㊴ 『炎』
ジェノが、リットの魔法で姿を消した。
彼が消えた虚空を見つめて涙を堪えていたイルリアは、目尻に溜まったそれを強引に手の甲で拭く。
「……説明しなさい。あんた達は、私達を何に巻き込もうとしていたの!」
イルリアは振り返り、床に倒れているナターシャの襟首を掴んで強引に顔を上に向けさせる。
「…………」
ナターシャは顔を俯けたまま、何も答えようとはしない。
「答えなさい! どうしてあんた達は、イースを化け物に変えて、その上サクリまで殺したのよ!」
イルリアは本気で怒っていた。
返答次第では、このまま、この女を殺そうと思うほどに。
「まぁまぁ。待ちなよ、イルリアちゃん。とりあえず場所を変えようぜ。こんな血の臭いがする死体だらけの場所で、話し合いも何もないだろう?」
「……待って。サクリだけでも埋葬を……」
イルリアはそう提案したが、リットは首を横に振る。
「それは後で、この神殿の連中にでもやらせるといいさ。女の子が、殺された人間の死体なんか見るもんじゃあないぜ」
「馬鹿なこと言わないで! サクリは私の友人よ! せめて私が……」
イルリアの抗議に、リットは困ったように頭を掻く。
「友人ねぇ……。まぁ、それだったら、なおさら今回の事柄の真実を知ってからにした方がいいと思うけど。サービスで、この地下には誰も入れないように結界を作って、死体が傷むこともないようにしておくから、まずは場所を変えさせてもらうぜ」
「ちょっと、待ちなさい!」
イルリアの静止の声が聞こえないのか、聞く気がないのか、リットは右手の中指と親指をこすり合わせて、パチンと音を鳴らした。
普段は何も動作をせずに魔法を使うリットだが、今回は一動作を加えている。
魔法というものに対する知識は浅いが、それが高位の魔法を使うために必要な事とは思えなかった。きっと、ただ格好をつけているだけだろう。
一瞬、世界が真っ白に変わった。
そして気がつくと、イルリア達三人は何処かの建物の部屋に居た。しかし、この部屋は見覚えがある。
「リット。私達ごと、何処に転移させたのよ?」
「この村の神殿の客間だよ。さっきも言った様に、血の臭いがするところで、話し合いも何もないだろう?」
リットは悪びれた様子もなく、笑みを浮かべる。
「ああっ、なるほどね。だから見覚えがあったわけね。……あれっ? でも、なんだか以前とは違う気が……」
部屋の内装が変わっているとか、そういった類の変化ではない。
ただ、前にこの部屋に案内された時に思った……いや、違う。この村に入った時から感じていた、重たい空気がなくなっているのだ。
「ほう。魔法の才能があるのは知っていたが、この違いを感じられるとはね。将来有望だな、イルリアちゃん」
リットは周知の事実のように言うが、イルリアは自分に魔法の才能があるなどというのは初耳だった。
「まぁ、いいわ。そんなことよりも、私はこの女に聞かなければいけないことがあるから」
イルリアは静かにそう言うと、絨毯の上で上半身だけ起こして無言を貫くナターシャの頬を引っ叩く。
ただでさえ片腕を失ってバランスを保てないナターシャは、イルリアの平手打ちを頬に受けて、力なく崩れるように倒れた。
「ふざけるんじゃあないわよ。いつまで黙っているわけ?」
イルリアの声が、普段とはまるで違う低いものに変わる。
しかし、イルリアが激昂している事に気づいているであろうに、ナターシャはわざわざ再び上半身を起こし、顔を俯ける。
好きなだけ叩けばいい。だが、お前達に屈するつもりはない。
その態度が無言でそう主張していることを理解し、イルリアは怒りに任せて再び彼女の頬を引っ叩く。
だが、やはりナターシャは倒れた後に再び上半身を起こす。
「なにか答えなさいよ! 本当に殺すわよ!」
イルリアは叫ぶと、銀色の板を構えた。
それを見たナターシャは、不敵な笑みをイルリアに向けて、更に煽ってくる。
「こっ、この……。 そんなに死にたいのなら、望み通り……」
「ああ、それがいいんじゃあないか。間接的にだが、サクリちゃんの仇だと大義名分もあるし、この神官を殺せばスッキリするだろう。それに、知らない方がいいことから、目を背けることができるぜ」
完全に頭に血が上りきったイルリアは、銀の板に封じられた雷の魔法をナターシャに向けて放とうとした。だが、リットの軽口を聞き、彼女はそれを思い留まる。
「……くっ……」
イルリアは、怒りに震える手をなんとか理性で留め、銀の板をポーチに戻す。
「あらっ? どうしたの、イルリアちゃん。この女は、サクリちゃんとイースちゃんの仇なんだろう? いいのかい、殺さなくても?」
「……本当に嫌な奴よね、アンタって」
イルリアはリットを睨み、侮蔑の言葉をぶつけるが、彼は全く気にした様子はない。
「この女は、死にたがっている。私に真実を話さずに死のうとしている。それが気に食わないだけ。こんな最低の女が望むことなんてしてやるものかと思った。だから、殺さないの」
「へいへい。そりゃあ、お優しいことで。だが、その選択を後悔しないようにな」
リットは軽口を叩いていたが、何故か嬉しそうに笑みを浮かべる。
「まぁ、自分で決断をできる人間は嫌いじゃあない。それじゃあ、イルリアちゃんは助けてやるよ」
リットがそんな訳のわからないことを言って、再びパチンと指を鳴らした瞬間、彼の体から凄まじい炎が巻き起こった。
瞬く間に炎は部屋に燃え広がっていく。
「なっ、何をするつもりなのよ!」
あまりの熱量に、イルリアは炎の中心であるリットから距離を離そうとしたが、すぐに自分の周りには、両手を広げられるほどの大きさの透明な膜のようなもので覆われていることに気づく。
その膜は、炎が自分に触れるのを防いでくれているようだ。けれど、熱気は完全には遮らないようで、イルリアは全身を襲う熱量に膝をつき、滝のような汗を流す。
「ぐっ、ううう……」
ナターシャの体に火がつき、彼女の体を燃やしていく。
懸命に嗚咽を堪えているようだが、全身を生きたまま焼かれる苦しみに、うめき声を抑えきれていない。
「ぐっ……」
人の肉が焼ける臭い。そして、ナターシャの体が焼かれていく無残な光景に、イルリアは思わず目をそらす。
「リット! 何処まで燃やすつもりよ! このままだと、この神殿、いえ、この村全てが炎に巻かれて……」
「んっ? ああっ、安心しなよ。ジェノちゃんにも同じ魔法を掛けてあるから大丈夫だぜ。ただ、他の連中は皆焼かれて死ぬだろうな。でも、他の誰が死のうが俺には関係ない。そもそも、俺は大嫌いなんだよ。自分で考えることを放棄して、他人に縋ろうとする連中がさ」
リットは笑顔をイルリアに向けてくる。
その笑顔に、イルリアは戦慄した。
怒りも、狂気も、まるで感じられない、満面の笑顔だった。
そうなるのが当たり前。だから、死ぬのは当然。その笑顔は、そういうものだった。
「いままで、聖女様、聖女様と持ち上げていたんだ。その相手が実は悪人だったというのなら、その罪の一部は背負うべきだ。
騙されていた? 知らなかった? そんなのは理由にならない。自分の頭を使わない怠惰な屑なんて、この世からいなくなるべきだ」
無茶苦茶なことを口にしながら、リットは更に炎の勢いを増し、それに加えて爆発も起こる。
天井は吹き飛び、そこから炎が空に舞い上がる。そして、上空高く舞い上がる炎は、火の雨となって再び大地に降り注がれる。
「……め……ろ……」
炎に焼かれ、体が炭と化したはずのナターシャが声を上げた。
その無残な炭と肉の塊が動く姿に、イルリアは口元を両手で抑えて、悲鳴を懸命に飲み込む。
それでも耐えきれなくなってしまったイルリアは、ナターシャから目をそらす。
けれど、そらした先も、また地獄だった。
部屋が燃え尽くされ、壁がなくなると、村中が炎に包まれている光景が目に入ってきたのだ。
聞こえるのは、人々が泣き叫ぶ声。壁に囲まれたこの村では逃げ道がない。
老若男女を問わず、無慈悲な炎が人々を焼き殺していく。
リットを止めようとしても、炎が更に熱を増し、言葉を発することもできない。
ただただ、人々が死んでいく光景を見せつけられる。
みんな、みんな燃えていく。燃えて、燃えて、死んで、死んでしまう……。
「止めろぉぉぉぉっ!」
不意に、はっきりとした女の声が、ナターシャの声が聞こえた。
その次の瞬間、パチンと指を鳴らす音が耳に入る。
そして、そこでようやく、イルリアは自身が燃える前の部屋に立っている事に気がついた。
全身が汗にまみれて気持ち悪い。
人々の悲鳴が未だに耳に残っている。
まぶたを閉じると、あの無残な姿のナターシャの姿が思い出されてしまいそうだ。
イルリアは過呼吸になりそうなほど、小刻みに呼吸を繰り返す。
体が、心が、恐怖で思うように動いてくれないのだ。
それは、ナターシャも同じようで、懸命に酸素を体に取り入れようとしている。
「ああっ、少しやりすぎたか。ごめん、ごめん」
リットは全く反省していない口調で言うと、イルリアとナターシャに向かって掌を向ける。
すると、あっという間にイルリア達の呼吸は正常になった。
「なっ、何をしたのですか、貴方は……」
呼吸こそ整ったものの、ナターシャは体を震わせながら、リットに尋ねてくる。
「ああ、大したものじゃないよ。ただの幻だよ。<幻覚>の魔法を使っただけさ。ただ、俺がやるとリアリティが高くなりすぎてしまうんだよねぇ」
ナターシャの前に歩み寄り、リットは彼女の前で膝をつく。
「まぁ、お詫びをするから、これで許してよ」
震えるナターシャに向かって片目をつぶり、再び指を鳴らすリット。
すると、ナターシャの失ったはずの腕が一瞬で再生した。
「安心しなよ。その腕は幻覚じゃあないぜ。あの地下室にあった貴女の腕を瞬間移動させて、切断面につけて上げたのさ。まぁ、欠損していた部分や血なんかはもう一度再生させたけれどね」
リットは何でもない事のように言い、にこやかに笑う。
「……こっ、この……」
イルリアは文句を口にしようとしたが、体の震えが未だに治まらないため、上手く言葉を紡ぐことができない。
「さて。どうかな、ナターシャさん。貴女が知っていることを全て、イルリアちゃんに話してくれないかな?」
リットの明るい声での頼みに、ナターシャはイルリアが相手のときのように顔を逸らそうとした。
しかし……。
「……それとも、さっきの光景を現実にしてやろうか?」
低い声で続けられたその言葉に、彼女は逆らえなかった。
「わっ、分かりました。話します……」
震えるナターシャに、リットは、「嫌だなぁ。冗談だよ、冗談」と笑ってみせる。
けれど、ナターシャだけでなく、イルリアも、その言葉を全く信じられないと思うのだった。




