予告編③ 『神官とお肉の恩』
それは、もう見た目から幸せに溢れている。
熱々に熱されたその牛肉の塊から滴り落ちる油と、かぐわしい香り。
「……このセロリスティック、瑞々しいわね。青臭い匂いもしないし、美味しいわ……」
少し厚めの方が好き。大好き。その方が、表面に振られたスパイスの旨味と、中から溢れ出る肉汁の旨味とが合わさってたまらないから。
「……じゃがいも、甘いわね。スパイスも素敵だわ……」
いや、贅沢は言わない。薄切りの豚肉も十分すぎるほど美味しい。
それに、中毒性は牛肉以上だ。
ただ、赤身だけでなく脂身も少しだけ加えて欲しい。
赤身だけの方が味わい深い? 脂身は邪魔? 知るか! こっちとら粗食で脂分が不足しとるんじゃい! いいから脂もよこしなさい!
「玉ねぎの炒めもの……。ははっ、これも甘くて美味しいわ……」
ああっ、ぶつ切りの鶏肉も食べたい。
あの皮の脂身と肉の味わいが渾然一体となった味と言ったら……。
タレもいいけれど、私は塩コショウが好きだ。
少し濃い目の味付けのそれを主食と一緒に頬張るのだ。
パンとの相性も悪くないが、個人的にはライスが最高!
この暑い時期には濃い目の味付けが体に嬉しいし、美味しい。それを甘いライスと一緒に頬張る幸せと言ったらこの上ない。
「うふふっ、夏の日差しが眩しい、体が塩分を欲するこの時期に、ヘルシーな野菜達とパンの食事は最高ね……」
言葉とは裏腹に、バルネア特製の野菜料理を食べながら、パメラは生気のない目で力なく笑っている。
今日も、他のお客様とは異なり、昼どきを少し外れた時間に<パニヨン>を訪れて来たのは、メルエーナの一つ年上の友人だった。
彼女の名はパメラ。今は生気のない顔をしているが、豊穣の女神リーシスに仕える若き神官である。
淡い金色の髪を肩のあたりで切りそろえた、少し背が高めの女性で、彼女が説法する姿に憧れて、神官を志す少女も後を絶たないらしい。
ただ、そんな少女達の夢を壊してしまうので、今の彼女の姿は他の人には見せられないとメルエーナは思う。
「ああっ、誰か私のことをお嫁に貰って、神殿から連れ出してよぉ。そして、私に毎日お肉を食べさせて……」
パメラは力なくテーブルに突っ伏し、とんでもない発言をする。
これが同じ神殿で働く人間の耳に入りでもしたら、ただではすまないだろう
先日、メルエーナを喫茶店に連れ込んで仕事をサボっていた罰を受け、パメラは粗食の期間が終わったにもかかわらず、肉を食べるのを一週間禁止されてしまったのだと言う。
……ちなみに、今日はまだ二日目であるらしいのだが、もう完全に彼女は参っている。
「そもそも、リーシス様は肉食を禁じてはいないのよ。ただ、肉ばかりでなく野菜も食べなさいって教えを残しただけなのに、どっかの自分を追い詰めることに快感を覚える変態が、さも美談のように『粗食の期間』なんてのを作ったのが悪いのよ」
パメラの発言は、だんだん過激になっていく。
「あっ、あの、パメラさん……」
メルエーナも流石に心配になり、声をかける。
「ねぇ、メル。貴方の家でお肉を食べてはいけない日なんてあった?」
顔を俯けていたパメラは、突然それを上げて、メルエーナに尋ねてくる。
「いっ、いいえ。ありませんでした……」
奇怪な行動に驚きながらも、メルエーナがそう答えると、パメラは「そうよね! ないわよね!」と言い、何度も首を縦に振る。
「ううっ、リーシス様に仕えるのは私の天職、運命なのは間違いないけれど、お肉だけは食べたいの。どうしても食べたいのよぉぉぉぉぉぉっ!」
頷いていたかと思うと、今度は泣き出すパメラに、メルエーナは困り果てる。
下手な酔っぱらいよりもずっとたちが悪い。
「バルネアさん、何かいい方法はありませんか?」
今、店にいるのは自分とパメラとバルネアだけなので、メルエーナはバルネアに助けを求める。
「う~ん。助けてあげたいのだけれど、お肉の代用料理は、もう大体パメラちゃんに食べてもらっているのよね。でも、イマイチだったみたいで……」
バルネアは顎に手をやって何やら考え込んでいる。
その目は、普段ののほほんとしたものではなく真剣そのものだ。
「ううっ、ごめんなさい、バルネアさん。バルネアさんの代用料理は素晴らしく美味しいんですが、肉の味に近いものを食べるほどに、本当のお肉が食べたくなってしまうんです」
自らの肉に対する愛情の深さ故に苦しむパメラに、メルエーナもどうしたものかと考える。
正直、バルネアさんほどの知識は自分にはない。だから、同じ発想をしては駄目だ。お肉の代用品を探すのではなく、どうにかしてお肉を食べた満足感をパメラさんに感じてもらわないと。
そのことを念頭に置きメルエーナは懸命に考え続ける。
「……あっ……」
メルエーナは、ふと悪いことを思いついてしまった。
けれど、これを実行してもいいだろうか?
お店に迷惑をかけることになるのではないか?
メルエーナはそう悩んだが、テーブルに突っ伏しながら、「お肉ぅぅっ……」と嘆いているパメラを見て、覚悟を決める。
「あっ、あの、パメラさん。その、お肉を食べるのを禁止されている期間に、他所で食事にお呼ばれして、お肉料理が出された場合はどうされるんですか?」
「ううっ、その場合は手を付けないわよ。もちろん、事前に宗教上の理由で食べられないことは伝えておくから、あまりそういったケースは少ないけれどね」
「もしも、スープにお肉が少し入っていた場合はどうですか?」
「……ええと、その場合は、流石に全く手を付けないわけではなくて、お肉を避けてスープだけを頂くこともあるわ。でも、私はお肉が食べたいの……。スープじゃあ、そんな肉汁を薄めたものじゃあ、悲しすぎるわ……」
パメラはそう言って嘆くが、メルエーナはその答えに笑顔を浮かべる。
「バルネアさん。相談したいことがあるのですが……」
「あらっ、なにか思いついたみたいね」
メルエーナの気持ちを察し、バルネアも笑みを浮かべている。
「ええと、その、ものすごく強引な方法なんですが……」
「なになに、聞かせて」
メルエーナは自分の考えた無茶苦茶な方法をバルネアに話す。すると、バルネアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「なるほどね。それは盲点だったわ。ついついお肉の代わりになりそうなものばかりを考えてしまっていたわ」
「ですが、これはかなりギリギリの方法というか、どちらかと言うと、やってはいけないことだと思うのですが……」
「構わないわよ。私のモットーは、『料理で人を幸せにすること』だもの!」
バルネアはにっこり微笑むと、素早く調理に取り掛かる。
「ああっ、この香りは、牛肉……。ああっ、芳しい匂い……」
テーブルに突っ伏したままのパメラが、バルネアの料理の匂いを嗅いで、嬉しそうな顔をしたかと思うと、すぐに悲しそうな顔になって、涙をこぼす。
「メルちゃん、お肉は先にカットしてしまっても良いかしら? 肉汁が出てしまうけれど」
「はい。それでお願いします」
メルエーナは笑顔で応え、パメラと同じテーブルの席に、向かいに座る。
「メル、貴女の今日のまかないは、まさか……」
「はい。牛肉が余っていたので、ステーキです」
メルエーナが答えると、パメラは落雷が落ちたかのような驚愕の表情を浮かべて、固まる。
「なっ、なっ、ステーキ……。この私の前で、まさかそのまかないを食べようというの?」
「はい。一緒に食べましょう」
「うっ、ううっ。酷い! メルがこんな意地悪だなんて……。お姉さん、見損なったわよ!」
パメラはぷいっと顔を横に向けて拗ねる。
「はい。おまたせ、メルちゃん。牛肉のステーキよ。パンも一緒に召し上がれ」
「わぁ、ありがとうございます、バルネアさん」
「ううっ、お肉……お肉……」
ステーキが運ばれてくると、パメラは一層悲しそうな顔をする。
しかし、それはすぐに驚きに変わる。
「そして、パメラちゃんには、これね」
バルネアが、深皿いっぱいに入った米料理をパメラの前に配膳したのだ。
「……えっ? バルネアさん、その、この料理は?」
驚くパメラに、バルネアとメルエーナはにっこり微笑む。
「バルネアさん。これは、炒飯ですか? たしか、お米を油で炒めた料理ですよね」
「ええ。パメラちゃんの食が進んでいないようだから、これなら食べてもらえるかなって思ったの」
「いいですね。塩分も脂分もしっかり取れますしね」
「あっ、でも私ったらうっかり、メルちゃんのステーキを焼いたフライパンで作ってしまったわ。お肉の肉汁がたっぷり残ったフライパンで……」
「あら。バルネアさんがそんなミスをするなんて珍しいですね。でも、大丈夫ですよ。お肉そのものは一欠片も入っていないのであれば、肉を除いてスープを飲むのと大差はないですよ」
呆然とするパメラを蚊帳の外に、メルエーナとバルネアは白々しい会話を繰り返す。
「そうですよね、パメラさん?」
メルエーナが笑顔で尋ねると、パメラは眼前の炒飯とメルエーナたちの顔を交互に見つめ、その意図を理解してくれた。
「そっ、そうね。お肉そのものが入っていないのであれば、問題ないわね!」
パメラはそう言うと、笑顔でバルネアから渡されたスプーンを手に取る。
「バルネアさん、メル。お二人の気持ち、しっかり味あわせて頂きます」
片手で目の端の涙を拭い、パメラは炒飯にスプーンを伸ばして口に運ぶ。
「うっ、うううっ……。美味しい! 美味しいわ! お肉の、お肉の旨味とお米と香味野菜のこの渾然一体となった美味しさ……。ああっ、生きていてよかった!」
パメラは歓喜の声を上げたかと思うと、後は無言でスプーンを動かして食べ続ける。
その幸せな姿を目にしながら、メルエーナはバルネアに向かって微笑み、少し肉汁が抜けてしまっているにも関わらず、それでも美味しいと思えるステーキを口にするのだった。
「本当に美味しかったです。ご馳走様でした」
匂い消し……もとい、特製ハーブティーを飲み干したパメラは、先程までとは打って変わって満面の笑顔でメルエーナとバルネアにお礼を言い、会計を済ませる。
「お客さんが少ないと、また、私が失敗するかも知れないから、時間帯を見計らってきてね」
バルネアのその言葉に、「はい」と満面の笑顔を浮かべて、パメラはバルネアの両手を握る。
「メル、ありがとう。貴女は、私の心を救ってくれたわ!」
「おっ、大げさですよ、パメラさん」
「いいえ。お肉の恩を私は絶対に忘れないわ。今後、貴女が困っていることがあれば、私は何があろうと貴女を助けるわ」
パメラはそう言ってメルエーナの手もガッチリと握る。
「それじゃあ、午後からのお仕事を頑張ってきます!」
普段の頼りになるお姉さんの顔に戻り、パメラは<パニヨン>を後にしていった。
この時、メルエーナはバルネアと一緒に、パメラが笑顔になってくれたことをただ喜んでいた。
だから、パメラがその後、この約束を本当に果たしてくれるとは思っていなかった。
人生で一番の苦しみを味合うことになった時に、パメラの存在がどれほど救いになるのかを、まだこの時のメルエーナは知る由もなかったのだ。




