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特別編⑨ 『少しの勘違いと大切な思い』(後編)

 メルエーナは息を切らしながらも、料理店<パニヨン>の入り口まで無事に戻ってきて、最近始めた日課を今日も無事に終了させる。

 その日課とは五キロほどのジョギングなのだが、今日も友人二人と一緒に心地良い汗を流すことが出来た。

 今までも軽いジョギングはしていたのだが、ほんの一、二キロほどだったので、走りがいがある。

 まだ暑い日が続いているが、それでも盛夏を過ぎたことで、午後から夕方にかけて運動をするにはちょうどいい。


「それじゃあ、またね、メル」

「明日も、同じ時間でいいよね」

 別れ際に、イルリアとリリィの二人が笑顔で声をかけてくれるので、メルエーナも笑顔を浮かべる。

 自分一人ではこんなに楽しく続けることは出来なかったと思う。


 イルリアは、「ついつい仕事ばかりで運動不足になりがちだから、こちらも助かるわ」と言ってくれるし、リリィも、「美脚を維持するのはやっぱり筋肉。それには運動が欠かせないからね」と言い、積極的に協力してくれるのだ。


「……美脚、ですか……」

 二人が去った<パニヨン>の前で、メルエーナは難しい顔をし、自分の足を見て、そこに手をやる。

 リリィはもちろん自分の健康とスタイル維持のために運動をしている部分もあるが、それ以上に、彼氏が女の子の綺麗な足が好きだという事で、それを満たすために頑張っているのだ。


「やっぱりまだまだです。マリアさんみたいにはなれなくても、少しでも近づけて、ジェノさんに……」

 メルエーナは少し頬を赤らめながらそう呟いてから、右手をギュッと握り、<パニヨン>の裏口から店に入る。


「あらっ、おかえりなさい、メルちゃん。ご苦労さまね」

「ただいま戻りました、バルネアさん」

 家に入るなり、バルネアが声をかけてくれた。メルエーナは笑顔で挨拶を返し、水場で手を洗う。


「今日も、リアちゃんとリリィちゃんはもう帰ってしまったの? 飲み物を用意していたのに……」

「あっ、はい。<パニヨン>によると、つい飲み物だけでは済まなくなってしまうから、ということみたいです」

 手を拭いて戻ってきたメルエーナは、つまらなそうな顔をして少し拗ねているバルネアに、そう言って困った笑みを向ける。


 健康的に体を引き締めるのが目的なのに、バルネアさんが作ってくれる美味しい料理をお腹いっぱい食べてしまっては、元の木阿弥。いや、下手をすると体重が増加してしまう可能性さえある。

 ただでさえ運動後の食事は美味しいのに、それがバルネアさんの料理だと更に食欲が加速してしまう。みんなそれが分かっているのだ。


 だから今日も、メルエーナは鳥のささみ肉と野菜を中心にしたメニューを自分の分だけ作ろうと考えていた。バルネアさんの美味しい料理が食べられないのは正直寂しいが、これも将来のためだと自分に言い聞かせる。


「帰ったか、メルエーナ」

「ジェノさん! はい。ただいま戻りました」

 気配を感じなかったので気が付かなかったが、厨房にはすでにジェノが居て、何か調理をしていた。


「あれっ? 今日の夕食はジェノさんが作っているんですか?」

「ああ。三人分作っている」

 ジェノの言葉に、彼の手料理が食べられると一瞬喜んだメルエーナだったが、慌てて頭を振る。


「ジェノさん、その、私は……」

「おそらく、お前が食べても問題がない料理のはずだ。もう少し完成まで時間がかかるから、先に汗を流してくると良い。風呂から上がったらすぐに持っていくから、テーブルに座っていてくれ」

 メルエーナの断りを遮り、ジェノはそう指示を出してくる。

 

「……分かりました」

 ジェノが何を作ろうとしているのかは分からないが、メルエーナはその言葉に従うことにした。折角ジェノが作ってくれた料理なのだ。食べないのはもったいない。それに、いつまでも汗臭い格好でジェノの前にいるのは憚られた。

 

 やがてゆっくりお風呂場で汗を流し、バルネアと一緒にいつものテーブルで待っていると、直ぐにジェノがトレイに乗せて三人分の大きな器を運んできて、みんなの前に給仕する。


「へぇ~。これがジェノちゃんがお昼に食べたという……」

「これは、麺料理ですか?」

 湯気を出す薄い色のスープは透き通り、細い麺が見える。それだけなら、以前屋台で食べたラーメンという料理を思い出させるが、これは麺が淡い茶色であり、そしてトッピングが鶏肉とたけのこ、ネギだけだ。それに、香りがぜんぜん違う。


「ああ。そばを麺状にしたものだ」

「そば、ですか? あのガレットとかをつくる際に使う?」

「そうだ。今日、シーウェンにいい店があると言われて訪ねたのが、こういう食べ方でそばを提供している店だったんだ」

 ジェノはそう言うと、自分も席に座る。


「そばは栄養価が高く、ダイエットにもうってつけらしい。これなら、食べても問題はないんじゃあないか?」

 ジェノの言葉に、メルエーナは彼が気を使ってくれていたことが分かり、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが同時に湧き上がってくる。


「はい。お気遣いして頂き、ありがとうございます!」

 メルエーナが笑顔で感謝すると、ジェノはわずかに口元を緩めた。


「それじゃあ、伸びてしまう前に頂きましょう」

 バルネアのその言葉に、食事前の祈りを済ませ、メルエーナたちは箸を使ってそばを食べ始める。


「はぁぁっ~。美味しいです……」

 まだ暑い日が続く中だが、そんな中で熱い料理を食べるのも良いものだとメルエーナは思った。


 口に入れた時と、喉を通る際に、蕎麦の香りを感じられるだけでなく、その喉越しも良い。

 それにラーメンのような濃厚なスープではないが、このスープがこの上なく美味しい。

 魚介系のだしのようだが、くどさがまるでなく、かといって味が不足していることもない。確かな旨味を感じられるのに、キレが抜群に良いのだ。

 そして、そのスープが染み込んだ鶏肉とたけのこの細切りがアクセントとなって口にさらなる幸せを与えてくれる。

 シンプルなのに満足度の高い味わいの完成形だとメルエーナは思った。


「う~ん。良いわね。お出しの取り方が上手ね、ジェノちゃん。それと、この優しい甘みは砂糖だけではないわね」

「はい。みりんという調味料を使っています。それと醤油と砂糖を一度加熱した『かえし』と呼ばれるものがこの味の要です」

「うんうん。今度、私たちもそのお店に連れて行ってね」

 バルネアはそう言うと、美味しそうに、幸せそうにそばを味わう。


 メルエーナは楽しみながらそばを食べていたが、気がつくと器の中身は空っぽになってしまっていた。あまりの美味しさに、箸を動かすのを止められなかったのが原因だろう。


「よかったら、おかわりはどうだ? まだスープもソバも残っているぞ」

 ジェノがメルエーナに声をかけてくれた。


「あっ、はい。……いえ、やっぱり、結構です」

 思わずその言葉に乗ってしまいそうになったメルエーナは、そう言ってジェノの誘いを断る。

 正直、もう一杯食べたい気分だったが、それでは今日の努力が水の泡になってしまう気がするから。


「……無理にとは言わない。だが、メルエーナ。お前は十分健康的だし、過度な食事制限は必要がないと俺は思うぞ」

「えっ?」

 ジェノの言葉に、メルエーナは彼の方に視線を向ける。


「俺には、綺麗になりたいと思う気持ちはよく分からない。だから、お前の中でなりたい自分の姿があるのだろうと推測することしか出来ない。だが、ここのところお前が食べているものは、鶏肉のささみや野菜がほとんどだ。栄養価的には問題はないと思うが、それでは飽きが来てしまう。そして、そこからストレスがたまるのではないのか?」

 その言葉は的を射ていた。メルエーナはジェノが自分のことをよく見ていることを理解した。


「運動を頑張るのも良い。食事を多少制限するのも必要なのかも知れない。だが、その事でお前が苦しい思いをしているのだというのであれば、俺はその事が心配だ」

 メルエーナは、かぁ~っと自分の頬が赤くなって行くのを感じた。まさか、ジェノがここまで自分の事を心配してくれているとは思わなかったのだ。


「……その、ジェノさん。少し私の質問に答えてくれませんか?」

 ジェノの真っ直ぐに自分を心配する言葉に、メルエーナは正直に自分の胸に秘めていた事を話すことにする。


「なんだ?」

 ジェノは箸を置き、メルエーナを見つめてくる。


「そっ、その。じぇっ、ジェノさんも、やっぱり女の子は、胸が大きい方が好きですか?」

 メルエーナは顔を真っ赤にしながら尋ねた。


「んっ? すまん。質問の意味がわからない」

「ですから、そっ、その、マリアさんみたいに胸が大きい女性って、男性には魅力的に映ると聴いたことがありましたので……。ジェノさんも、そういう女性の方が望ましいのかなぁと……」

 メルエーナが更にそう言うと、何故かジェノは顎に手をやり、考える姿勢を取る。


「ああっ、シーウェンが言っていた、肉付きがどうのと言うのはこういうことか……」

 ジェノはそう独りごちると、


「ただ、俺はそんな事で異性の好みを考えたことはないな。眼の前に居る相手を見て、その人間を好ましいと思うかどうかだけだ」

 そう続けた。

 メルエーナはその言葉にガックリと肩を落とし、「そっ、そうですか」とだけ呟く。


「……なぁ、メルエーナ。どうしてお前は自分とマリアを比べるんだ?」

「えっ、あっ、あの、それは……」

 マリアがジェノに未だに好意を持っていることにジェノは気がついていないようだった。その絶望的な鈍さはどうなのだろうと思いながらも、メルエーナはその事に触れないように理由を説明する。


「先日、マリアさんを連れて、みんなで大衆浴場に行ったんですが、その時に見たマリアさんの綺麗で女性らしい体つきでしたので、その……」

 だが、説明を始めたものの、もしもマリアに迫られてしまったら、ジェノも彼女のことを好きになってしまうのではと危惧したからなどとは言えず、メルエーナは言葉に詰まってしまった。


「……お前はマリアと自分を比較して、その事をコンプレックスに思っていたのか?」

「はっ、はい……」

 ジェノの言葉は当たらずとも遠からずだったので、メルエーナは頷くことにした。


「……すまん、やはり俺には分からない……」

 ジェノのその言葉に、メルエーナは悲しくなる。

 少しでもジェノに振り向いてほしくて色々と頑張っているのに、それらすべてを否定されたような気持ちだった。

 

 だが、ジェノは更に言葉を続けたのだ。


「マリアとお前に、そんなに差があるのか?」

 っと。当たり前のように。


「えっ? えっ? どういうことですか、ジェノさん?」

 メルエーナはジェノの言わんとしていることこそ分からない。


「メルエーナ。お前は自分を良く分かっていないんじゃあないのか? 飽くまでも俺の私見に過ぎないが、お前は一般的な同性よりも綺麗だと思うぞ。それこそ、マリアと比較しても遜色ないほどに」

 ジェノは当たり前のことのようにそう言う。


「えっ、えええっ! そっ、そんな事ありません! いくらなんでもそんな、恐れ多いです!」

 メルエーナは慌てに慌てる。

 いくらなんでも、あの傾国の美貌とも言うべきマリアと、自分のような田舎娘では比較にならない。百人に聞けば、百人がマリアの方が綺麗だということは分かっている。


「いや、何も恐れ多くはないだろう。お前は綺麗だ。マリアと遜色がないくらいに」

 ジェノはまた差も当然とばかりに言うと、静かに席を立ち、メルエーナの使っていた器をトレイに乗せる。


「なんの気休めにもならないかもしれんが、俺は心からそう思っている。だから、無理はしないでくれ。まぁ、お前がそれでも自分が目指す姿になりたいというのであれば俺も協力はする。一人で抱え込むな。これでも、一応はお前の交際相手なんだからな」

 ジェノはそう言うと、「小盛りで良いからもう少し食べてくれ。お前がおかわりをしてくれないと、そばが残ってしまうからな」と続けて、厨房に行ってしまった。


 残されたメルエーナは顔を真っ赤にし、恥ずかしさのあまり顔を両手で抑える。


 そこに、今まで黙っていたバルネアがソバのスープを飲み干し、器をテーブルに置くとにっこり微笑んだ。


「ふふっ。ジェノちゃんにとって、メルちゃんは本当に綺麗な女の子なのね。マリアちゃんに負けないくらいの」

 バルネアにそう言われ、メルエーナは一層顔を赤くする。


「ジェノちゃ~ん。私のおかわりの分もあるのよね? 私にもおかわりをお願い! それと、メルちゃんもさっきと同じくらい、おソバを食べられるって!」

 バルネアが勝手にそう言ってしまうが、感極まってしまっているメルエーナは、それを止めることも出来ない。


「メルちゃんたら、愛されているわね」

 バルネアのダメ押しの言葉に、メルエーナは頭から湯気を出す勢いで全身真っ赤になる。


 ジェノが想像したメルエーナが綺麗になりたい理由は勘違いだ。けれど、そこに込められた彼女に対する想いは、優しさは本物で……。

 そして、それを知ってしまったメルエーナは、恥ずかしくて、幸せで、夢のようで……。


 メルエーナはこの日、ジェノが自分をどう思ってくれているのかを心から理解した。

 そして、そんな気持ちの中で食べる、二杯目のソバの味は、決して忘れられない味になったのだった。

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