㊴ 『一夜明けて』
メルエーナが目を開けると、昨日見たのと同じ天井が視界に入ってきた。
しかし、まだ部屋が薄暗い。
昨日は宿に戻って部屋のベッドに横になると、気を失うように眠ってしまったので、こんな中途半端な時間に目を覚ましてしまったのだろうと思う。
「……そうですよね。もう、レイルン君は……」
最初は違和感があったが、だんだん自分以外の存在と繋がっている感覚に慣れ始めていたのに、それがぷっつりと無くなってしまったことに寂しさを覚える。
枕元においていた、首飾りをみると、その二つに分かれたペンダントのような部分に、綺麗な石も半分個にされて付いている。カーテンを開け、登り始めた太陽の輝きに当てると、その石は光が当たる加減で様々な色に変化した。それはとても綺麗な、美しい輝き。
レイルンがお礼にとくれた、とても希少なものであろうことは想像できた。
「……駄目ですね。レイルン君は納得したのですから、悲しい顔をしては失礼です」
レイルンとの生活を思い出し、つい目の橋から流れていった涙を拭い、メルエーナは自身に言い聞かせる様に呟く。
レイルンは想い人と結ばれることはなかった。けれど、彼は昔の誓いを果たした。
幼いレミリアが、星明かりのような石が欲しいといった願いを賢明に叶えて、その石を作って手渡し、恋敵であるキレースさんに彼女のことを譲って帰っていったのだから。
この結末は、仕方がなかったのだとメルエーナも思う。
レミリアさんは既に人妻で母親なのだ。レイルンがそれを引き裂いてレミリアさんを得ることは、人間の倫理観であれば認められることではない。
けれど――。
そう、けれど、だ。
長い間、一途に一人の異性を大切に想い、愛し続けたレイルンがあまりにも報われないとも思ってしまう。
長い年月を経たレイルンの想いと比較するのは失礼だと思うが、これは自分も異性に恋をしているからだろう。だから、報われてほしかったと思うのだ。
……でも、それは、自分も報われたいから……。
利己的な自分の気持ちに気づき、気落ちするメルエーナは、しばらくレイルンの事を考えていたが、不意に控えめにドアがノックされる音を聞いた。
こんな早朝にと思ったが、ノックの仕方で相手がバルネアであることを理解し、メルエーナは部屋の入口を解錠し、それを静かに開けたのだった。
◇
「おはよう、メルちゃん。ごめんなさいね、朝早くに」
「おはようございます、バルネアさん。いいえ、もう目を覚ましていたので大丈夫です」
いつもと変わらないバルネアさんに、メルエーナは笑顔で応える。
「そう。でも、きちんと眠れたかしら?」
「はい。ぐっすりと。あっ、立ち話もなんですから、部屋の中にどうぞ」
バルネアを招き入れ、備え付けの椅子を勧めたメルエーナは、自身はベッドの端に腰を下ろす。
「……あっ」
当たり前のように、バルネアがメルエーナの右隣の空間を見て、小さく首を振ったのが見えた。
その姿に、バルネアもまだレイルンが帰ってしまったことに慣れていないことを理解した。
バルネアさんと一緒のときは、よくレイルンも加えて三人でお喋りや食事を楽しんでいたから、寂しい気持ちが湧き上がってしまう。
「ごめんなさい。レイルン君は帰ってしまったのよね……」
レイルンは、メルエーナとジェノと一緒にレセリア湖に行く前に、バルネアさんにもお別れの挨拶をしていった。けれど、だからといってすぐに慣れるものではない。
「……はい。帰ってしまいました」
メルエーナの言葉に、「そうよね」とバルネアは言い、嘆息した。
「すみません。せっかくの旅行なのに、こんな寂しい気持ちにさせてしまいまして……」
メルエーナはそう謝罪したが、バルネアは「いいえ」といって首を横に振ると、パンパンと軽く両手で自らの顔を叩いた。
「メルちゃん、レイルン君のことを思うのは後にしましょう! 今はそれよりも作戦会議よ!」
バルネアは不意ににっこり微笑み、メルエーナに指示を出してくる。しかし、これだけでは抽象的すぎて、意味が分からない。
「えっ? 作戦会議って、なんのですか?」
もう依頼は解決したはずだ。それなのに作戦会議とは意味がわからず、メルエーナは困惑する。
だが、そんなメルエーナに、バルネアは可愛い顔でぷくぅと頬を膨らます。
「もう、メルちゃんったら。最初に言っておいたはずよ。この宿には少し離れたところにアレがあるって説明しておいたじゃあないの」
そこまで言われて、メルエーナもようやく思い出す。この旅行のもう一つの目的を。
「色々とこれからこの村は騒がしくなりそうだけれど、流石にみんなも疲れているだろうからと言って、ナイムの街に帰るのは明日の朝一の馬車に変更したの。だから、今日は自由時間になるはずよ。つまり最初で最後のチャンスよ! そして、『最初に来た者が最初に食べ物を与えられる』と言う諺のとおり、先手を取ることが大事よ。ジェノちゃんも普段ならもう起きている時間だから、すぐに今日、あの場所に行きましょうと誘わないと」
バルネアはノリノリで一気にそこまで言う。だが、メルエーナはいきなり変わった話題に、まだ頭がついていかない。
「場所は聞き込みの際に確認しているから大丈夫よね?」
「えっ、あっ、その、はい……。でっ、ですが、私からジェノさんをそんなところに誘うのは端ない気が……」
メルエーナは気後れしてしまうが、ジェノともっと会話をしたいと考えていたのもまた事実だった。
昨日はレイルンと分かれた後に、ジェノの肩を借りてなんとか宿に戻ると、疲労からすぐに眠ってしまった。もっともっと、彼と話したいことがあったはずなのに。
「いいえ、ここで気後れしてはダメですよね! バルネアさんがせっかく作ってくださったチャンスですから、私、頑張ります!」
レイルンとの別れで辛いはずなのに、第一に自分のことを優先して考えてくれている。そんなバルネアの思いやりに深く感謝をしたメルエーナは、弱気な心を押しやり気合を入れた。
「そう。その意気よ! メルちゃんとジェノちゃんがもっと仲良くなれたら、この旅行は大成功なんだから」
バルネアのその言葉に、メルエーナは一層決心を固めるのだった。
◇
いつも通りの時間に目を覚ましたジェノは、静かにベッドから起き上がると、小さく息を吐いた。
ミズミ村に妖精が現れた。その噂は昨晩だけで瞬く間に村中に広がっただろう。
その上、妖精と、それに見初められた女性の悲しい恋物語は、尾ひれ背びれが付き、様々な脚色をされて広がっていく事は、今朝の食事時に、他の客が話している会話からも推測された。
人の口に戸は立てられない、と言うが、本当にそのとおりなのだと実感する。きっと明日には近隣の村々にこの噂が広がり、すぐに自分たちが住むナイムの街にもそれが広がっていくのだろう。予想がついていたとはいえ、そのあまりにも大きな流れは怪物じみていて畏怖さえ覚える。
バルネアと相談をし、明日の朝一番の馬車で帰路につくことになった。
これからこのミズミ村は多くの注目を集め、沢山の集客が見込まれる。それは村が活気づくいいきっかけにはなるだろうが、気ままな旅行を楽しみたいと思っている既存の旅人の趣旨とは異なってきてしまうだろう。
少なくとも、バルネアさんが思い描いていた旅行とは違うものとなってしまうことは間違いない。それに、別れの時が来ることは分かっていたが、この村にいるとレイルンのことを思い出してしまう。
自分はかまわないが、他のみんな――特にメルエーナとバルネアさんが辛いだろう。
そう思うと、やはり早く普段の生活に戻った方がその寂しさを忘れられるのではと思えるのだ。
バルネアさんには本当に悪いことをしたとジェノは心苦しい。自分とメルエーナに楽しい旅行をプレゼントしてくれるつもりだったのに、自分たちの仕事で台無しにした上に、このような大騒動に巻き込んで、悲しい別れを経験させてしまった。
(これでは恩を仇で返したも同然だ……)
ジェノは今回の反省点を頭の中で考えていたが、そこで不意にノックの音が聞こえたのでそちらに視線をやる。
まだ早朝と呼べる時間なのだが、ノックの音で、それがメルエーナのものだと分かり、ジェノはそこまで早足で向かい、ドアを開ける。
「どうした、メルエーナ?」
ドアを開けると、メルエーナが一人立っていた。少し顔を俯けていたが、すぐに彼女は意を決したように顔をあげると、真剣な表情でこちらを見上げて、予想もしなかった言葉を口にした。
そう。彼女は、
「ジェノさん。今日は私と二人だけで、近くの温泉に行ってくれませんか?」
と口にしたのだ。




