半裸突撃
引き続き斜面の攻防
弓士、魔術士、騎士との戦い
「い、痛ったぁぁぁ!このシャツ高かったのにっ!もうっ!」
突き刺さった矢を肩から抜き取ると、シャツの袖を破り包帯代わりに巻きながら天を仰ぐザラさん。矢面に立ち敵と相対する覚悟、それは戦場ならば当然誰もが持ち合わせている覚悟であった。そう、ここは戦場で相手から見たら僕は倒すべき敵なのだ。僕に同じような覚悟があるだろうか。
思いつめた顔が心配そうに見えたのかもしれない。僕に気付いた彼女は、それまでぱったりと消えていた艶やかな微笑をその顔に取り戻すと、「だいじょうぶですよ」と口だけを動かした。その様子から察するに重傷ではないようだ。
斜面の下から閃光、これは魔方陣だ。今日何度も見た光、魔術の心得が無い僕でもさすがに分かる魔力の輝き。火球か、それとも火の柱のごとく別の魔術か。
「――やっぱり、治癒術式だったのね。」
見ると、倒れた騎士の頭上が輝いていた。治癒術式。シーグリッドちゃん曰く、「うーんとね、魔力を元にして傷口を繋いふさいで、血を止める。そうして傷を治療する術式。術者の魔力もたくさん、治癒される人の魔力もたくさん必要。でもどんな傷も治せる訳じゃない。分かった?ねぇ分かった?」(原文ママ)である。ザラさんの会心の一矢であろう先ほどの矢は、首元を貫通しており騎士の命運は既に尽きているはずだ。治癒術式がどれほど凄いか分からないが、生き返るほどの魔術ではないだろう。
眼下では、再び同じ閃光があったが、騎士が起き上がってくる気配は無かった。やはり、ザラさんの意思は確実に、的確に貫いていたのだ。暫くするとドッスン、ドッスンと聞き慣れた足音が近づいてきた。双璧の片方を失った騎士が迫ってきていたのである。その両手には二本の槍を握りしてめいた。一本は倒れた騎士の槍だろう。
「おのォれェェェェ!」
鎧の内側から発せられる怒り狂った声は、その重い足音と共に徐々に大きくなってくる。その怒りは敵意へ、敵意は殺意へと姿を変え僕らに迫ってきているのだった。伏せたまま器用に矢を射掛けるザラさん。しかしその固い鎧は貫けないようだった。倒れた騎士の教訓なのだろう、唯一の隙間であろう喉元は頭を下げ完全に隠している。その騎士の背後からは緩やかな軌道を描いて矢が飛んでくる。当てようとはしていないらしいが、この場所に留まらせるには充分すぎる攻撃だった。敵を倒すという明確で強い意思、その密度が濃くなっていく。緊張とも違う、焦りとも違う、この身体に不快にまとわりつくのは恐怖心であった。それは裏を返せば敵の覚悟でもある。
いよいよかと思い、腰の短刀に手を伸ばす。“自分に出来る事をする”それはこの場で僕に出来る事。背後に火の壁、眼下に迫る敵、飛んでくる火球に矢、悪い面はいくらでも上げられるが、良い面は探さないと見つけられない。探せ、探せ、探せ。
そうして僕は敵を見下ろしながらこの場所の利点を気付いた。そうだ、ここは高所だ!浮かれていた自分が言ってたじゃないか。「この場所からなら駆け降りれば一瞬で目の前まで近づける」と。高低差を利用して一気に駆け降り、その勢いのまま飛び掛かれば鎧の隙間を刺すぐらいの芸当は僕にも出来るかもしれない。この奇襲を成功させるに必要なのはたった一つ。
秀でた剣技も必要ない。
魔術の心得も必要ない。
今、僕に必要なのは――戦場の覚悟のみ。
グッと短刀を握る手に力を込めると覚悟を決め、伏せの状態から腰を上げた。
「ユウ!待ってッ!」
ザラさんが背中に手を伸ばして止めようとするが、その手は空を掴むばかりだった。残念ながら掴む胸当ても引っ張るシャツも既に無い。上半身裸のまま自分を鼓舞するように軽く助走をつけた。
「火球よ!来ますわ!!」
「――はいッ!」
呼び止める事に失敗したザラさんは、それでも僕に火球のタイミングを教えてくれた。見慣れたとはいえ、こうしてタイミングを教えてくれるのは本当に助かる。矢は避けれないが、火球であるならまだ大丈夫そうだ。
騎士の後方に魔方陣の輝きが見えていた。ザラさんの声とほぼ同時に魔方陣から紅蓮の閃光、火球が飛び出してきた。このまま横に動けば充分に躱せる、そう思った瞬間、火球が加速した。
「あれはっ!?空層術式――」
やはり魔術は僕には分からない。後ろから詠唱の声が聞こえたが恐らく間に合わないだろう。避けようと思った時には既に火球は騎士の頭上を越えており、その火球を手に掴めるほどの距離、目の前に迫っていた。咄嗟に避けようとしていた側へ身体を捻る。元々避けようとしていた予備動作もあってか、ごく自然に一連の動きが出来た。それが石や矢、槍や剣など燃えていないモノであったのならば、寸前で躱したと言えただろう。
しかし、飛んできたのは火球、燃える火であった。身体の正面に直撃する事態は避けられたものの、捻った身体をなぞるように焼いていく火球。そうして僕の背後へ火球は突き刺さった。着弾では無く、突き刺さったのだ。そこで初めて火球の正体に気付く。弓士の矢、である。恐らくは火球を矢で射抜いたのであろう、その矢に乗る形で火球が加速したのだ。お腹から脇腹辺りを焼かれた僕はというと、鉄槌で何度も叩かれているような痛みに耐えていた。あまりの痛さに声が出ないまま転倒した。
「うぅっ……。」
自分にもまだ出来る事があるはずだと、覚悟を支えに立ち上がる。我慢できない痛みがお腹からズンズンと響いていた。しかし、幸い下半身は何ともないので動かすことには支障が無い。ただ、痛いだけだ。そう思い込み再び騎士に向き直る。この場から逃げる選択肢もあるが、結局行き着く先は火の壁だ。さっきのような焼かれる痛みは一度きりで充分だ。それに敵に背を向け逃げ出したら誰かさんの盾でも飛んできそうだ。もはや助走をつける距離も無かったが、思うままに突進した。
上半身裸、しかも恐らく軽傷ではない火傷を負った短刀の男が迫る。誰が見ても捨て身、自殺行為だと思うだろう。実際そうだったが、それが命の危機を感じるほどの脅威に見えただろうか。少なくとも防御力を頼みとした重装の鎧に身を包んだ彼には、その短刀で傷をつけられるとは判断していなかった。
「――ウゥゥオォォォォォッ!!」
焼かれた痛みを振り切るように雄叫びを上げ突進した僕は、二本の槍など構わずに、喉元一点に狙いを絞り飛び込んだ。槍を両手に持っていたのが仇になったのか、一瞬反応が遅れて横薙ぎに払われる槍。
「――!!」
腕越しにまともに喰らった衝撃が内臓の底まで響いた。吹き飛ばされる寸前、鎧の肩の部分を掴み何とかその場に踏み留まる事に成功した。その場所は槍の根元であり、鎧の息遣い、それは命の鼓動が聞こえる距離。短刀の距離、そして僕の覚悟の距離だった。駆け出した時から一時も眼を離さなかったその的に、握りしめた短刀を振り上げる様に下から突き刺した。
「ここだぁぁぁぁ!」
「グハッ!」
覚悟の刃は的に確かに届いた。しかし、ザラさんの矢のように突き破るほどの長さも威力も足りない。鎧と兜によって握った手が阻まれ、奥まで突き刺せなかったのだ。致命傷を与えるまでには至らなかったように思えた。
ドンッ!という衝撃が下腹部に感じたと思った次の瞬間、思い切り蹴り上げられた僕はそのまま後方に飛ばされる。その場所は薙ぎ払って良し、突いてよし、斬って良しの相手の距離。僕の命の鼓動が聞こえている距離だ。しかし、かつて双璧だった騎士はその言葉通りに壁のように立ちふさがったまま一歩も動かなかった。直ぐに追撃してこない所から察するに、僕の一撃が効いているのかもしれない。何といっても急所を刺したのだ。傷の深さは分からないが、少なくとも動きを封じる事には成功していた。決闘であったのならば勝負ありといった所だ。しかし、決闘とは違いこの場の敵は一人では無い。次の瞬間、僕はその事を痛感させられる事になる。
短刀で敵を封じられたという達成感に浸る間もなく、新たな閃光によって状況が巻き戻った。物言わぬ壁となっていた騎士の頭上に魔方陣が展開される。一瞬の眩しさを感じた次の瞬間、壁が息を吹き返したのである。治癒術式であった。先ほどの騎士とは違い、今度は傷の治癒に成功したのだった。やはり傷は浅く致命の一撃には、あと一歩足りなかったのだ。
「グフッ、ヒューッ、ヒューッ……、はぁ、はぁ。」
「逃げてっ!」
鎧に弾かれた矢と共に、遠くの方でザラさんの声が聞こえたがその声に応える事が出来ない。逃げたい気持ちは山々だ。しかし、捨て身の突撃を仕掛けた代償は大きかったらしく、片膝をついて何とか堪えているのがやっとの状態。正直このまま前のめりに倒れこみたい気持ちでいっぱいだ。お腹は相変わらずジンジンと痛く、槍で薙ぎ払われた左腕の感覚が無い。上半身はどこが切れているか分からないほど赤く、血の匂いで充満していた。
「――ふぅ、治癒が間に合わなかったら危なかった。女を背に短刀片手で半裸突撃してくるとは……。捨て身とはいえ、骨のあるやつだ。貴様を屠るのは騎士道の誉、一撃で終わらせよう。」
次へ続きます
ラインハルトとアイス