鮮血
ルピナスとチャイブが島に来て一週間が経った。ルピナスは今日も今日とて畑仕事、チャイブは家事スキルに磨きがかかっている。紫雲英はというと、最近は干物も溜まってきて食料に余裕があるので、だいたいはベッドに寝転がってだらけていた。
「……うーん」
「あれ、ゲンゲさん、どこか出かけるんですか?」
「散歩」
掃除の手を止めて問いかけてきたチャイブにそう返して、ぶらりと外に出た。ルピナスの様子を見に行くのもいいかもしれない。そう思って山に入る。
「……あれ」
畑にルピナスの姿はない。どこに行ったのだろう。まあいないものは仕方ないと割り切って、畑を歩き回る。順調に発芽しているようで、ルピナスの真面目な性格のためか雑草もほとんど生えていない。
「うーん、にしても、どこに行ったんだ?ルピナス氏は」
芽をつつきながらそうボヤいた。まさか山奥に入って凶暴な動物にでもやられたんじゃないかと心配になった。だが、そこに自分が入る勇気はあまりない。
「……昼になっても帰ってこなかったら、かな」
ーーーーー
「ルピナスさん、遅いですね」
「……探しに行くか」
昼食後。すっと立ち上がってそう言うと、紫雲英は戸に手を掛けた。そこでふと、裾を引かれる感覚に後ろを振り向く。
「チャイブ氏は待機」
「いやです!ルピナスさんが迷子なら一緒に探します!」
「おれ戦闘経験皆無だからなんかあっても守れんよ」
「構いません!」
じっと見つめてくるチャイブ。参ったことに、中々頑固なようだ。残念ながら可愛い男の子には勝てないので、紫雲英ははぁーと息を吐いて頷いた。
「逃げろと言ったら拠点に逃げろよ」
「はい!」
ルピナスはチャイブに相当慕われているようだ。これで死んでたらどうしようかと、縁起でもないことを思うのだった。とりあえず護身用にサバイバルナイフを持ち出した。ルピナスの忘れ物である。
「……なんか、静かですね」
山奥に一歩入ると、海の音もほとんど聞こえなくなった。風もないので木々のざわめきもなく、不気味の一言に尽きる。
「る、ルピナスさーぁん!どこですかー!」
「ちょ、チャイブ氏、あんまり大声出したら」
不安に駆られたのか泣きそうな声でルピナスを呼ぶチャイブの口を慌てて塞いだ瞬間、ガサガサという音がした。ぱっと嬉しそうにそちらへかけ出すチャイブ。
「ルピナスさんっ!」
「待ってチャイブ氏、ちが__」
そこに現れたのは、一体の狼だった。禍々しい雰囲気と唸り声、そして頭部の角から、魔物だと分かる。チャイブは腰を抜かして固まっている。
「あ、あっ」
「チャイブっ!」
大口を開けてチャイブに飛びかかる狼。その前に勢いよく影が割り込んで牙を受け止めた。
「立て!早く逃げろ!!ゲンゲ殿、チャイブを頼む」
ルピナスが叫ぶ。その腕からは血が流れていた。血みどろで、拳の皮もめくれている。おそらく他にもいた狼を相手していたのだろう。獣の駆ける音が聞こえてくる。
「ルピナスさん……」
「俺が、守る」
チャイブがすすり泣くように呼ぶ。いつの間にか狼がいたるところからやってきて、ルピナスに噛み付いていた。紫雲英は鼓動が早まっていくのを感じる。呼吸はできているか、鮮血が、命が、ルピナスが血を吐いて。
死にたくない。死んでほしくない。ルピナスにもチャイブにも血を流してはほしくない。失う辛さを、紫雲英はよく知っている。もうあの痛みを抱えて生きていたくはない。だから。
「……ゲンゲ、殿」
「__おれのために死んでくれ」
サバイバルナイフを狼の喉元に突き立てた。引き抜く。血が溢れ出す。多少トラウマはあったが、鮮血を間近で見るのは初めてではなかった。それだけが支えになって、ナイフを振るう。扱い方も、殺し方も分かっている。一心不乱に、ただ命を奪う。
「ゲンゲさんっ!」
「……?」
「もう……死んでいる」
どうやら最後の一体だったようで、全てが片付いてしまった。そうだ。元々自分は戦う術を持っていた。目を、背けていただけで。
「っぐぅっ」
「ああ、ルピナスさんっ、動かないでくださいっ」
「……」
懐かしい感覚だ。誰かが血を流して、今にも死にそうで、だけど救う手立てを持たなかった。でも、もう悲劇は起こさない。命が零れ落ちた後に手にした力。一度だけ使って、二度と使わないと誓った力。それを今から、発現する。
「……『創造』」
生み出すのは、どんな怪我もたちどころに癒してしまえる薬。今の自分に残っている魔力を全て注ぎ込んで作り上げると、チカチカと眼前が瞬いて、意識を保てなくなる。
「__さん!?__」
(早く、ルピナスに、これを)
禁忌の固有魔法「創造」。イメージを実現させる魔法。魔法災害のひとつに数えられる。それはひとえにその性質のため。
明確なイメージさえあれば、無機物も有機物も、生物すら__生命すら、生み出せてしまうからだ。