傭兵隊スカイランド・2
魔獣捕獲に成功した傭兵隊の面々
シーグリッド、クリスティアーネ(クリス隊長)登場
丘の斜面の手前、草原の中で地面が抉られて出来た落とし穴が出来ていた。深くは無いが浅くも無い、卵を割ったような形の穴であった。その底に黒い魔獣が、四本の足を鎖で縛られている。目測で全長5メートル以上はありそうだ。おでこの部分、いや鼻の部分だろうか、頭部の前面に突き出した突起物が2本見えた。全身を脂ぎった毛で覆われている。素材として価値がありそうなのは、二本の突起物だろうか。見るからに角だと思うが、牙という可能性もある。“角”と“牙”では評価値が違ってくる為、素材の鑑定が必要だろう。興奮冷めやらず思うまま暴れる魔獣は頭を前後左右に振り回し、2本の突起物で地面を抉っていた。
「まだ少し暴れるわね。シーグリッド、念のため拘束をもう一度お願いできる?」
「うん、わかった。拘束術式、展開――繋ぎとめるは鎖、自由を奪うは鎖、我は鎖、汝を縛るものなり――拘束せよっ!!」
魔獣の頭上に新たな魔方陣が浮かび上がり、詠唱と共に輝き出した。魔獣に光の粒が降り注ぎ、少しずつ鎖の形を成していく。何も無いところから鎖が降って湧いたような錯覚に陥るが、魔力を元にした魔術である。こうして魔獣は足首の鎖に加え、暴れていた頭部にも鎖が巻きつけられた姿となり、身動きが完全に封じられた。
凄い……。間近で見ていても、何がどうなって鎖で縛られていくのか上手く説明できない。やはり僕には魔術の才能は無いのだと実感する。
シーグリッドと呼ばれたのは、この隊きっての魔術士シーグリッドちゃん。ザラさんの術式を解説してくれたその人だ。僕の腰から胸辺りまでの背しかないが、本人曰く僕より年上らしかった。背は歳に関係ないだろうが、どう見ても可愛い妹の域を出ていないように思える。足元まである薄紫のロングワンピース。頭は耳あての付いた紫の帽子を深くかぶっており切れ長の目、そして愛嬌のある顔が少し隠れている。背中には、トレードマークの大きく膨らんだ紫のリュック。全体を紫色でまとめており物静かな雰囲気を漂わせている。
魔術の心得がある人と、そうでない人の境界線は思った以上に深く大きい。基本的に魔術士は術式をいちいち説明しない。それは大抵の魔術士は、詠唱、魔方陣と術式を見るだけで、ある程度の推測が出来るからだ。未知の術式ならいざしらず、基本的な術式展開なら尚の事だった。例えば、先ほどの魔術の鎖。仮にザラさんに尋ねた場合、その術式の詠唱から魔方陣の構造、魔力量の計算式などは見た範囲で話してくれるだろう。一方で、同じ質問を僕に聞かれても「凄い」の一言になってしまう。そして、ここがまた難しい所なのだが、シーグリッドちゃん曰く「術式を理解する」と「術式を展開する」この二つはまた別の話らしい。驚いたことに鎖の魔術に限って言えば、ザラさんはあの術式が理解出来たとしても展開は出来ないという話だった。出来る出来ないに限って言えば、僕もザラさんも出来ない側に入る。
この魔術関連について戸惑っていた際、僕にそれとなく説明してくれたのがシーグリッドちゃんだった。“分からない”“出来ない”そういった側に立って考えられる優しい人、それが僕が持った印象だった。あと小っちゃくて可愛い。これは隊の誰もが持っていた共通認識であった。
余談だけど、ザラさんからは「無理に理解しようとしなくていいの、分からない事を分からないと言えればそれで満点ですわ」と、こちらもザラさんなりの思いやりのある助言をもらっている。
「ありがとう、シーグリッド。さぁジョン爺、待たせたわね。まずはあの目立つ突起物を鑑定してもらえる?」
「了解じゃ。どれどれ、こいつは近くで見ると中々の迫力じゃのぅ。調査依頼のあった魔獣はこやつでまず間違いないじゃろう。」
先ほどからシーグリッドちゃんとジョン爺に指示を出しているのが、傭兵隊スカイランドの隊長ことクリスティアーネさん。隊からは分かりやすくクリス隊長と呼ばれている。前が大きく開いた淡い水色の外套を羽織り、その隙間から見える腰の双剣。その片方、一振りの剣に両腕をのせていた。癖なのかもしれないが、あれが一番楽な姿勢なのだろう。シャツは外套に合わせた青を基調とした色で統一されている。白金に近いような綺麗な金髪を後ろで結い、外套と同じ色をした瞳は、眼下の魔獣を見下ろしていた。凛々しさを感じさせるその表情から緊張感が氷解することは無く、落ち着いているというよりは、何事にも動じない強い意志があるような面立ちに感じられた。
傭兵隊スカイランド。今回のような魔獣調査から討伐、荷馬隊や旅行者の護衛、時には戦場での戦働きなど、報酬次第ではどのような依頼も幅広く請け負う傭兵隊である。今回の魔獣調査依頼はここの六人に加えて、少し離れた所に残してきた荷物と馬の見張り番二人、計八人で進めていた。街道からの魔獣目撃情報が相次ぐ為、調べてきてほしいという今回の依頼。ただの調査の為、報酬は安かった。しかし、もしも竜などの希少魔獣であったのならば“捕獲”“討伐”に関わらず報酬以上は稼げるだろうという目論見の元、請け負ったのだった。
魔獣の大きな頭部が鎖に巻かれている。分厚い魔獣辞典を片手にジョン爺がその突起物を調べていた。魔獣辞典とは、調査された魔獣が載っている百科事典のようなものだ。隊の会計士でもあるけど、その経験と深い知識からくる観察眼を買われて、鑑定士役を任されることが多かった。いつの間にか眼鏡をかけていたジョン爺がこちらを仰ぎ見た。
「あぁ……、これはあれじゃクリス。牙じゃろうなぁ。根元を調べると下顎から伸びておる。鼻の薄い皮膚を突き破ったんじゃろうなぁ。魔獣辞典には載っとらんが、近い魔獣でいえば獅子の類じゃろう。」
「あらそう。大きさから見て角だったらかなりの値打ちもの……、そう期待したんだけど、残念。」
「カッカッカッ。そう気落ちするもんでもないじゃろぅ。」
「うん、あれが角だったら、たくさん魔力を感じるはず。あれ、全然魔力ないよ。」
「シーグリッドがそう言うなら間違いないじゃろうなぁ。カッカッカッ。ユウ、研ぎ石を持ってきくれるかのぅ。」
「了解ですっ!すぐ行きまーす!」
魔術に疎い僕でも、牙と角の違いは分かる。古来より牙は刃の源、角は魔力の源、これは広く知られた一般常識だ。角を有する魔獣は、竜をはじめとした希少魔獣数種のみである為、その絶対数から牙よりも格段に価値の高いものであった。
近づいてその大きさが改めて分かる。僕の身体二つ、いや三つ分ぐらい、全長三メートルから四メートルといったところか。魔獣の頭と同じぐらいの長さはあろうかという二本の牙、これが僕の革の胸当ての仇だ。立派だと感じる以上に、その牙を叩き折ってやりたいという私怨の籠った感情が湧き上がる。グッとその感情を抑えて、砥ぎ石をジョン爺に渡した。
「どれどれ、牙の質によっては刀鍛冶に高く売れるやもしれんからのぅ。」
「せめて僕の胸当て代ぐらいには……。革製で丈夫だからって言われて買ったけど、壊れちゃいましたよ、はぁ。」
「カッカッカッ。そう腐るんじゃない。丈夫だったからこそ、こやつの一撃を受けても大丈夫じゃったろうに。悪い面は何もせずとも目につくが、良い面は探さない限り見えてはこんものよ。」
「そうか……。そう、そうですね!」
「それにしても、その前掛けは前衛的すぎじゃのぅ。カッカッカッ。」
「ははは、次はもっと良い前掛けを準備してきます。」
ジョン爺はいつも高笑いしているが、時々こうした会話の中で胸に響く言葉を教えてくれる。それは長い人生経験で得た教訓なのかもしれない。或いは沢山の書物、その知識の海からきた誰かの受け売りか。いずれにしても、ジョン爺との会話は楽しく好きであったし、それは隊の皆も同じ気持ちだろう。そんな事を思っていると、自分を納得させるような抑揚のある声が上がる。どうやら研ぎ終わったようだった。
「まずまず……じゃのう。よーし!剥ぎ取りにかかるぞぉ、手を貸してくれぃ!」
「分かったわ。エリーは下で剥ぎ取りの準備を。シーグリッドはラインハルト達を呼んできてくれる?ザラは私とここで引き上げを。それと、ユウ!あなたも一旦上がってこちらで引き上げをお願い。」
凛とした声がその場に響き渡る。クリス隊長の指示のもと各々が動き出した。エリーさんが魔獣の傍まで飛び降りてくるその横で、入れ替わるように僕は穴の斜面を駆けあがった。僕もあんな風に颯爽と飛び降りれたらカッコいいだろうな、そんな考えが頭を過るも、僕の場合は転げ落ちるのが関の山だろう。今はせめて勢い良く駆け上がるのが精一杯のカッコよさだと思う事にする。魔獣を見下ろしていた地点へカッコよく戻ると、シーグリッドちゃんが丘の頂上から向こう側へと駆け降りる所だった。トテトテ。トレードマークの大きなリュックが横に揺れる姿はそれだけで愛嬌があるように感じられた。トテトテトテ。丘の向こうへリュックが沈んでいくまで暫く皆で見守っていたのも仕方ない。小っちゃくて可愛いのだ。
「あわわ――、わあああああああ!」
丘の反対側から悲鳴のような声が響いてきた。
「シーグリッド……、あれは転んだかな。」
「ふふふっ、転びましたわね。あのリュック、登る時は安定するかもしれないけれど、降りる時は不安定そうだもの。」
離れた所からでも場を和ませる事が出来るシーグリッドちゃんは、ある種の才能があるのかもしれない。やはり小っちゃくて可愛い。そんな事を思いながら、引き上げる為のロープを準備する。魔術も剣技も取り柄が無い、僕の出来る事と言ったら準備や片づけぐらいだ。自分に出来る事をやる、これもジョン爺に教えてもらった事のひとつ。
「ユウ、準備ありがとう。ラインハルト達が来たら皆で引き上げましょう。」
クリス隊長が僕の背中を優しく叩いて労をねぎらってくれた。小間使いのような誰でも出来るロープの準備に対して、まるで旧来の友人が頼みごとを聞いてくれた時のように接してくれる。傭兵隊スカイランドを率いるクリスティアーネさん、少なくとも僕が見聞きしている範囲内では常にそうしているようだった。意識的、或いは義務的にそうしているような印象は無い。それもあってか、ごく自然に居心地の良い距離感が隊の中に広がっている。それは木漏れ日の中、お互いの領域を曖昧に線引く距離感、お互いの領域が重なる距離感であった。ちなみにラインハルトさんは見張り番をしている二人のうちの一人である。
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