② 『無愛想な男』
レイとキールが詰所を出ると、入り口近くの建物を背に、レイ達と同年代の青年が立っていた。
港街であるナイムの街には世界各国から集った様々な人種の人間が暮らしている。だが、その中でも珍しい短い黒髪に茶色の瞳。非常に均整の取れた容姿は遠目には女性に間違われてもおかしくないほどだ。
しかし、腰に長剣を帯びていることからも、服の上からでは線が細く思える体が、レイ達現役の自警団と比較しても遜色ないほどに鍛えられていることは、分かる人間には分かる。
「……」
黒髪の青年は、レイ達に気がつくとこちらに近づいてきた。だが、その表情は無表情で、愛想のかけらもない。
「こんばんは、ジェノさん。待たせてしまいましたかね?」
愛想の良いキールが黒髪の青年――ジェノにそう声をかけたが、彼はそっけない態度で、「いや」と一言だけ口にする。
これには人当たりの良いキールも流石に言葉に詰まる。
「ちっ。相変わらず愛想のねぇ野郎だな」
「……」
自分のことを棚に上げたレイが面白くなさそうに文句をつけるが、ジェノは全く取り合わない。それが余計にレイを不機嫌にさせる。
もっとも、レイが不機嫌なのは何もジェノが気に入らないからだけではない。彼が自分達と同じ白を基調とした自警団の服を身につけていることが腹立たしいのだ。
「まぁまぁ。お二人共、早く見回りにいきましょうよ」
キールが剣呑な雰囲気のレイとジェノの間に入り、二人に笑みを向ける。
「ああ、分かった。行くぞ」
レイは頭に血が上りやすい自らの性格を反省し、ランプを片手に率先して歩き始めようとするが、そのランプをキールにすっと取られた。
「先頭は僕が務めますよ。その代わり、件の化け物が出てきたら、お二人にお任せしますから」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、キールが調子のいいことを言う。
「なにを言っている。その時は、当然お前も戦うんだよ」
「えぇ~。僕はどちらかというと頭脳派なんですけれど」
「やかましい。お前だってそれなりに戦えるだろうが。いいから、前を向け、前を」
レイはすっかり気持ちを切り替え、笑みを浮かべながら文句を言う。
「はいはい。それじゃあ、行きましょうか」
キールは茶目っ気たっぷりに言い、前を向いて歩き始める。その気遣いがレイには嬉しかった。
だが、隣を歩くジェノはニコリともせずに仏頂面を浮かべているだけだ。キールの気遣いを理解しない様子に腹が立つが、ここで再び頭に血を上らせてしまっては、それこそ厚意を無駄にすることになってしまう。
そのため、レイは黙ってキールの後を歩き、巡回を始める。
人がどんどん減っていく大通りを歩きながらも、レイ達は枝道にも注意を向ける。
地道この上ない作業だが、こういったことの積み重ねこそが物を言うのだ。
日が落ちるに連れて街灯が灯されるが、その作業を行う人間達も、それが終わるなり逃げるように家路に就く。
「はぁ~。嫌になりますね。こんな活気のないナイムの街は……」
心底嫌そうな声で、キールが頭を掻きながら言う。
レイもそれに、「ああ」と同意する。
定住者だけでも二十万人規模の都市であるこのナイムの街の夜の華やかさは、世界でも屈指のものとされている。無論、昼の街も活気に溢れているが、夜には夜ならではの楽しみというものもある。
だからこそ、この街は昼夜を問わずに人々が溢れかえる、眠らない街だったのだ。
しかし、今、このナイムの街は入国制限の他、夜の外出が原則禁止されており、日が落ち始めるに連れて人影が疎らになっていく。
普段の大通りの夜を、騒がしいまでの盛り上がりを知っているがゆえに、その気持ちも一入だ。
春になり、流通が活発になるこれからこそが書き入れ時だというのに。
この街がこんな状況な理由は、三週間前に起こった一つの事件がきっかけだ。
街灯の明かりがようやく灯った、春先の夕暮れ時、一組の親子が暴漢に襲われた。
父親は背中を深く切裂かれ重体で、今もベッドから起き上がれないのだという。そして彼の子供は、まだ十歳にもならない幼子だったが、幸い父親が庇ったため目立った外傷を受けることはなかったとのことだ。
目撃者であるその子の証言では、父親を襲ったのは、人の背丈よりも大きな巨大な猿のような化け物らしい。
しかし、その幼子の言葉は、父親が襲われたことにショックを受けて幻覚を見たのだろうと推測された。
このナイムの街は、エルマイラム王国の首都である。その警備も厳重なものだ。
そもそも、船での入港の際には厳しいチェックが行われているし、陸路では、昼夜を問わずに見張りが駐在する三か所の門からしかこの街には入ることができない。そんな警備を抜けて、幼子が言うような化け物が街に侵入するはずがないと誰もが思った。
しかし、第二、第三の犠牲者が発生し、目撃者からも巨大な猿の化け物の証言が何例も報告されては、この街の治安を守るために先に上げた入国制限と夜間の外出禁止の措置をとらないわけにはいかなくなったのである。
(だからと言って……)
自分達と同じ服装の隣に立つ黒髪の無愛想な男を一瞥し、レイは拳をきつく握りしめる。
自警団は万年人手不足。それは、過酷な上に薄給で、危険が伴う仕事であるからだ。
そのことは昔から問題になっていたのだが、自分達の給料を決める議会のお偉いさん達は、何もしなくても平和というものは当たり前にあると考えており、自分達のように懸命に働いている者の努力のおかげで成り立っていることから目を背けているのだ。
だから、こういった大事件が起こったときに困ることになる。
事件の早期解決のために、議会はようやく重い腰を上げて、緊急予算を付け、街の警備の強化に乗り出した。
だが、予算がついたところで、ただでさえ少ない自警団の人数では十分な警備強化などできはしない。そのため、事もあろうに議会は、<冒険者>という定職にもつかずに一攫千金を夢見る、信用ならない連中を警備に加えるといい出したのだ。
そして適当な場当たり的方針を決めて、後はお決まりの、『現場でどうにかしろ』と言うだけなのだ。
団長達の話では、ただでさえ忙しいのに、冒険者連中を各地区に振り分けるだけでも大変だったそうだ。
更に、冒険者が指示を聞かずにトラブルになることも多いらしい。
(その上、民衆が分かりやすいようにという理由だけで、こいつのような冒険者風情に俺達の誇りであるこの団服を与えるなんて……)
自分達現役の自警団の魂であり、更には、この服を着て人々を守るために戦って散っていった先人達への敬意が込められているのだ。それを……。
「レイさん」
「ああ、分かっている」
内からこみ上げる怒りに身を焦がしながらも、レイは道の先で起こっている見慣れたトラブルの対処に向かうことにしたのだった。