⑬ 『無力』
異変に気がついたのは、ナイムの街まで馬車で後三日ほどの距離の村に向かう途中だった。
自分達しか乗り合い馬車にいない場合は、いつも笑顔で話しかけてくるはずのメイの言葉にキレがなく、言葉も少ない事にセレクト達は気づいていた。
最初は、旅の疲れが出てきたのだと考えていたのだが、村が近づくにつれて、メイは言葉をまったく喋らなくなり、ぐったりと椅子に座りっぱなしになってしまった。
「メイ、大丈夫? 顔色が……」
マリアが心配して声をかけたが、反応がない。これはただ事ではない。
「メイ、おでこに触るよ」
セレクトが熱を測るためにメイの額に手を当てる。すると、とても熱が高いことが分かった。そのため、すぐに<癒やし>の魔法を掛ける。
普通であればこれで少しは落ち着くはずなのだが、メイは高熱で意識が飛んでしまったまま、目を覚まさない。
「セレクト先生?」
「もうすぐ村に着くはずです。御者の方に事情を説明して、少し急いで頂きましょう」
セレクトは革袋から小銀貨を取り出し、馬車の前方に移動し、御者と交渉したところ、御者の男は快くそれを引き受けてくれた。
「メイ、もう少しで村に着くからね。そうしたら、ベッドで休んで、お医者様に診て頂きましょう」
マリアは意識のないメイの手を握って、声をかける。
けれどセレクトは、これから向かう村に医者がいる可能性は低いと思っている。だから、自分がメイの治療を行うことになるだろう。
だが、<癒やし>の魔法がまったく効果を示さない以上、どういった手を打てばいいのか見当がつかない。
それでも泣き言は言っていられないので、セレクトは考える。
今、メイを苦しめている病はなんだろう? 風邪だろうか? しかし、今朝の食事時までは彼女は元気に見えた。それなのに、前触れもなくこんなに急速に発熱する病があるのだろうか?
セレクトは考え、原因を探るために少しずつ時間を遡らせていく。そして、最悪の仮説に至ってしまった。
「……セレクト先生?」
きっと険しい顔をしてしまっていたのだろう。マリアが心配そうにこちらを見ている事に気がついたセレクトは、「とりあえず、村に着いてからです」とだけ言い、黙り込む。
主人に対して不敬だとは思うが、今は考えたかった。自分の至った仮説をどうにかして否定したかったから。
マリアは何も言わず、意識のないメイを励まし続けてくれた。
そのことは本当にありがたかったが、セレクトは一人で考えれば考えるほど、救いのない考えが浮かんでしまう。
そして、そういった救いのない事柄ほど、外れることはないのだった。
◇
村にたどり着いたセレクト達は、御者の男に礼を言い、運賃以上の金額を手渡した。そして、意識のないメイをセレクトが担いで、宿を探す。
幸い、すぐに宿屋は見つかったので、セレクトはかなり多めの金額を宿の主人に手渡し、病人がいるので、医者の手配を頼みたい旨を伝える。
あいにくと、医者はこの村にはいないそうだが、薬師であればいるとのことだったので、その人物に至急来て貰うように頼んだ。
部屋を二部屋頼み、セレクトはマリアには休んでもらい、自分が治療に専念しようと考えたのだが、マリアは自分一人で休むなど出来ないと言って聞かなかった。
「メイ、苦しいかも知れないけれど、ごめん」
メイをベッドに寝かせると、セレクトは彼女のお腹に手を当てて魔法を使用する。すると、
「うっ、あああああああっ……!」
メイが悲鳴を上げた。
けれど、セレクトはメイが苦しんでいるのを理解しながらも、魔法を掛け続ける。
「セレクト先生! メイが苦しんでいます!」
「分かっています! けれど、私の考えが正しいのであれば、こうしないと、さらに……」
セレクトはマリアの静止の声を聞きながらも、魔法を掛け続けた。
<癒やし>の魔法ではなく、<解毒>の魔法を。
まずい、まずい、まずい。
このままでは、死んでしまう。
メイまでもが、殺されてしまう。
セレクトは懸命に魔法を掛け続けるあまり、周りの声が聞こえなくなっていた。
だが、不意に自分の頬に感じた痛みに、セレクトは我に返った。
「セレクト先生! このままではメイが死んでしまいます! 薬師の方が来てくださいましたから、まずはこちらの方にも診断して頂きましょう!」
マリアの平手打ちと叱責に、セレクトは我に返った。
「……申し訳ありません……」
我を失っていたセレクトは、マリアに頭を下げた。
「謝罪は必要ありません。いったい、メイの身に何が起こっているのですか? 私にも分かるように説明して下さい」
マリアの言葉は丁寧な物言いであったが、有無を言わさぬ力があった。
「はい、マリア様」
セレクトはそう言うと、薬師だという老婆がメイを診察するのを横目に、マリアと一緒に部屋の隅に移動する。
「単刀直入に報告致します。メイは毒に侵されています。そして、それは先の屋敷を襲撃してきた、あのサディファスという男の仕業です」
「……毒、ですか。なるほど。そこまでは分かりました。ですが、貴方の先程の慌てようから察するに、ただの毒ではないということですね?」
マリアは衝撃的な報告を受けても、動揺した様子はない。だが、付き合いの長いセレクトには分かっている。
彼女はひどく動揺している。けれど、それを表情に出していないだけだ。
年長者である自分が取り乱してしまったために、彼女に冷静に判断をする役を押し付けてしまった事を、セレクトは後悔したが、話を続けることを優先する。
「はい。私の<解毒>の魔法でも、メイの体に巣食っている毒には干渉できないようなのです。ただ、その大元以外の毒は中和が可能でした。そのため、私はメイの体に広がりつつあった毒素を中和し続けたのです」
セレクトの説明は、魔法を使えないものには難解なものだったが、マリアはそれをすぐに理解してくれた。
「つまり、メイの体には、セレクト先生の魔法では中和できない毒があり、それが元凶となって、『あえて』中和できる毒素を作り出しているというわけですね」
落ち着いた口調であるものの、マリアの声は低かった。
「仰るとおりです。また、その根源である毒が先日メイが、あの男に刺された腹部にあるようですので、まず間違いないかと」
襲撃の際に見た、あの瞳の色が違う連中の能力――たしか『神術』と言っていた――は、あのユアリという幼子を除けば、一つだけなのではとセレクトは仮定している。
そして、マリアの侍女を殺した際に見せた、あのサディファスの能力は、<風>ではないかと当たりをつけていた。
思い起こしてみると、奴らの襲撃の際に一階の踊り場で殺されていた使用人達は、全て斬り殺されていた。
サディファスが短剣をメイに突き刺していたことから、その短剣で使用人達を殺したのかと考えていたが、セレクトが屋敷に戻った時間は僅かだったことから、それは考えにくい。
おそらく、<風>の『神術』を使用したのだろう。
それなのに、何故、奴はメイをあえて短剣で刺したのか。
他の者の様に、一瞬で殺せる力があるにも関わらず、あえて短剣で浅く刺した理由はなんだ?
簡単だ。
苦しめるためだ。
いたぶっていたぶって、なぶり殺しにするためだ。
そして、万が一、メイが逃げる事ができたとしても、確実に命を奪うことができる様に毒まで塗ってあったのだ。
しかも、この毒は、誰か他の者の『神術』とやらで作られた物だろうとセレクトは思う。そしておそらくそれを作ったのはユアリだろう。
『神術』というもので、今のところ分っているのは、魔法で干渉できないこと。そして、目を閉じさせれば、その能力が止まることだ。
つまり、<毒>の『神術』使いがいても、その能力は続かない。
だが、あのユアリだけは、<蔦>を操りながらも、アルバートと同じ様に<影>の『神術』も使用していたことから、そう推測できる。
「対策はありますか? 素人考えですが、毒に侵された部分を切除するという訳にはいかないのですか?」
マリアの問に、セレクトは顔を俯け、
「魔法でおおよその位置はわかりますが、私に医術の知識はありません。それは不可能です。そして、この毒の元凶は少しずつですが大きくなっていっているようなのです」
セレクトが先程、<解毒>の魔法を掛け続けていた理由がこれだ。
魔法で広がった毒素を中和すればするほど、毒の勢いが少しずつ増していったのだ。
そのことも合わせてセレクトはマリアに報告する。
すると彼女は、「そうですか」と口にし、顔を俯けた。
やがて、薬師の老婆の診察が終わったが、彼女もとりあえずの万能薬草を処方するくらいしか出来ないという回答だった。
「……これが、<絶望>か……」
アルバートがあの時言っていた言葉の意味を理解したセレクトは、己の無力さに血が出るほど両手を握りしめるのだった。




