⑤ 『準備と覚悟』
セレクトは、魔法の起動箇所に直接出向き、自分の背丈ほどの愛用の棍を介してそれらの箇所に触れて、一つ一つを強化していく。
普通の魔法使いならば、自分がかけた魔法の強化程度は距離がある程度離れていてもできるのだが、彼の魔法は特殊であるため、こうして自ら足を運ばなければいけない。
セレクトは一人で、百箇所近い場所の魔法を強化するべく走り回る。無論それは、今この屋敷にいる魔法使いが彼だけということもあるが、疲労が溜まりながらも、屋敷の移動を誰かに手助けしてもらわないのには別の理由があった。
それは、自分の魔法の特殊性を他人に知られないためである。
セレクトの魔法の力は、型にはまった際の強さは群を抜く反面、かなり使い方が限定されるという扱いにくいものなのだ。
その特性を知られるということは、自らの弱点を暴露してしまうことになってしまう。
だから、彼はあまり魔法を人前で見せるようなことはしない。
「これで、ようやく終わりだな」
セレクトはクタクタに疲れた体にそう言い聞かせ、最後の箇所の魔法を強化すると、棍を杖代わりにして、深く息をつく。
この強化でどれほどの成果が得られるかは未知数だが、できることは全てやって置かなければならない。
「<お守り>も、もう少し用意しておいた方がいいだろうか?」
そう考え、行動に出ようとしたセレクトだったが、魔力という魔法を使うための力が枯渇しているため、思うように体が動かない。
「もう、日が沈みそうになっている。そして、不安な気持ちがどんどん増していく。まずいな、間違いなく事が起こるのは今晩で、かなりの厄介事だ。くそっ!」
セレクトは自分の厄介な能力に苛立つ。
彼の予知の能力は、自分に迫る危機を感じ取れるものだが、いつもかなり危険が迫ってからでないと感じ取ることが出来ない。そして、不安感でいつ起こるのかとその危険度がおおよそ判断できるだけなのだ。
そのようなことが分かるだけでもすごいと他人は思うかもしれないが、セレクトはこの能力も嫌っている。
その理由は単純。大体が、すでに手遅れの状態になって分かることがほとんどだからだ。
セレクトにしてみれば、『お前の周りの人間を近いうちに殺す。もう何をしても手遅れだ』と死神から宣言を受けているに等しい。
「この屋敷の人々は、マリア様は、こんな私に良くして下さった。今度こそ、私が悲劇からみんなを守ってみせる」
セレクトはそう断言すると、草むらに落ちていた小さな石ころを拾い、それに自らの残り少ない魔力を通して、それを自分の上着のポケットに入れる。
「この一個が限界か。これ以上無理をしたら、暴発するかもしれない……」
日頃からもっと<お守り>を作って保存しておければいいのだが、魔力のキャパシティをその維持に回さなければいけなくなってしまうので、下手をすると他の魔法がまったく使えなくなってしまう。それでは、本末転倒もいいところだ。
セレクトは自らの魔法の特殊性を嘆く。けれど、時間はそんな嘆きを汲み取ることはなく、無情に流れていく。
「駄目だ。とりあえず部屋に戻って仮眠を取ろう。このままでは、事が起こった時に魔法が使えない」
セレクトは重い足取りで自室に戻ることにした。
焦る気持ちに蓋をして……。
◇
マリアは自室で不安な気持ちに押しつぶされそうになっていた。
朝食時には、長いこと会いたいと願っていた男の子の情報らしきものを聞いて嬉しく思っていたのに、いきなりこんな事になろうとは。
「セレクト先生の嫌な予感は外れない。それは、お父様もハイラオン公も仰っておられた事……」
マリアの今の育ての親であるジュダン様も、彼の親友であるラゼディブ=ハイラオン公爵も、セレクトに全幅の信頼を置いていた。それは、彼の能力も含めて、だ。
そのセレクトが危険が迫っているといったのだ。できる限りの対策の指示は出したが、不安な気持ちは拭えない。
マリアは腰の細身の剣の柄を握る。
それが、不安な気持ちを落ち着ける彼女の所作だ。
そして、思い出すのだ。
幼い頃、絶望的な状況に置いても、逃げずに戦った少年の事を。
「ジェノ。私に勇気を貸して……」
マリアはそう小さく呟くと、深呼吸をして覚悟を決めるのだった。
◇
不安な気持ちを押し殺し、少しでも魔力が回復するようにと眠った。
そして、次にセレクトが目を覚ましたのは、トントンと部屋のドアをノックする音が聞こえた時だった。
セレクトは飛び起き、「どうぞ」とノックした相手に声をかける。
眠りはかなり浅かったが、少しは眠れたので、魔力はそれなりに回復している事にセレクトは安堵する。
「失礼します」
という声とともに部屋に入ってきたのは、小柄な少女。マリアの側使いの侍女であるメイだった。
「セレクト先生。夕食のご用意がまもなく出来ます」
メイのその言葉に、セレクトは違和感を覚える。
いつもならば、メイは「夕食のご用意が出来ました」と言う。それなのに、彼女はまだ食事までは少しだけ時間があると言っているのだ。
けれど、セレクトはすぐにメイが何を求めているのかが分かった。
彼女は体を震わせながら、こちらを見つめている。
セレクトは不安に体を震わせる教え子の側に歩み寄ると、ポンとその頭に手をやった。
「メイ。大丈夫だよ。私やこの館のみんなも一緒だから」
セレクトがそう言って笑いかけると、メイは彼の体に縋り付く。
「先生……。私、怖いんです。先生と離れ離れになってしまうような気がして……」
メイは体を震わせながら、大粒の涙をこぼす。
「大丈夫だよ。そんなことにはならないさ。今晩が終わったら、きっとまたいつもの光景が、日常が戻ってくるはずだから」
セレクトは心のうちで自嘲しながら、そんな気休めを口にする。
迫っているのは、過去に経験したことのないほどの危機に違いない。だから、自分はこんなに不安になるのだ。
自分の気休めの言葉では安心できないメイに、セレクトは自分のポケットから<お守り>を取り出して、それを彼女に差し出す。
「メイ。念のため、これを持っていて」
「これは、石ですか? でも随分と真ん丸ですね」
「ああ。私の魔力を込めてあるからね。もしも、君の身に危険が迫った時は、それを相手に向かって投げるんだ。そうすれば、どうにかなるはずだから」
いくら教え子とはいっても、自分の魔法の特殊性を事細かに教えるわけにはいかない。
そのため、曖昧な説明しかできなかったが、メイは涙を拭って微笑む。
「分かりました。私、肌見放さず持っています」
「うん。でも、使う時は遠慮なく投げるんだよ」
セレクトはそう言ってメイの頭を撫でる。
メイは気持ちよさそうに微笑んでいたが、手に持った石を見て、「あれ?」と驚いたような声を上げる。
「どうしたんだい、メイ」
「いえ、この石、なんだかおかしくないですか?」
メイは手に持った石を見つめながら、それを反対の手で指差す。
「えっ、よく見せて! 万が一、ヒビでも入っていたら、大変なこ……」
背の高さの関係で、セレクトは膝と腰を折り曲げて、メイの手にある石を注視しようとしたのだが、不意にメイが素早く動き、セレクトの唇に自分のそれを重ねた。
柔らかな感触が唇に伝わってきた。そして、甘い少女特有の香りがした。
セレクトは思いもしなかった事態に、言葉を失う。
「ふふふっ。この石のお礼ですよ。その、私のファーストキスなんですからね」
唇を離し、真っ赤な顔で悪戯っぽく微笑むと、メイは、「先生、そろそろ食事の時間ですよ」と逃げるように部屋を出ていってしまう。
呆然としていたセレクトだったが、ようやくしてやられたことに気づいて、大きく嘆息する。けれど、そのおかげで、彼は焦燥感が薄れ、少しだけ落ち着きを取り戻すことが出来たのだった。




