② 『幼馴染』
「マリア=キンブリア……。そうか……」
マリアの自己紹介に、黒髪の美青年は「知らない」とは言わなかった。
ひと目見たときから間違いないと思っていたが、マリアは今目の前にいるのが、幼馴染の男の子だということを確信する。そして、きっと「久しぶりだな」と言ってくれるだろうと期待したのだが、
「バルネアさん。すみませんが、奥の席を借ります」
彼は、この店の主人らしき女性に許可を取り、「奥で話を聴かせて貰います」と他人行儀の事務的な対応をする。
その事を寂しく思いながらも、あれからもう十年が経っているのだから仕方がないと、マリアは自分を納得させる。それに、確かに今は昔を懐かしむよりも、彼と話をするのが先決だ。
ジェノに案内され、マリアとセレクトは奥の席に足を運ぶ。そして、あまりにも暑かったので、マリアはそこでフードを脱ぎ、椅子にかけてから席に座る。この暑い中、この格好は拷問に等しい。
「どうぞ」
席につくとすぐに、栗色の髪の女の子がお冷を三つ運んできてくれたので、マリアは「ありがとうございます」と笑顔でお礼を言う。
「いいえ。ごゆっくりどうぞ」
その女の子は、気持ちのいい笑顔を向けてくれて、頭を下げて厨房の方に戻っていった。
年の頃は自分と同じくらいだろう。随分と可愛らしい娘だ。これは、ジェノとの関係が気にならないと言えば嘘になる。そんな事を思いながら、マリアはお冷を口にする。暑さで水分を失った体に染み渡るようで、ようやく人心地着くことができた。
セレクトも喉が渇いていたようで、同じようにお冷を一口くちにし、コップをテーブルに戻す。
そこで、ジェノが口を開いた。
「さて、それではお話をお聞かせ下さい。私どもの冒険者見習いチームに対するご依頼ではないとのことですが……」
ジェノの言葉に口を開こうとしたが、不意にセレクトの手がマリアの前に伸びてくる。ここは自分に任せておいて欲しいとのことだと悟り、マリアは口を噤む。
「単刀直入に申し上げます。私と私の主人は、ジェノさん達のチームに加入させて頂きたいのです」
わざと突飛な物言いで、セレクトはジェノに用件を告げる。
「私達の見習いチームに? ですが、お二人は冒険者登録をなされていらっしゃるのでしょうか? 私は頻繁に冒険者の登録情報を確認しておりますが、前回の登録試験の合格者にも、お二人の名はなかったように記憶しています」
ジェノは眉一つ動かさずに、セレクトに問いを投げかけてくる。
「仰るとおりです。我々は、つい昨日、冒険者見習いの資格を『購入』したばかりですので」
「購入、ですか。なるほど……」
セレクトが強調した語句を、ジェノは口にし、顎に手をやって少し考える。
「二つ、質問をさせて頂きたいのですが?」
「ええ。お答えできることなら、いくらでもお答え致します」
「いえ、二つだけで結構です。何の覚悟もなく、藪を突っつくつもりはありません」
ジェノの答えに、マリアは少し嬉しくなってしまう。
それは、自分の知るジェノという男の子は、優しいだけでなく頭の回転も早く賢かったが、成長してからも変わっていないようだと理解したためだ。
「それでは、一つ目の質問です。冒険者見習いのことは、関係者以外にはあまり知られていない情報のはず。それなのに、何故、貴方達は我々のことをご存知なのでしょうか?」
ジェノの問に、セレクトはにっこり微笑んで答える。
「私の教え子に、シーウェンという人物がおります。彼に、私達が困っていることを相談すると、冒険者ギルドに行ってから、冒険者見習いのジェノという人物を頼るといいと言われまして」
「……なるほど」
ジェノはシーウェンの名前が出てきただけで、全てを察したようだ。
「それでは、二つ目の質問です。貴方達に『冒険者』の資格が必要なのは短期間だと推測されますが、それは一ヶ月以上ではあると考えてもよろしいのでしょうか?」
ジェノの問に、マリアは思わず口元を緩めてしまう。本当に、彼は頭がいい。
「はい。一ヶ月以上在籍し、ギルドの依頼を一つ以上、五人以上のチームのメンバー全員でこなすことが、正規の冒険者に昇格する要件らしいですから、それは当然満たさせて頂きます」
セレクトは変わらぬ笑顔だが、彼もジェノの判断能力に好感を抱いているようだ。
「その依頼の達成後、もしかすると、私達は止むに止まれぬ事情ができ、チームを抜けさせて頂かなければいけないかもしれません。万が一そのようなことになりましたら、迷惑料として、小金貨五枚をお支払いさせて頂きたいと考えております。無論、公正証書で冒険者ギルドを仲介にしての契約とさせて頂きます」
「……小金貨五枚ですか。つまり、それほどのことだということですね」
「ご想像にお任せ致します。無論、先に言いました通り、お知りになりたいのでしたらお話致しますが、それを貴方はまだ望まないでしょうから」
セレクトの言葉に、ジェノは小さく頷く。
「私は、冒険者見習いチームのリーダーです。私の判断一つで他の仲間が危険な目に合うことになります。ですから、軽々にはお返事できません」
ジェノはそう言ったものの、小さく息をつく。
「……と、言いたいのですが、あのオーリンギルド長が関わっているのであれば、断れない様に手を打っているはずです。時間の無駄は避けたいので、貴方達の切り札をお知らせ下さい」
「いやぁ、ここまで話が早いと助かります。私の主人の幼馴染だということだけでは、話すのが心配だったのです。けれど、貴方は私の教え子からも、冒険者ギルドのギルド長からも信頼が厚く、そして頭も切れるようだ」
セレクトは笑みを浮かべる。交渉のための作り笑いではなく、本当に感心した笑みを。
「私達の切り札は、これだけです」
セレクトはそこで話を切り、真剣な表情になってジェノを見据える。
「私達は、貴方が調べている<霧>というものの情報を持っています」
「…………」
ジェノは何も言葉を発しなかった。だが、彼の眉が動いたのを、マリアは見逃さなかった。
「とある人間がこう言っていました。『<霧>に負けたら、化け物になってしまうよ』と」
信憑性を増すためだろう。セレクトは、そう一言付け加えた。
その瞬間だった。マリアの背筋が凍ったのは。無表情だったジェノの顔に、静かな怒りの表情が浮かび、殺気を飛ばしていたのだ。敢えてやっているのではないだろう。どうしても堪えていられなかったように思える。
「ジェノさん……」
マリアとは異なり、殺気を感じながらもいつもと変わらないセレクトが、静かにジェノの名を口にする。すると、瞬時に殺気を感じなくなった。
「……失礼しました」
ジェノは謝罪をし、頭を下げる。
「いいえ。これではっきりしました。貴方達とはしっかり情報交換をしたほうがいいことが」
「こちらもです。お二人の加入については相談後になりますが、不義理は致しませんので」
「ええ。少しでも早く、我々は腹を割って話し合うべきでしょうね。お互いのためにも」
セレクトはそこまで言うと静かに席を立った。それに、ジェノも倣う。
「改めまして、セレクト=カインセリアです。よろしくお願い致します」
「ジェノ=ルディスです」
セレクトとジェノがガッチリと握手をするのを見て、マリアは慌てて立ち上がると、二人の大きな手の上に、小さく白い自分の手を重ねた。
「二人共。男の人同士で盛り上がるのは結構ですが、私のことも忘れないで下さいよ」
マリアは怒った真似をして、二人に文句を言う。
そのことに、セレクトは「すみません」と微笑んでくれたが、ジェノは「そうですか」としか言わず、無表情のままだった。
仕方がない。今は、自分たちの屋敷を襲ってきた連中の情報を集めることと、実家に戻ることが重要だ。けれど、久しぶりにあった幼馴染がニコリともしてくれないことに、マリアはどうしても寂しさを感じてしまうのだった。




