㊼ 『終わった事』
少し遅めの夕食。
バルネアが作ってくれる料理はやはり絶品なのだが、食事中、メルエーナ達はいつもよりも言葉が少なめだった。
重い空気の中、続く三人の食事。だが不意にジェノが口を開いた。
「すみません。バルネアさん、メルエーナ。面白くない話を聞かせてしまって。ですが、いざという時のために、どうしても話して置かなければと……」
「違うわ。ジェノちゃんが謝ることではないでしょう。それに、話を聞きたいといったのは私なのだから」
バルネアはそう言うと、心配そうな眼差しをジェノに向ける。
「正直、サクリちゃんのことは驚いたわ。そして、ものすごく悲しかった。あの娘がどれほど辛かったのだろうかと考えるだけで、胸が締め付けられてしまうわ。
でも、でもね、私はジェノちゃんの事も心配なのよ。ずっとこんな辛い話を心の奥にしまい込んで一人で耐えていたのでしょう? そして、それをまた思い出させてしまって……」
バルネアの気持ちは、メルエーナのそれと同じだった。
けれど、メルエーナはそのことを口にしない。いや、できない。
何故なら、自分はサクリさんという人にあったことがないから。そんな自分が本当の意味で、ジェノさんの気持ちが分かるはずがないと思ってしまうから。
「心配をかけてすみません。ですが、俺がバルネアさん達に話を聞いてほしいと思ったから話しただけです。それに、もう終わった事ですから……」
ジェノが珍しく微笑む。
けれど、それがどうしようもない悲しみがこぼれ落ちているからに思えて、メルエーナの瞳が涙に濡れる。
「メルエーナ……。すまない。話を聞かせるべきではなかったな」
ジェノが心配そうにこちらを見て、声をかけてくれた。
「いいえ、違います。こんな大事な事を私にも話してくれて嬉しかったです。ですが、あまりにも悲しくて、腹立たしくて……。
すれ違いは起こってしまいましたが、ジェノさん達も、サクリさんやジューナさん達も、人を助けようと懸命になって、苦しんで……。それなのに、一番悪い人はそんなことも知らずに平然としているなんて。そんなの、そんなのおかしいです!」
メルエーナの心には、深い悲しみとともに、諸悪の権化であるシュゼン王国の国王、ガブーランに対する怒りが灯っている。
どうして、そんな悪行がまかり通っているのだろう。王様だから? 力を持っているから? そんなのはおかしい。
そんな人のために罪のない人々が苦しんで死んでいった。その事に、どうしようもない怒りが溢れ出てしまう。
「……優しいな、お前は……」
その言葉にメルエーナは驚き、ジェノを見る。
こんな優しい声色でジェノが話すのを聞いたのは初めてだった。
彼は寂しげに口元だけの微笑みを作っていた。しかし、それはすぐに消える。
「だが、これは終わった話だ。ガブーランはすでに死んでいる。だから、お前が心を痛める必要はないんだ」
「えっ?」
「何があったのかは知らないが、俺達が<聖女の村>から戻って来た頃に、突然死んだらしい。そして、それと時を同じくして、ジューナの故郷の<霧>の汚染もなくなったそうだ」
ジェノはいつもの仏頂面に戻り、そう教えてくれた。
けれど、事も無げに言っているが、外国のことだ。その情報を集めるだけでも苦労したに違いない。
ジェノはこの国に戻ってからも、懸命にシュゼン王国の情報を集めていたのだ。ずっと、何か自分にもできることはないのかと思い続けていたに違いない。
その心中を察して、メルエーナは深い悲しみを抱く。
『何もできなかった』という思いに、ジェノはずっと、今も苦しんでいるのだ。
メルエーナは自分が信じる神に祈る。
どうか、ジェノの心が一日も早く癒やされるようにと。
この悲しい出来事が、すでに終わってしまった話であるのならば、いつまでも彼がその事に胸を痛め続けることがなくなる日が来るようにと。
……けれど、ジェノ達が心を痛める事柄はまだ終わっていない。
それが、悪意ではないもののためだとしても……。
◇
長い二週間だったとメルエーナは思う。
けれど、ジェノ達にとってはもっと長かっただろう。
何度も話し合いをし、バルネアの指示で、ジェノは給仕から外された。
セリカ卿を前にして、冷静に接客は難しいとバルネアが判断したのだ。
バルネアがそんな事を言うのは初めて聞いた。だが、ジェノは默まってそれを受け入れて、今は別室で、イルリアとリット、そしてガイウスと待機している。
ここは料理店だ。美味しい食事を提供することが第一。
そのため、すべての食事が終わってから話をする運びにしたいと、ガイウスがカーフィア神殿に申し入れをしてくれたらしい。
今回の食事は、遠方から旅をしてきたセリカ卿を歓待する目的でもあるため、幸いなことに、その提案は受け入れられた。
営業日の営業時間中は、よほどのことがない限り貸し切りにはしないバルネアが、貸し切りにする旨を伝えたことも大きかったのかもしれないが。
「メルちゃん。今日は大変だけれど、力を貸してね」
「はい!」
まもなく正午になろうという頃に、一台の馬車が、この店の前に止まった。
メルエーナはすぐに店の入口に向かいドアを開ける。
そして、本日ただ一組のお客様が来店されたのだった。
メルエーナが奥の席にご案内し、お客様達は席に着かれた。
そして、バルネアが厨房から出てきて挨拶をする。
派手なローブを身に纏った四十代くらいの女性――おそらく、この人がロウリア神官だろう――が、バルネアのお辞儀する姿に満足そうに頷いている。
どうして、人が頭を下げるのを見て、これほど嬉しそうな顔をするのか、メルエーナには分からない。
「それでは、お食事をお楽しみ下さい」
バルネアは笑顔でそう締めて、厨房に戻っていく。
メルエーナも、食事が出来上がるまではお客様の邪魔にならないように距離を取る。
「セリカ様。この店の料理は素晴らしいのです。かの有名な……」
「ええ。国王様が絶賛されただけではなく……」
ロウリア神官と他の齢をある程度重ねた女性二人が、この店の料理の素晴らしさを伝えようとする。だが、肝心の歓待を受ける女性は、ニコリともせずに「そうですか」と短い感想を口にするだけだ。
白いローブを身に纏い、美しい金色の髪を短く肩の辺りで切りまとめた、三十代後半くらいのその女性は、見るからに厳格そうで硬い表情を崩そうともしない。
彼女がセリカ卿。
来店を感謝する旨をメルエーナが伝えた所、『セリカと申します。本日はよろしくお願い致します』と丁寧に挨拶を返してくれた。だが、彼女は全く笑みを浮かべていなかった。
そして、それは今も……。
イルリアから聞いていた、人を見下したような態度を取るというロウリア神官が、自分よりも年若いであろうセリカ卿に懸命に媚びている。
神殿の力関係は、部外者のメルエーナにはまるで分からないが、よほどセリカ卿は強い力を持っているのだろう。
話を、サクリさんの事を知っているため、メルエーナも彼女に言いたいことがないわけではないが、それは自分が口にしていいことではないことは理解している。
そして、彼女に対してきちんとした接客を自分ならできると判断してくれたバルネアの期待に応えるためにも、メルエーナは自分の仕事を完遂することだけを考えることにする。
色々と心配なことは尽きなかったが、バルネアの料理が完成し、お客様がそれを口にしてからは、さしたる問題は起こらなかった。
セリカ卿も、相変わらず硬い表情を崩すことはなかったが、「素晴らしい味ですね」とバルネアの料理を賛辞していた。ただ、あまりにも美味しかったためだろう。
「ロウリア神官。貴女方は、普段からこのような美食を食べつけているのですか?」
と詰問めいた言葉をセリカ卿に掛けられ、ロウリア達は冷や汗をかいていた。
食事はつつがなく進み、最後のデザートをお出しした。
デザートは桃のコンポート。
メルエーナも事前に少し味見をさせて貰ったが、間違いなく絶品だ。
当然、お客様たちにも好評だった。ただ、何故かセリカ卿だけは、それにスプーンを伸ばさない。
「……セリカ様?」
心配する神殿の関係者に、「何でもありません」と答え、ナプキンで上品に口元を拭う。
「さて、ロウリア神官。食事はもうよろしいのではないでしょうか? 私はただ食事をするためだけにこの店に足を運んだわけではありません」
鋭い眼差しを向けられたロウリア神官は、引きつった顔でメルエーナにジェノ達を連れてくるように頼んできた。
「はい。少々お待ちくださいませ」
メルエーナは慇懃に礼をし、店の奥に戻って、待機していたジェノ達に声をかける。
「分かった。今行く」
けれど、ジェノの声に強張りを感じ、メルエーナは不安になる。
リットは普段と同じ様にニヤけた笑みを浮かべていたが、ジェノも、イルリアも、ガイウスも、険しい顔のまま足を進ませる。
けれど、メルエーナは彼らに掛ける言葉を見つけられなかった。




