強靭な意志
引き続き斜面の攻防
弓士、魔術士、騎士との戦い
「――火球、来ますわ。」
ザラさんの声と共に再び火球がゆらゆらと迫ってくる。しかし、火球が燃やしたのは上空の空気と僕らを通り過ぎた丘の頂上付近だけだった。何度か打ち合う中で分かった事がいくつかある。火球の精度はそれほど高くない事、初撃の火球以降は僕らの周辺に着弾し草木を燃やすばかりだった。気を付けなければいけないのは弓士の矢だ。撃ってくるのが分かれば余裕を持って避けきれる火球に対し、矢の速さは火球とは比べものにならない。更に敵の弓士が放つ矢、その命中精度は確かなものであった。後はもう一つ、僕らの方が相手に比べてほんの少し高い位置にいるようだった。この高低差を利用して一気に斜面を駆け降りる事が出来れば、短刀の届く距離まで近づく事が可能かもしれない。
所属不明の馬群、彼らが襲ってきてから、時間はそれほど経っていないだろう。しかし、ここまでの時間の密度は僕にとって濃すぎる位で、何日もここで戦っているような錯覚に陥っていた。初めは緊張感で口も回らないほどだったが、その緊張感は既に高ぶった感情に成り変わり気持ちが高揚していた。端的に言えば、浮かれていたのである。その為か、普段では決して口にしないであろう言葉が出てしまった。
「ザラさん!先ほどの魔術で攻撃を受け流せば一気に近づけるのでは?この場所からなら駆け降りれば一瞬で目の前まで近づけると思いますっ!」
「……うん?……そう、ね。だけどその提案は却下しますわ。危ないもの。」
振り返りざま、全てを見透かされるような瞳に見つめられること数瞬。
「……ねぇ、ひとつ聞いていいかしら?私の役目はあなたがシーグリッドちゃんと合流する、そのフォローなんですけど。知ってたかしら、新、人、君?」
番えていた矢で背中を軽く叩かれてハッとする。僕は一体何を勘違いしていたのだろう。魔術の心得も無く、秀でた剣技も無い、そんな僕が近づいた所で何が出来るだろう。自分で言ってたじゃないか。僕の短刀では野犬を追い払うのがせいぜいだと。目下の敵はどう見ても野犬では無いし、何より僕の目的は敵の殲滅などではない。クリス隊長、そしてザラさんの言うシーグリッドちゃん達と合流することだ。
冷静になって改めて辺りを見回す。斜面を敵に向かって近づいていたように見えたがこれも思い違いをしていた。僕たちは丘の斜面を敵の攻撃を避けながら登っていただけだった。思い返せばザラさんは一言も敵との距離を詰めるとは言っていない。彼女は落とし穴の横に居た時から、僕をシーグリッドちゃんの所へ送り届ける為に移動していたのだ。ボタンの掛け違いであった。
「す、すみません、ザラさん。僕、勘違いして……。あーもうっ、本当にすみません!」
自分を見失っていたことに恥ずかしさを覚え、謝罪の言葉もままならない。
目の前で敵が倒れていくのを見た――
敵を出し抜いて上手く切り抜けるのを見た――
彼女らが上げた戦果の上に立ち、一段高い所から見渡せるようになったつもりでいた僕は、その足元を崩されてようやく気付かされる。思い違いだ。ただ見ていただけなのに、まるで自分が強くなったような賢くなったかのように錯覚したのだ。倒したのも、出し抜いたのも決して僕ではない。それまで身体の奥底から湧き上がっていた高揚感は、恥ずかしさと愚かさ、何よりここまで一緒に来てくれたザラさんに対する申し訳ない気持ちで溢れていた。
「うふふっ、目的を思い出せればそれで充分。ジョン爺ならきっとこう言うわ。『まぁまぁ、新人の仕事は間違える事じゃからのぅ、カッカッカッ』ってね。さぁさぁ、あと少しで丘の向こうです。最後まで気を抜かないでいきましょう。」
「ありがとうございます、ザラさん。僕はシーグリッドちゃんと合流を……、了解ですっ!」
ジョン爺の声真似をしながらそう話してくれたザラさんから、思いやりの気持ちを受け取った。自分に出来る事をやる。目的を見失わないで自分に出来る事をやる。艶やかな微笑を覗かせる彼女に感謝の気持ちを伝え、改めて気合を入れ直した。
『ズサッ』
敵の放つ矢は的確に僕らを狙ってくる。かろうじて外れ、ザラさんの足元に刺さるもその矢が僕らの身体に致命傷を与えるのは時間の問題だろう。
この丘を越えた先にシーグリッドちゃんがいるはずだ。しかし、その最後の数メートルを登りきる事が大変だった。先ほどまで精度を欠いていると思われた火球が頂上付近の斜面にある草木を焼き尽くしていたのである。
もはや燃やすべきモノなど無くなっているのに繰り返し敵意の籠った火球が着弾し、その攻勢が緩められる事は無い。身を隠せるものが無い状態で、あの火球と矢を躱せる自信は恐らくザラさんにも無いだろう。ここにきて、改めて自分が間違った認識をしてしていたと再確認させられる。魔術士が撃った火球は外れていたのでは無く、狙い通りの場所へ的中していたのだ。敵の目的、それは足止めである。運よく当たれば良し、当たらずとも最低限その場に留ませれば良いだけなのだ。そうして、この丘の斜面に釘付けにし、援軍を待って討つ作戦だろう。彼らの作戦は思惑通り成功していた。
「もうっ!しつこいですわっ!こっちはもう隠れる場所が無いっていうのに。何本か当ててるはずだけど治癒かし――火球、いえ、これは燃焼……伏せて!」
「は、はいっ!」
そう言うと、屈んでいたザラさんが僕の匍匐と同じ姿勢になった。たわわの曲線美が潰れて見えなくなってしまったが、今はそんな事を考える場合じゃない。既に伏せていたが、条件反射的に返事をした僕は、頬っぺたを地面につけ後頭部を手で抑える。一応それらしい防御姿勢をとっているつもりだがこれが正しい姿勢かは分からない。一瞬の静寂のあと丘のふもとから吹き上げてきた生暖かい風に斜面が包まれた。何か飛んでくるものだと思ったがその気配は無い。矢の的になる前に動いていいかどうか逡巡していると、頂上から熱風が一気に吹き下ろしてきた。
「あぁぁぁ!あちっ!あっつ!」
背中のシャツは、もはや首元辺りにしか残ってないのだろう。その熱風で焼かれたかのような熱さを背中全体の肌で直に感じてたまらず声を上げた。ここまで匍匐で登ってくる際にシャツの前面は既にボロボロに破れている為、もはや上半身は裸同然であった。たまらず腰の水袋を背中にかけ流す。そんなに量は無いが何もしないよりは良いだろう。
「あぁー!これじゃ丘を越えられないじゃないのっ!もうっ、もうったらもうっ!怒りましたわ!」
その怒声につられて丘の頂上を眺めると、そこは火の壁であった。燃やし尽くしたはずの斜面から火の手が上がり燃え続けている。燃え盛る勢いは火球の比では無くまるで火柱のようにすら見える。その勢いからすぐに消え去るような火ではないだろう。上を見れば火の壁、眼下からは草木に隠れた弓士と魔術士、その更に奥からは双璧だった騎士。僕らはと言えば、遮蔽物のなくなった斜面に伏せている状態で何とか凌いでいる状態。ザラさんで無くとも文句の一つも言いたくなる状況だった。悪夢であるならば早く覚めてほしい。
しかし、現実は非常だ。あの遅さでは到底追いつけるとは思えなかった重装鎧の双璧が遂に弓士たちに合流する。二つから四つに倍増した敵意が僕らの方へ向かって迫ってきているのだった。
「ガハハハッ!ようやく追いついたゾォォォ!」
「其処を動くなァァァ!」
まるで魔獣の咆哮のような雄たけびを上げる双璧の騎士。ドッスン、ドッスン、ドッスン。一歩、また一歩と斜面を確実に登ってくる。先ほどは滑稽と思えた同じ音、同じ動きなのに今はただただ恐怖心を煽るだけであった。
「――ふぅ。……風上、ね。」
少しずつ確実に削られていく戦意の中に残ったのは、一矢報いるという強靭な意志だったのかもしれない。ザラさんは風の確認を終え、弓に矢を番えている所だった。こんな状況でも彼女の弓を射る姿勢は見惚れてしまう。中腰のまま、登ってくる双璧に狙いを絞ると矢を放った。すぐさま二の矢に取り掛かり同じ姿勢のまま矢を放つ。
重装鎧に身体が覆われた騎士は頭上から降るように飛んできた矢を避けようともしなかった。双璧のひとつ、その兜の正面に見事的中した矢ではあったが、『カンッ』という音と共に弾かれた。兜が無ければ致命傷となっていたであろう。続いて二の矢が飛んでくる。またもや避けずにそのまま迫ってくる双璧。今度は先ほどよりはやや下、胸元に当たるがこれも弾かれた。
「こんな小さな矢で我らを倒せるか!この鎧兜を貫きたければ、破城槌でも持ってくるがいい!」
「ガハハハハ!」
確かに門を打ち破るほどの威力ならば彼らの鎧を貫けることも可能だろう。しかし、今ここにそんな武器は無い。双璧は確実にドッスン、ドッスンと重い音を鳴らして迫ってくる。
「――ちょい逸れるわね、っと。」
双璧の話など耳に届いてないかのように、次々と射掛けるザラさん。双璧の向こうから弓士が応射してくるが気にも留めていないようだ。そのうち何本かの矢がローブの端を突き破っていた。矢じりに血が付いてない所を見ると傷を負った訳では無いようだが、このままではいずれ矢に倒れてしまう事は想像に難くない。
「ざ、ザラさん!矢が!」
僕の呼びかけにも応える気配も無い。的以外の一切を切り捨て、ただ無心に一点集中する。ザラさんの周りだけ時間が停止しているようだった。フゥッと一息つくと、静止していた彼女の時間がゆっくりと動き出す。矢を躱すために伏せるのかと思いきや、中腰からそのまま立ち上がり仁王立ちの姿勢になった。
「ザラさんっ!危ないですっ!」
さっきより声を張り上げて必死に呼びかける。しかし、弓に矢を番えるザラさんに僕の声は届かない。左肩を騎士に向け足を開くと長弓のやや下を持ち垂直に構える。持ち手の先で矢を軽くおさえると、狙いを絞り弦をゆっくりと水平に引いていく。熱を帯びた風に吹きおろされローブと黒髪がたなびいた。その隙間からうなじと豊かなたわわが現れる。普段ならばたわわの曲線美に加え、貴重なうなじと歓喜するところだろうが、今はそれどころではない。
その刹那、敵の弓士からの矢がたなびくローブを貫通し、遂に彼女の左腕付近に的中した。激痛であろう痛みに表情一つ変えず、風が収まるのを待って、力をためていた右手から矢を解き放つ。同じタイミングで持ち手の矢じりに回転を加える。矢を放った後もその姿勢は変わらず、その瞳には標的、双璧しか映っていないようであった。
「――ふぅ。やぁっ!!」
正しい呼吸、正しい姿勢、そして正しい集中。
全てを兼ね備えた一発必中の矢、それは、想いを乗せた矢。
その姿は繊細さの中にある強靭な意志、魅せられるほどに、ただただ美しかった。
「何度やっても矢ごとき――」
今回も弾かれる運命だとばかりに避けもせずに向かってくる双璧の騎士。しかし、ザラさんの放った矢はまるで意思でもあるかのように回転しながらその勢いを増し、そのまま的を見事に射抜く。重装鎧と兜の間、ほんの少し見えている喉元の一点に突き刺さり、その矢は首の後ろまで貫通していた。的中である。それを見届けるとようやく、彼女の姿勢が解かれ、止まっていた時間がゆっくりと進みだした。仁王立ちから中腰、そして伏せの状態まで戻ったのだった。
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半裸突撃