魔獣と魔槍
ラーディ川での戦い
水生魔獣。主に水辺に生息する魔獣の総称である。ラーディ川を中心に生息する水生魔獣と言えば、「黒海老」が有名だろう。魔獣辞典によれば、体長二メートルから四メートルほど。見た目は水牛に似ており、全身を固い甲羅のような黒い殻で覆われている。頭部から二本の触角が生えており、それを利用して獲物を捕らえるようだ。
ラーディ川の水面から二本の触角が姿を現した。先端が鋭利な刃物のような形をしており、カチッカチッと互いをぶつけて威嚇している。恐らくあれで突き刺すなり叩くなりして攻撃するのだろう。
「狙いは恐らく馬でしょう。馬車ではなく親衛隊の方に向かいます!」
「馬車に乗って逃げれば速いだろうが……、ここはユウ殿に従おう。姫、その足で駆けるのはお辛いでしょうが、少し急ぎましょう。」
「えぇ!私は大丈夫よ。」
ドレスに見合う踵の高い靴を履いたパトリシア姫が、態勢を崩しながらも駆けている。渡河の最中であった輸送隊はまだ黒海老には気付いていない。川の対岸には荷運びの兵士たち、クリス隊長たちの姿も見えた。こちら側には馬車に親衛隊、馬もかなりの数が確認できる。案内役の時とは違い、身体が勝手に反応して動いてくれた。前回の魔獣調査依頼からまだ日が浅い為か、こういった類の緊張感にはまだ順応しているようだ。
「くっ、やはりこちら側に上がってきたか!」
『ギャオオオオオオン!!』
水しぶきを上げながら水流の勢いに乗ったまま岸へと上がる黒海老。近くにいた馬車の馬が逃げようとするが、御者がいなくては、その場で嘶くのみだ。鳴き声の元へ勢いよく伸びる黒い触角。それは馬車ごと串刺しにする形となり、その威力を物語っていた。血なまぐさい匂いを背中越しに感じ、僕らは足を更に速める。
「おぉ馬車に寄っていては危なかった。さすが腕利きの傭兵隊、目鼻が利きますな。」
「いえ、僕はまだ何も……。それより親衛隊の皆さんが見えてきました。これでひとまず――」
“追われたら逃げる”というのは生物の本能的な習性である。それは目の前の彼らも同じなのだろうか。僕らに背を向けて駆け出していく親衛隊の面々。頼りとしていた味方に梯子を外され、動揺が広がる中、怒声が轟いた。
「ば、馬鹿者ォォォ!敵に背を向ける親衛隊が何処におるかァァァ!」
クライヴさんが激昂する背後から、威嚇音がどんどん大きくなってくる。馬に乗って逃げるのが一番だろうが、乗馬している余裕は無さそうだ。考えたのは一瞬、身体は即座に反応を見せる。外套を翻すと、パトリシア姫たちと黒海老の間に割って入った。このまま難なく倒せたら恰好良いのだろうが、残念ながら僕にその技量は持ち合わせていない。仕方なく慣れ親しんだ役を演じる事にした。
「クライヴさん、そのまま親衛隊の皆さんと出来るだけ離れてください!その間、僕が囮役になって時間を稼ぎますっ!」
「ユウ殿!?ならば私も……いや、今は姫を安全なところまでお守りするのが役目か。すまぬ、ここは任せたっ!」
前回に引き続いての囮役。稼ぐ時間の目安は二つ。安全な場所まで避難できるだけの時間、或いは傭兵隊の皆が駆けつけてくれるまでの時間だ。腰の短刀を握り思考が全身を駆け巡る。とにかく触角の動きにだけは注意しなければならないだろう。
ガチッ、ガチッ。
威嚇の音が目の前まで迫ってきた。黒海老の眼がキラリと光ると、そのまま触角を叩きつけてくる。避ける事も出来たが、あえてその場に踏みとどまった。壁の役を担うと決めたからには、背後に意識を向けさせる訳にはいかない。ここからが囮の見せ所である。
「叩くだけなら防ぎようも――、あるッ!」
短刀を額に掲げ、頭部への直撃だけは阻止する構え。次の瞬間、襲いかかる衝撃が身体に重くのしかかった。
ズドォォン。ブォォォォン。
衝撃は連続で襲いかかる。頭上からの一撃を凌ぐも二撃目までは防ぎきれない。二本目の触角がうねりながらの横払い。
「がはァ!」
まるで鞭のようだ。固い触角のように見えて、そのしなりは変幻自在に見える。横払いをまともに喰らった僕は身体をくの字に曲げ、地面に転がった。
「ゲホッ、ゲホッ、はぁはぁ。なんて衝撃だよ、窒息するかと思った……。だがまだだッ!!」
横から肺を押し上げられたような苦痛だったが、幸いにもまだ身体は動かせる。壁役ならもう充分に役目を果たせただろうが今は違う。囮役は動き続けなければならない。
「こっちを――むけェェェェッ!!」
気勢と共に甲魔獣の横っ腹にしがみつく僕。仕返しとばかりに短刀を突き立てるが、固い甲羅のような皮に守られ刃は通らない。数瞬の間、固い皮と短刀とで格闘していると、甲魔獣が跳ねるように体を揺らした。振り落とされまいと捕まろうとするが、またもや吹き飛ばされる僕。
「う、うわぁぁぁっ!」
吹き飛ばされた僕を、剣の切っ先のように尖った触角が狙う。馬のように一突きにする算段だろう。避けなければいけない、そう思うも身体が反応しきる前に鈍い痛みが身体を走った。ほんの数日前に感じた痛覚、知りたくは無かった痛みでもある。
『ギシャァァァァッ!』
黒海老が獲物を捕らえた喜びの声をあげた。触角が僕の胸を貫いたのである。このような状況でも、僕の意識は酷く冷静であった。痛覚の限界を超えると、痛みを感じなくなるらしい。今がその状態なのではないだろうか。トクン、トクン、トクン。心音が聞こえる事から、心臓は貫かれていないのだろう。動いているという事は、まだかろうじて命を保っているはずだ。そんな事を考えていると、ズズッ、ズズズッと触角が引き抜かれた。支えを失いそのまま地面に倒れる僕。
「うぅ、うぅ……。」
頑丈が取り柄とはいえ、今回は流石に重傷だろう。時間を稼ぐことには成功したとは言えないだろうが失敗もしていないはずだ。現にこちらに向かってくる足音が聞こえる。
「――ぅ!」
心音はまだ鼓動を続けている。僕を呼ぶ声が聞こえるがそれに応える事が出来ないもどかしさ。
「――ユウ!ユウッ!!」
耳元まで近づいた足音に頭上から名前を叫ぶ声。それにも負けないぐらい大きな音を奏でる心音。ドックン、ドックン、ドックン。
「……いっっったああああああああ!」
あらん限りの声で痛みを叫んだ。遮断されていた痛覚が一気に復活したのだ。
「ユウ!い、生きてるのねっ!……安心して、傷は浅いわ。もう少しでシーグリッドが来るから、そしたら治癒を!あと少し我慢してッ!!」
叫んでいた声の主はクリス隊長だった。対岸からここまで結構な距離があったはずだが、いつの間にか来てくれたらしい。触角に貫かれたように感じたが、急所は外れていたのだろうか。または、“傷は浅い”としか言わざる負えない状況だったのか。僕には判断できないが、まだかろうじて生きてはいるようだ。
「待ってて。すぐに黒海老を片づけるから。」
『キシェェェェェェェェ!』
黒海老とクリス隊長が相対する。触角が振り回される中、器用にその間をすり抜ける彼女。叩けぬと分かったのか、しなる触角が今度はその鋭さを持って伸びてくる。その瞬間、青い外套が一際大きくたなびくと、双剣が抜かれた。刀身が見えぬ程の速さで斬られる触角。しかし、断ち斬るまでには至らず、弾いただけのようだ。
「黒海老の触角って存外、固いものね。」
「……ね、付け根を。ぐっ、斬って……、くださいっ。」
痛みを堪えながら、懸命に伝える。貫かれた時に見えた触角の付け根。そのしなりを生む部分は、固い皮で覆われておらず、赤肉が見えていたのである。
「付け根……額の所ね、ありがとうユウ!」
凛とした双剣が宙に舞った。エリーさんの跳躍は溜めて一気に飛ぶような印象だったが、クリス隊長の場合は宙に足場でもあるかのような軽快さだった。しなる触角を器用に蹴飛ばしながら近づく双剣の刃。
「散々暴れてくれたわね。これは私とユウからの――お礼よッ!!」
赤く柔らかな根元に辿り着くと、双剣を振るうクリス隊長。返り血で汚れるのも気にせず触角を二本とも叩き斬った。
『ギャァァァァァァ!!』
最大の武器であろう触角を失った黒海老は、苦痛の叫びを上げた。跳ねるように暴れまわるが少し距離を取ればもう危険は無いだろう。
信頼感。親衛隊の人たちに持った感情とは真逆の気持ちが心に広がっていく。同じ目的を共有する味方がどうあるべきかを行動で率先して行動で示してくれたクリス隊長。パトリシア姫も何処かでこの光景を見てくれているだろうか。この先の道中に不安を持たなければ良いのだが、あの親衛隊では心許ないかもしれない。そんな事を考えていると、聞き慣れない声がこの場を乱した。
「我こそは親衛隊が一番手、ライオネル家のダニエル!パトリシア殿下に仇なす黒き魔獣め!皇国内にライオネル家ありと言わしめた魔槍“迅雷”を喰らうが良いッ!!」
触角の無くなった黒海老に単身突撃していく騎士。親衛隊お揃いの白銀の鎧に彼の倍はあろうかという長さの槍を構えていた。その槍の矛先は黄色く輝いており、何かしらの魔術が加えられているようである。駆けた勢いのまま槍を突き刺した騎士。その瞬間、大きな雷鳴と共に槍の周囲に雷が走った。
「あれが噂に聞く魔槍ジンライ。なるほどね、本来は竜相手に使うものだったでしょうに。」
騎士が一方的に槍を振るっている中、僕のもとへ駆け寄ってくれたクリス隊長。
「クリスー!ユウは大丈夫?」
姿は見えないが後方から小っちゃくて可愛い声が聞こえてきた。助かった、治癒をとお願いしたいが、激痛で声も出ない。
「えぇ、とにかく治癒を!血を流し過ぎてるみたい!」
「うん……、わかった。ちょっと、待っててユウ。」
ドサドサと荷物を広げるような音が地面から伝わってきた。恐らくリュックから何か道具を取り出しているのだろう。外套を引きちぎられ、胸当ての上からドロドロとした液体をぶっかけられた。傷に蓋をされたような感覚、痛みが和らいでいく。徐々に声が戻ってきた。
「……、ゴホッゴホッ!あ、ありがと、シーグリッドちゃん。」
「え!?ゆ、ユウ!まだ、動いちゃダメ!!」
痛みは酷いものの、動かせない程では無いと思う。シーグリッドちゃんの謎の薬は本当に良く効く。本当は魔術士ではなく治癒士だったのでは?と思い始めるぐらいだ。
「あれは駄目そうね……。」
クリス隊長が縁起でもない事を話している。しかし、それは僕の事ではないようで少し安心した。騎士と黒海老の方へ視線を向けると、彼らはまだ戦闘中のようだった。雷鳴の衝撃はあるのだろうが、まだ深手を負わせるまでには至ってないように見える。
「クソッ!何故だッ!何故倒れん!!希少魔獣たる雲竜の角から作られた槍だぞ!雲を割ると言われた雷を受けてなぜ倒れないのだッ!!」
魔槍迅雷。希少魔獣の一種、雲竜の素材から作られた刀剣類の一つである。通常の槍と違いその雷を伴う攻撃は天下無双の矛と言われていた。
「確かに凄まじい雷だけど、相手の硬さも相当よ。伊達に魔獣の名を冠していないわ。」
短刀を突き立てた時に伝わる感触を思い出した。確かに鉄や鋼とは異質の硬さであった。
「ほぉ、あれが聞きしに勝る魔槍迅雷。ふぅむ、黒海老はその触角に眼がいきがちじゃが、本来はその皮の硬さこそが特筆すべき事柄。歳を重ねるごとに甲殻術式を詠唱し、より厚く、より固くなると書かれていたからのぅ。あの大きさから察するに随分な老齢じゃろうて。突き破るには至らんのじゃろぅ。」
いつもの高笑いは姿を消し、その場に現れたジョン爺。その眼は真剣に槍を見つめていた。“魔獣”と呼ばれる由来、それは魔獣自身が魔術を使うからである。魔力の源と言われる角持ちの希少魔獣は勿論の事、角を持たなくとも、大なり小なりの魔術を使う獣の総称を魔獣と呼ばれていた。水生魔獣の黒海老が使う魔術は、自身の皮を強化する術式であった。
「して、ユウの具合は?」
「それが、ティカに貰った血止め、使ったらー…。思ってた以上、浅い、治りかけ……。治癒術式はいらないみたい。」
槍を見つめた眼差しよりも一際大きく見開いたジョン爺が僕を見た。疑心暗鬼の雰囲気が漂う中、凛とした声がその空気を一蹴した。
「傷は浅いのね。動かせそうならひとまず離れましょう。いつ流れ弾がこちらに来るとも限らないわ。彼の雷ってば、どんどん近づいてくるもの。」
雷が跳ね返るという表現が正しいかどうかは分からないが、黒海老を中心に稲光がまき散らされていた。厄介なことに騎士が押され徐々にこちら側へ近づいてきている。この場に留まり続ければ魔槍の餌食になるのは僕らの方だろう。
「……。奴を止めれば良いのか?」
囮役としての時間稼ぎは充分に果たせただろう。続々と皆が駆けつけてくれている。今度はアイスさんが来てくれたようだ。一剣一刀の剣士が答えを聞く間もなくそのまま駆け出して行った。止めに行ったのは騎士の方か魔獣の方か。後者の方であった。
『ギャオオオオン!』
その巨体を揺らし地面に崩れる黒海老。アイスさんの長刀が大木を叩き斬るように足の根元を叩き折ったのだった。斬るまでは至らなくとも、その斬撃は足場を崩すのに十分な威力のようである。
「……。腹だ。皮の薄い腹を突け。」
「くっ!今度こそ……、今度こそ我が槍を喰らえッ!!」
再び黒海老が稲光に包まれると、雷鳴と共に黒海老の悲鳴が轟いた。魔槍迅雷、その矛が黒海老の皮を突き破ったのだった。
「思い知ったか!我がライオネル家の誇り!パトリシア殿下親衛隊のダニエル・ライオネルが魔獣を討ち取ったぞおおおお!!」
魔槍迅雷を高々と掲げ、咆哮するダニエルさん。パトリシア姫に背を向けて駆け出したとは思えない程の勇壮ぶりであった。
「ヤァァァァァァ!!我はウィーバ―家の――」
「ウォォォォォォ!!我こそはウエスト家――」
いつの間にか集結していた親衛隊がこぞって魔獣に群がった。各々が持つ武器を突き立て名乗りを上げる姿は異様な光景であった。戦場での功績を示したいのであろうが、敵である魔獣は既に息絶えている。
「カッカッカッ。勇ましいことよのぅ。若者たちが自分の家名を上げるのに必死じゃわい。」
「すまぬ、クリス隊長殿。あれはもはや儀式のようなモノなのだ。戦場では皇族に家名を覚えて貰おうと事あるごとに名乗っておるのだ。暫く喧騒が続くだろうが、ここは忍耐をお願いしたい。」
「えぇ、構わないわ。黒海老の名の通りあんなに黒焦げでは、素材の剥ぎ取りも意味を成さないでしょうしね。それよりユウの手当てを。」
「あぁそうであった。すまぬユウ殿。不本意ながら置き去りにする形となってしまった事を詫びさせてほしい。深手を負ったように見えたが、大丈夫のようで安心した。殿下も心配しておりましたぞ。」
まだ痛みは残ってる者の、ティカさんの薬効のお蔭か、それとも胸当てのお蔭か、身体の傷は小さく出血も止まっている。ともかくパトリシア姫が無事なようで良かった。囮役の役目はこれで完全に果たせたようだ。その代償は小さくは無かったが、とりあえず良しとしよう。
「ユウ?あとで身体を……、調べるから、今は休んでて。」
丁重な謝罪を受ける横で、シーグリッドちゃんが袖を引っ張りながらその顔を近づけてくる。
「カッカッカッ。ホントにユウは頑丈そのものじゃのぅ。何か特別な鎧でも着ているようじゃわい。」
「戻ったらティカにもう一度じっくり診て貰いましょう。その回復の早さ、何処かに負担がかかっていないと良いけど。」
「……。傷はもういいのか?」
喧騒から逃げてきたアイスさんが、心配そうに尋ねた。
「えぇ、それが……大丈夫そうよ。ありがとうアイス、助かったわ。相変わらず見事な太刀筋ね。私の剣では斬れなかったわ。」
「……。いや、自分にも斬れなかった。あの硬さを斬れないようでは、まだまだだ。」
遠目から見てても、見事としか言いようのない斬撃であったが、アイスさん曰く“まだまだ”らしい。徐々に皆が集まった所で、状況確認が行われた。
「被害は軽微のようね。一旦態勢を立て直したら、すぐに出発しましょう。クライヴさん、申し訳ないけど殿下には馬に乗って頂くしかないわ。それと休憩の続きは次の目的地に着いてからでも?」
「あぁ、クリス殿に任せる。ここは安全とは言えなそうだ。準備ができ次第、直ぐにでも川を渡るとしよう。」
ラーディ川のせせらぎに平穏が戻ると、次々と渡河する面々。僕は荷物と一緒に渡し船に乗せられ対岸へと渡った。馬車を失ったパトリシア姫は当初の願い通りに、ここからは乗馬での移動となる。隊列が整えられ、新たに配置転換が行われた。
偵察としてアイスさんが先に出立した。何もなければ次の目的地で合流する予定である。先頭には眼が良いザラさんに先導役のクリス隊長。狙われやすい最後尾にはエリーさんとラインハルトさんがそれぞれ配置された。荷馬車の隊列は変わらないものの、馬車の位置にパトリシア姫以下クライヴさんに親衛隊。輸送隊本隊の兵士から選抜された数人も護衛に加わっている。両脇に広がるようにジョン爺、シーグリッドちゃんが配置された。負傷して間もない僕は、最後尾の荷車に乗せられ肩を揺らしていた。破れた外套は血で汚れており、胸当てに大きな穴が開いている。見た目は酷い有様だが、身体は既に回復しており乗馬も出来そうであった。しかし、周りから反対され次の休憩場所までは荷車の護衛という体で乗せられる事になったのだった。次の目的地は湿地帯手前の村アーカンソン。残り半日の距離であった。
次に続きます
戦働き




