できたばかりの傭兵隊
魔獣引き上げの準備をすすめるユウ達に見知らぬ馬影が近づく
クリス隊長と彼らとの会話が始まった
「――クリス隊長、街道の向こうから馬影が近づいてきますわ。六、七……、っと十を越える数ですわね。」
そよそよと草原を揺らす風を遮って、ザラさんが少し大きめの声を上げた。恐らくこれはエリーさん達にも伝える為だろう。弓士である彼女はとにかく眼が良い。街道の方向を向いても僕には影の形も見えない。
距離と位置関係を落とし穴を中心にして整理すると、背後二十メートル前後にシーグリッドちゃんが転んだ丘、前方百メートルほどに囮で逃げ回ってた草原。その右側、少し離れた辺りに僕が飛ばされた草原がある。街道はというと、その場所からさらに大きく右側に逸れた奥にあり、二百メートル以上は離れている。その街道は草原を大きく迂回するように曲がり、丘を通り越したその先へと繋がっていた。街道と言っても街から離れている為か整備はされておらず、馬車道が自然と出来た程度で所々、柵や看板が立っているだけの道だ。
「ザラ、隊旗は見える?」
「……いいえ、特に掲げているようには見えませんわ。」
「そう……、旅行者にしては少し数が多いわね。街からも離れてるし、隊旗なんて誰も見てないからと掲げてないのか?」
「もうっ!うちじゃありませんし、そんな事ないと思いますわ。」
「ならば野盗か獲物の横取り……、か。」
ザラさんからの情報によるクリス隊長の推測は、概ね当たっていた。この辺りに畑は無いし、狩猟に来たといっても多くて二、三人だろう。そうなると、街から離れたここの街道を通るのは、旅行者か軍隊、もしくは僕らのような傭兵隊だろう。隊旗とは部隊が掲げる旗であり、その所在を内外に示す身分証明書のような物である。通行手形のような役割や、時には戦場での論功行賞、その判断材料にもなり得るのだ。
どの隊が何処にいて何をしていたか、というのは思っている以上に重要な情報である。ジョン爺の持つ魔獣辞典ほどの厚みは無いが、旗印全書という所属と経歴、戦歴などが載っている本もあるぐらいだ。その為、隊旗を掲げている限り軽率な行動は出来ない。逆を言えば、掲げていないという事は、所在が知られては不都合な事がある、という事だった。ちなみに傭兵隊スカイランドの隊旗は、丘の反対側に皆の荷物と一緒に置いてある。不都合な事は何も無いがクリス隊長曰く、「こんな誰も見てない所、苦労して持って行っても仕方ないわ。面倒なだけ。」(原文ママ)であった。
「――あら、街道から逸れましたわね。こちらに気付いたようですわ。」
「私も確認した。あちらにも眼が良い奴がいるようね。」
馬の脚は人よりも倍は速いという。これは実際に乗ってみれば分かるが、予想以上の速さを体感できる。街からこの草原までは歩いて半日はかかろうかという距離だが、馬を走らせたら一、二時間程度で着くだろう。速さだけではない、距離にしても人の倍以上走れるのだ。様々な魔術が発見、研究されているが“移動する”という面に置いては馬の方が何よりも優れていた。その為、乗馬の技術は一般に広く普及している。僕も当然乗りこなせるが、言うなれば誰でも乗れるので取り柄とは言い辛いところがあった。
あっという間に、馬影が迫ってきた。ようやく僕にもその姿が視認できる。頭数だけ数えると十五騎程度の集団だった。
「なんじゃなんじゃ、荒事かのぅ。」
「分からないわ。とりあえず話してみましょう。エリーはジョン爺を、ザラはユウをお願いできる?」
「了解した。」
「ええ、了解しましたわ。」
二人がそう返事をすると、先ほどまでの穏やかな空気が徐々に張りつめていく。街道を外れてまっすぐこっちに向かってくるという事は、少なくとも何かしらの用がこちらにあるのだろう。街の外れのしかも街道から離れた場所まで来て、挨拶だけして帰るとは考え難い。あまり友好的な用向きではないかもしれない。
「ユウ、何かあったら丘の向こうへ。シーグリッドたちと合流してくれる?」
「りょ、了解です!」
僕がそう応える頃には、穴を挟んで反対側に彼らが辿り着いていた。馬の頭がしきりに左右に振れ、落ち着きなく穴の縁を闊歩している。その背からお尻にかけて白い湯気が立っており、その様子から相当の距離を駆けてきたのだという事が分かった。乗っているのは風避けのマントに身を包んだ男達。馬群に隠れて見えないが女性もいるかもしれない。それぞれが槍、剣、弓といった各々の武器を背負っていた。
荒くれ者のような風体の男が馬の首をさすりながら話しかけてきた。心の内が見えない、汚れた空き瓶のような笑顔で。
「どうどうどう―。よしよし、いい子だ。……ほう、これはこれは見事な魔獣だ。あれは角か?黒い毛皮も価値がありそうだ。何より生け捕りとは。いやぁご苦労、後は我々が引き継ぐ。獲物を譲って頂こう。」
「すまないが所属を聞いても?隊旗が見当たらないもので。」
「ふむ。見たところそちらも隊旗を掲げていないようだが。我々はまだ出来たばかりの傭兵隊でな。隊旗はまだないのだ。」
「――なるほど。私達のは離れた所にあるのよ。それに、この魔獣は私達の獲物よ。これでもそれなりに被害を受けたの。それに見合う報酬を頂けるなら構わないけど?何も無く譲る理由は無いわ。」
男とクリス隊長が会話を続ける中、一塊の集団だった馬群がじりじりと左右に広がっていった。このまま広がれば落とし穴を囲むような形になるだろう。張りつめていた空気はその密度を色濃く変えて緊迫した空気へと変わりつつある。
「これだけの大きさ、仕留めるどころか生きたまま捕獲するのは大変だったろう。魔獣の被害……かなりの被害か。残ったのが老人と女性、剣も持たない男ばかりでは心中察する。これでは魔獣討伐のような実入りの良い依頼などは受けられないだろう。弔慰金ではないが、うちの若いのを何人か貸そう。帰りの護衛でもいいし弔いの墓を掘るのに使っても構わんぞ。」
「いえ結構。人手は足りてるわ。それに――」
「ハッハッハッ、気丈なご婦人だ。帰りの馬も無いだろうに、人の好意は素直に受けておくものだ。穏便に話がつけばと思っておったが、断られては仕方ない。力づくでも譲って貰うぞ。よろしいなっ!」
荒くれ者が背中から剣を抜くと、その剣先をクリス隊長に向けて怒声を放った。遂にその空き瓶を割り、中から黒々とした強欲を吐き出したのだ。その声を合図に数珠繋ぎのように連なった隊列によって囲まれてしまう。圧倒的優位を悟ったのか、クリス隊長の話を遮り、彼は独断専行して一方的に交渉を前進させたのだ。相手の名前は分からないが心の中で荒くれ者と呼ぶことにした。何が傭兵隊だ!魔獣の横取り、完全に野盗である。
「はぁ――。それならそうと最初に言ってもらえる?何かしら頂けると期待したのに。」
ゆらゆら揺れる青い外套の根元、若草にヒュンッと矢が突き刺さると緊迫した空気が弾けた。
「その矢は警告だ、次は外さない。うちの弓士は腕が良いものでな。さぁ、降伏するなら今だ、そちらはもう戦える人手は残っておらんだろう!」
自分勝手な判断で状況を把握した荒くれ者の交渉は、その矢を持って終わりを告げた。落とし穴と僕たちを囲んでいた隊列が、徐々にスピードを上げその範囲を狭めてくる。地面から伝わってくる地響きが心をざわつかせた。クリス隊長の指示は、何かあったら丘の上へだったはず。その指示に従い今すぐにでも駆け出したいが、馬が邪魔して近づけない。
次に続きます
銀髪の騎士