野営地3
一度に相手に出来る狼は何匹だろうか。少なくとも今の自分には、目の前の一匹に対処するので精一杯だった。身体は胸当てで守られているとはいえ、死角となる背後、そして急所の首は無防備だ。少しでも隙を見せれば、的確にそこを狙われた。当然、狼は一匹だけでは無い。前後左右、一匹を倒したら次の一匹が湧いてくる。撃退はするものの、こんなことを繰り返していれば、いつか体力が尽き片膝をついてしまうだろう。その先は誰も想像したくない結末だ。
次第に灯火の魔力は尽き、暗闇の支配する領域が増えている。群れの中で、クライヴさんの姿は見えず、周りの兵も散開してしまって互いの位置が分からない。これでは、味方を避けての術式は無理があるだろう。
「魔術士はまだかっ!この辺り一帯を燃やしてくれ!」
「ま、待ってください!クライヴさんも何処にいるか分からないまま、一帯を燃やしてしまったら――」
「無礼だぞ!魔術も使えない者が、何が分かるというのだ!ええい、うっとおしい狼め。貴様!周りを気にしてる暇があったら狼を追い払わぬかっ!!」
これでも精一杯追い払っている……。しかし、短刀と松明を振り回すだけでは、状況を変えるほどの戦果はあげられていない。襲撃ならば皆に連絡する段取りであったが、判断を間違えた事を痛感した。狼程度なら追い払えると自惚れていたのだ。
皆への伝令役に徹していたら、違った状況になっていただろうか……。いち早く異変を知らせてくれたザラさん、明確な指示をくれたエリーさん、見回りの役目を任せてくれたクリス隊長。皆の顔が浮かぶたびに後悔の気持ちで胸が苦しくなった。
「ふぁぁぁぁ。こうも騒がしくては、いくら年寄りといえども眠れんわい。まったくなんじゃ夜更けに。」
自責の念に潰されそうになっていた頃、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「ジョン爺!すみません、狼の群れで。もうどうしたら――」
「傭兵隊か!爺さん、魔術は使えるか!?もし使えるなら火炎でここら辺の狼を焼き払ってくれ!」
近くの兵が僕の話を遮り、先ほどから繰り返していた指示を飛ばした。
「んー、ずいぶん殺気立っておるのぅ。まぁまてまて。起き抜けの老人に、無茶を言うでないわい。」
「ちっ、爺さんも魔術は使えないのか。全く、何が護衛だ。肝心な時に役に立たないではないか!くそっ!!」
「お、落ち着いて下さい。隙を見せると……あっ、危ない!」
振り返ったまま興奮気味に捲し立てていた兵は、その隙を狼に狙われてしまった。
「ぐっ、この親衛隊の鎧に……狼の牙など通るものかァ!!」
眼前に迫った鋭い牙ではあったが、白銀の鎧にかすり傷を増やしただけである。興奮冷めやらぬ兵は、力任せに狼を叩き斬った。
「まぁ待てと言っておろうに。――して、ここらを狼ごと焼けと?」
「ジョン爺!駄目です!群れの中にはクライヴさんが!他にも何人か見えなくなった人も……。」
「なるほどのぅ。ふぅむ――大体分かったわい。」
最低限の情報だけは伝わっただろうか。味方ごと攻撃してしまう最悪の展開は回避しなければいけない。何と言われても、彼を含めクライヴさん達は“護衛対象”なのだ。
「どれ、ちと暗いからのぅ。まずは灯りじゃ。皆を探すとしよう。ユウ、ちと下がって守ってくれるかのぅ?あぁ、そこの若いの。気乗りしないじゃろうが……、一緒にこっちで戦ってみてはどうじゃ?」
言い終えるや否や、詠唱を始めるジョン爺。僕は慌てて近づき、狼の襲撃に備えた。
「灯火術式、展開――輝くは光、闇を照らすは光、我は光、輝きの灯火なり――灯れ。」
空中に浮かんだ小さな光の粒が凝縮していく。やがてそれは一つの大きな光の球になり、周囲を照らす灯りとなった。
簡単な基礎術式であれば、最初から最後まで詠唱しなくても展開できる。シーグリッドちゃん曰く、目分量で料理を作るか、量りを使って作るか位の違いらしい。魔力の消耗などに差が出るんだろうか。短縮せず丁寧に詠唱するのが、きっと大事な事なんだろう。
「ちっ、一旦ここで態勢を立て直すか。一つじゃ心許ないな……、もう一つ灯火を頼む。」
「これこれ、あまり老人に頼るものではないぞ。灯りが欲しかったら面倒がらず自分で何とかせんかい。」
ジョン爺の灯りを中心に、僕たちが集う形となった。灯火が徐々に高度を上げていき、より広範囲が照らされていく。灯りに反射した鎧甲冑が一つ、二つ、三つ。三人の位置が分かった。どの鎧甲冑も狼に噛み付かれたまま奮戦していた。
「おぉこれは助かる!皆、聞こえていたら灯りの元に集まれ!ふんっ、肩口で暴れていたのはお前――かァ!!」
怒声に近いような声量、この声はクライヴさんであった。振り返りざまに暴れていた狼を薙ぎ払い、こちらに駆け出してくる。同様に、他の二人もこちらに気付いて近づいてくるようだった。
暗闇という不安が取り除かれ、混乱の色は失いつつあった。
「これで全員かのぅ。ほーぅ、それにしても何じゃこの数は……。」
照らされて分かったのは、皆の位置関係だけでは無い。辺りには相当数の狼が横たわっている。その数は十や二十を軽く超えていた。
「狼の群れ――ではあろうがのぅ。十匹もいれば立派な群れ。それがこの規模となると、ちと普通じゃなかろうなぁ。」
「おぉ、ジョンストン殿。ご助力ありがたい。群れの頭を潰そうとしたが、この数。それらしい狼を何匹か斬っても、一向に追い払えず困っておったのだ。」
「カッカッカッ。序列を重んじる狼、狙いは悪くないがのぅ。しかし、この規模の中から一匹を見つけ出すのは骨が折れそうじゃ。」
灯りの麓にはその場にいる皆が集まり、即席の作戦会議が開かれた。
「だからこそ火を!同士討ちの心配がなくなった今、ここら一帯を焼き尽くしてやりましょう!」
「言葉を返すようで悪いがのぅ、若いの。それほどの火勢、仮に燃やし尽くしたとして、どうやって消すんじゃい?生半可な水じゃ消せぬと思うが……加えてこちらは風下、得策とは思えぬがのぅ。」
「うっ、それは、その……。」
背後に広がる野営地に飛び火でもしたらそれこそ大参事は免れないだろう。風こそ強くは無いが、鼻に付く獣臭さ、血生臭さはこちらが風下であることを証明していた。
「そ、そこも含めて考えるのが護衛の役目だろう。何とかならんのか!」
「いい加減にせぬか、口を慎めっ!」
「し、しかし……。いえ、失礼した……。」
クライヴさんに叱責され、強かった語気が自然と小さくなっていく見張りの兵達。
「まぁまぁ爺は気にしてないでの。会計士という手前、どうしても損得勘定で考えてしまってな。あの白に灰色の毛皮、燃やしてしまうには惜しくてのぅ。さぁて、それよりも……。」
依然として、狼の群れは退く気配は無い。むしろ隙さえあれば今にも飛び掛かって来そうな気配だ。
「ユウ、誰かに報告したかのぅ?」
「すみません、ジョン爺。狼なら僕でも追い払えると思って。まだ誰にも……。」
後悔の念が再び顔を覗かせ、今度は僕の語尾が小さくなっていく。
「気落ちせんでも、誰も責めておらんわい。さぁさぁ、背を伸ばして。ここが踏ん張りどころじゃぞ。ほれっ!」
ジョン爺の眼がキラリと光った。そして、背中を押された僕は言葉通り、踏ん張る事になる。
「じ、ジョンストン殿いったい何を!?」
不意に狼の矢面に立たされた僕の困惑を、クライヴさんが代弁してくれた。僕も叫びたかったが、それどころではない。飛び出した僕に向かって群れが殺到してきたのだ。
「ふむ……。ここまでで分かった事といえば、一つは、獲物の隙を確実に突いてくる統率された群れだということ。次に、群れは集団から逸れた者を狙う。これは火を恐れるのと同じような狼の習性だろうがのぅ。そしてここからが大事な所じゃが、群れの狙いは狩りではないこと。もし狩りならば、これだけ数を減らしても退かないとは、無能なリーダとしか思えない。」
「餌目当ての狩りでは無いと?」
「そうじゃ。もし仮に餌が欲しいのであれば、こんな惨状になる前にとっくに家畜小屋に向かっておろう。」
「では一体この群れの目的はいったい……?」
「経験に裏付けられた固定観念は、経験によってしか壊せない――クリスならそう言うじゃろうなぁ。カッカッカッ。退かぬのではなく、退けない何かがあの群れにあるんじゃろうて。」
「そもそも退く気が……無い?」
「すべては老人の戯言。その可能性もあるってだけじゃがのぅ。」
結論が出たのだろうか。短刀は既に血糊で汚れており、本来の鋭さを失いつつある。松明も幾度となく殴打した結果、今にも折れてしまいそうだ。
「ジョン爺ー!い、いつまでここに踏みとどまれば……くっ。この先何を!?」
「まぁその、ユウ。ちと伝え難い事なんじゃが、ひとっ走り川の方まで行ってはくれんか……のぅ。なぁに、クリスには儂から言っておく。朝には迎えも送ろうて。」
「えぇ!?い、いま何て……、か、川??」
あまりの事に理解が追いつかないまま、聞き返してしまう。聞き間違えでなければ、川まで走れって……。
「うむ、ラーディ川まで朝駆けみたいなものじゃ。儂があと十年若ければ、儂が行っても良いのじゃが、持病のほれ、あれじゃ。えーと、そう!腰痛がのぅ――アイタタタ。」
半日かけてきた街道を川まで戻れ、と。狼の群れに追われながら、と。何故そんな事になったのかさっぱり分からないが、何か考えがあってのことだろう。出来る事をやりたい、挑戦してみたいと宣言した手前、基本的に断る事はしない。しかし、この指示を二つ返事で引き受けるには、まだ自信も経験も全然足りていなかった。
「――わ、わ、わかりましたが、出来るかどうか。だって川までなんて走り続けられませんよ!?」
「カッカッカッ。大丈夫じゃ。ちと魔力を借りるぞい。」
それまで推移を見守っていたクライヴさんが、ジョン爺との会話に加わってきた。
「ジョンストン殿、献身的な提案痛み入る。しかし、まるで捨て駒のような囮などあまりに……。これしきの群れ、総員でかかれば斬り伏せる事など容易い。今からでも皆を起こして回ってはいかがか?」
この際、それでも仕方ないと思えた。これほど大規模な群れ、深夜に起こされたとしても、兵達は納得してくれるだろう。クライヴさんの提案に大声で賛成票を入れたいぐらいだ。
「今宵だけの護衛であったならば、それも良いとは思うがのぅ。竜討伐本隊まで、“人員を含めた物資”を案内護衛する。これが依頼じゃったな。送り届けた先で“寝不足で戦えませんでした”ではクリスも怒るじゃろうからな。輸送隊の皆には、休める時に休んでいて欲しいのが儂らの本音じゃ。」
クライヴさん以外の兵もジョン爺の話に耳を傾けている。やれば出来る、良い面は探さないと見つけられない。この朝駆けに果たして良い面があるかは疑わしかったが、決めるしかない。そう、覚悟を。
「行けるところまで行ってみます!ジョン爺、いつ飛び出していけば!?」
「詠唱が終わったら、じゃな。ちと待っておれ……治癒術式、展開――湧き上がるは丹、繋ぎとめるは血脈、彼の者は満たしものなり――癒し守護せよ。」
灯火の灯りとは異質の輝きが放たれた。一瞬の閃光が周囲の狼を怯ませる。今だっ!両足に力を込め、街道沿いを駆け出した。何の魔術だったのかは後で聞くとしよう。それまで無事であれば、だが。
「カッカッカッ。朝には迎えを送るでのーぅ!」
ジョン爺の声援と狼達の荒い息使いを背に受け、僕の朝駆けが始まった。
次に続きます




