予告編② 『思春期少女の悩み』(前編)
夕食の片付けを終えて、自室に戻り、後は眠るだけの時間となったのだが、メルエーナは珍しく起き続けていた。
彼女は今、大きな悩みを抱えていた。
ただ、その内容が非常にデリケートな問題であるため、誰にも相談出来ずにいたのである。
けれど、だんだん暑くなってくるにしたがって、メルエーナは焦り始める。
「ううっ……。困りました……」
もうすぐ十八歳になり大人の仲間入りをするメルエーナは、しかしその精神はまだ成熟しているとは言い難かった。
メルエーナは、栗色の髪を背中まで伸ばした若さあふれる愛らしい少女である。
胸はあまりないが、背も平均ぐらいにはあり、その他のスタイルも悪くない。
それに、温和な性格がにじみ出たような優しい顔立ちと家庭的な雰囲気で、彼女が務める大衆食堂である『パニヨン』というお店でも、看板娘になっているほどの人気だ。
だが、彼女にも年頃の娘らしい悩みがある。
年頃の娘の悩みといえば、色恋沙汰が多い。
メルエーナもその例に漏れず、同い年の男の子に片思い中なのだった。
その相手の名前はジェノ。
港街ということで、多くの国の人々が交流するこの港街ナイムにおいても珍しい、黒髪に茶色の瞳の持ち主で、背が高く、非常に顔立ちが整った少年で、彼はメルエーナと同じく、大衆食堂『パニヨン』で共に働き、彼女と一つ屋根の下で生活する間柄だ。
これだけ聞くと、いくらでもメルエーナには、意中の相手に振り向いてもらうチャンスがありそうに思えるだろう。
けれど、彼女が好きになったジェノは、真面目で優しいのだが、女心をまったく察してくれない性格の男の子だったのだ。
その上、メルエーナの長所である、家事が得意な家庭的な女の子である事をアピールしたくても、ジェノはメルエーナ以上に家事が得意であり、特に料理に置いては、かなりの差をつけられてしまっているのが現状だ。
「けれど、このままだと……」
メルエーナはつい一週間程前に知り合った、金髪の少女の事を思い出し、ため息をつく。
その金髪の少女というのは、マリアという名前。なんでも、このエルマイラム王国の貴族の娘であるらしい。
そのマリアは、メルエーナと同い年であるにも関わらず、非常に女性らしい艶めかしくも瑞々しい体つきをしている。そしてそれだけでなく、自分などでは比較対象にはならないと思えるほどの、輝かんばかりの美貌の持ち主だったのだ。
「その上、ジェノさんとは幼馴染で……、ジェノさんのファーストキスを……」
ジェノは、『子供の頃の話だ』『身分が違う』と言い、再会を懐かしむマリアにもそっけない態度を取っていたが、あれ程の美人でスタイルもいい女の子に言い寄られたら、いくら彼でもそのうち……と心配になってしまうのだ。
「ううっ……。やっぱり、お母さんにアドバイスをされた、あの方法を……」
メルエーナは悩み、追い詰められていた。
そのため、真っ先に頭の中で却下した、大胆な母、リアラのアドバイスにさえ縋りたくなってしまう。
「でも、もしも失敗してしまったら、もうジェノさんに合わす顔がなくなって……」
怖い。今までの関係さえ失ってしまうのが怖くて仕方がない。
メルエーナは買ったまま、未だに未開封の袋が入ったクローゼットの方を一瞬見て、深いため息をつく。
「駄目ですね。今日はもう休みましょう……」
メルエーナはこれ以上考えても無駄だと思い、ランプの明かりを消してベッドに入る。
「……お母さん。やっぱり私には無理です。そんな度胸は私には……」
メルエーナはもう一度深いため息をつく。
「バルネアさんも、イルリアさんも、リリィさんも、相談したら間違いなく、やるように勧められるのが目に見えていますし……」
メルエーナは誰にも相談できない状況に困り果てる。
「……それに、もしも何かしらの奇跡が起こって、成功してしまったら、私は……」
ふとそう考えたメルエーナは、顔を真っ赤にして両手でそれを押さえる。
顔に血液が集中して、熱くなっていることがよく分かった。
「いっ、いけません! そんな、ふしだらな。……ですが、その、いいえ、嫌な訳では……ないのですが、やはりそういう事は……結婚してからじっくり……。いいえ、そうではなくて! それに、じっくりってなんですか!」
メルエーナは思わず口走ってしまった言葉に、自分で文句を言う。
「ううっ……。お母さんのせいで、すっかりと耳年増に……。ああっ、私はどうしたらいいのでしょうか?」
メルエーナは信奉する、豊穣の女神リーシスに尋ねるが、当然答えが返ってくるはずもなかった。
けれど……。
「あっ、リーシス様の神殿に務める、パメラさんに相談するのもいいかも知れません」
メルエーナはふとそんなことを思いついた。
パメラというのは、メルエーナより一つ年上の面倒見のいい友人で、この街のリーシス神殿の神官である。
神殿で懺悔するには内容が流石に大げさだが、彼女なら自分の話を聞いてくれて、何かいいアドバイスを貰えるかも知れない。
メルエーナは名案を思いつき、少し心が軽くなった。すると、自然と眠気が襲ってくる。
明日の午後から相談に行こう。
メルエーナはそう決めると、今日はもう休むことにするのだった。
◇
いつものように午前中で、お店の食材が切れてしまったことから、メルエーナは事前にバルネアとジェノに話しておいたとおりに、一人で出かけることにした。
日差しがだいぶきつくなってきた。
夏はもう間もなくだ。
メルエーナは額に汗を浮かべながらも、しばらく表通りを歩き、目的地であるリーシス神殿にたどり着いた。
神殿は大理石でできている立派なものだが、それほど大きな建物ではない。
それも仕方のないことで、豊穣の女神リーシスの信徒の割合は、このナイムの街ではかなり少ない方なのだ。
神殿の前で門番の方に、名前を名乗ってパメラさんにお会いしたいと告げると、まだ年若い男性の門番は、もうひとりの門番の人間にここを任せ、すぐにパメラを連れてきてくれた。
「やっほー。久しぶりだね、メル!」
淡い金色の髪を肩のあたりで短く切りそろえた、少し背が高めでスタイルもいい女性だ。けれどそれを鼻にかけることがない、気さくで面倒見が良い人物なので、他の年若い神官見習いなどからは姉のように慕われている。
「はい。お久しぶりです、パメラさん」
この時間帯ならばある程度暇をしていると言っていたので、それに合わせて訪ねてきたのだが、なんの約束もなかったので、こうして会えたのは僥倖だった。
「その、まずはこれを。私が作ったものですので、お口に合わないかも知れませんが……」
メルエーナは手作りのクッキーの入った小さなバスケットをパメラに手渡す。
「わぁー。嬉しい! ここのところ皆甘いものに飢えていてね。ありがたく頂くわ」
パメラは満面の笑顔で言い、嬉しそうに言う。
「こんなに素敵なお土産を頂いてしまっては、こっちもなにかお返しをしないとね。その顔から察するに、ただ遊びに来たわけではないんでしょう?」
「……はい。その……」
「あっ、ちょっとまって!」
メルエーナの言葉を遮り、パメラは笑顔のまま、門番二人に歩み寄る。
「こらこら。何を聞き耳を立てているのかね、君たちは? メルみたいな可愛い女の子が訪ねてきて浮かれているのは分かるけれど、自分たちの仕事をしっかりしなさいな」
「あっ、いえ、自分は何も聞こうなんてしていません!」
「そっ、そうですよ、気のせいです!」
若い門番の男の子二人がそう否定の言葉を口にするが、パメラは笑顔のまま、『ス・ケ・ベ』と軽蔑するような声色で、破壊力のある言葉を二人に突き刺し、メルエーナの方を振り返る。
「ここじゃあ、ゆっくり話せないから、近くの喫茶店に行きましょう」
「えっ、ええ。ですが、神殿を離れてもよろしいのですか?」
メルエーナは、パメラの容赦のない言葉に傷ついている門番の男の子二人を、横目で心配しながら尋ねる。
「大丈夫よ」
パメラはなんでも無いことのように言い、
「ねぇ、ランセル、ゴート。このクッキーを控室にいる皆に持っていってね。
それと、もしも司祭様に私の行き先を聞かれたら、神殿に相談に来たお客様に、自分達が嫌らしい行いをしようとしてしまったので、お客様の方の気持ちを慮って喫茶店で話を聞くと言ってでかけたと言いなさいよ」
そう門番二人に釘を刺す。
「そんな! あんまりです、パメラさん!」
「そうです! 私達は何も!」
ランセルとゴートと呼ばれた二人は、文句を言ったが、もう一度パメラに、『い・い・わ・ね』と低い声で言われ、おとなしくなってしまう。
「あっ、あの、申し訳ありませんでした」
メルエーナはランセル達に頭を下げる。自分が来てしまったせいで、二人に思わぬ被害を出してしまったことを心から侘びた。
「いいのよ。うちの神殿にだって私達のような女の子がいるのに、他所から来た女の子に鼻の下を伸ばすスケベたちのことなんて」
けれど、そんなメルエーナとは対象的に、パメラはそう不機嫌そうに言い放つのであった。




