チャイブとルピナス
無人島生活の幕開け。紫雲英はすっと自然に目を覚ますと、グッと軽く伸びをした。今日からは無人島を探索していかなければ。今のところ砂浜は平和だが、危険な生物がいるかもしれない。雨が降っても困る。拠点の作成は急務であった。
「うーん、木は切れないよな。サバイバルナイフあるから枝くらいならいけるか?全然漂着物ねぇからな」
昨日歩き回った感じでは、一応流木はところどころあるが大和の砂浜のように多くもないし、ネットやビニールなどの漂着物もない。観光地ならそれはいいことなのだが、今はあった方が嬉しい。ちなみに、サバイバルナイフと十徳ナイフは腐男子の嗜みとして持っている。自衛の手段はあって困るものではない。
とりあえず当面の目標は拠点作成のための素材集めと食料の確保だと思いながら、ドライフルーツを一切れ食らった。
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「うーん、心折れそう」
流木を中心に集め回って、一日で結構木材が手に入った。が、サバイバルナイフで確保できたのはせいぜい薪くらいなもので、刃こぼれが怖くてやめた。小心者だし、砥石なんて持ってないのだ。建材として使えそうな木は少ない。
今考えてみれば、昨日は疲れてすぐ眠ってしまったが野営なら火を起こすべきだ。残念ながら紫雲英はタバコを吸うような不良ではなかったのでライターやマッチがない。火起こしのやり方も知らない。虫眼鏡はあるがもう日は暮れてしまった。
「……炎魔法、いいなあ」
魔法で火起こしができたら楽だ。今はそう思う。魔法を羨むことはあってもそこで止まっていた紫雲英に、魔法を使いたいという感情が芽生えた。
「ファイヤー!」
なんちゃって、と笑いながらも焚き火をイメージして手の平をかざす。もちろん、今までできた試しもないのにいきなりはできないだろう__そう、タカをくくっていた。
「……冗談キツくね?」
煌々と揺らめく炎を見て、紫雲英は呆然と呟いた。
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それからは早いもので、もう一週間が過ぎた。風魔法で木を切断・加工することができたので、先人の発想を借りて木組み擬きに挑戦し、拠点を作ることができた。完成した拠点を見た紫雲英の第一声は「これ豆腐建築じゃねぇか……」だったが、雨漏りはしないのでよしとしよう。
「フロート」
風魔法でふよふよと浮きながら移動する。大金で買った高性能エアボードには劣るが、まあまあ空中機動ができる。科学の力って凄かったんだなぁ、と今更ながらに恩恵を感じた。
「……ん?」
上空で島を見ていた紫雲英の目に留まったのは、打ち上げられた木製の何か。布が掛けられている。新たな漂着物の予感に胸を膨らませて、紫雲英はそれに近付いていった。
「えっ」
小舟だったらしく、布を取り払うと出てきたのは二人の男。片方は少年、もう片方は青年で、狭い空間の中で抱き合って眠っている。外見にあまりに違いがあるので、兄弟とは思えない。普通なら友人関係か親戚と見るべきなのだろうが、紫雲英は違った。
「BLじゃね?つーか異世界じゃね?」
獣のような耳と尻尾を持つ二人を見て、紫雲英はそう口にした。それに反応してか、藍色の髪をした青年が微かに身動ぎして目を開ける。
「ゔっ……」
「あ、い、生きてる」
開かれた目は月のような金で、顔を見る限りは色白だ。耳と尻尾は犬に近い。手も犬だろうか。目が合ったかと思うと、青年は咳き込みながら乾いた声を出した。
「あ、なたは、ごほっ、はぁっ」
「だ、大丈夫か?水飲め水」
島の山中にあった綺麗な泉から汲んできて魔法で濾過しているので、ミネラルウォーターである。水魔法で作った水はぶっちゃけ精製水なので美味しくない。
青年は紫雲英の手から水筒を受け取ると、浴びるように飲んだ。ぽたぽたと雫が亜麻色の服に伝う。
「あー、とりあえず、歩ける?おれの拠点があるから、そこに行こう。あ、おれは紫雲英ね」
「……感謝する、ゲンゲ殿。俺はルピナスだ。こちらの寝ているのはチャイブ」
「ルピナス氏にチャイブ氏ね、おけおけ。じゃあ、ついてきて」
ルピナスはチャイブをしっかりと背負うと、紫雲英の後を歩いていく。衰弱はしているのだろうが、どうやら相当体力があるようだ。
砂の感触を楽しみながら紫雲英は歩いていく。足の指の間にサラサラした砂が当たるのが気持ちいい。中途半端に靴下とかではなく、裸足で転移してよかった。
ルピナスの背で眠るチャイブは、多分羊獣人だと思っている。綿のような白い髪に健康的な肌。羊耳にくるくると渦巻き状の角、細い尻尾。手首にモコモコの毛が生えていることもそう感じる一因だろう。ルピナスの服装は髪や肌とミスマッチなゴワゴワした亜麻色の服だが、チャイブは半袖のワイシャツに革のベスト、チノパンといった装いだ。
「返事はしなくていいから聞いてて。この島にはおれ以外住んでない。今のところ山の食べられる野草と海の幸で全然食料は足りてたんだけど、いきなり三倍になるわけだから自然な採取じゃ多分間に合わない。よって食料調達をある程度手伝ってほしいと思っている。さ、着いたよ」
山と浜辺の合間の開けた平地に作った拠点に、二人を招き入れる。足を拭いてもらうのも忘れない。紫雲英自身は水魔法を使って流れるように砂を取っている。イメージさえあれば口に出さずとも魔法は発現できるのだ。
「チャイブ氏はここに寝かしとけ」
寝室にある干し草の山に、小舟に掛けられていた布を被せる。紫雲英にとってはこれが敷布団だ。タオルはあるが布団にするには小さかった。そして今日まで布が漂着することがなかったので、必然的にそうなったのだ。山で時折見掛ける動物を相手する気力はないので、皮はない。
「あ、ああ、助かる」
「ま、これからガンガン働いてもらうから。おれは聖人君子じゃないし、できれば自分が楽して暮らしたいの」
「……なるほど」
実際紫雲英は、生活水準がある程度確保できればそれでいい。自分にとって大切なのは、娯楽。その最優先事項を再認識した。
「で、ルピナス氏。一体何があった訳?」
「……簡潔に言うと、島流しだ」
ルピナスを観察してスケッチブックに鉛筆を走らせながら、紫雲英は一切目を合わせることなくそう言った。ルピナスはそれにたじろぎながら、躊躇いがちに口を開いた。
「俺たちは貴族の屋敷に務めていた。詳細を俺から言うことは憚られるが、チャイブは身に覚えのない罪で罰せられてしまってな。それを庇った俺も同罪となった。……貴族の情報は必要か?」
「え、いらないでしょ。貴族とか興味無いし。つーか島から出る気無いし」
「ゲンゲ殿は楽がしたいのだろう?それならば大陸の方が生活は保証されていると思うが」
「めんどくさいじゃん。別に今でも不便とは思わないし。船旅が安全なら考えたけど、まず船作るのが面倒だし絶対漕がなきゃ駄目じゃん。二人が島を出たいって言うならまあ、適当にやってくれ」
紫雲英はどこまでも楽観的で適当だ。そもそも彼は目標を持って生活している訳ではなく、自家発電しながらこの島でダラダラと変わりない日々を過ごせればいい。
「……分かった。ひとまずはよろしくお願いする」
「おー。あ、別におれこういう人種だし、変に気遣ったり敬語使ったりはいらないからね。そうしたいって思うならそれはそれでいいけど」
紫雲英がイメージしているのは所謂ルームシェアであり、隣部屋の住人に接している気分であった。
ルピナスと チャイブが しまのじゅうにんになった