㉒ 『真相③』
なんとか落ち着きを取り戻したコウの顔を、メルエーナはタオルで拭いてあげた。すると、コウはお礼とお詫びを言って彼女から離れて、オーリンの隣の席に座る。
年の割にずいぶんとしっかりとした少年だとメルエーナは思い、自分も彼と同じテーブルで対面に座ることにする。
しかし、コウの憔悴した顔を見ると、メルエーナは胸が締め付けられそうになる。この幼子が、毎晩のように先程の悪夢にうなされているであろうことが容易に想像できたから。
「大丈夫か、坊主?」
「はい。大丈夫です」
疲れ切った顔で、けれどそう答えるコウ。メルエーナは、隣に座るジェノが静かに拳を握りしめたことに気づく。表情に出さないだけで、彼もこの少年のことを心配していることがよく分かった。
「坊主、わしが大まかな話はしてやる。だが、もしもこのお兄さんに頼むことを決めたのなら、自分で頼むんだ。できるか?」
オーリンの言葉にコウは頷く。
「話して下さい、オーリンさん」
少しでも早く要件を知り、そしてコウを緊張から開放したいと思っているのだろう。ジェノがオーリンに話をするように促す。
「ああ、分かっている。先にも言ったように、この坊主は今回の通り魔事件の最初の被害者男性の息子だ。その被害者は大工でな。坊主は父親の仕事を見学に行っていたんだそうだ。ちょうど十日前の話だ。
そして、仕事が終わって父親と家に帰る途中で、猿に似た巨大な化け物が、近くの家の屋根から飛び降りてきて、坊主に襲いかかってきたんだそうだ」
オーリンは震えるコウの頭を撫でて、話を続ける。
「幸い異変に気づいた父親が坊主を庇ってくれたらしい。だが、父親はその化け物の一撃を背中に受ける事になってしまった。
他の人間が近くにやって来る気配を感じたのか、化け物はそれ以上の攻撃は加えずに逃走したらしい。坊主は軽いかすり傷で済んだ。そして、発見が早かったため、坊主の父親も一命はとりとめた。もっとも、無事とはいい難いがな……」
言葉を選んでいるであろうことは、メルエーナにもよく分かった。コウの父親はかなりの重症のようだ。
「なるほど。この子供の置かれた境遇は分かりました。それで、俺に紹介したい仕事というのは?」
ジェノの問に、オーリンはコウの背中をポンと叩いて後押しする。
するとコウは立ち上がり、ポケットの中から何かを取り出す。そしてそれを両手に乗せてジェノに差し出した。
「お願いします! 僕の、僕のお父さんの仇を取って下さい! その、これ、僕が持っている全部のお金です!」
コウがジェノに差し出したのは、小銅貨が五枚だった。この店で一番安い定食代にも足りない微々たる額。だが、それを見たメルエーナは涙が溢れてきそうになった。
コウの懸命な表情に、彼がどれだけの思いを込めてこのお金を差し出しているのか分かってしまったから。
「……コウ、だったな。隣にいる男から何を聞いたかは知らないが、俺は正式な冒険者ではない。それは分かっているのか?」
ジェノは、少しゆっくりとした声でコウに話しかける。
「はい。でも、他の正式な冒険者って言う人達は、みんな僕の話を聞いてくれませんでした。だから、僕は……」
コウの瞳から涙がこぼれ落ちた。
ここに来るまでに何があったのかは考えるまでもない。誰一人として、この少年の真摯な願いに向き合ってくれる人は居なかったのだろう。
「コウ。俺も含めた冒険者ギルドの人間は、今、この街を守る自警団に協力して、お前の父親を襲ったものを懸命に探している。
この街の自警団は優秀だ。そう遠くないうちに、今回の犯人は見つかって罰を受けることになるはずだ。それを待ってはいられないのか?」
ジェノの問は正論だろうとメルエーナも思う。だが、コウは首を横に振る。
「僕に色々話を訊いてきた自警団の人も、必ず仇を討つって言ってくました。でも、僕だって、お父さんの仇を討ちたいんです! 僕には何の力もないけれど……」
何もできない自分に歯噛みしながら、コウはずっと父親の仇を取る方法を考えたのだろう。そして、冒険者という、お金を払えば魔物と戦ってくれる存在に行き着いたのだ、きっと。
「大丈夫だ、坊主。このお兄さんは弱いものの味方……そう、正義の味方ってやつなんだ。坊主の頼みを断ったりしないさ」
「勝手なことを言わないでくれ。正義の味方なんて都合のいいものが、現実にいるわけがないだろう」
「それなら、お前はこの坊主を見捨てるのか?」
オーリンの問に、ジェノは言葉に詰まって憮然とする。
悪いとは思いながらも、メルエーナは口元を綻ばせてしまった。
オーリンはジェノの性格をしっかりと理解している。彼がこの少年を見捨てはしないことを知っているのだ。
「オーリンさん。俺は今、ギルドからの命令で自警団に協力している身です。なのに、あなたはこの仕事を、そんなに俺に受けさせたいんですか?」
「おお。そのとおりだ。自警団の連中が頑張っているのは知っているが、我々『冒険者』だってこの街の治安を守る協力をしているんだ。奴らは軽んじているようだがな。
その鼻を明かしてやれたら、さぞ爽快だろうさ。それに、この坊主との契約が結ばれれば、言い訳はいくらでも効くだろう。それがわからないお前さんではないだろう?」
意地の悪い笑みを浮かべるオーリンに、ジェノは頭痛をこらえるように頭を片手で抑える。
「それと、もしも自警団に先んじて、その猿みたいな化け物をお前が倒せたなら、ギルドからも報奨金を出してやる。……そうだな、大銀貨十枚でどうだ?」
大銀貨十枚。かなりの高額だ。だが、ジェノはさしてその事に興味はないようで、「金額は好きに決めて下さい」と言って、コウを正面から見つめる。
ジェノの視線に少し物怖じしながらも、コウは視線をそらさなかった。
「俺とは大違いだな……」
小さくジェノが呟いたが、あまりにも小さすぎてそれを聞き取れたのは隣りに座るメルエーナだけだったようだ。だが、その言葉の意味を彼女が尋ねるよりも先に、ジェノは口を開く。
「分かった。条件付きで良ければ、その依頼を受けよう」
「んっ? 条件付きだと?」
コウではなく、オーリンが怪訝な顔をして口を挟む。
「ああ。それが飲めないのであれば、依頼は受けられない」
「……条件って、なんですか?」
コウの問に、ジェノは条件を口にした。
それは、過酷な条件だった。思わず、メルエーナが口を挟んでしまったほどの。
だが、背に腹は変えられなかったのだろう。コウはその条件を飲むと答えた。
そして、ジェノとコウの契約が成立したのだった。




