㉕ 『視線そして追跡』
ボールで遊びながらも、マリアがたまにちらっとジェノとメルエーナの方に視線をやっていることに気が付き、イルリアは自分の取った行動が正解であったことを理解する。
メルエーナ、そしてマリア本人からも、彼女がジェノの幼なじみであることは聞いていたし、憎からず思っているであろうことは、彼女の視線がよくジェノを探している事からも明らかだ。
別段、ジェノが誰を好きになってどうなろうと知ったことではないが、親友だと思っているメルエーナの事を優先したくなるのは当然だろう。
まぁ、そうは思うのだが、どう考えても異性にモテそうなあの二人が、わざわざあんな朴念仁に好意を向ける理由がイルリアには分からない。
マリアはもちろん、メルエーナだって、他にいくらでもいい男を捕まえられそうなのにもったいないとさえ思ってしまう。
(そもそも、好きだとか惚れたとか、私にとっては面倒以外の何物でもないしね)
イルリア自身も頻繁に男性に声を掛けられるが、正直その相手をすることに辟易していた。
祖父と祖母を何よりも大切に思っているが、それは家族に対する愛情の気持ちにすぎない。今は仕事が楽しいし、懸命に惚れた男と恋の駆け引きをするなど、時間の無駄なような気さえしてしまう。
そして、今の家族以外に自分は愛情を向けることはおそらく無いと思っている。
友達、敬愛する相手への友愛や尊敬の気持ちは抱けても、誰かを好きになって家族となりたいとは考えられないのだ。
それが幼い頃に母親に裏切られたトラウマからくるものだとは理解しているつもりなのだが、正直怖い。相手に裏切られるのが怖いのもそうだが、それ以上に、自分があの最低最悪の唾棄すべき女と、母親と以前呼んでいた輩と同じようなことをするのではとイルリアは恐れているのだ。
母親とそっくりな姿に成長した自分の姿を鏡で見ただけで嫌になる。
あんなふうにだけは決してなるまいと思いながらも、忌まわしいあの女の血がこの体に流れていることを認識させられるから。
だから、自分は一生独身だろう。イルリアは若い身空で、自分の生涯をそう決めつけている。
もっとも、ジェノがあの事の代償として自分の人生を求めてくれば話は別だが、それも考えにくい。となると、やはり自分は祖父母が求めているひ孫の顔を見せることはできそうにないと思う。
「……んっ?」
しばらく体を動かしながらも考え込んでいたイルリアだったが、そこでまた視線を感じた。彼女自身が望んだ成長ではないが、いかんせんスタイルの良い彼女は、異性の視線を受けることが多いためか、それに敏感なのだ。
今までは気が付かなかったが、今は明らかに不躾な視線を感じる。特に、水着から一部露出した胸元や臀部に。
イルリアは少し休むとみんなに言って、水から上がる。そちらを目で追わないようにしながらも、気配も動いて来ているのをイルリアは感じていた。
それは、少し離れた木々の茂みからだと横目で判断し、敷物のところで休んでいるメルエーナ達と軽いおしゃべりをしながら、体の水滴をタオルで拭く動作の影で、ポーチから銀色の板を一枚引き抜くと、それを気配のする木々の方向に向かってかざし、力を開放した。
次の瞬間、男の情けない悲鳴が響く。
珍しいことに、メルエーナの近くにいたジェノも男の気配には気がついていなかったようで、声を聞いてから素早く立ち上がり、そちらを警戒する。
「うっ、ああっ。ひっ、酷い……」
ふらふらとした足取りで茂みから出てきた、自分と同年代くらいの痩せぎすな男の顔に、イルリアは微かだが見覚えがあった。
いや、正確に言えば、彼の特徴的な青い右目の輝きを覚えていた。
「あんたはたしか、ゼイルだったわよね? 『聖女の村』で私に声を掛けてきた……」
先のマリア達との話し合いの際に名前を出していたため、すぐにそれが頭に浮かんだ。
しかし、ちょうどいい。できれば、もう一度会いたいと思っていたところだとイルリアは考えることにした。
マリアの話に出てきた、オッドアイ集団の手がかりがつかめるかもしれない。
イルリアは先程とは別の銀の板を構えて、ゼイルに近づく。
「イルリア……」
ジェノが注意を促してくるが、イルリアは「大丈夫」とだけ返す。
魔法を使う相手ならば、自分の方がジェノより適任だろう。後ろを振り返っている暇はないが、水音が聞こえる。
他のみんなも今の騒ぎに気がつかないはずがない。それならば、これは情報を得るまたとないチャンスだ。
「あっ、その、はい。僕はゼイルです。その、嬉しいです。イルリアさんが僕の名前を覚えてくれているなんて……」
警戒するイルリアとは異なり、ゼイルは顔を赤らめて本当に嬉しそうに言う。そのことが、イルリアには不気味だった。
「あんた、今朝も私の部屋を覗いていたでしょう? いったい何のつもりよ!」
イルリアの強い言葉に、ゼイルは申し訳無さそうに顔を俯けて黙る。
「しらばくれるつもりね。いいわ、それなら話したくなるようにしてあげ……」
イルリアの言葉の途中で、彼女の真横を素通りし、ゼイルに向かってこぶし大の何かが飛んでいった。そして、それはゼイルの目の前で、まばゆい光を放つ。
「くっ、<閃光>の魔法……」
イルリアもよく使う魔法なので、それが何なのかは理解できたが、あまりに突然なことに、目をやられてしまう。
「セレクト先生、その男を逃さないで!」
「言われるまでもありません!」
目がくらむイルリアの耳に、マリアとセレクトの声が聞こえた。どうやら、今の魔法はセレクトが使ったようだ。
「わぁぁぁっ、目が……。ううっ、仕方がない!」
ゼイルの情けない声が続いて聞こえて来たかと思うと、それっきり彼の声は聞こえなくなった。
やがて、視力が回復したイルリアの瞳に映ったのは、悔しそうな表情を浮かべるセレクトとマリアの姿。そして、自分を心配して歩み寄ってくるジェノだった。
「ジェノ! 今の男は、ゼイルはどこに行ったの?」
「<転移>の魔法らしきものを使って逃げたようだ。だが、リットが追っている」
ジェノの説明を聞き、イルリアはおおよその事を理解した。
そして、少しだが安堵した。
リットはふざけた男だが、こと魔法においては凄まじい力を持っている。あいつが追っているのならば大丈夫だろうと考えた。
だが、しばらくした後に戻ってきたリットは、ジェノに困ったような笑顔で言ったのだ。
「悪りぃ、ジェノちゃん。完全に見失った」
と。




