で起こるのは、すでに決まったことだというのだから。





「……フーッ」


 深く息を吐き、そして顔を上げたエリーはそれまでちゃんと被っていた淑女の皮を投げ捨てた。ただ姿勢を少し変え、呼吸の法を変えただけであったが、威圧感が体感で十倍にはなった、とはすぐ近くでそれを目撃することになったとある侯爵家の嫡男の言である。


「そこな女、直答を許す。これなる男に暗なり明なり脅されてこの場に付き合わされているのではあるまいか。そうであるならば正直に申せ。私は寛大であるゆえ逆らえぬまま使われた無辜の民を罰しなどせぬ」


 急に将軍かなにかのような口調で話し始めたドレスをまとった淑女の姿は滑稽になってもおかしくなさそうだったが、場内に響く声にはやたら威厳が満ちていて誰も咄嗟におかしいと思えなかった。


「そ、そこな女ってあたしのことですかぁ!?ひどぉい、あたしにはルミリアって名前がちゃんとあるんですぅ!そうやって平民だからって差別してぇ!いじめですぅ!」

「……ならば自分の意志でそこにおるのか」

「当然ですぅ!あたしとロンデール様は愛し合ってるんですからぁ!」

「……ハッ、よもやこれなる男というのは私のことか!?」


 王子、気付くのが遅い。


「そうか、ならばもうよい」


 文字通り瞬きの間のことだった。ルミリアの首と胴とはわかれわかれになっており、エリーの手には細身の剣が握られていた。


「なそうとして国家に仇なすならば逆賊である。衛兵、疾くこれを片付けよ」


 しずしずと数人の衛兵が前に出てエリーの指示通り二つに別れたルミリアの体を回収する間、突然の惨劇にも悲鳴ひとつあがらず会場はしんとしたまま。突然すぎて状況を掴める人間が殆どいなかったのである。

 人一人首をはねられたというのに血飛沫一滴舞わないのも周りの人間を置いてけぼりにする要因だったが、血汚れを嫌ったエリーによる首を切る瞬間に断面を魔法で凍らせるという超絶首狩技巧のせいだった。


「な、な……」

「殿下、一応お聞きしよう。あれなる毒婦に騙されてこうなすったのではあるまいか」

「ルミ、ルミリア……?ルミリアはどうしたのだ……!なん、なんなのだあれはァ!」

「どうしたとは随分な。目の前でご覧でしょうに。あの毒婦は私が首をとりました」

「ヒィイイイ!!」

「それで、殿下は騙されてではなくご自分の意志でああなさったのですね?」

「衛兵!衛兵!私の愛するルミリアを殺したこの逆賊を捕らえよ!未来の王妃を殺した逆賊だ!切り捨ててもよい!」


 衛兵は当然のように動かなかった。


「あれを未来の王妃などと言うのならばもうよかろう。貴様も国家に仇なす賊である。ここに王位継承権二位たるサザンバーレム公爵エリーザメルが告げる。王太子の身でありながら賊となったロンデールをここに討つ。異のあるものは前へ出よ。五秒待つ」


 誰も前に出てくることなく五秒がたち、そして瞬く間に王子の首と胴も泣き別れとなった。一人喚いていた王子が静かになったのでまた会場は一時無音に戻った。

 しかし流石に身の程を弁えぬ平民が無礼討ちに合うのと王子が討たれるのとでは訳が違う。先程と同じく血の一滴も落ちない超絶首狩技巧であったが、徐々にざわめきは拡がった。


閣下(・・)、こちらも処理いたしますか」

「ああ、首から下はもういらんな。残ったタネを余計なことに使われてもつまらん、とっとと燃やしておけ」

「はっ」


 エリーの指示に従うべく、王子の遺骸を干からびたナメクジを見るような目で見下ろした衛兵長は部下を呼んだ。





 さて、今日この時この場には王と王妃も臨席していた。


「陛下ァ!ご覧のままにございます。ここに逆賊を討ち取りました。しかしてこの首は堕ちても王家の血を持つものの首、王墓に入れるを許すか罪人と同じく葬るか、御裁可をくださりませ!」


 エリーは髪の毛をわしづかんで元王子の首を持ち、王と王妃の座す前へかつかつと大股に寄りながら広い会場に響く強い声でかく述べた。


「……ヒ、い、イヤァアアアアッ!!」


 最初の返事はようやく事態を飲み込んだ王妃の悲鳴であった。

 たかだか(・・・・)息子の首を眼前に掲げられたぐらいのことで街の小娘のごとき悲鳴をあげ卒倒する王妃に一瞥をくれると、エリーは王に向き直る。


「陛下、いかに!」

「おぉ、おぉ……ロンデール、ロンデール……!可愛い余の息子になんと惨いことを……!衛兵、衛兵よ……!このものを討ち取れい!」


 わかっちゃいたが息子のリアクションと殆ど同じか芸のないクソ陛下め、という内心を隠すことなくありありと表情に出していたエリーだったが、幸か不幸か誰もそれを見るものはなかった。なんせエリーの正面にいる王と王妃はそれどころじゃないのである。


「陛下、国家の益のため王命として正式に下した婚約という命を破り、

婚約者である以前に公爵位にある臣下に対し、なんらの正統性もなき罪をなんらの手続きも踏まず公衆の面前で突然に着せ名誉を汚し、

あまつさえどこの馬の骨とも知れぬ小娘を王室に入れようなどと画策する、

平民を差別するなと言いながらまるで己の立場を弁えぬのにその権力を用いようとはする愚かな者を、王子ですらなく、可愛い息子とおっしゃって庇いますか」

「衛兵!何をしておる!衛兵!」


 衛兵たちはぴくりとも動かない。他の誰もが劇を眺めるかのように眺めるばかりだ。エリーは観客たちの方を向いて喜劇の役者をせいいっぱいつとめることとする。


「ならばよい!これなるは国家の王にあらず!馬鹿な息子の馬鹿な親よ!()は宣言する!余こそ王なり!これを誅してここに玉座をとる!」


 あっという間に王と王妃の首は落とされて、空いた王の椅子にエリーが座ると、何を言われるまでもなく衛兵たちが首以外の遺骸を片付けていった。

 三つの首はエリーの足許に並べてある。


「すっかり成人祝いの場を奪って、皆には申し訳ないことをしたな。しかし折角諸国の客人も揃っておる、余の戴冠を見届けてくれ」


 エリーは足許の王の首から王冠をむしりとると、無造作にそれをかぶった。


「ここに十七代サザンバール王エリーザメル・フラム・サザンバールは成った!異のあるものは余を討ちに来るがよい。受けて立つ」


 一仕事終えて戻ってきた衛兵たちも合わせ、その場にいた軍閥の者たちが皆ざっと一斉にエリーに向かって跪く。その光景は、新王が既に軍閥を完全に掌握しているこれ以上ない程の証左であった。

 加えてこのクーデターが全く予定通りの演目であるという、国内貴族と周辺諸国への示威だった。


 やたら動きの揃って派手な拝礼を見せた軍閥連中の影に隠れて、居合わせた宰相部の人間たちもまた、もぞもぞと跪いていた。中には当然宰相アンドラスもいた。

 徐々に大きくなる拍手の音、最中に誰かに何かを報告するべく走り去る幾人かを見送って、エリーは跪いた者たちの顔を上げさせた。


「祝いの拍手をありがとう。いや、いや、余の初仕事は成人祝いの仕切り直しであるな。諸々追って知らせるゆえ、沙汰を待て。さて、余は今宵これで失礼しよう」








「余は暴君よ。そうであろうアンドラス」

「ええまあ、否定はできませんね」


 エリーと宰相アンドラスは二人で会場を出てきた。

 エリーをうっかり再び閣下と呼んだ衛兵長が、それを叱られて嬉しそうにしつつ護衛を買って出たが、エリーがそれを必要ないと断ったのだ。なんせ本人がとっても強いからである。実質エリーがアンドラスの護衛であった。

 二人が宰相部の執務室へ向かう道中、勇気ある反逆者は結局二グループ計九人あったが、エリーによってすみやかに首と胴とが別パーツにされた。


「余は横暴な君主ではなく、大層暴力の強い君主ではあるがな。由緒ある貴血に暴力が合わさればこれ程便利なこともあるまい」

「……その便利に、穏当に王室に入っていただきたかったんですがねぇ」


 切った張ったに慣れないアンドラスがいささか顔色を悪くしてため息をつく。


「諦めよ。この国の民は多くが狼のような気性の連中ゆえな。仰ぐ君主がああも弱くては結局早晩荒れたわな」

「そうなんですがねぇ……。あぁ、陛下が最初から王室に王子として産まれてくださっていたら……」

「む、そう言ってくれるな。余が余ゆえ皇国の血も汲めるのだ」

「そうなんです、そうなんですけどね……」


 執務室に到着しエリーが強固な魔法結界を張って部屋を閉じると、主君となったはずのエリーを待ちもせずアンドラスはソファーにぐんにゃり腰掛けた。


「陛下が最初から王子だったら嫁の候補には絶対に困らなかったろうと思うと……!」

「おいこら、婿の候補には困るように聞こえるぞ」

「困ります!!困ってます!!!」

「ひどい」


 気安く自身のすぐ隣に座ったエリーを、目を細めて見やりながらアンドラスは深々と今日何度めかのため息をついた。


「……あなたが王子だったら、結婚相手をそこそこ選ぶ自由を差し上げられたものを。惚れた相手と結婚することすらできたかもしれない」

「今の余では惚れた男を王配に出来ぬと言うか?」

「まさか、そんな相手がいらっしゃいますか?

……いらっしゃったとして、どうにか希望を聞いて差し上げたいんですがね。

たとえ希望を聞かずともちょうどいい候補がいない状況なんですよ。軍閥家のちょうどいい年頃の男なら皆誰でも喜んであなたの婿になるでしょうが、あなたの執政下において軍閥から王配を取り立てるのではあまりにバランスが悪い。かといって宰相部をはじめとして官僚閥の家にはちょうどいい年頃の男がいない。……あなたならおわかりでしょうに」


 まさか、この女王まで恋愛脳でポンコツになるのか……?とアンドラスは押し寄せる不安に年甲斐もなく震えた。なにせ全てにおいてポンコツだった前の連中とは訳がちがうのである。


「ははは、そう怯えた顔をしてくれるなよ。いやぁ、余の惚れた男はすごいぞ。宰相であるお前がうんとさえ言えば丸く収まること請け合いだ」

「ご冗談を……そんな相手に心当たりは」

「余の惚れた男の名は、アンドラス・ペグ・マルという」


 エリーはちょっとアンドラスの顎が落っこちるのではないかと心配になってしまう。


「な、なにを……聞き間違いですか……ははは過労で耄碌しましたかね私は」

「アンドラス、好きだ。私のお婿さんになってくれ」

「ウワーーーッ何言ってるんですか冗談でもそんなやめてくださいよ!!!」

「そこまで言うか……そんなに私が嫌いか……?」

「い、いや嫌いとかじゃなくですね!?私がいくつだと思ってるんですかあなたの十六上のオッサンですよ!?

…………ましてや、ましてや私は過酷な運命を背負ったばかりの十六歳のあなたに、より重たいものを容赦なく背負わせたクソ野郎です。多少は都合がいいからといって妥協するにもタチが悪い。

あなたのその国への献身には大いに敬意を抱いていますが、もうちょっとご自身を大事になさってください。いやもう私が言うことかという話なんですが。あとやっぱりなかなかちょうどいい相手も見つからないんですが」


 アンドラスがモゴモゴブツブツでもせめてもっと若くて見た目のよい男くらいは……薬にならずとも毒にならない程度の男からならあるいは……などと呟き続けるので、いささかムカついたエリーはこちらを見ない男の額によくよく手加減したデコピンを食らわすことにした。パチーン!と大変いい音が響く。

 声もあげられないまま額を両手でおさえ、涙目でプルプルしながら自分の方を向いた十六歳上の男が大分可愛くて、エリーはちょっといけない扉を開きそうだった。


 エリーの初恋の男は、仕事が出来て、心根が優しいくせに容赦がなくて、必要ならば手段を選ばなくて、かっこよくて、厳しくて、その上可愛いのである。最強だ。ちょっと歳上なのがなんだ。十六歳差なんざ貴家の結婚にはそこまで珍しいものでもない。歳下すぎて気遣う以外ではエリーのことを女として意識してくれないのはさみしいが、そういうところも好きなのだ。

 エリーのことがイヤだ嫌いだと言うんでなければ遠慮をする道理はない。エリーは賢い女である。初恋の男から必要ならば手段を選ばないことも学んでいる。


「大体なアンドラス、忘れているかもしれないが今余とお前は密室で二人きりだ」

「そそそそそんな今更、今までだって執務で何度もそういうこともあったでしょう。私にあなたをどうこうするなんて無理なのは周知の事実なんですから既成事実なんて扱いには公然とならずに今までずっと」

「余がお前をどうこうすることはできる」

「ふアッ!?!??」

「なあどうすれば信じてくれる?お前がうんと言ってくれれば、私は初恋の男と結婚できるんだ……」

「趣味の、お悪い……」

「そうだなぁ。なにせ私がお前に惚れたのは、「現王室の権威は地に堕ちました。王子も馬鹿です。あなたにはそんなところへ嫁いでいただく」と両親を亡くして半年の小娘の私に容赦なく言わなければならず、苦しみながら必死に罪悪感を隠していたお前だ」

「ううぅ本当に趣味が悪いぃ……!」


 エリーは頭を抱えて悶えるアンドラスを見て微笑んだ。


「なぁ、もう私が本当にお前に惚れていると、十分わかったろう?そして、お前はお前に惚れた余を利用するくらい、簡単にできるであろう?

余とお前が結婚すれば都合が良いのだ。たとえお前が余に惚れなどしなくとも、お前は必ずうんと言う」

「……全く本当に、趣味がお悪い。王となったあなたにはせめて、あなた自身を愛する男と添うて欲しかったのに」

「いつかお前が愛してくれてもいいのだが?」


 そこでただ何も言わず、困った顔で笑うだけのアンドラスがエリーは好きなのだった。

 













「姉上!」

「おおマークスメル、可愛い弟よ!息災か?」

「全くもう、姉上はいつまでも私のことを可愛いとおっしゃる。とっくに大の男ですよ。それに息災かとはこちらの台詞です。怪我をなさったと聞きましたが、お身体は大丈夫なのですか」

「どんなに立派に育ったとて、可愛い弟はいつまでたっても可愛いものだ。今この時はお前の姉上であって陛下じゃないんだから、いくらでも可愛がるとも。怪我の方は大したことはない。ちょっと暗殺者相手に油断して足に少しな。まぁ、すぐに治る」


 春のやわらかな日差しの中で、良く手入れされた庭園のベンチに腰掛けたエリーは、一人穏やかに笑っていた。

 向かいのベンチに座った今年二十歳になったエリーの弟マークスメルは、王弟として公爵位を継いで四年、ぼちぼち思春期に抱えた偉大な姉へのコンプレックスに折り合いをつけて、いまや素直なシスコンに戻っている。


「……しかし、姉上を一人おいてゆくなど。……酷い男ですね、アンドラスは」

「……ふふ。あー、アンドラスと結婚すると言ったときのお前は可愛かったなあ。 十三にもなって、アンドラスなんかと結婚するなら僕が姉上と結婚するなどと言って」

「もう、いつまで蒸し返したら気が済むんですか」

「んふふ、一生だとも。しかしマークスメル、まだアンドラスが嫌いか?」

「嫌いですよ、一生。なにせもう、許す機会がありませんから……」





「そろそろ隙あらば私が死んだみたいに言うのをおやめいただけませんかね、サザンバーレム閣下……」


 さくさくと足音を立てて気まずげに現れたのはアンドラスであった。


「おお、おかえりアンドラス!」

「私は何も変なことは言っていませんよ。お前が姉上を一人おいて二泊かかる出張に行っていたのは事実ですし、私が今後お前を許す機会などないのもただの事実」


「母上!」

「オルクスもおかえり。父上と一緒に出張、楽しかったか?」


 そしてアンドラスの後ろから駆けてきたのは、王子オルクスである。母の足の怪我を気遣いながらも、オルクスは大好きな母にぎゅっと抱きついた。


「楽しかったです!でも母上と会えなくてさみしかったです」

「おーよしよし、母上もさみしかったぞ。ほら叔父上もいるからな、ちゃんとご挨拶なさい」

「叔父上ひさしゅうございます!」

「やあ、久しぶりオルクス。今年で六歳だったか?」

「はい。来月で六歳となります」

「そうか。あっという間に大きくなるなぁ」


 挨拶を終えたオルクスは母エリーの隣に座り、アンドラスだけが立って控える。


「……あの、その、叔父上?さっき聞こえてしまったのですが、叔父上が父上のことが嫌いというのは、ほんとうですか……?」

「おや、聞かれてしまったか」

「ほ、ほんとうなのですか?」

「そうとも。信頼はしているがね。大嫌いだよ」


 オルクスはそんな……と小さな声でこぼしながらも泣くのを必死に我慢していた。


「オルクス、私がなんで君の父上のことが嫌いか、どうか聞いておくれ。なんとなぁ、君の父上は君の大好きな母上であり同時に私の大事な姉上を結婚の前に泣かせた酷い男なんだ」

「父上が、母上を……?」

「いやいやいやちょっと、閣下、何を話す気ですか」

「そうだよオルクス。この二人は姉上の方からのプロポーズで結婚することになったんだがな。姉上が愛してくれるか?と問うたのに、このアンドラスの朴念仁ときたら返事をしなかったというのだ。そのくせ結婚はした訳だな。勿論王族を含め貴人というのはその立場に責任があるゆえ、好き合っての結婚などむしろ珍しい。オルクスももう習ったな?」

「は、はい。叔父上」

「だがな、姉上は結婚前からこのアンポンタンのことが大好きだったのだ。プロポーズをしたという日の夜、姉上は泣いていてな。初めて姉上が泣いているところを見てびっくりした私がどうして泣いているのか問うと、アンドラスがプロポーズの返事に、嘘の言葉でいつか愛すると言わなかったことが嬉しいと言って泣いていたのだ」

「……あー、こら、弟よ。ちょっとそこは私も恥ずかしいやつだぞ」

「その時十三だった私は怒った。嬉しいと言って泣いていたが、姉上はどこか寂しそうだったのだ。だからなぁ、そんな男と結婚するくらいなら私が姉上と結婚すると、出来はしないと分かっていて駄々をこねてやった。そう言いたくなる気持ちを、他ならぬお前なら分かってくれるだろう?オルクス」


 ひどいひどいと共感し合う叔父と甥をよそに、アンドラスは愕然としてエリーを見ていた。


「泣いた、のですか……?あなたが」

「う……七年越しにお前にバレたか。言っていただろう、嬉し泣きだよ嬉し泣き」

「親が死んでも初めて人を切っても泣きも喚きもしなかったあなたを、私はあの日、泣かせたのですか」

「こら、だから……」


「父上が母上のことを愛していないなら、オルクスが母上と結婚しますからね!オルクスは母上をいっぱい愛しているんですから!」

「……父もお前の母上のことをいっぱい愛しているのでダメです!」

「あっ……えっ?」

 

 こそこそと叔父にそそのかされたもうすぐ六歳児の略奪愛宣言は、朴念仁の口から七年越しの愛の言葉を生む。

 ちょっとやけくそ気味な上に息子の言葉に便乗したそれはしかし、今や首狩閣下を卒業し、賢暴兼備の君と称されるようになった女王エリーの顔をじわじわ真っ赤に染めて、また涙ぐませすらした。効果は抜群である。


「い、いつから、あの、いや本当かアンドラス?いやすまん答えんでいい答えんでいい」

「おい、また姉上を泣かせる気か。アンドラス」

「……あああもう本当ですし、その、オルクスが産まれる頃にはもう……妻としてあなたを、その……あ、愛しておりましたよ!」


 立ち上がってやったー!と喜ぶオルクスと言わせておきながらこれでもかと苦い顔をしたマークスメル。

 少女のような顔でポロポロと泣きながら微笑むエリー。


「ふふ、また嬉し泣きだ。止まらんなぁ。小娘のようで情けない。余も恋愛脳のポンコツかもしれんぞ、アンドラス」

「陛下は仕事には持ち込まれませんでしょう……しかし、結局泣かせてしまいましたね」

「いいんだよ、嬉し泣きだから。大体唯一私を泣かせる男が余の王配というのは妥当であろう?

それに、照れながらやけくそで愛してるというお前が大層可愛かったのでご褒美だな」

「はぁ、全くもう……あなたは本当に趣味がお悪いままだ」








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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい。 最近ざまぁものの癖に無駄に生かして当事者以外にも迷惑をかけ続ける使い回しのようなものが多い中、すっぱりと即座に処理をするのはヘイトが溜まりすぎなくて良かったです。
[良い点] こんな良い女は100年幸せになるべきだなw
[良い点] 「余がお前をどうこうすることはできる」 やだ…漢前…壁ドンされたい…(トゥンク) [一言] ルミリア嬢の御実家は娘がこんなんやらかすってのは想定外な動きだったんですかね。 そこそこの商家っ…
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