㊵ 『温泉にて①』
今日も晴天で暑い中を、着替えとタオルを入れたカバンを持っているだけの軽装で、メルエーナ達は歩いていた。
ただ、いつもならば無口なジェノに対し、メルエーナが気を使って話しかけることが多いのだが、今は二人の間に会話はない。
それは、目的地が近づくにつれて、羞恥心が増していき、メルエーナが言葉を発せられる状態ではないからだ。
長い気がしたが、宿から十分程歩くと、丸太の囲いと建物が見えてきた。
「あそこか、目的地は?」
「はっ、はひ! そっ、そのはずです!」
不意に声をかけられ、メルエーナは上擦った声で奇妙な返答をしてしまい、一層顔を赤らめる。
「……メルエーナ。なにもわざわざ露天風呂に行かなくても良かったんじゃあないか? いや、行ってみたいという気持ちを否定するつもりはないが」
ジェノの言葉はもっともだ。また不審者の襲撃がある危険性も否定出来ないので、安全を考えるのであれば、宿のお風呂で我慢したほうがまだ安全だろうとメルエーナも思う。けれど、それではこの旅行が悲しい終わり方になってしまう。
もっとも、これからのことで一層悲しい結末になる可能性も否定できないが……。
「だっ、大丈夫です! わっ、私は大丈夫ですから!」
何が大丈夫なのかわからないが、メルエーナはジェノと目を合わせずに、緊張のあまり意味不明な回答をしてしまう。
「……まったく、お前は……」
ジェノが珍しく自分に対して反応したので、ちらりと彼の顔を見ると、口元が綻んでいるように思えた。だが、それは一瞬のことで、すぐにジェノはいつもの無表情になり、「どうかしたのか?」と尋ねてくる。
メルエーナは「なんでもありません」と応え、顔を俯けながら、あと少しに迫った目的地に向かう。
もう分かりきっていたことだが、ジェノは同じ年の女の子と二人で温泉に行くということに何も感じないのだろう。自分は今にも心臓が飛び出しそうなほど緊張しているにも関わらず。
メルエーナはそれが寂しくて仕方がない。いつまで経っても自分はジェノに異性としてみてもらえないのだ。
「あっ、ここですね」
丸太の囲いに取り付けられたドアの錠に、宿で借りてきた鍵を差し込んで鍵を開ける。
ジェノの方を見ると、彼は辺りを確認している様だった。
「周りに不審な気配はないようだが、念のため、中には俺が先に入ろう」
中の小さなログハウスにも鍵があるのを理解しているのだろう。ジェノはメルエーナから鍵を受け取る。
「……ジェノさん……」
その行動に、やはりこのような場所に誘ったのはただただ迷惑だったのだと思い、メルエーナは落ち込んでしまう。
「メルエーナ、中も問題ないようだ。入ってくるといい」
「はっ、はい!」
声がかかったので、メルエーナは顔を上げってログハウスに入る。
「こっ、これは、その……」
「シンプルな作りだな。一応、浴槽も仕切られているようだが」
「そっ、そうですね。凄くシンプルです……」
ログハウスの中は入口近くに二人用のソファがあるだけで、後は真っ直ぐ進むと二つの入口があり、着替えを置く籠が見える。そして、屋外の浴槽まで見えてしまっている。
このシンプルな構造が意味することは、もしも着替えを覗こうと思えば簡単だし、相手の浴槽に侵入することも容易いということだ。
(……バルネアさん。流石にこのお風呂で入浴というのは、難易度が高すぎます)
メルエーナはここにはいないバルネアに、心のなかで泣き言をいう。
「メルエーナ。俺は先に入っているぞ」
「えっ? あっ、はい……」
ジェノはそう言うと、向かって右側の入口に入り、服を脱ぎ始めたので、メルエーナは大慌てで自分も左側の入口に向かう。
脱衣所は本当に簡易なもので、衣類を入れる籠も一つしかない。
奥には浴場を仕切る横開きのドアがあるだけだ。
言うまでもなく、ジェノの脱衣場とこの脱衣場を遮る木の壁はもちろんあるのだが、どうやら薄いようで、辺りが静かなこともあり、衣擦れの音さえ聞こえてしまいそうだ。しかし、ここまで来て帰ることはできないので、メルエーナは意を決する。
ドキドキしながら衣類を一枚一枚脱いでいく。もしも、いや、決してないとは思うのだが、ジェノが入口側から覗いてきたら、こんなあられもない姿を見られてしまう。そう思うと、メルエーナの心臓が一層激しく脈打つ。
一瞬、入り口の方を見たが、当然そこには誰もいない。そして、壁の向こうから、ガラガラと引き戸のドアを開ける音が聞こえ、ジェノが浴場に入ったことがわかった。
「そっ、そうですよね。ジェノさんに限って、そんなこと……」
メルエーナは、ほっと安心したが、それと同時にがっかりとしてしまう。そして、自分の控えめな胸に視線をやり、
「……ううっ、やっぱり、こんな貧相な胸では、興味もわかないですよね……」
悲しくなりながらも、衣類をすべて脱いでタオル等を片手に浴場に向かう。
ドアを開けて浴場を確認すると、思ったよりも広い空間だった。
隣の浴場とは、竹だろうか? 見慣れない植物でできた高めの壁で仕切られている。
周りも壁で囲まれているのだが、そちらはあまり高くはなく、体こそ隠せるものの、少し上を見れば景色も見られるのが開放感もある。
体を洗うスペースもあり、そこでメルエーナは髪と体を洗う。その間に、ジェノは体を洗い終えて、湯に入る音が聞こえた。髪を纏めてから、メルエーナも湯に身を委ねることにした。
夏の暑さでかいた汗を流すのは心地いい。それに、温泉はやはり普通のお湯とは違って体の芯まで温かさが伝わってくる気がする。
「じぇっ、ジェノさん。その、いいお湯ですね」
お互いが湯に使っていることが分かり、メルエーナは口を開く。
「ああ。そうだな」
ジェノの返答に、メルエーナの胸は再びドキドキし始める。
この敷居の向こうには、自分と同じ様に、一糸まとわぬ姿のジェノがいるのだと思うと、気持ちが落ち着かない。
「…………」
「…………」
しばらく無言だったメルエーナ達だったが、不意にジェノが口を開く。
「メルエーナ、ちょうどいい機会だから言っておきたい。俺は、お前に謝りたいと思っていた」
「えっ? 謝らなければいけないことなんてありましたか?」
メルエーナには、ジェノの言う事の心当たりがない。
「恥ずかしい話だが、俺は、嫉妬していたんだ」
「……えっ? 嫉妬、ですか?」
断片的なセリフだが、メルエーナの鼓動は、温泉の効果以上に早くなる。
もしかして、自分とレイルン君が仲良くしていることに……。そう考えて、メルエーナは顔を赤らめて、恥ずかしそうに俯く。
「ああ、嫉妬だ。俺は……お前に嫉妬していた……」
ジェノのその言葉に、メルエーナはガックリと肩を落とす。
けれど、やはり意味がわからない。ジェノが自分などに嫉妬する事柄など何があるのだろうか?
「俺は、魔法の才能を持っていない。こればかりは先天性のものだと分かっているつもりだったが、身近な人間が、お前が魔法の才能を持っていることを知り、その事に嫉妬してしまった。そして、お前の<守護妖精>とやらになったレイルンにも冷たく当たってしまった。これは謝罪し、改善が必要な事柄だ」
ジェノの声は酷く申し訳がなさそうなものだった。
「ですが、ジェノさんはレイルン君のために一生懸命に頑張ってくれました」
「いいや。仕事なのにもかかわらず、私怨でお前とレイルンを不快な気持ちにさせたのは事実だ。そして、結局俺は、レイルンにそのことを詫びることもしなかった」
そこまで聞き、メルエーナは反論の言葉が口に出そうになったが、少し気持ちを落ち着けて、考えてから言葉を紡ぐことにした。
「ジェノさんは生真面目で、頑固過ぎますよ。他人に何の感情も抱くことなく、淡々と仕事だけをすることができる人間なんていません」
「だが……」
「私たちは、良い事もすれば、悪いこともします。それらが入り混じったのが人間なのではないでしょうか? 当然、公平に接しようとする態度は必要ですが、人間ですから好き嫌いもありますし、失敗もします」
「それは、改善していかなければいけないことだろう?」
「ええ。改善は必要だと思います。けれど、ジェノさんはそれらを全くのゼロにしようとしている気がします。それは不可能です。だって、ジェノさんも人間ですから」
メルエーナは努めて明るく言う。
「……人間……」
ジェノはポツリと呟くと、
「なぁ、メルエーナ。もしも、それらをゼロにすることができる存在がいるとしたら、何だと思う?」
そう問いかけてくる。
「そうですね。やはり、神様ではないでしょうか?」
「……神か……」
軽い言葉のやり取りのはずなのに、何故かジェノの言葉は憂いが込められていたように思えた。
また少しだけ沈黙が続いたが、今度はメルエーナがそれを破った。
「ジェノさん。私は心配です。貴方はいつも他人のことばかりを優先して、自分を蔑ろにしすぎています。もちろん、ジェノさんが優しいことは美点ですが、もう少しだけでも自分を大切にして欲しいです」
ずっと思っていた気持ちを吐き出すメルエーナ。だが、彼女の耳にはジェノが大きくため息をつくのが聞こえた。
「前にも言ったはずだ。俺は優しくなんかない。それに、俺は他人のことを優先したことなどない。俺はいつも自分のことを第一に考えている。だから……」
「だから、なんですか?」
ジェノが珍しく感情的になっていることで、メルエーナはかえって冷静になって尋ねる。
けれど、次に続いた言葉で、メルエーナの目は、驚きで大きく開かれる。
「俺なんかとお前では釣り合わないだろう。お前こそ、もう少し自分を大事にしろ」
それは、あのジェノがそう言ったからだった。




