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それぞれの傷  作者: 口羽龍
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第3話 なごり旅

 翌日、理恵は新大阪駅にいた。これから始まる旅への期待と不安でいっぱいだ。


 週末ということもあってか、ホームには多くの家族連れがいる。理恵は家族連れがうらやましかった。自分には息子がいない。昔はいたのに、自殺した。夫も死刑になった。もう牧夫さんしかいない。理恵は寂しくなった。


 理恵はのぞみ9号博多行きに乗った。自由席に乗ったが、満席で座れない。理恵は残念がったが、早く、安く行くためならこうするしかなかった。


 9時36分、のぞみ9号は新大阪駅を出発した。車内には多くの家族連れがいる。彼らはとても楽しそうだ。これからの旅行にわくわくしていた。理恵は彼らをうらやましそうに見ていた。敦が生きていて、剛が逮捕されていなかったら、こんなことにならなかったのに。


 トンネルを抜けると、新神戸駅に着いた。新神戸駅はトンネルの間にある駅で、神戸地下鉄との乗り換え駅だ。


 新神戸駅から神戸の街並を見て、理恵は剛との結婚式のことを思い出した。剛と出会ったのは神戸だった。大学生の頃に知り合い、神戸市内の教会で結婚式を挙げた。あの頃はとても幸せだった。子供ができて、一緒に暮らしているときが一番幸せだった。


 でも、今はもう過去のこと。そして自分は、新しい男性と結婚しようとしている。結婚式を挙げるなら、剛と同じところがいいな。


 新神戸駅を出た新幹線は再びトンネルに入った。次は岡山駅だ。ここで降りて後楽園に行って、倉敷の美観地区へ向かう予定だ。


 10時22分、岡山駅に着いた。理恵はここで降りた。ここから岡山電気軌道に乗り換えて城下駅で降りる予定だ。


 理恵は岡山電気軌道のホームにやってきた。岡山駅とは地下通路でつながっている。1面2線と突端式ホームで、ホームは低い。


 岡山電気軌道は岡山駅前と東山駅を結ぶ系統と岡山駅前と清輝橋駅を結ぶ系統がある。理恵は東山へ向かう系統に向かう。


 ホームには電車が来ていた。だがそれは普通の電車ではなく、観光電車だ。名前は「おかでんチャギントン」で、イギリスのテレビアニメのキャラクターを実写化したものだ。


 この岡山電気軌道には地元出身の水戸岡鋭治デザインの電車が多く走っていて、これもそうだ。向かいのホームにやってきた超低床電車も彼のデザインだ。


 理恵は向かいにやってきた超低床電車『momo』に乗った。これが次の東山行きだ。車内は所々に気が使われている。これが水戸岡鋭治のデザインの特徴だ。


 電車は城下に着いた。理恵の他に、多くの乗客が降りた。彼らもこれから後楽園を目指すと思われる。


 理恵は歩いて後楽園にやってきた。後楽園には多くの観光客が来ていた。その中には家族連れが多くいた。


 理恵は30年前に後楽園にやってきた時のことを思い出した。家族3人、旅行でやってきた。敦は初めて見る鶴の鳴き声に驚き、見て感動した。その後に岡山城に行って天守閣から岡山の街を見下ろして感動した。でももう敦も剛もいない。今は1人だ。理恵は寂しくなった。


 昼食は岡山駅の吾妻寿司で祭り寿司を食べることにした。その後は倉敷の美観地区へ行き、広島へ移動する。


 理恵は祭り寿司を食べながら30年前に家族で行った時のことを思い出した。あの時の昼食も祭り寿司だった。あの時はテーブル席でみんなでわいわい食べていた。でも今はもう1人だ。牧夫と結婚して子供ができたらぜひ行きたいな。その時はまたテーブル席でわいわい食べたい。


 13時50分、理恵は岡山駅を後にして、倉敷駅に向かった。倉敷は古い町並みが残る美観地区があり、多くの観光客が訪れる。


 14時7分、理恵は倉敷駅に着いた。倉敷には美観地区があり、多くの観光客が訪れる。理恵はそこを目指すつもりだ。


 理恵は倉敷の美観地区にやってきた。古くからの街並が残る。30年前に行った時は行かなかった。夫や息子と行ってみたかったな。


 船に乗る親子を見て、理恵は幼少期の敦の姿を思い出した。幼少期はこんな顔だったな。今も生きていたら行きたかったのに。剛も敦ももういない。


 19時11分、理恵は倉敷駅を出発した。今日の最終目的地は広島だ。今日は広島で泊まって、明日は広島を散策する予定だ。


 車内は理恵たった1人だ。理恵は剛も敦もいない寂しさであふれていた。でも、もうすぐ牧夫と一緒になるので孤独ではなくなる。そう思うと少し元気になれた。


 20時29分、理恵は三原駅に着いた。広島まではまだまだだが、ここで次の電車が来るまで数十分待つ。


 三原駅は静かだ。すでに夕方の帰宅ラッシュを終えていた。乗り換え客はあまりいない。北風が冷たい。理恵は凍えた。


 20時57分、乗り換えの電車は三原駅を出発した。行先は終点の広島だ。乗客は多少いた。彼らは酒を飲んだのか、少し顔が赤い。


 21時11分、理恵は広島駅に着いた。もう暗い。人は少なかった。もう遅いからだろう。


 予定ではここでホテルに泊まる予定だ。理恵はホテルに向かった。ホテルに泊まるのって、何年ぶりだろう。敦が就職してからは全く行っていない。仕事が落ち着いたらまた行ってみたいと思っていたのに。実現しないままに剛も敦もいなくなった。牧夫と結婚したら一緒にホテルに泊まりたいな。




 翌日、理恵は広島観光に出かけた。まずは原爆ドームに向かった。この広島市には広島電鉄が走っている。路面電車としては日本一の規模で知られる。


 理恵は広島に行ったことがない。だが、広島電鉄のことは敦が子供のころに見ていた電車図鑑である程度知っていた。全国各地の路面電車を集めて走らせていると聞いたことがあった。


 広島電鉄は変わっていた。連接車や超低床電車が多くなり、近代化が進んだ。昔の電車もまだまだ残っていたが、以前に比べて数を減らしていた。


 広島電鉄でもう1つ有名なのが、被爆電車の650形だ。図鑑で見た頃は4両あったが、1両は引退し、3両のみになった。しかも1両は休車だという。


 理恵は原爆ドームまでを路面電車に乗って移動していた。図鑑でも見たことのない超低床電車で、5車体連接になっている。乗客はけっこう乗っていた。原爆ドームに行く人はもちろんだが、宮島口まで直通するので、宮島へ行く人も多少乗っていた。


 理恵は原爆ドーム前の停留所で降りた。理恵だけでなく、多くの乗客が降りた。原爆ドームは世界遺産に登録されていて、広島のシンボルのような名所だ。今日も多くの人が来ていた。日本人だけでなく、外国人観光客も多い。


 理恵は彼らを見て、本当の平和や幸せって本当に訪れるんだろうかと思った。争いのない世界、家族のいる豊かな生活、それこそ本当の平和な世界だと思っていた。夫も息子も失った自分は平和じゃない。牧夫と結婚して平和な日々を送りたい。


 理恵は原爆ドームを見ていた。広島の惨状を思い浮かべ、どんな気持ちだったんだろうと思っていた。突然、原子爆弾を浴びて、熱線であっという間に死に、あるいは崩れた民家の下敷きになって焼死した。


 その惨状を思い浮かべて、理恵は鉄工所の放火のことを思い出した。死んだ鉄工所の従業員は突然命を奪われてどんな気持ちだったんだろう。彼らと思っていることは一緒なんだろうか。


 次に理恵は原爆資料館に向かった。その途中、理恵は慰霊碑を訪れた。原子爆弾の投下された毎年8月6日午前8時15分、ここで黙とうが行われる。


 理恵は慰霊碑のモニュメントをよく見た。『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』と書いてある。もう戦争はしてはならないという気持ちが込められているんだろうと思った。


 それと共に、理恵はパワハラで死んだ敦のことを思い出した。パワハラという過ちを二度と犯さないように訴えていかなければならない。そして、それによって死んだ敦には安らかに眠ってほしい。


 理恵は原爆資料館にやってきた。原爆資料館にも多くの人が来ていた。ここにも外国人観光客が多い。彼らはその惨状を見て、どう思うんだろうか。


 館内には、様々なものが展示されていた。その中座多かったのが、原子爆弾の投下された8時15分で止まった時計だ。


 理恵は放火がされた時のことを思い出した。彼らの時間もあの時終わってしまった。鉄工所の歴史もこのように突然終わってしまった。パワハラって、なんてひどいものなんだろう。息子だけでなく、会社自体も、従業員もなくすからだ。


 理恵は原子爆弾が投下されて、がれきだらけの焼け野原となった広島市の写真を見ていた。とてもここが今の広島とは思えない。まるで地獄のようだ。


 あれ以来、理恵は鉄工所の跡に足を踏み入れていなかった。思い出したくなかったからだ。ここで敦はパワハラを受けていた。あまりにも辛くて、思い出したくなかったからだ。


 鉄工所もこんな焼け野原になって、その中で従業員が死んでいったんだな。そういえば、謹慎中だと聞いた社長はどこに行ったんだろう。理恵はふと考えた。


 更に館内を歩いていると、焼け焦げた三輪車があった。死んだ子供の大好きだった三輪車だという。

 理恵は三輪車に乗っていた頃の敦の姿を思い出した。あの頃の敦はとっても可愛かったな。あの頃は幸せだった。敦は2人の支えだった。あの頃に戻りたい。でももう会えない。ずっといてくれると思ってたのに。敦も剛もいない。


 次に理恵は宮島を目指した。宮島へは宮島口からフェリーに乗り換えて向かう。宮島も世界遺産で、原爆ドームとは違い、こちらはいい意味での世界遺産だ。


 原爆ドームを出た路面電車は西広島駅を出ると専用軌道に入った。ここからは海沿いを進みながら宮島口を目指す。ここを走っているのは広島駅前発着の連接車で、その中には超低床電車もある。車内は地元の人の他に、宮島観光に行く人もいた。


 理恵を乗せた超低床電車は終点の宮島口駅に着いた。JRにも宮島口があるが、フェリーへは広島電鉄の宮島口が近い。


 観光客の多くはここから宮島口のフェリー乗り場に向かった。理恵も宮島口のフェリー乗り場に向かった。


 理恵は宮島へ向かうフェリーに乗った。このフェリーはJR唯一のフェリーだ。かつては宇野と高松の間に宇高連絡船、青森と函館の間に青函連絡船があったが、どちらも瀬戸大橋や青函トンネルの開通で廃止になった。


 フェリーに乗って、しばらく行くと、海の中に浮かぶ鳥居が見えてきた。宮島の厳島神社だ。この付近にはカキの養殖をしている筏が多くある。


 宮島に着くと、理恵は食堂を探した。ちょうど昼時なので、理恵はカキフライを食べようと思った。


 宮島には多くの観光客がいた。昼時、多くの観光客は食堂に並んでいた。カキフライが目的だ。


 理恵は食堂にやってきた。食堂には数人が並んでいた。あなごめしが目的だろうか。それともカキフライか。


 理恵の順番が回ってきた。


「いらっしゃいませ、何名様ですか?」

「1名様です」


 理恵は人差し指を立てて、1名であることを示した。


「こちらのカウンター席にどうぞ」


 店員はカウンター席に案内した。理恵は椅子に座った。


「いらっしゃいませ、ご注文は?」

「カキフライ定食でお願いします」

「かしこまりました」


 店員は厨房に向かった。


 出来上がるまでの間、理恵は家族の写真を見ていた。岡山に行った時の写真だ。あの時は幸せだった。でも今は一人ぼっちだ。どうしてこうなってしまったのか。考えると、理恵は涙が出そうになった。


「お待たせいたしました、カキフライ定食です」


「ありがとうございます」


 理恵はカキフライを食べて、今はいない剛と敦のことを思い出した。3人で食べたかったな。2人とも失って、本当に悲しかった。でも、今は牧夫がいる。牧夫と一緒に食べたいな。




 18時48分、理恵は新幹線で新下関駅に向かった。新下関駅は次の停車駅だ。新下関駅で在来線に乗り換えて下関に行く。今日はここで剛の両親と会って、フグ料理を食べる予定だ。


 剛の両親に会うのは10年ぶりだ。理恵は両親のことを思い浮かべた。理恵は剛の両親は死刑執行をどう思っているんだろう。


 19時30分、新幹線は新下関駅に着いた。乗り換え時間は15分。理恵は余裕をもって乗り換える電車の来るホームに向かった。


 19時45分、下関行行きの電車は出発した。終点の下関まではすぐそこだ。理恵は剛の両親に会えるのが嬉しい反面、死刑になった剛のことをどう思っているんだろうと考えた。


 19時55分、あっという間に電車は終点の下関駅に着いた。もう日が暮れて、辺りは暗い。


 理恵は改札口の前にやってきた。改札口の向こうには、剛の両親と兄がいた。10分ぐらい前から、改札の前で待っていた。


「理恵さん」

「あっ、お父さん」


 理恵は剛の父の声に反応して、手を挙げた。剛の父もそれに反応した。


「待っとったぞ」

「急にごめんね。剛さんのことをきっぱり忘れようと思ったの」

「そうか。辛かっただろう」


 剛の両親と兄は車に案内した。その車は黒い軽トールワゴンだ。


「それじゃあ、行こうか」

「うん」


 3人は車に乗って、実家に向かった。実家へはここから約5分だ。


 3人は剛の実家の前にやってきた。実家は海沿いにある。剛の両親と兄はフグ漁師で、今日のてっちりは父が獲ってさばいたものだ。


「おじゃまします」


 剛の両親と兄の後に続いて、理恵は実家に入った。


「さぁ、作ろうか」


 剛の父はてっちりを作り始めた。フグの内臓には毒があり、調理するには免許が必要だ。父はその免許を持っていた。


 剛の父はてっちりをテーブルの真ん中のコンロの上に置いた。


「まぁ、てっちり食べな」

「いただきます」


 4人はてっちりを食べ始めた。


「剛のこと、どう思う?」


 ふと、理恵は3人に聞いた。あんな悪いことをして、死刑になって、どう思っているのか知りたかった。


「息子さんを自殺に追いやったのが憎いって言って、こんなことしなくても」


 剛の兄はあきれていた。どうしてこんなことをしなければならなかったんだ。たかが息子を失っただけで。それは仕返しとしては度が過ぎているのでは?


「わしら、あれのことで家族がズタズタになったんじゃ。辛かったのぉ」


 剛の父は剛が逮捕されてからのことを思い出した。フグ漁師の目から冷たい目で見られるし、信頼を得られない。収入は苦しくなった。一気にどん底に落とされたようだった。


「そうですか」

「武がクビになるし、わしは町内会に来るなと言われるし」


 町内会でも冷たい目で見られた。全部、剛のせいだ。剛が逮捕されたせいだ。3人とも、剛が許せなかった。


「剛が放火殺人したからこうなったんだ」


 武は泣き出した。剛がこんなことになってしまったのが悲しかった。


「今でも憎んでるんですか?」

「ああ」


 3人とも、暗い表情だ。剛がまさかこんなことになるなんて。逮捕されるまで全く考えたことがなかった。


「そうですか」

「でも剛の気持ち、わかるのぉ。孫に会いたいって気持ちが。自殺した時、目を疑ったわ」


 剛の母は剛の気持ちがよくわかった。許せないとは言うものの、息子に会いたいという剛の気持ちはよくわかった。敦を失った時、剛の両親も武も泣いた。かわいい孫を突然失う辛さは同じだ。


「私も悲しかったわよ」

「うん。その気持ち、わかりますよ」


 剛の母は泣き出した。武は母の肩をなでた。


「もう過ぎたことなんですから。今日は食べて飲んで忘れましょうよ。今夜はパーッとしましょうよ」


 理恵は明るく食べようと思った。こんな嫌なことがあったけど、今夜は飲んで忘れよう。明日は別の日だから。


「そうだね」

「それに、私、新しい人と結婚するんだから」

「えっ!? そうなの?」


 3人は驚いた。新しい人と結婚するなんて聞いていなかった。


「うん。同じ大阪に住む、牧夫さんって人」

「そうか。ぜひ会いたいもんだな。その時には牧夫さんにもてっちりを食べさせたいな」

「でしょ」


 理恵は嬉しがった。また結婚するのが嬉しかった。もし結婚したら、下関に誘って、てっちりを食べさせたいな。



 翌日、理恵は下関駅にいた。昨晩は剛の実家に泊めてもらった。実家に泊めてもらうなんて、何年ぶりだろう。剛が逮捕されて以降、全く会ってないし、泊まることなんてあんまりない。


 理恵はの前にいた。明日からは山陰を通って帰る予定だ。


「また来るね」

「ああ」


 理恵は改札を抜けて、ホームに向かった。下関駅は朝のラッシュが落ち着き、朝ほどの賑わいがない。それでも多くの人が行き交っている。


 理恵は山陰本線の電車に乗った。今日は仙崎の金子みすゞ記念館に行って、出雲市へ移動する予定だ。


 10時35分、理恵は下関を出発した。今日は仙崎に行って、金子みすゞ記念館に行く予定だ。山陰本線のここから益田駅までの区間は本数が少ない。新山口経由で山口線から益田に向かう列車が多い。スーパーおきも山口線経由で下関駅に向かう。


 電車は海沿いをゆっくりと走っていた。冬の海は荒れている。理恵はその様子をじっと見ていた。


 12時37分、電車は終点の仙崎駅に着いた。仙崎駅は山陰本線の支線の終点だ。長門市駅から仙崎までの仙崎支線の本数は少ない。


 理恵は歩いてみすゞ記念館に向かった。金子みすゞは先崎出身の女性詩人で、わずか26歳で自殺したという。理恵はそのことを知って、24歳の若さで自殺した敦のことを思い出した。


 この辺りは港町で、仙崎駅はその海産物を運ぶ役割を担っていたという。だが、今は貨物はなくなり、旅客のみがわずかに残っている。


 理恵は金子みすゞ記念館に入った。平日のためか、記念館には人がいたが、まばらだ。理恵は金子みすゞのことを全く知らなかった。


 理恵は金子みすゞの残した詩を見物していた。どれも素晴らしいし、生命の大切さが伝わってくる。牧夫にも読んでほしいな。


 その中で、理恵はある位置に詩に感銘を受けた。『私と小鳥と鈴と』だ。『みんなちがって、みんないい』理恵はその言葉に感銘を受けた。そう思っていれば、敦は自殺することはなく、剛は逮捕されることもなかったかもしれない。


 15時、理恵は長門市駅に戻ってきた。次の電車はまだ先だ。相変わらず本数が少ない。本当に本線と呼んでいいのか。


 16時19分、気動車は長門市駅を出発した。ここも本数が少ない。客も少ない。とても静かな車内だ。


 18時10分、気動車は益田駅に着いた。ここから本数が多くなるが、それでも山陽本線に比べたら本数が少ない。


 乗り換え時間は38分。ここからスーパーおきで出雲市まで行って、今日の旅は終わりだ。今夜の晩ごはんはコンビニの弁当にした。買って温めて乗り換えの特急の中で食べようと思った。


 18時48分、スーパーおきは益田駅を出発した。辺りはもう暗闇だ。スーパーおきは猛スピードで東に向かった。気動車とは思えないスピードだ。


 理恵はコンビニの弁当を食べながら、中学校の頃の敦を思い出した。朝はよく弁当を作ったもんだ。あの頃の敦は可愛かった。結婚して明るい未来が待っているに違いないと思っていた。だが、結婚も明るい未来も来ないまま、敦は自ら命を絶ってしまった。


 20時34分、スーパーおきは出雲市駅に着いた。今日の移動はここまでだ。明日は出雲大社と石見銀山に行ってから鳥取へ移動する。




 明日の朝、理恵は一畑電車に乗った。一畑電車は出雲市駅から宍道湖の北を通り、松江しんじ湖温泉駅まで行く北松江線と、途中の川跡駅から出雲大社前駅へ向かう大社線がある。廃止されたJRの大社線は出雲市駅からまっすぐ大社駅へ向かうのに対して、川跡駅で乗り換えまたはスイッチバックがある。だが、出雲大社への近さでは、出雲大社駅の方が近い。国鉄再建法の影響でJRの大社線が廃止になってからは、一畑電車が参拝客輸送の一手を担っている。


 乗ったのは松江しんじ湖温泉行きだ。川跡駅で乗り換えて、出雲大社駅に向かう。乗った電車は京王電鉄で使われていた電車で、塗装は変わっていたが、内外装はあまり変わっていない。車内はそこそこ混んでいた。ラッシュアワーだ。


 電車は川跡駅に着いた。すでに出雲大社行きの電車が待機している。その電車も元京王電鉄の電車だ。理恵は出雲大社行きの電車に乗った。


 程なくして、電車は出雲大社前駅に着いた。出雲大社前駅には多くの人がいた。出雲大社前駅はは洋風のモダンな駅舎だ。一部の窓にはステンドグラスが施されている。一番端の使われなくなったホームには昭和初期製造のデハニ50が展示されている。


 理恵は駅舎を出ると、右に曲がって出雲大社に向かって歩き出した。乗客の多くも出雲大社に向かっていた。そのほとんどが参拝客だ。


 しばらく歩いて、理恵は出雲大社の前の交差点にやってきた。朝早くにもかかわらず、出雲大社には多くの人がいた。


 理恵は木立の中を歩いていた。多くの参拝客が木立の中を行き来している。木立の中を歩いていると、だんだん心が浄化されていく。どうしてだろう。


 木立を抜けると、神社に着いた。神社には朝から多くの人が参拝に来ていた。その中には家族連れもいる。理恵は彼らがうらやましく見えた。夫がいて、子供がいて。こんな幸せな家庭が懐かしい。


 しばらく行列に並んで、理恵は賽銭箱の前にやってきた。木製で、この中にはお金が入っている。理恵は『ご縁』に引っかけて5円玉を投げた。牧夫さんと結婚して、子供に恵まれて、素晴らしい日々が送れますように。


 参拝を終えて、理恵は出雲市にやってきた。ここからは少し西に向かい、石見銀山に向かう。石見銀山は、2007年に世界遺産に登録された銀山の跡だ。鉱山のことについてはよくわかっていたが、石見銀山のことについては知らなかった。


 11時24分、理恵はスーパーおきに乗って出雲市駅を後にした。乗客はそんなに多くない。ディーゼルの豪快な音だがない。


 11時47分、スーパーおきはあっという間に大田市駅に着いた。石見銀山へはバスに乗り換える。石見銀山はここから少し山奥に入ったところにある。


 理恵は駅前でバスを待った。次のバスは12時2分。理恵のほかに、何人かがバスを待っていた。彼らも石見銀山に行くと思われる。


 12時2分、バスは大田市駅前を出発して石見銀山に向かった。乗客は多少いる。だが、家族連れはいない。


 10分ほど走ると、市街地を抜けて田園地帯に入った。途中の停留所での乗客の乗り降りはない。


 理恵は故郷のことを思い出した。中学校まで過ごした故郷は山間にあって、とてものどかな所だ。だが、もうその集落は1人もいなくなった。あの時の友達はどうしているんだろう。ふと理恵は考えていた。


 12時30分、バスは大森に着いた。終点ではないが、石見銀山の中心へはここが近い。ほとんどの乗客がここで降りた。理恵もここで降りた。


 理恵は辺りを見渡した。一見すると、ごく普通の街道に見える。とても鉱山の風景とは思えない。だが、ところどころに見える石造りの鉱山施設や間歩を見ると、ここは鉱山だったことを物語っている。一部の施設の跡はただの森になっているものの、こんなのが残っているのには驚いた。


 理恵は最初、石見銀山がどうして世界遺産になれたのかがわからなかった。だが、この風景を見ていて、ようやくわかった。この鉱山は、自然と調和している。一見すると、普通の山里のようにしか見えない。環境に配慮している。そう思うと、理恵は納得した。


 一部の間歩に入れるそうなので、理恵は入ることにした。龍源寺間歩は自由に入ることができて、所々には狭い穴が掘られている。狭い穴は立入禁止だ。


 理恵は中に入った。トンネルの中は狭い。歩いていると頭がぶつかりそうな部分もある。トンネルの所々に照明が取り付けられている。


 出口が近くなると、絵画が展示されていた。石見銀山の様子が描かれていた。自分にはよくわからないが、重労働だったことはうかがえる。敦もこんなことをしていたんだろうか。敦の勤めていた会社のことを思い出した。


 理恵は間歩から出てきた。次は大森代官所跡に向かうとしよう。ここには資料館がある。理恵は代官所に向かって歩き出した。代官所はここからしばらく歩いた所にある。ある人は自転車で向かっている。この銀山ではレンタサイクルが使えるらしい。


 理恵は資料館にやってきた。資料館には石見銀山で使われていた道具や当時の資料、銀鉱石などが展示されていた。


 理恵はそれらを食い入るように見ていた。間歩の絵画では銀山の様子があまりわからなかった。だが、見ているうちに、その過酷さが見えてきた。


 特に気になったのは、寿命の短さだ。鉱夫の平均寿命は30歳。鉱物を吸いながら働くのもあるが、これは過酷すぎる。そういえば、敦が自殺したのもこんな年齢だった。そう考えると、敦よりも、彼らのほうがもっと過酷じゃないかと思えてきた。




 18時30分頃、理恵は大田市駅にいた。外はすっかり暗くなっている。大田市駅には石見銀山から戻ってきた人々が多少いた。彼らはこれから宿泊先へ向かうと思われる。


 今日は鳥取まで移動して、宿泊する。明日は鳥取砂丘に立ち寄って、大阪へ戻る。明日が最後の旅だ。悔いの残らないように楽しもう。


 19時5分、理恵を乗せた快速アクアライナーは米子に向かって出発した。乗客は意外と多い。仕事帰りの人々だろうか。中には酒臭い人もいた。


 理恵は目を閉じて、これまでの旅のことを思い出した。3日前に大阪を出発して、父と子の思い出の地、岡山に行った。翌日は広島を刊行してから下関の剛の両親や兄と会って、みんなとてっちりを食べた。昨日は金子みすゞの記念館に行って詩に感銘を受けた。今日は出雲大社と石見銀山に行った。気分転換のためのいい5日間になりそうだ。


 目を覚ますと、列車は宍道湖に沿って走っていた。理恵は車窓を見ていたが、すでに暗くて何も見えない。車内は静かだ。ほとんどの乗客は出雲市駅で降りた。


 20時53分、アクアライナーは米子駅に着いた。米子駅は米子市の中心駅で、ここから境線が延びている。境線は境港までを結ぶ路線だ。電車の出入庫の関係で後藤までが電化されているが、列車は気動車だ。終点の境港市は漫画家の水木しげるの故郷で、いたるところに代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターの銅像や絵がある。


 今日の移動は鳥取まで。とっとりライナーで鳥取まで行くのみ。乗り換えは20分余り。


 21時46分、とっとりライナーは米子駅を出発した。使っている気動車は同じだ。行先は鳥取。今日の旅はここまでだ。


 車内は静かだ。誰もいない。理恵は夜の車窓を見ていた。建物の明かりは見当たらない。もう夜も遅いからだろう。いつの間にか、理恵は眠ってしまった。


 22時46分、とっとりライナーは終点の鳥取に着いた。降りたのは理恵だけだ。ホームはとても寂しい。気動車のエンジン音や構内のアナウンスがよく聞こえる。


 理恵は鳥取駅前に着いた。鳥取駅前は静まり返っていた。辺りは街灯を除いて暗い。理恵は今日泊まる予定のホテルに向かった。




 翌日、理恵は鳥取駅前にいた。今日が最終日、鳥取砂丘に行って、そこからスーパーはくとで一気に大阪に帰る予定だ。今日の鳥取は少し雪がちらついている。


 理恵はバスで鳥取砂丘に向かった。砂丘までは20分ちょっと。意外と近い。こんな市街地の近くにこんな砂丘があるなんて、信じられない。


 バスには何人かの乗客がいた。みんな観光客で、その中には外国人の姿もある。ここは外国人観光客にも人気の観光スポットのようだ。


 理恵は剛と敦の写真を見ていた。もう2人には会えない。そして私は新しい人と結婚して、人生の新しいスタートラインを切る。もう2人のことは忘れよう。理恵は写真をカバンの中に入れた。


 20分ほどで、バスは鳥取砂丘に着いた。砂丘には朝から多くの観光客が来ていた。その中には外国人観光客の姿もある。


 理恵は鳥取砂丘を歩いていた。見渡す限り砂浜で、どこまでも続いているようだ。その向こうには日本海が広がっている。


 砂丘を歩いていると、カップルの姿をよく見かけた。彼らはとてもラブラブな様子だ。理恵はそれをうらやましそうに見ていた。今度来る時は牧夫と行きたいな。


 理恵はそれを夢に見て、鳥取砂丘を後にした。自分をリセットするための旅もあと少し。スーパーはくとで大阪に戻って終わりだ。長い旅だったけど、いい旅だった。


 12時30分ごろ、理恵は鳥取駅に戻ってきた。駅にはすでにスーパーはくとが着いていた。スーパーはくとに使われる車両は、JR西日本の列車ではなくて、智頭から上郡までを結ぶ智頭急行の列車だ。これによって、大阪と鳥取が1時間以上も短縮された。


 理恵は座席に座って、今までの旅のことを思い出していた。大阪を出発して、家族と共に行った岡山を再び旅した。次の日は広島と宮島を観光して、下関で剛の両親と兄に会ってきた。その次の日は金子みすゞの記念館に、昨日は出雲大社と石見銀山に行った。そして今日鳥取砂丘を歩いた。どれもこれもいい思い出だ。この思い出を牧夫に伝えたい。そして、いつか一緒に鳥取砂丘に行こうと言いたい。


 12時52分、スーパーはくとは鳥取駅を出発した。日中のためか、乗客はそんなに多くない。理恵の乗った車両には、理恵しかいない。


 しばらく走ると、列車は右に分かれた。スーパーはくとは因美線を走る。ここから智頭までは因美線を通る。第3セクターの若桜鉄道や智頭急行の普通列車も鳥取駅まで乗り入れることもある。若桜鉄道は智頭駅までの途中にある郡家駅から若桜駅まで延びている。


 スーパーはくとは郡家駅に停車した後、智頭駅に着いた。ここで乗務員が交代した。ここからは智頭急行だ。智頭急行は1994年に開業した第3セクター鉄道だ。元々は国鉄の路線として計画されていたが、国鉄再建法で建設が中止になった。だが、国鉄直通の特急を走らせれば黒字になるとわかり、新会社で建設が再開された。スーパーはくとはその特急で、智頭急行の大きな収入源だ。


 智頭急行は山間で、カーブが多いが、振子制御のスーパーはくとはカーブでも比較的速く通れる。




 理恵はこれまでの旅の疲れで、眠ってしまった。いい旅だった。もう思い残すことはない。牧夫と幸せな日々を送ろう。


「剛さん」


 理恵は驚いた。目の前に剛がいた。夢の中で、理恵は剛に会った。剛はまるで敦を失う前のおっとりとした性格で、優しい表情だ。


「理恵」


 剛は笑顔を見せた。理恵に会えて嬉しそうだ。


「今までありがとう」

「理恵、新しい人とも幸せに暮らせよ」

「うん」


 剛は光の彼方へ去っていった。理恵はその様子を笑顔で見送った。




 目が覚めると、そこは姫路駅だ。時間は14時23分。もうこんなとこまで来たとは。あまりにも速くて信じられなかった。


 スーパーはくとは姫路駅を出ると更にスピードを増した。比較的規格のいい山陽本線だ。スーパーはくとはまるでスパートをするかのように東を快走している。


 理恵は車窓から流れる景色を見ていた。先日は夜にここを通った。あの時はまだ気持ちの整理がついていなかった。新しい人と結婚することを認めてくれるだろうか。理恵は心配だった。でも、認めてくれたから、何も悩むことはない。牧夫さんと結婚して、幸せな生活を送ろう。


 スーパーはくとは40分足らずで三ノ宮駅に着いた。もう次は理恵が降りる大阪駅だ。理恵は急いで降りる支度をし始めた。


 理恵はもうすぐ終わるこの旅と、牧夫との結婚生活を考えていた。どこで結婚式を挙げようか。どのようにもてなそうか。




 15時19分、スーパーはくとは大阪駅に着いた。大阪駅はいつものように多くの人が行き交っている。理恵は懐かしそうにその光景を見ていた。中国地方を1周して、再び大阪に戻ってきた。


 理恵は地下鉄に乗り換えた。島岡鉄工所の跡地に向かおう。そして、過去の自分に別れを告げて、新しい人との新しい生活をスタートさせよう。


 理恵は御堂筋線と千日前線を乗り継いで今里駅にやってきた。この駅からほど近いところに島岡鉄工所の跡がある。その跡は今でも残されているという。だが、理恵はあれ以来一度も行ったことがなかった。


 理恵は鉄工所の跡地にやってきた。鉄工所の跡地にはがれきの山が散乱していた。その跡地は、夜になると誰も近づこうとしないという。従業員が全員死亡して、彼らの幽霊が出るという噂がある。なので、夜は誰もその跡地の前を通ろうとしなかった。


 理恵はがれきの山の前で敦のことを思い出した。敦がどんな暴力を受けていたんだろう。どんなひどいことを言われていたんだろう。敦の思い出すだけで涙が出てくる。


 と、理恵はがれきの山の前にある集合写真を手に取った。従業員と社長の集合写真だ。集合写真は焼けることなく、ほぼ完ぺきに残っていた。


 理恵はその写真をじっと見ていた。その中に敦はいるんだろうか。敦を自殺に追いやった社長はいるんだろうか。理恵は集合写真の人々を見ていた。


 理恵は集合写真を一通り見たが、敦の写真はなかった。入る前の集合写真だろうか。理恵は残念そうに見ていた。


 突然、理恵は驚いた。


「この人・・・」


 その中には、牧夫の顔があった。かなり変わっているが、理恵にはよくわかった。あの髪形、あの目。そっくりだった。そして、その男、社長の名は『島岡牧夫』。牧夫だ。


 まさか、自分が付き合っていたのは、敦を死に追いやった牧夫だったとは。理恵は今まで付き合っていて、結婚を約束していた男が牧夫だったことが信じられなかった。どうしてあんな人と付き合ってしまったんだろう。理恵はいつの間にか泣き崩れていた。




 その頃、牧夫はコンビニでも仕事を終え、自宅にいた。もうすぐ夕食の時間だ。牧夫はカップ麺のお湯を沸かしていた。


 突然、玄関を叩く音がした。誰が来たんだろう。旅から帰ってきた理恵だろうか。牧夫はわくわくしていた。


 牧夫は扉を開けた。その向こうにいたのは理恵だ。旅から帰ってきたんだ。いよいよプロポーズかな? 牧夫は嬉しそうな表情だ。


「理恵、おか・・・」


 言い切らないうちに、理恵は叫んだ。理恵は大きな目をして、怖い表情だ。牧夫は驚いた。何があったんだろう。


「あなたって、島岡鉄工所の社長だったの?」

「えっ!?」


 牧夫は驚いた。プロポーズされると思ったら、知られてはいけない自分の過去を聞かれた。ついに知られてしまった。今まで秘密にしていたのに。


「集合写真を見たら、あなたが映ってたの」


 集合写真と聞いて、牧夫は驚いた。鉄工所があった時に撮った集合写真だ。その時は敦がいなかった。牧夫は過去を話し始めた。


「確かに私は、そうだよ。あの会社の社長だったんだよ。僕の名前は、島岡牧夫。島岡鉄工所の最後の社長さ。でも、今はもう・・・」

「もう言い訳はいいの! あなたのせいで敦は死んだのよ! どうしてくれるの?」


 言葉が終わらないうちに、理恵が叫んだ。敦を死に追いやった牧夫への怒りが爆発していた。


「そ・・・、それは・・・」

「あなたと付き合って、後悔してるわ!」


 牧夫は何かを言おうとしたが、理恵がそれを邪魔した。理恵は更に怒りを爆発させていた。


「待って! 僕はあれからひどい人生を送って・・・」

「もう言い訳はいいの! さよなら!」


 牧夫は自殺が起きてから放火、廃業、無理心中、離婚とひどい人生を送ってきたと伝えようとした。だが、理恵は聞き耳を持とうとせず、大声で怒鳴りつけた。


 理恵は家を出て行ってしまった。牧夫は再び1人になってしまった。


 牧夫はその場に崩れ落ちた。結婚間近に別れ話を言われて、そして自分の過去を知られて、ショックを受けた。


 結局、牧夫は再び1人になってしまった。牧夫は泣き出した。あと少しで結婚だったのに。自分の過去でこうなってしまった。自分はなんてひどい過去を背負ってしまったんだろう。その罪はどうやっても償えないように思えてきた。

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