野営地4
宵の闇に不釣り合いな喧騒が収まり、辺りには静寂が戻りつつあった。血生臭い臭気を照り散らすかのように、灯火がぽつり、ぽつりと打ちあがる。狼、狼、そして狼。再び灯りのもとに現れた街道は、横たわる狼で埋め尽くさんばかりであった。
「な、なんだこの数は――」
驚きの声を上げたのは見張りの兵である。まさか自分たちがこれほどの狼の大群と対峙していたとは思わなかったのだろう。倒れている狼は十や二十どころではない、三十、四十と数えればきりがない。
「良いか!朝まではまだ時間がある。周囲を警戒しつつ、灯火を絶やさぬように。」
立ち尽くしている兵達に、檄が飛ぶ。兵達はその声に押されて巡回を始めた。
「ジョンストン殿、ユウ殿は大丈夫であろうか。これだけの死骸、数を減らしたとはいえ、まだまだ大きな群れである事は間違いないはず……。」
「うぅむ。この倍、或いはそれ以上の大群であったかもしれぬのぅ。それにこの毛並みは――」
横たわる狼を鑑定しながら応えるジョン爺。赤土や血で汚れているとはいえ、その鮮やかな毛並みは充分に値打ちのあるものであった。
「やはりここは人を集めて救出に向かった方が……。こちらもしっかり準備を整えて向かえば、いくら大群であろうと物の数には及びますまい。」
「まぁまぁ、ユウはああ見えて頑丈だからのぅ。まずはここの安全を確認するのが大事じゃ。」
「そうは申されるが――そうか!あの術式。あれは特別な魔術なのでは?」
得心がいったような表情で聞き返すクライヴ。ユウが大丈夫と言う根拠を言い当てた自信があるようだった。
「特別かは分からぬがのぅ。少し疲れてるように見えたのでな、滋養強壮の術式じゃ。」
「滋養……強壮??あの風邪や体調が悪い時にかかる術式ではないか。それでは――」
灯火の元、凛とした風がクライヴの戸惑いに応えた。
「治癒術式のひとつ“己の魔力を生命力に変え、身体の不調を正す術式”のことね。とはいっても、魔力量に影響を受けるから、魔力が枯渇しがちな病人には気休め程度にしかならないでしょうけど。ふぅ、エリーに急かされて交代に来てみれば、ジョン爺は起きてるし、獣臭いし。毛皮狩りにしては随分と物々しい雰囲気じゃない?」
声の主は、傭兵隊を率いるクリスであった。
「おぉ、クリス。見てみぃ……この辺では見かけぬ灰色の毛皮じゃぞ。」
「クリス殿!申し上げにくい事じゃが、すまぬ。私が居ながらユウ殿を……!」
「なぁに?ジョン爺、ここで何があったの??説明してくれるかしら。」
無骨な顔をさらに険しくした表情を浮かべ、頭を下げるクライヴ。対照的に毛皮を掲げて柔和な表情を見せるジョン爺。状況からして狼の襲撃があったのは間違いない。しかし、もう少し話を聞かなければ、二人の態度から見える溝は埋まらないだろう。
「――狼の襲撃があったのは見ての通りじゃな。この死骸、驚くことにまだ群れの一部。残りはユウが引き連れて川へと向かってもらった、というのが事の顛末じゃ。」
「まぁ!?群れの二つ三つぐらいは斬り倒したように見えるけれど……。まだ残りがいるですって?」
「あぁ、残りというか、本隊じゃのぅ。」
「どんなに大きな群れであろうと、リーダーがいるはず。それらしい狼を斬り伏せた所までは良かったのだが……群れの動きが止まる事は無かったのだ。」
「――なるほどね。それでユウには囮になってもらった、と。」
群れのリーダーと目されていた狼まで近づく三人。ジョン爺が一つ咳払いをすると、これは仮説じゃが……と前置きして話し出した。
「こやつらは、襲撃してきたのではなく……。何かに追い払われて逃げてきたのではないかと思うんじゃ。」
「……その根拠は?」
クリスが興味深そうに耳を傾けた。
「うむ。まず一つ、狼はその習性から、狩りに適応した姿形になることが多い。この辺じゃと毛並みを赤や茶色に揃えるとかじゃな。それが灰色や中には白毛といった、およそこの地域では目立ちすぎる色をしておる事。二つ、風上である街道から襲ってきたこと。いくら暗闇とはいえ、隠れる場所も無い街道を風上から襲ってくるのはおかしいからのぅ。」
「それもそうね。狩りだとしたら、穀物や家畜小屋を襲った方が遥かに簡単でしょう。」
「これはひょっとしたら逃げる途上に、偶然儂らが立ちふさがってるだけでは、と。つまりは、元の逃げ道に誘えば、すんなり退いていくのではと思ってのぅ。」
「理にかなってるとは思うわジョン爺。でもそれだと、この下にいる狼はリーダーではないと言う事になるわね。退くまで統率のとれた群れだったのでしょう?」
周囲より明らかに大きな死骸を前に、それはそれでおかしいと疑問を投げかけるクリス。
「私が見た範囲ではあるが、この狼が一番大きく、他にリーダーと見立てられる程のモノは……。」
「この巨体、お腹も――充分満たされているわね。群れの中での序列は最上位に近いとみて間違いないかしら。」
腹を割り、胃の内容物を確認するクリス。顔色ひとつ変えずその手を汚していく様は手慣れていた。その流れるような動作に一瞬動きが止まるクライヴ。
「あら、私をお飾りの貴婦人だとでも?これでも場数はそれなりに踏んでいるつもりよ。これぐらい――」
「あぁ、失礼した。随分手慣れたものだと思ってな。」
「カッカッカッ。殿下がこの光景を見たら卒倒するやもしれませぬなぁ。いや、それよりもこの臭気でやられてしまいますかな。」
「う、うむ。否定は出来ぬな。それで、話を戻すと仮に狼が逃げてきたのであれば、いったい何から……?」
羽織で血を拭い、顔を上げた先を眺めるクリス。その凛とした瞳に映るのは、明朝から進む街道の先であった。
「フフッ。夕食会でバーバラさんが話していたじゃない。街道から来た行商人が青い顔をしていたって。」
「ニーベル高原――竜か!?」
無骨な顔に再び得心がいった表情が戻ると、声高に叫んだ。
「ほぅ、そのような話があったんかね。」
「えぇ、ニーベル高原の街道沿いには、大穴がいくつも空いて地鳴りがしてるそうよ。」
「しかし、竜からここまで逃げてくることなどあり得ますかな?」
「さあね。でも“あり得ないから”という理由で選択肢を狭めるのは好きじゃないわ。それに竜ほどの魔獣から必死に逃げてきた。その一目散に逃げる様子は統率の取れた動きに見えなくもないいかも……。リーダーの有り無しに関係なく、ね。」
ニーベル高原方面を向いていたクリスであったが、そう言うとくるりと反転した。今度は輸送隊が辿ってきた街道の先に瞳を向けた。
「そうであった。ユウ殿が気がかり、微力ながら我が隊からも助力に人数を出そう!して、いつ救出に?」
「カッカッカッ。クライヴ殿、そう案ずるな。」
返り血で汚れた鎧甲冑に手を置き、ゆったりと語りかける口調は余裕そのものであった。
「クライヴ殿、そのお気持ちだけで充分ですわ。ジョン爺は伝令を頼まれてくれる?皆にはそのまま持ち場で予定通りに。エリーは起きてたけれど、休んでもらって構わないわ。その代わり明朝から隊の先導をお願いって。終わったら悪いのだけれど、毛皮狩りの手伝いをお願い。腰が痛いなんて言わせないわよ?」
「やれやれ、腰が痛いのは本当なんじゃがのぅ……。」
「ジョン爺?」
「分かった、分かったわい。そんなに睨まんでも……。それで迎えに行ってくれるのじゃな?」
「えぇ、馬で追えばすぐでしょう。」
「ま、まさかお一人で行かれるおつもりか!それに追いついた所であの群れから一体どうやって救出を……。」
「ふふっ、それはまた今度、お酒の肴にしましょう。一頭馬を借りても?」
パトリシア姫の従卒という職を長く続けたクライヴである。先々の心配をするのは性格と言うより職業病に近いものがあった。一頭の馬だけで良いのかという困惑とは裏腹に、颯爽と駆け出すクリス。
「あぁ、それともう一つ。歓待のお礼にバーバラさん達に毛皮を残して貰えると助かる。それじゃあね、失礼するわ。」
灯りのもと、見張りの兵と残されたクライヴ。パトリシア姫を含めた輸送隊の危機は去り、安堵している様子であった。しかし、その無骨な眼差しはラーディ川を見つめたままだ。狼の群れを引き連れたユウ、その彼を救出に向かったクリス。彼らが戻るまでは、まだ本当の意味で安堵など出来る筈もなかった。悲惨な戦場などこれまでいくらでも経験してきたクライヴである。“大丈夫”という言葉を残して帰らぬ人となった経験など、それこそ群れの数ほどあるのだった。
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