⑭ 『既視感』
……目が覚めてしまった。
疲れ切った体はまだ睡眠を欲しているのだが、頭が妙にはっきりしていて眠れそうにない。
メルエーナの隣では、イルリアが静かに寝息を立てている。
気丈にふるまっていたが、やはり彼女も疲れ切っていたのだろう。
イルリアが彼女のテントに入れてくれたおかげで、安心して睡眠を取ることが出来た。その上、ジェノの無謀な提案に取り乱してしまった自分が寝付くまで、彼女はずっと楽しい話を聞かせてくれた。落ち着かせてくれた。
本当に、いくら感謝しても感謝しきれない。そして、迷惑をかけ通しの自分を反省する。
「…………」
どうしようか迷ったが、自分の精神が少し落ち着きを取り戻していることを悟ったメルエーナは、イルリアを起こさないように注意し、テントの外に出ることにした。
月がまだ高い。
眠ってから、まだそれほど時間が経過していないのだろう。
「眠れないのか?」
火の番をしているジェノが話しかけてきた。
「……いえ。少し眠りました」
自然と声が固くなってしまい、メルエーナは自分の失敗を悔やむが、ジェノは気にした様子はなく、「そうか」とだけ口にする。
考えないようにしようと思っていたのだが、ジェノの顔を見てしまうと、我慢ができなかった。
メルエーナは黙って歩み寄り、火を挟んでジェノの向かいに座る。
無言だった。
ジェノは何も言わない。メルエーナも何も言葉を口にしない。
そんな時間が、何分か続いた。
ジェノは無言のまま、手を動かし、荷物から取っ手のついた木のコップを取り出す。そして、夕食のスープを作った簡易かまどで熱していた小さな鍋の液体を、そこに注ぐ。
「飲めるのなら飲んでおけ。気持ちを落ち着けるお茶だ。水分補給にもなる」
ジェノは立ち上がってメルエーナの側に来ると、そのコップを彼女の前に置く。
「……頂きます」
メルエーナがそう言ってコップを手に取ると、ジェノはまた元の位置に戻って腰を下ろした。
メルエーナはお茶に息を吹きかけて冷ますと、一口それを口に運ぶ。
複雑な香りが入り混じっているが、口当たりが良くて飲みやすい。
「美味しいです。ハーブティーですね」
「ああ。俺が世話になっている料理人が作ってくれたものだ」
ジェノのその言葉に、「そうなんですか」と頷いたメルエーナだったが、そこでジェノの変化に気づく。
ジェノは自分から積極的に話そうとはしない。そしてこちらが話しかけても、返事も、「ああ」とか「そうか」と言った一言ばかりだった。
だが今は、少しだが個人的な、私的なことを話してくれた。彼なりに、無言のまま何も言えずにいる自分が話しやすいようにと気を使ってくれているのだろう。
メルエーナは苦笑する。
この人は本当に無愛想で分かりにくい。
「料理人さんですか?」
ジェノの気遣いを無下にしないように、メルエーナは彼の優しさに甘えることにする。
「ああ。俺に料理を教えてくれている」
ジェノはそう言って、自分もお茶を口にする。
「羨ましいです。私も、将来は料理人になりたいと思っているんです。でも、私の育った小さな村では、なかなか思うような修行が出来なくて」
メルエーナがそう言うと、ジェノは少し間を空けてから口を開いた。
「セインラースという街に行ったことはないか? エルマイラム王国とは別の大陸の街なんだが……」
「セインラース? いえ、名前も初めて聞きました。その、恥ずかしいことなんですが、私はこの村から出たことがないんです。ですから、行ったことはありません」
ジェノのあまりにも突飛な問に驚きながらも、メルエーナは正直に答える。
「そうか。おかしな質問をしてすまなかった」
「あっ、いえ。ですが、どうしてそんな事を?」
そう尋ね返すと、ジェノは少しの沈黙の後に口を開く。
「その街で、俺はお前によく似た……。いや、きっと俺の思い違いだろう。随分昔の話だからな」
ジェノはそう言って、一人納得してお茶を口にする。
「ジェノさん。ひょっとして、私に会ったことがあるような気がするんですか?」
意を決して、メルエーナはジェノにそう尋ねる。
「……ああ。だが、俺は十年近く前に、今のお前と瓜二つの姿の人間に会ったような気がするだけだ。きっと、他人の空似だろう」
仮に十年前だとすると、メルエーナはその時六歳だ。流石に成長した今とは姿形が違いすぎる。
「ふふっ。不思議ですね。私も、ジェノさんを初めて見かけたときに、どこかで会ったような気がして仕方がなかったんです。どうしてなんでしょうね?」
「さぁな。まるで見当もつかん」
メルエーナは微笑んだが、ジェノは相変わらずの仏頂面だ。
だが、ほんの少しだけジェノの口角が上がっていることにメルエーナは気づく。
もう少しその顔を見ていたかったが、そろそろ本題に入るべきだと思い、メルエーナは真剣な眼差しをジェノに向ける。
「ジェノさん。明日のことですが、やはり私は、ジェノさんが犠牲になるような方法を取って欲しくありません」
メルエーナの真摯な言葉に、ジェノは無言でまたお茶を口にする。
「そもそも、おかしいです。どうして貴方は、そんなに私達を守ろうとしてくれるんですか? 命をかけようとするんですか? 私達は出会ったばかりだというのに……」
メルエーナの当然の疑問に、ジェノはコップを静かに地面に置いて口を開く。
「仕事だからだ。それ以上でも以下でもない。特に今回は、同じ冒険者見習いが不祥事を起こした。それを放置しておくわけにはいかない」
彼の答えは、まったくメルエーナには理解できないものだった。
「そんな理由で、貴方は命を捨てようとするんですか? そんなの絶対におかしいです!」
「……俺は俺の考えで行動している。それをとやかく言われる筋合いはない」
怒るでもなく、ジェノはただ淡々と言い、
「もう休め。眠れなくても、横になって目を閉じておけば、少しは体力も回復するはずだ。辺りが明るくなり次第出発する。明日が本番だ」
更にそう続けた。
「ジェノさん!」
「お前の体力が万全でなければ、リスクが増す。それは分かるだろう?」
メルエーナの悲痛な声にも、ジェノは眉一つ動かさず、ただ事実だけを彼女に突きつける。
「……分かりました。休みます」
「ああ。そうしてくれ」
ジェノはそう言うと、それ以上は何も言わずに黙り込んだ。
メルエーナは溢れ出そうな涙を堪えながら、テントに戻るしかなかった。




