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彼は、英雄とは呼ばれずに  作者: トド
第一章 正義の味方
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⑮ 『冒険者』

 少女を家まで送り届けたイルリアは、パニヨンに足を運び、交代で夕食を食べに来ている自警団とは別に、端の席で一人夕食を口にしていた。


 お世辞にも広いとは言えないこの料理店にこだましていた料理を絶賛する自警団の男たちの声が、次第に少なくなっていく。

 皆、美味しい料理をお腹にためて幸せそうな顔をしていたが、店を出る頃には表情を引き締め、しっかりとした足取りで石畳を踏みしめて出ていくのだ。


 イルリアは自警団の面々が全員店を後にしたのを確認し、自分の使った食器だけでなく、彼らの食器もトレーに乗せ、慣れた様子で厨房に運ぶ。


「イルリアさん、お皿はそこに置いておいてください」


 栗色の髪のおとなしそうな雰囲気の少女が、厨房に入るなりイルリアにそう声をかけてくる。その娘はメルエーナ。イルリアはメルと呼んでいる。

 歳はイルリアと同じ十七歳なのだが、家事全般が得意な心優しい人間だ。

 気が強くて可愛くない自分とは正反対だとイルリアは思う。

 だが、そんな似つかわしくない相手同士なのが幸いしたのか、またはメルが他人に打ち解けやすいのかは分からないが、付き合いは短くてもイルリアとメルエーナの仲は良好だ。それこそ、親友と呼んでも差支えがないほどには。


「うん、うん。みんな綺麗に残さず食べてくれたわね」

 メルエーナの隣で空になった鍋を確認し、満足げに女性が頷いている。


 金色で長い髪を編んでまとめたコックコート姿のその人が、この店のただ一人の料理人、バルネアである。


 若作りであり、実際に歳もまだ三十代の半ばくらいのはずなのだが、名だたる料理人達を抑え、その料理の腕はこの国の国王様から、『我が国の誉れである』とまで讃えられたほどだという。

 もっとも、気さくすぎるほど気さくな人柄のため、良いか悪いかはわからないが、そんな凄い人にはまるで思えないのだが。


 料理人のバルネアにウエイターのジェノ、そしてウエイトレスのメルエーナを加えた三人が、この料理店<パニヨン>のメインスタッフだ。


 メルもジェノも、親達がバルネアさんの知り合いらしく、今は社会勉強という形でこの家に居候し、同じ屋根の下で暮らしている。

 二人共、調理の筋がいいとバルネアさんがよく言っているのを聞くので、イルリアは一緒に料理人の道に進めばいいのにと心から思う。


「それはそうですよ。バルネアさんの料理ですから。自警団の皆さんも、バルネアさんの美味しい料理が食べられることだけが楽しみだと言っていましたよ」

「ええ。そのとおりですよ。あっ、皿洗い、私も手伝います」

 メルエーナに同意し、腕まくりをしてイルリアは皿洗いを手伝うことにする。


 イルリアは手際よく次々に皿を洗っていく。自分で言うのもなんだが、ずいぶんと皿洗いも上達したと思う。ついこの間まで食器を洗ったこともなかった人間にしては。


「お皿洗い、上手になりましたね、イルリアさん」

 そんなイルリアの心を読んだように、皿を洗う手は動かしたまま、笑顔でメルが話しかけてくる。


「まぁね。慣れね、こういうのも」

 最初は皿を落として割ってしまったら大変だと恐る恐るやっていたが、最近になってようやくコツをつかんできた気がする。


「そうですね。ですが、確かに慣れももちろんありますけれど、イルリアさんが頑張ったからですよ」

 メルエーナに褒められて、イルリアは、こそばゆいような、面映いような気持ちになってしまう。


「ふふっ。メルちゃんの言うとおりよ。丁寧な仕事だから安心して任せられるわ」

「もう、やめてくださいよ。バルネアさんまで、そんな事を言うのは……」

 イルリアの抗議の声に、しかしバルネアさんは、メルエーナと一緒に楽しそうに微笑むだけだ。


 まったく、こんな平和な会話を続けていると、今が『非常時』だということを忘れてしまいそうな気持ちになる。


「さてと、それじゃあ、私は夜食の準備をしなくちゃね。頑張っているみんなが少しでも元気になれるように」

 バルネアはそう言って、食材を取りに貯蔵室に向かって行った。


 いつもどおりに料理店を営業しているだけでも大変なのに、さらに夕食を作り、その上夜食までも作り続けている。バルネアがバイタリティに溢れた人間なのは分かっているが、こんな日がさらに何日も続いては、さすがに身が持たないだろう。


「……早く解決するといいですよね」

 思いが顔に出ていたのだろう。バルネアが厨房を離れるとすぐに、メルエーナが声をかけてくる。


「そうね……」

 メルエーナの言葉に同意しながらも、しかしイルリアは、自警団だけでなく冒険者のジェノ達まで動員する通り魔事件が、すぐに解決するとは思えなかった。




 <冒険者>と呼ばれる職種の人間がいる。その名のとおり、様々な未開の地などを旅し、冒険をしながら生計を立てる人間だ。

 もっとも、この街の広場に巨大な像が祀られている、かの冒険者の英雄と名高い『ファリル』の時代ならともかく、彼の存命だった時代から数百年も経ったこのご時世に、この広大なエルマイラム王国でも未開の地などそう残っているものではない。


 冒険譚に出てくる、大空を覆いつくすほどの巨大な竜などはすべて伝承にその名を残すのみで、様々な古代の魔法品や財宝が眠る神殿などは、この数百年でそのほとんどが発掘され尽くしてしまった後だ。


 そのため、今でも冒険者を名乗る人間など、定職に就かずに叶いもしない夢を追っている馬鹿な人間くらいにしか私は思ってはいなかった。


「まったく、そんな私が、兼業で見習いとはいえ、冒険者になってしまうなんてね……」


 イルリアはメルエーナに他にできる仕事がないか確認し、エプロンを外して厨房近くの客席の一つに腰を下ろす。


 手持無沙汰に、横目で食材を手に戻ってきたバルネアとメルエーナが料理の味付けで何か話をしているのを見て、本当に仲のいい親子のようだと思い苦笑する。

 そうすると、自然とこの二人を心配させるあのバカな男の顔が脳裏に浮かび、イルリアは不愉快な気持ちになる。


「そもそも向いてないのよ。私以上に、あんたが冒険者なんて……」

 思わず文句が口に出てしまったが、幸いなことにメルたちの耳には届かなかったようだ。



 イルリアは実際に、冒険者の仕事に携わってみて分かった。その仕事が無意味なものではないことが。


 おとぎ話に出てくる時代とは比べるべくもないが、今も魔物と呼ばれる人間に仇なす存在が確認されている。そんな化け物に対抗できる術を持たない人々にとって、それらと戦うことができる冒険者はありがたい存在だ。でも……。


「集落から集落への行き来の護衛。害獣の駆除。そして、今回のように街の自警団だけでは人手が足りない場合も駆り出される。結局は、ただの何でも屋じゃないの」


 必要上、誰かが冒険者という仕事をやらなければいけないのかもしれない。でも、あいつじゃなくてもいいはずだ。


「分かりなさいよ。誰かが必要とする冒険者なんてものは代わりがいるけれど、メルとバルネアさんにとっては、あんたは……」


 苛立ちに沸騰しそうな頭を落ち着けようと、イルリアは静かに息を吐いて窓の外に視線を移す。

 すると、窓に映る、短い赤髪の目つきのよくない女の姿が見える。何ということはない自分の顔だった。


 肩で切り整えられた赤い髪。そして、私の気の強さがにじみ出たようなツリ目。よく綺麗だなどと言われるが、イルリア自身はこの顔が大嫌いだ。

 ジェノ以上に腹立たしく、嫌悪する存在を思い出してしまうから……。


 イルリアはしばらく、皆を心配させるジェノのことを考えていたが、


「ああっ、もう!」

 ついに堪えきれなくなって、彼女は声を上げて、テーブルを両手で軽く叩く。


「まったく、なんで私がこんな思いをしなければいけないのよ!」

 あの馬鹿の事で、イライラしている自分自身が腹立たしい。


 そんな憤懣遣る方無いイルリアに、やんわりとした声が耳に入る。


「イルリアさん、お茶が入りましたよ」

 いつの間にかそばまでやってきていたメルエーナが、苦笑交じりに声をかけてきたのだ。


「あっ、ええ。ありがとう、メル」

 何とか笑顔を作ってお礼を言うと、メルエーナはお茶を手渡してくれて、イルリアの向かいの席に座る。


「イルリアさんも、ジェノさんのことを考えていたんですね」

「ええ。考えたくもないけれど、あの馬鹿のことを考えていたわ」

 その答えに、メルエーナは黙って微笑んだけれど、その手が彼女の首飾りに伸びる。


 それは、彼女がジェノを心配するときの癖だということを、イルリアは知っている。だから、また怒りがこみ上げてきてしまう。


「あいつは、いつも厄介事に自分から首を突っ込む。メルやバルネアさんが、あいつが出かける度にどれくらい心配しているのかも分からずに……。本当に馬鹿よ。大馬鹿よ」

「私とバルネアさんだけではないはずです。イルリアさんが抜けていますよ」

「もう、やめてよ。下衆の勘繰りをする連中だけで、そういうのは沢山だから。いつも言っているでしょう。私はあいつに返さなければいけない借りがあるだけよ。あんな馬鹿なんて、まったく私の好みじゃあないわ」


 イルリアはよくジェノと一緒に行動している。だがそれは、同じ冒険者仲間としてだけだ。それ以上の感情など持ち合わせてはいない。


「メル。私はね、貴女にあの馬鹿の手綱を握るようになってほしいと思っている。そのためだったら、いくらでも協力するつもりだから」


 しかし、メルエーナはまた困ったように微笑む。私は心からの素直な気持ちを口にしているのに、どうしても私があの馬鹿に特別な思いを抱いていると考えてしまうようだ。


「本当に、私は辟易しているの。ああいった馬鹿は、見ているだけで腹が立って仕方がないのよ」

 もしも、借りがなかったら、こんな風に一緒に冒険者見習いになんてなっていない。


 そうだ。私はあいつが大嫌いなのだから。


「イルリアさん。ジェノさんは一生懸命なので、今は他のことを気遣う余裕がなくなってしまっているだけなんです。本当は、すごく優しい人なんです。それは変わっていません。

 ですから、ジェノさんのことをあまり悪く言わないで下さい」


 あまりにも一途にあの馬鹿のことを信じるメルエーナの言葉に、イルリアは少しだけ呆れた。恋は盲目と言うのは間違いではないようだ。


 そして、あんな奴を庇うメルエーナが、不憫でならない。


「分かったわ、メル。ただ、今日はそろそろ休みなさい。私が起きているから」

「はい。ありがとうございます」


 こんなに可愛くて一途に自分のことを思ってくれている女の子がいるのに、それをないがしろにするなんてどうかしている。自分を大切にしてくれる人を第一に考えるべきだ。


 そう。血の繋がった家族でも、心が通い合えないこともある。それが見も知らぬ他人ならば尚更なのだ。それなのに……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一般人までもが不安で仕方なくなる状況って、よっぽどだと思います。早く解決しなきゃ!
[良い点] 「借り」というのがどういったものなのか、とても気になります!! ジェノさんって、何かあっても弁明とかあまりしなさそうで、態度や口調もぶっきらぼうなところもあるし、きっと誤解されやすいタイプ…
[良い点] お、オムライス、海老グラタン……。とっても美味しそうです。 コウくんは、辛い経験をしましたね。お父さんの怪我が早く治りますように。 さあ、ジェノくん、溜息ばかりついてないで頑張って!
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