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夢の話

作者: つむぎ日向


 ――俺はプロの野球選手になる。


 これは、そう俺に向かって言った、一人の野球馬鹿の話だ。



 それは、思い出そうと思えば脳裏に浮かぶ程度の、本当になんでもない春の日。高校に入って丁度一年が経ち、学年が一つ上がったばかりの頃。

 その日、前日に担任教師が予告していた通り、東京から一人の転校生がやってきた。彼は坊主頭で体も大きく、見てすぐに野球部だろうと想像がいった。そして実際、彼は前の学校では野球部だったそうで、新しい学校でクラスに顔を出す前に、野球部に顔を出している程だった。

 ちなみに、これは後になって彼と付き合っていく中で分かったことだが、彼はかなりの野球馬鹿だった。

正直、俺は野球のことはさっぱり分からないし、彼とは中々気が合うこともないだろうと、彼の緊張気味な自己紹介を聞きながら思っていた――のだが、それ以外の所が妙に気が合い、彼とはすぐに意気投合したから不思議だ。

 そんな転校生を交え、友人たちと毎日のようにアニメやら漫画やらの話をしたのは、今でもいい思い出になっている。



 そしてある日の体育の時間。

「俺はプロの野球選手になる」

 彼が恥ずかしげもなく、元気な笑顔でそう言ったのは、高校二年生という学年も終わりに差し掛かった頃。クラスの皆が、そろそろ進路について真面目に考え出した頃だった。

「そうかよ」

 俺を含めた皆、彼の言葉にそう返す。現実逃避している場合じゃないという気持ちを込めて。

 確かに彼は野球が上手かった。元々前の高校は野球の強豪校だったらしく、そこで練習していただけの事はある。だがしかし、うちの高校は甲子園どころか地区予選も勝ち上がれない弱小校。それに、個人技能だけ見たところで、天才と呼べる程上手くもなかった。

 なにより彼は、練習を嫌がっていた。毎日放課後になると、

「練習行きたくねぇ~」

 と、駄々をこねるのは、もはや日課になっていた。

 そんな彼を見て、まさか本気でプロ野球選手になりたいなどと思うわけもない。

 だが違った。

 それに気が付いたのは、三年生に進級して少し経った頃。クラスの全員が進路を決めた時期だ。

 俺の通う高校は工業系の学校だったという事もあり、進路で多いのは就職。その次に専門高校といった進路希望だった。

 そんな中、俺は一人進路を決められないでいた。

 何故かというと、理由は簡単で、俺には一応の“夢”があった。小説家なんていう現実味のない夢。だから、悩みに悩んで進路調査票には、“就職”と書いた。

 それまでに何度かコンクールに募集したことはあったが、一度だって上手くはいかなかった。それはつまり、俺に才能がないという事だ。だったら続けても意味がない。そう思ったから、就職の道を選んだ。

 そんな時、ふと気になって(くだん)の野球馬鹿に進路を聞いてみた。すると彼は、

「俺はプロの野球選手になる」

 この期に及んで、まだそんな事を言っていた。

 だが彼は、口だけではなかった。

 というのも、彼はその時点で、元プロ野球選手が監督を務める実業団チームに選手登録をし、会費もバイトをして自分で払っていくと言う。

 その時に初めて、この野球馬鹿は本当に野球馬鹿だったのだと思い知った。

 芽が出るかも分からない事に、彼は自分の全てを費やして向かって行こうとしていたのだ。そんな彼に俺が言える言葉は、

「頑張れよ」

 という、あまりにも在り来りな言葉しかなかった。それでも彼は、

「おうっ!」

 と、いつものように元気な笑顔を向けてくれた。



 あれから一年。

 彼の影響を多大に受け、俺は今これを書いている。もちろん夢を現実にするために。

 そう決断するためには、多くの葛藤もあれば、担任教師や家族にはこれ以上ない迷惑をかけた事だろう。

 だが後悔はない。

 あの日、彼の“本気”を知った時に、自分もこうありたいと思った。

 周りがそうだからとか、絶対に無理だからとか、そんな事は無視して自分の本当の気持ちを優先させる。 それはどんなに辛く、大変な事か。

 だが、それでも自分の夢だ。だから、自分の全てを費やしてでも勝負しようと思える。

 彼がそう思うきっかけをくれた。

 だから俺は、夢に自分の全てを費やそうと決めた。

 今でも、落ち込んだり、後悔したりしそうになると、彼の元気な笑顔とあの言葉を思い出す。

「俺はプロの野球選手になる」

 という言葉を。

 他人からしたら馬鹿げた夢の話かもしれない。だが、彼のそんな夢のような言葉を聞かなければ、今俺は夢を叶えようとは思わなかっただろう。恥ずかしげもなく、小説家になるなんて言わなかっただろう。

 だから俺は、次にあの野球馬鹿と会う時、必ずこう言うと決めている。どうしようもない“頑張”れなんて言葉ではなく、

「俺は小説家になったぞ」

 と、胸を張って言うのだ。

 その時にはきっとあの野球馬鹿も、

「俺もプロ野球選手になったぜ」

 という言葉を、あの時の元気な笑顔と共に返してくれると夢みて。


--fin.


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