黒い仮面
日が沈み始め、空が茜色に染まる頃。
ひぐらしの鳴く田舎道を、一人の青年が歩いていた。
遠い親戚の葬式に家族共々呼ばれた青年は、数年ぶりに訪れた田舎を堪能しようと祖父の家に到着すると同時に散策に出掛けたのだ。
青年が祖父の家を最後に訪れたのは小学生の頃だったか。
周囲を見渡せば、どことなく見覚えのある民家や道が伺えて、かつてまだ小さかった頃を思い出して懐かしい気持ちになる。
例えば今目に映った民家の、入り口に置いてある、空っぽの犬小屋。あそこに住んでいた犬にはいつも吠えられていた。
当時はそれが怖くて、あの家の前を通る時は全力で走り抜けるようにしていたっけ。
今思い返すと笑い話だが、当時は本当に死活問題だった。
なにせ祖父の家を訪れる度に、必ず吠えられるのだ。幼い頃の青年にはそれはもう恐ろしかった。
思えばあの頃は毎年必ずこの家の前を通っていたな。そんなことを考えていた青年は、ふと思う。
――なんで、毎年この家の前を通っていたんだっけ。
そのまま田舎道を進んだ青年は、目の前に山道への入り口があることに気付く。
道は薄暗く、あまり奥までは見渡せない。
入り口に置いてある手入れのされていない、汚れた地蔵がこちらをじっと見つめている、どこか不気味に思える道。
――こんな道、あったっけか。
周囲を見渡しても他に道はなく、この山道で行き止まりのようだ。
後ろを振り返ると、少し遠いが先程の犬小屋とはそれほど離れてはいない。
つまり、あの犬小屋の前を抜けて、毎年この場所に来ていたことになるのだ。
何か思い出せそうな、しかし記憶にぼんやりと靄が掛かり、何も思い出せない。
――幼い頃の自分は、この先で何をしていたんだろうか。
それがどうしようもなく気になって、青年は山道へと足を踏み入れた。
進み始めてどれほどの時間が経っただろうか。
上をると、木々の隙間から茜色の空が覗いているのが見えることから、まだそれほど時間は経っていないようだ。
緩やかな上り坂になっている道は思ったより綺麗で、雑草などは殆ど生えておらず、比較的最近になって誰かが手入れしたかのようだ。
不気味な道ではあったが、人の手が加えられていることに安心感を覚え、足取りも多少は軽くなる。
違和感を覚えるとすれば、ここまで進んでなお、この道に一つも見覚えがないということだ。
――ひょっとすると、幼い頃の自分は入り口で怖がって引き返していたのかも知れないな。
子供の頃に行けなかった道を、成長した自分が進む。
そこに大人になった実感を覚えた青年の足取りはさらに軽くなり、このまま山の頂上まで行ってみようと山道を登り続けた。
しばらく登り続けると、目の前に石段が見える。どうやら頂上まで続いているようだ。
青年は携帯を取り出し、登り始めてからどれだけと時間が経ったかを確認しようとして――
山に入ってから、1秒も経過していないことに気付く。
――それどころか、携帯の時計は全く進まない。画面に表示された秒針は、壊れたアナログ時計のように1秒進んで、また1秒戻るを繰り返している。
思えば、1時間近くは登っている筈なのに、未だに空は赤い。日が暮れてもおかしくないのに。
急に青年は怖くなり、元来た道を急いで引き換えそうと振り返って。
――誰かが立っていることに気付く。
男だろうか。女だろうか。
遠目にぼんやりとしか見えないが、黒い、鴉のに似た奇妙な面を付けた、全身が黒い何かが立っていた。
そいつは首をかくん、かくん、と上下に揺らしながら、ゆっくりとこちらに近付いて来ている。
第六感とでも言うべきか。
――あれと接触したら不味い。
そんなぞわぞわとした気持ちの悪い感覚が青年を襲い、青年は急いで振り返って階段を駆け上る。
――兎に角、あれから逃げなければ。
途中何度か転びそうになりながらも、決して少ない数ではない階段を一気に駆け上り、頂上へと到着する。
その疲労感から頂上に到着すると同時に俯いて両手を膝に付き、切らした息を整える為に無理矢理呼吸する。
その間にも奴は後ろに迫っているのだ。こんなことをしている場合ではない。どこか、逃げる場所は――
俯いていた顔を上げて、頂上を見て、気付く。
――先程背後にいたのと同じ格好をしたたくさんの奴等が、かくん、かくんと首を揺らしながら、互いに顔を向けて並んでいることに。
「あ……」
青年の口から声が漏れる。
――瞬間、奴等の黒い面が一斉にこちらを見た。
青年は後退りして、何かにぶつかる。
――そう言えば、後ろにもいるんだっけ。