㊳ 『後悔』
自分のものか、他者のものかも分からない怒りに囚われていた意識が段々と引き上げられていく。
激しい炎のような感情が急速に冷めていくのと同時に、自分がその感情に任せてやった行為が鮮明な記憶として流れ込んで来る。
目を開けると、暗い闇が広がっていた。
要所に立てられていた蝋燭の明かりもまばらになり、この広い地下室が一層暗く感じる。
どうやら自分は拘束されて、床の上に横に寝かされているようで、動こうとしても体がまるで動かない。
「よう、ジェノちゃん。目覚めはどうだい?」
声のした方を見ると、腐れ縁の幼馴染の顔が視界に入ってきた。
「……最悪だ」
ジェノがそう答えると、拘束が一瞬で消えた。
「また、お前に助けられたな。感謝する」
ジェノはリットに礼を言うと、ガタガタの体に力を入れて立ち上がる。
リットは何も言わずに微笑むだけだった。
リットの後ろで顔を俯けているイルリアを発見したが、ジェノはその横を通り過ぎる。「すまなかった」というただ一言を残して。
床に転がっているナターシャの存在にも気づいていたが、ジェノはあえてそれを視界に入れないことにした。
まだ、完全にあの獣が活動を止めたわけではない。また下手に感情を乱して、この体を乗っ取られるわけにはいかないのだ。
ジェノは、一人で歩いて地下室を出ていこうとする。
「すまなかったって何よ! 私のせいで、また、あんたは!」
「来るな!」
イルリアが自分を追いかけようとしてきたので、ジェノは思わず声を荒げてしまった。
そんな大声を上げるつもりはなかったのだが、心が弱っていたようだ。
「……頼む。まだ、うまく制御ができそうにない。俺に、お前まで殺させないでくれ……」
さらにジェノは、イルリアにそう懇願してしまった。
その言葉が、彼女を苦しめることになると気づきながらも、本心を隠すことができなかった。
「ジェノちゃん、送ってやるぜ。少し外の空気を吸って体を休ませときなよ。この村の事は、後で俺がしっかり話してやるからさ」
リットのそんな声が聞こえたかと思うと、ジェノの視界が一瞬で真っ白に代わり、そして更にそれが芝生に囲まれた景色に変わる。
ここがどこかはわからない。
おそらく、神殿の庭の一角だと思うが。
自分がどれほど意識を失っていたか分からないが、日が傾いてきたようだ。
しかし、そんな景色に感慨を抱くよりも先に、ジェノは体勢を崩してその場に顔から倒れてしまいそうになり、なんとか手をついて体を支えようとする。
「ぐっ、うっ……」
強烈な吐き気がこみ上げてきて、ジェノはそのまま胃が空っぽになるまで嘔吐する。
胃液さえも吐き出しながら、全身を襲う強烈な痛みを懸命に抑え込む。
体がバラバラになりそうだった。
あの獣は、ジェノの体を無理やり動かし続けていた。
折られた両腕は獣の力で治されたが、その後はジェノの体が軋もうが傷もうが、獣は好き勝手に暴れまわっていた。
筋肉がいたる所で裂けているようで、骨もヒビどころか骨折している部分もありそうだ。
しかし、今、癒やしの魔法を使用してしまうと、封じ込めた獣にまでエネルギーを与えてしまう。
それを危惧したからこそ、リットは魔法を掛けなかったのだ。
嗚咽が漏れそうになるのを懸命に堪えながらも、ジェノは七転八倒する。
堪えきれる痛みではなかった。だが、転げ回れば回るほど、更に体が傷んでいく。
ジェノは延々と苦しみ続ける。
だが、気絶する寸前のところで、不意に痛みが消えていった。
顔を上げると、リットが目の前に立っており、自分に癒やしの魔法を使っているのが見えた。
「いやぁ、すごいねぇ、ジェノちゃん。悲鳴を上げずにここまで耐えるとは。まったく、呆れた意思の強さだ」
驚きと呆れが半々といった顔で、リットは苦笑を浮かべる。
「……イルリアは、大丈夫か?」
「おいおい。そんな状態になっても、他人の心配か? いやぁ、正義の味方って奴は大変だねぇ」
リットは楽しそうに笑い、手を下ろす。
すると、ジェノの体の痛みは、嘘のように消えてなくなっていた。
「イルリアちゃんは一応元気だぜ。あのナターシャって神官を引っ叩くくらいには。
まぁ、それは置いといて、どうだった? この村を出なかったことを後悔したか?」
「後悔も何も、分からないことだらけだ」
ジェノはそう言うと、立ち上がり、リットと対峙する。
「約束だったな。後でこの村のことを話すとお前は言っていた。説明してもらうぞ。お前が知っていることを」
「くくくっ。いいのか? これを知ったら、今度こそ後悔するぜ。あのジューナっていう女が悪者で、ジェノちゃん達がその陰謀に気づき、正義の裁きを下した。そんなおそまつな話で納得しておいた方が幸せだぜ」
こちらがなんと答えるかを知りながら、リットは勿体つける。
「いいから話してくれ」
「あいよ。いいぜ。あのナターシャって神官がいろいろ親切に話してくれたおかげで、詳細も明らかになったし、事細かに話してやるよ」
リットは、それから淡々と話してくれた。
後悔はしないつもりだった。
だが、ジェノは結局、その思いを貫くことができなかった。




