⑧ 『バルネアさん』
レイは副団長に掛け合い、なんとか非番を返上して今晩も見回りを任せられることになった。ただ、少しは休むようにと言われ、仕方なく家路に就くことにする。
東の空に太陽がその半分ほどを表そうとしている。引き継ぎの後に、団長たちを説得するのに思ったより時間が掛かってしまったようだ。
「家に帰っても、セインの奴はまだ眠っている時間だな。何処かでパンでも買って帰って、朝飯。そして少し剣を振るってから、風呂。その後はひたすら眠る」
簡単にこれからのスケジュールを決めながら、レイはナイムの街の大道を歩く。
街の中心にある大時計で時間を確認すると、ちょうどもう少しで馴染みのパン屋が開店する頃だ。
「今回のような失態は起こさない。もう二度とあいつに助けられるようなヘマはしない」
一度だけ今回の屈辱を思い出し、レイはその気持ちを心の奥へと仕舞い込む。
失敗を悔やむことはある。だが、それは一度で十分だ。悔やみ続けていてもなんの解決にもならないのだから。
「今晩はジェノの奴は非番だ。どうにか今晩のうちに決着をつけてやる」
そう決意し、まずは腹ごしらえだと先程立てた予定通りにパン屋に行こうとしたレイだったが、
「あっ、良かったわ。行き違いにならなくて」
不意に聞こえたのんびりとした女性の声に、レイはそちらに顔を向ける。そこに立っていたのは、彼の予想通りの人間だった。
レイと同じ金色の髪。そして、とても温和そうなその人は、優しい笑みを浮かべていた。
生きていればレイ達の母親と同じ位の年齢らしいのだが、傍目にはとてもそうは思えないほど若々しくみえる。二十代だと言われても納得してしまうだろう。
「……バルネアさん」
レイは、その女性の名を口にした。
足を進めるうちに、いつの間にか彼女の店の近くまで来ていたらしい。
だが、近くとは言っても、少し距離がある。手荷物を持ちながら、わざわざ自分のことを待ってくれていたようだ。
「ふふっ。おはよう、レイちゃん。朝までご苦労さま」
「あっ、ああ。おはよう……ございます……」
レイのなんとも間の抜けた挨拶に、しかしバルネアは何が嬉しいのか一層笑みを強める。
「聞いたわよ。昨晩は大忙しだったんですってね。夜食を取りに来る暇もないくらいに。それでね、簡単なものだけれど、レイちゃんとセインちゃんに朝食を作ったの。良かったら、食べてちょうだい」
バルネアは一緒に住むジェノから聞いたであろうことを言い、大きなバスケットを手渡してきた。
上には布巾がかけられていたが、そこから垣間見えるのは小型の鍋とサンドイッチなどだ。出来たてのようで、食欲を誘ういい香りがレイの鼻に届いた。
「そっ、その、あっ、ありがとな、バルネアさん。セインの奴もきっと喜ぶと思う」
思いもしなかった出来事に、レイは呆気にとられてそれ以上の言葉が出てこない。
「ふふっ。自分で言うのもなんだけれど、結構美味しくできたと思うから、冷める前にセインちゃんにも食べさせてあげてね。野菜と果物も入れておいたから、好き嫌いをしては駄目よ。『朝食は金、昼食は銀、夕食は銅』って言うくらい、朝ごはんは大切なんだから」
バルネアは満面の笑みでそう言うと、空いているレイの左手を両手で優しく握る。
「レイちゃん。いつも、私達を守ってくれて、本当にありがとう。でも、無理はしないようにしなくては駄目よ」
「あっ、ああ。分かっているよ。けど、俺よりもバルネアさんこそ無理をしないでくれよ」
レイの言葉に、バルネアは苦笑する。
「私は大したことはしていないわ。心配しないで。それと、夜勤明けだから今日はお休みだと思うけれど、レイちゃんとセインちゃんの分も夕食を作っておくから、よかったら食べに来てね」
「いや、その……。分かった。助かるよ。ありがとう、バルネアさん」
自分達の身の上を知っているバルネアの気遣いに、レイは深々と頭を下げ、「それじゃあ、俺は帰るから」とだけ告げて踵を返して足早に家路に就く。
「ええ。しっかり休んでね、レイちゃん」
背中から掛けられた声に、レイは救われる気がした。
こうした喜びがあるからこそ、自分たちは頑張れる。この報われない仕事を続けることができるのだ。